「トゥリアーナ」のカンテフェスティバルが終わり、このフェスティバルで知り合った日本人と一緒に、揚げたての「チュロス」を食べに行くことになり、トゥリアーナ橋を渡ろうとしたとき、目の前に、グアダルキビル川と旧市街、「ヒラルダ(大聖堂の尖塔)」、「黄金の塔」とスペイン広場の二つの塔、遠くの地平線、それら全てをつつみこむ雄大な朝焼けが広がり、太陽と供に東からゆっくりやって来る、やさしい光とさわやかな風・・・、おもわず深呼吸をし、その心地よい光と風の音を聞きながら、橋の上でしばらく立ち止まっていました。 私たちは、橋を渡り、闘牛場の横を通り、「ヒラルダ」を目指して歩き、そして、「大聖堂」から「アルカサール」の横を通り、ジャスミンの香りが漂うサンタ・クルス街にはいり、ムリーリョ公園まで、静かな夜明けの街に響く足音を聞きながら歩いて行きました。大きなゴムの木のそばに来た時、突然、おおきく聞こえてきた小鳥の“さえずり”に、はっと我に返りました。直径2メートルはある大きな木を見上げると、不気味なぐらい多くの鳥の黒い影が、鳴きながら動いていました。
広い通りを渡ると、「ウトレラ」や「モロン」、「ヘレス」などの町へ行く時のバスターミナルとレンフェ(鉄道)のカディス駅です。
この時、一緒に「チュロス」を食べた日本人は、ギタリストで、もう何年もセビージャに住んでいる「マノ」さんと、「チャンケ」さんという人でした。
・・・『この前、ヘレスで、小さなBAR(バル)から「カンテ」が聞こえてくるから入ったら、あの、「ボリ―コ」( EL Borrico ---ヘレスのカンタオール)だったんだよ! 知ってる? ボンちゃん、・・・生の声が聞けたんだ!! 』・・・『「ボリーコ」ですか?・・・知りません。』 近所の子供達も通うレッスン場は住宅街にあり、ふだんの生活の中で、フラメンコを習うことは、ここでは自然なことであり、「さすがセビージャだな〜」と、そのセビージャに自分が今いることを嬉しく思いました。
Enrique el Cojo ( エンリケ エル コッホ )は、セビージャの名高い舞踊教師で、有名なプロの踊り手も習った事を話題にします。また、彼のバイレは“フラメンコの神髄を伝える踊り”といわれています。
中学生位の女の子がはじめレッスンを受け、次にプロの踊り手(女性)が、腕と手、そして、指の動きを主に質問しながら「ソレア」と「ブレリア」のコンパス(フラメンコのリズム)で、短い振りをいくつも教えてもらっていました。
心の動きから、呼吸の揺れ、そして足へ、腕へ、手へ、指に、最後は、目でコンパスを〆るのです。・・・彼の息ずかいが聞こえ、目の表情から、身体全体から、感性と思索の表現の「何か」が伝わってくるのです。
私は、彼の強烈な“アイレ”に驚き、また、コンパスにも驚きました。
たとえば、こんな事を、・・・・『仕事も金も無いって?』(6泊)・『世の中が信じられないって!』(6泊)、『お前さんに言うけど、いいか、』(6泊)、『パンが欲しいという我が子に、石を与える親がいるか?』(6泊)・『魚が欲しいという子に、蛇を与える親がいるかよ!?』(6泊)・『まじめにやってりゃ〜上手くいくっていう事を信じろってよ!』(6拍)・・・と『6泊の踊り』が続き、最後に『だって、神さんはよ〜、俺らの親だろ〜が!!』と言って踊りをキメテ(〆て)終わる。・・・というように。 Enrique el Cojo ( エンリケ エル コッホ )は、フラメンコのカンテ・ホンド(深い歌)をも、自分の心と身体全体の動きで表現できる人であると同時に、とても、やさしく、面白い“おっちゃん”でした。
来月に続く
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