スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第47章 定住計画 (第一部)

『日の当たらないマンション』


 第四十五章の初めに「全ての活動を支えてきたもう一つの大切な拠点、ベースについて
何章かにまたがって触れてみたい」と書いたが、このテーマを終えるにはまだまだ長く
かかりそうである。
更に話が遡ってしまう事、お許しいただきたい。

 僅かな資本金を持ってスペインへやって来たのが20歳の時。
そしてそれから様々な経験を経て、間もなく十年が経とうとしていた頃、私の大きな夢は、
賃貸マンションに住んで毎月の家賃を永遠に払い続けるのではなく、自分のマンションを
持つ事だった。
まだ30歳になる前のことだったが、それまで一生懸命に貯めてきたお金を頭金にしてついに
小さなマンション購入を決意した。

 肩をこわしヴァイオリンを諦めたあと、通訳ガイドの仕事でお金を貯めて、欲しいヴァイオリンを
買ったら日本へ帰国し、夕刻に時間通り退社できる職場を探して、どこかの
アマチュアオーケストラに入れてもらってヴァイオリンを趣味として楽しもう、、、
そう考えて日々、仕事に励んでいたはずだったが、いつの間にか、すっかり仕事に染まった
生活に慣らされてしまい、ヴァイオリンに触れる事は無くなっていった。
そうして、買いたいと思っていたヴァイオリンを手に入れるのに充分な貯金が出来た時には、
音楽と言うものから完全に遠ざかってしまっていたのだ。
そしていつしか、日本へ帰ろうと言う考えも徐々に姿を消し、この国に腰を落ち着ける事を
考え始めていたようだ。
その結果が、住居の確保、つまり、マンション購入に繋がったのだろう。

一文無しとは言わないが、それに近い状態からスペインでの生活を始めた私にとって、
マンション購入は、一大イベントと言うより、一世一代の買い物であり、大きな賭けであった。

不動産売買の契約書なんてちゃんと理解出来るのだろうか?

騙されないだろうか?

いくらかの頭金は貯まったものの、銀行はローンを組んでくれるのだろうか?

まさに不安だらけだった。

それでもとにかく、なけなしの財産で手の届きそうな物件を探した。
当時のレートで日本円にして850万円ぐらいだっただろうか。
治安善し、交通の便善しと、その立地には何等、不服は無かった。
ただ、パティオ側の物件であり、更に日本で言う地上3階と、下方の階であったため、
1日中、ほとんど太陽の光が入ることは無かった。
つまり、陽の当たらない暗い、そして寒々としたマンションだった。

どうせマドリッドは年がら年中晴れていることが多く、太陽光にはいつも不自由しないのだ。
一歩、外へ出れば、いつでも太陽は有り余っているのだから、家の中ぐらい暗くても我慢できる。
贅沢を言い出せばきりが無いではないか。
まずはこれをベースにして、またいつか引っ越す時に、より良い環境の物件に手を出せば良い。
急がず慌てず、一歩一歩、進んで行くのだ。

そう思って、この、日の当たらないマンションの購入を決めた。
問題は資金繰りである。

 日本に住んでいれば、親兄弟に保証人になってくれるよう頼むことも出来ただろうし、
また、銀行に住宅ローンを申し込むにしても、親が付き合いのあった銀行に頼めば、
信用もしてもらえたのだろうが、ここはスペインである。
そんな親のコネや信頼など全く存在しない。
勿論、住宅ローンの保証人になってくれと頼める人など誰もいない。

保証人を立てられない場合の解決策が、通常、担保ローンであるが、さて、東洋人の若僧が、
ふらっと銀行に入り、住宅担保ローンを申請したいと言って、これに応じてくれる銀行が
存在するものなのかどうか。

悩んでいても仕方が無い。試してみるだけである。

が、その答えを得るのにさして時間はかからなかった。
数件の銀行を回ってみたが、あっさりと断られた。
最初は大手銀行から始め、次に地方銀行を当たってみたが、いずれも返事はノーであった。
やはり、どこの馬の骨だか判らぬチノ(中国人)、勿論、すぐに中国人ではなく日本人である旨も
伝えるのだが、そんな若僧に数百万円のローンを組んでくれるおめでたい銀行は無かった。

 さて、困った、、、 どうしたものか。


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