WINDOWS 95が発売されて以来、ずっとインターネットを使った活動を続ける中で、
実に様々な変化を体験した。
ネット接続の回線速度が14400と言う数字から、28800に変わり、それがまたいつの間にか
56Kと更にその二倍の速度表示になったかと思えば、デジタル回線の時代が到来し、
64Kとなり、すぐにこれが128Kになった。
そしてそのあとすぐに今度はADSLと呼ばれるブロードバンド接続の登場である。
日本ではデジタル回線の設備投資を終えたばかりなのに、すぐに時代はADSLに
変わったため、電話会社がデジタル回線につぎ込んだ費用をある程度回収出来るまで、
ADSLの普及に故意にブレーキをかける、と言う妙な現象も見られた。
消費者にとっては、やっとADSLに変えたら、光ファイバーだの、衛星通信だの、
ちょっとよそ見をしていると、あっという間に置いて行かれてしまう勢いである。
携帯電話についても同じことが言える。
そもそも携帯電話そのものの出現に抵抗を感じ、これを拒否し続けた経験を持つ人も
多いのでは無いかと思うが、世界規模でのその流れに飲み込まれ、いつしか携帯電話は
通常の社会生活を行うための必需品として認めざるを得なくなってしまったのでは無かろうか。
最初はその名の通り、電話通信をするためだけの端末であったものが、いつの間にか、
何でも出来る「魔法の端末」と化しつつあり、これについても、1歩、踏みとどまると、
あっという間に過去に置き去りにされてしまう。
私自身は、この魔法の端末については、一歩踏みとどまるどころか、一歩も踏み出して
いないようなもので、未だに初期の携帯電話を持ち、その最低限の機能しか使用して
いないのだが、パソコンを介したインターネット世界については、時代の本流に
逆らいながらも、完全な落ちこぼれにならない程度になんとかついて行こうとしている。
こう言ったテクノロジーの激動の時代にあって、私が一番大きく感じている変化は、
これらを使う「人間」の変化である。
そう、人の人としての在り方が、急速に変化しつつあるのを実感しているのだが、
今からこの変化について少し触れつつ、今後、我々人間社会がどう変わろうと
しているのか、また、そう言った流れの中で、私自身はどのように泳いでいけば良いのかを
少し考えてみたいと思う。