スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第56章 人間性の部分的消滅

『インターネットで検索』


 わからない事、調べたい事があれば、「インターネットで検索」。

書物としての漢字辞典も、国語辞典も、英和辞典も、和英辞典も、百科事典も使わない。
疑問があれば、「インターネットで検索」。
これが現代の一つの大きな特徴では無いだろうか。

仮に、すぐ傍に調べたい事について詳しい人がいても、その人と会話を交わして教えを
乞う前に「インターネットで検索」をし、そこで得る情報を、かなりの無防備さを伴って
信用する人が多いように思う。
ネットで入手できる情報の出所も、その情報公開の背景も何もわからないまま、その情報を
信じてしまう人が多いように思えてならない。
これは多かれ少なかれ私自身にも言える事だが、ここに幾つかの「人間性の部分的消滅」現象
が見受けられる。

一つは、会話、つまり社会的動物である人間特有の、言語会話による情報交換を行う習性が
消滅、そして更には、出所も背景もその意図も判らない情報を、ともすれば鵜呑みに
してしまう、つまり、自分自身で情報の信憑性や正確性を確認すると言う能動性の放棄、
そして自己の判断力による最終的判断の放棄と言う、本来人間が持つべき重要な
行動パターンの部分的消滅である。

今述べた事項中、最も重大なのが一つ目、つまり社会性の消滅だと私には思える。
なぜなら、社会性さえ維持出来ていれば、他の問題については、誰かしら気づいた人が
きっと指摘してくれるであろうから。

一昔前、パソコン、そしてインターネットが急速に普及し始めた頃、一つの大きな社会問題が
云々されるようになった。
それは、家庭内での交流が希薄になりつつあると言うものだった。

インターネットと言う、世にも不思議なメディアを通じて、見ず知らずの人と交流を持つ内に、
自然とパソコンのある部屋に家族の各メンバーが閉じこもるようになり、物理的に一緒に
生活している家族と過ごすよりも、ヴァーチャル世界に身を置く方が居心地が良いと
感じる人が増え始めたためである。

「お子さんのいる家庭では、パソコンは必ず居間など、家族が集まる部屋に置くように
しましょう」

こう言ったアドバイスが良く目についたものである。

しかしながら、この問題は子供だけでなく大人の間でも深刻な問題となって行ったのは、
特にここで触れる必要も無いと思う。

大きな時代の流れがある中で、なぜ私が、パソコンを介したネット世界だけは、完全な
落ちこぼれにならない程度に今もついて行こうと僅かばかりの努力をし、その一方で、
魔法の端末、携帯電話については、一切、その発展に背を向けているのかと言うと、
それは、魔法の端末がパソコンとは比較にならない程の強い力で、人間の直接的情報交換
を含む社交性を消滅へと追いやっていくと感じているからである。

家庭の絆が希薄にならないために、パソコンは居間など、共有の空間に置くと言う
対処法があったかもしれないが、携帯はどうだろう?
置き場所と言う観念すら存在しない。
常に人間と一緒に持ち運ばれており、常にそこに独自の世界を作り得る力を備えている。

MHには、利用者が集うサロンやダイニングがあるが、一見、ダイニングに集まって
社会的交流を行っているように思えても、実際には、各々が自分の持つスマートフォンや
タブレットに夢中で、ひたすら手と指を動かしているだけ、、、
これを悪いとは思わないが、私にとっては非常に奇妙な風景がそこに展開される事が
増えつつある。

全員がそれぞれの部屋に籠ってしまい、サロンやダイニングに顔も出さない、と言う
状況よりはずっと好ましいとは思うが、同じ部屋にいて、全員が顔を下に向け、黙って
小さな端末を操作し続けているのを見ると、やはり人間の社会的動物としての
「直接会話による交流」と言う基本的な一面が消滅しつつあるのを感じざるを得ない。


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