インターネットが広まり始めた頃、誰もが簡単に世界中の人々と交流を持てる場として、
ネット上の掲示板は、実に新鮮で斬新、そして便利なものとして受け入れられた。
HP「スペインなんでも情報リアルタイム!」の掲示板を例に挙げると、日本中、どうやって探しても
まず手に入れることの出来ないようなスペインのローカルな、そして正確な情報が、いとも簡単に
入手出来るのに驚いた利用者から、沢山のお礼の言葉をいただき、そして、「スペインだけでなく、
世界中の他の国についても、『スペインなんでも情報リアルタイム!』のようなHPがあれば
助かるのですが、他の国に支部は無いのですか?」と言った、この上なく嬉しい質問をいただくことも
少なく無かった。
ところでこの時代、インターネット利用者の中には、こう言った書き込み自由の掲示板を、
礼儀正しく利用する人と、自らの素性を隠したまま発言出来ると言う特徴を悪用して、
ただただ無責任で、利己主義な発言をまき散らす人とに分かれた。
その結果、世の中にたくさん誕生した掲示板の多くは、「掲示板荒らし」と呼ばれる、一部の非礼な
人々の出現によって継続不能に陥り、閉じざるを得なくなって行った。
そう言った中で、ネット世界は大きな方向転換を見せ始める。
それまでインターネットは、地球規模で可能な限り「壁」を取り去った、誰もが参加出来ると言う
極めて特殊とも言えるオープンな環境を持つ通信システムであったが、そこに善良なユーザー
だけではなく、他のユーザーに危害を加える悪質なユーザーの存在がクローズアップされた
結果として、悪質ユーザーが参加出来ぬよう、フィルターを設けると言う方向へ傾き始めた。
それはつまり、「壁」の存在しないオープンな世界であったはずのネット世界に、確固たる「壁」を
設置すると言う事、或は、自らの正体を明かさず匿名で参加する事が可能であった世界に
ユーザー登録制度を設ける事によって、良い意味でも悪い意味でもその利用法と可能性に
制限を設ける事。
そしてその延長上に姿を見せ始めたのが、一つのプライベートとも呼べる共同体だけによる
ネットワーク、、、例えば、ミクシーであり、Facebookであり、LinkdIn などである。
これにより、自分の仲良し仲間、お友達、そして友達の友達など、その世界を壁に囲まれた
スペースに限定しての交流へと姿を変えて行ったが、これはつまり、インターネットが
インターネットでは無くなったと言う事を意味するのでは無かろうか。
例えるなら、かつては誰もが一緒になって楽しんでいたカラオケが、仲間内だけで小さな部屋を
借り切って行なうカラオケ・ボックスの世界に代わって行ったのに似ていると思う。
その変化には利点もあれば欠点も挙げられると思うが、インターネットの利用法については、
自分さえ気をつけていれば避けられるであろうマイナス面を、避けようと努力をする以前に、
誰かが用意してくれた避難ルームに閉じ籠る事によって回避する事を選び、同時にその
避難ルームの外に広がる無限の可能性に背を向けてしまっている、そう言った一面が
少なからずあるのでは無いだろうか。
インターネットの世界は、現実に存在する物理的世界と同様に、いや、それよりもはるかに
広がりがあって、ポジティブな情報や可能性に溢れていると同時に、現実の世界よりも
これまた、はるかにネガティブな情報や危険性をはらんでいる事も事実だと思う。
がしかし、そう言ったネット世界の利用法が、仲良しグループだけで壁を作り、カラオケボックス的な
世界に限定すると言う方向に傾くのであれば、それはつまり、ネット世界だけではなく、
現実の世界においてでも、やはり同じようにカラオケボックスに身を寄せ、人間が持つ社交性と言う
重要な一面の欠如、つまり、「人間性の部分的消滅」を助長する事に繋がるのでは無かろうかと、
一抹の不安を感じるのは私だけであろうか?