スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第9章 がむしゃらに生きる時代


『いつの日か、死ぬまで寝てやる!』


 ピピッ、ピピッ、

腕時計のアラーム音で目を覚ます。


昔から、朝、起きるのに大きな音の目覚し時計は必要無かった、と言うよりも

耐えられなかった。

鳴った瞬間、心臓が止まりそうな思いをするので、いつも腕時計のアラーム音、

そうでなければ、小さな音から次第に音量を増していくタイプの目覚ましを使った。

それでも、一度目か2度目の極低いアラーム音で目を覚ますのには充分であった。


午前4時45分である。

目を覚まして最初にする事と言えば、耳を澄まして窓の外の様子をうかがう事。

つまり、雨の音がしないか、或いは、全ての音を掻き消す積雪の気配はなかろうか、、、

と言ったところだろうか。


思えば、あの頃は私の実家があった京都でも冬場はよく雪が積もったものだが、

近年ではあまりそう言うことも無いと聞く。地球の気候が変わってきたのだろうか。


 朝刊を配達する者にとって、一番嫌なのは雨だった。

雪が積もると、自転車やバイクで配達している人にとっては非常にやっかいなのだが、

私の場合、たすきがけにして新聞を担いで走りながら配っていたために、雪は

それほど苦になるものでは無かった。気をつけていれば滅多に転ぶことは無い。

それよりもやはり雨である。

ちょっと油断をすると、新聞がずぶぬれになってしまい、商品価値を失ってしまう。

注意はするのだが、それでも何年もこの仕事をやっていると、雨で濡れる道路に

担いでいる全ての新聞を、どさっと落としてしまう事が何度かあった。

致命傷は逃れたものの、その度に肝を冷やしたものである。


 この時期、とにかく、スペインに戻ってくると言う、アナと交わした約束を守るべく、

自らの夢を果たすべく、ひたすらアルバイトをして資金稼ぎに奔走した。


毎朝5時前に起床し、朝刊配達を終えた後、少し仮眠をとってから夕刻まで

ヴァイオリンの練習をする。

夕方になると、新聞販売所へ行って、翌日の朝刊に挟むための折込広告を担ぎ出し

それをバイクに乗せて、24時間営業のレストランへ向かうのである。

レストランでの労働時間は17時半から23時半まで。

その間に順番で10分休憩が1回と15分休憩が1回あった。

その時間を利用して、バイクで持ち込んだ何種類もある折込広告を、翌朝、簡単に

新聞の中へ挟み込む事が出来るようにまとめるのである。

例えば15種類の広告があれば、その中で二つ折りになっている広告に

その他の広告を一枚ずつ挟み込む。

私が担当していた配達部数は300部程度であったから、300セットの広告を

準備する訳である。

そうしておけば、翌朝、販売所へぎりぎりに出勤しても、300部の新聞に

300セットの広告を挟み込むだけだから、慣れれば15分もあれば終える事が出来る。


しかし、合計25分の休憩時間に、食事も取らなければならないため、どんなに

急いで食べても、広告準備に残る時間は、せいぜい15分程度のものであった。

そのような短時間に300セットもの広告の準備が出来るはずも無く、

終わらなかった分は、23時半に仕事を終えた後、そのまま再びバイクに積み、

家まで持ち帰って続きをする訳である。


全てを終え、シャワーを浴びてベッドに入るのは午前1時ごろになる。


身体はもはや、睡眠以外の何も欲してはいない。

さぁ、また、この腕時計が遠慮がちに4時45分の時報を告げるまで、

身体を休めるとしよう、、、、


 高校時代より、いろいろなアルバイトを経験した。

真冬のガソリンスタンドは本当に寒かった。

英語の家庭教師は、生徒の母親との会話が大変だった。

某ホテルのビヤガーデンでは、大ジョッキを両手で12個まで持つことを教わった。

カニ料理の某有名チェーン店では、カニのさばき方から、魚のさばき方、

揚げ物に焼き物、煮物に炒め物と何でも学んだ。


夜間の警備保障の仕事をした時には、そのまま続けてやった朝刊配達と合わせ、

「13時間以上途切れる事が無い労働」、そして一日の睡眠時間、と言うより、

仮眠時間が4時間と言う生活を経験した。

そう、この頃の私にとって、最も現実的な夢は「眠ること」だった。

いつの日かきっと死ぬまで寝てやる、、、そう思ったのを今でも覚えている。


 文字通り、ただひたすら、がむしゃらに働いた。

肉体はつらかったが、精神的には何の苦痛もなかった。

私は恵まれていたのだ。

これらの事を全て自分の夢実現の為だけにやっていれば良かったのだから。


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