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近頃の出来事 |
ここでは我々スタッフ陣が日常の出来事を気ままにご紹介します |
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5月17日現在 |
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● 2010年5月14日という日 法律とは何なのか、法という武器を使うことを許される者とは何なのか、考えずには いられない今日 今日は2010年5月15日、マドリッドは守護神サン・イシドロのお祭りで賑わっている。 それに加えて、ヨーロッパリーグ(旧UEFAカップ)優勝を48年ぶりに果たした アトレティコ・マドリッドが凱旋して、普段はレアルの試合しか見ないような人までもが パレードに便乗して、大変な騒ぎだ。 でも、昨日おこった出来事、スペインの民主法治国家としての根幹の危うさを感じさせる あの出来事を、いったいどれだけの人が認識しているのだろう。 長い長い文章になるので、本当に心苦しいけれど、少しでもこの危機感を伝えたくて この文章を書くことにした。 歴史記憶法に関するコメントを投稿してから、1年半が過ぎた。 全国管区裁判所のガルソン判事から各自治州の高等法裁判所に委ねられた内戦時および フランコ独裁政権下での犠牲者に関する捜査と共同墓地の発掘はどうなっている のだろう。 捜査権限を自らに否定してしまった州もあれば、保留にしている州もあるし、実際に 発掘を進めている自治州もあるが、ガルソン判事が進めようとした全国共通の システム化された捜査は立ち消えてしまったかに見える。 歴史記憶法と犠牲者発掘に関するこの一件はこのまま風化していくかに見えた・・・ が、しかし、今年になってガルソン判事がグルテル事件で民衆党内にはびこる汚職網を 摘発し始めると、新たな動きが見られるようになった。 まずは、昨日、5月14日にガルソン判事がその判事としての職務停止を命じられるまでの 経緯をまとめてみた。 2009年5月27日、極右団体「マノス・リンピオス」が最高裁判所に対しガルソン判事を 告訴。その理由は2008年10月14日に「スペイン内戦下およびフランコ独裁時代に 行方不明になった人々の捜査を行う権限がある」と宣言したガルソン判事は1977年の 特赦法を無視し、本来自分に帰属しないと知っていながらその捜査権限を主張して 捜査を強硬したことによる「背任行為」だったとするもの。 2009年5月30日 この告訴を受け、ガルソン判事は最高裁判所に対して「同裁判の 捜査権限主張は背任行為には当たらない」と主張する控訴を提出。 2009年6月17日 検察局による「ガルソン判事の判断は背任には当たらない」とする 意見にも拘わらず、最高裁判所はガルソン判事の控訴を棄却した。 2009年6月24日 さらに別の極右組織「リベルタ・エ・イデンティダ」が同じ訴えを 最高裁に提出し受理される。 最高裁は同法廷にてガルソン判事の背任罪を問う裁判を行う権限ありとの決定を下し、 裁判開始を決めた。 2009年9月9日 最高裁にてガルソン判事が証言。 この2日前9月7日に、国際司法委員会はこの事態に対して「スペインの最高裁が 全国管区裁判所判事の捜査権に関して裁判を行うことは、裁判官の職務の独立性を 保証する国際法を侵すものである」として遺憾の意を示す声明を発表。 2010年1月13日 さらに極右政治政党フェランヘが同じ内容でガルソン判事を告訴し、 受理された。 2010年2月4日 3件の私訴による刑事訴訟として最高裁刑事法廷にて裁判が行われること となり、担当のルキアノ・バレラ予審判事は「自覚の上で特赦法を無視し、その適用を 避けたことによる背任」という理由で手続きを開始。 2010年2月9日 現役の判事が被告とされる裁判が始まったことを受けて、司法最高機関 であるCGPD(司法評議会)において、ガルソン判事の「全国管区裁判所判事としての 予防的職務停止」を検討するための手続きを開始。 この時点で、上記以外にも2件ガルソン判事が被告となる訴訟が最高裁で受理され審理が 進行しているが、ひとりの判事に対する訴訟を最高裁で同時に3件も受理・審理 されるのは前代未聞。 メディアあるいは革新系政党からは、グルテル事件捜査を続行させないため、 ガルソン判事を刑事訴訟の被告にしてその職務を剥奪するためのに、法曹界に 大きな力を持つ保守勢力が圧力をかけていると糾弾する声もある。 ニューヨーク大学講演にかかわる収賄容疑 2009年3月9日、ニューヨーク大学の要請で同大学においてガルソン判事が行った一連の 講演セミナーで、そのスポンサーとなったサンタンデール銀行グループから ガルソン判事が賄賂を受け取っていたとして、同銀行頭取の政敵の弁護士らが 原告となってガルソン判事を最高裁に告訴したが、証拠不十分のため受理されなかった。 ところが、2010年3月、同弁護士らが再度同じ訴えを最高裁に提出したところ、 これが受理され、現在、最高裁にてガルソン判事が被告となる裁判の公判が進行中。 ボティン頭取もガルソン判事も賄賂収受を一切否定、ニューヨーク大学も スポンサー費用は銀行から直接大学に支払われておりガルソン氏を経由していないと 主張している。 グルテル事件、違法通信傍受命令 さらに同じく2010年3月、ガルソン判事が進めていた大掛かりな汚職網摘発捜査 グルテル事件の黒幕であるフランシスコ・コレア氏側の弁護士が、ガルソン判事を 最高裁に告訴、その理由は、拘留置中の容疑者とその弁護士の通話を傍受する命令を、 汚職防止検察局の要請を受けて同判事が違法と知りながら下したとするもの。 グルテル事件では、最大野党民衆党の党内および同等が与党となっている複数自治州に おける贈収賄をガルソン判事の指揮で捜査していたところ、多数の民衆党議員が 容疑者として浮かび上がってきた。 国会議員および自治州議会議員らはその議員特権があるため、全国管区裁判所での 捜査権を、自治州議員の場合はそれぞれが属す自治州であるマドリッドとバレンシアの 高等裁判所へ、国会議員の場合は最高裁判所へそれぞれ権限委譲することになっていた。 バレンシア州のカンプス知事も容疑者として法廷に出廷するかと見られたが、 カンプス知事の旧知と言われる同州の高等裁判所判事は最終的に証拠不十分として 審理を中止。 一方、マドリッド州の高等裁判所では、捜査を続行し、多くの証拠が確保され、 容疑者として具体的に名前の挙がった国会議員、州議会議員、民衆党幹部などが 次々と辞任。 さらにはそのつながりからバレンシア州政府の要人への容疑が再浮上、検察の要請を 受けて最高裁が介入し、バレンシア地裁での裁判が再開される可能性も出ていた。 そんな中、ガルソン判事の通信傍受命令に対する被告側弁護士からの最高裁に対する 告訴が受理されたことによって、マドリッド州高等裁判所の捜査において問題の 傍受によって得られた証拠の大部分が無効とされた。 2010年2月10日 フランコ独裁政権下の人道犯罪に関する捜査をガルソン判事が 行ったことに対する刑事訴訟を終結させることを拒否した判決をバレラ予審判事が 下したことに対し、ガルソン判事はこれを最高裁に控訴。 2010年2月25日 最高裁はこのガルソン判事の控訴を棄却、これによってガルソン判事が 被告として出廷することになる裁判の手続きが開始された。 2010年4月7日 ガルソン判事側は最高裁のバレラ判事に対してこの裁判続行判決の 基となった予審捜査における証拠の開示を求めたが、バレラ判事はこれを却下。 同時にバレラ判事は原告側に対して正式な訴状提出を命じた。 この訴状作成に当たり、原告側が作成した訴状の不備部分に関してバレラ判事自らが 訂正箇所を指摘し添削・修正まで示唆するということが行われたが、この異例の処置が 物議を醸した。 2010年4月28日 ガルソン判事側は、原告側の訴状不備を判事自らが訂正示唆した 行為を指摘し、バレラ判事はこの裁判を担当する「公平性を欠く」として、 最高裁に対して同判事の忌避を求めた。 この忌避申請は一旦は受理されたが、最終的に最高裁はこの忌避申請を却下。 2010年5月12日 フランコ独裁政権下の人道犯罪に関する捜査を行ったことによる 背任を問う裁判の公判が始まり、同判事が法廷で尋問された。 2010年5月14日 CGPD(司法評議会)の緊急会議が招集され、18名の評議員の全員一致の 採決により、ガルソン判事の職務停止処分が決定された。 現役の判事が刑事訴訟裁判の被告となる公判が開始された場合、これは法に則った 手続きであり必然的な結果であると、CGPDスポークスマンはコメントしている。 スペインにおける司法手続きの矛盾が生み出した今回の最高裁におけるガルソン判事を 被告とした訴訟公判を憂慮したり批判する声が国外の司法専門家や国際司法機関から 多数聞かれる中、ハーグの国際刑事裁判所の検察長官オカンポ氏から国際法における 人道犯罪に詳しいガルソン判事を同裁判所の検察庁顧問として迎えたいとのオファーが 提示された。 スペイン政府外務省は問題なしとしたものの、CGPDはこの件を許可するかどうかの 検討を先延ばしとする裁定をやはり5月14日に下した。 CGPD内のリベラル派評議員らがガルソン判事をハーグ国際刑事裁判所へ出向させる許可の 決議を同判事の職務停止処分決定決議より前に行うことによって、すくなくとも 屈辱的な形で判事を全国管区裁判所から立ち退かせることを避けようと試みたが、 徒労に終わった。 奇しくも、フランコ独裁政権下における人道犯罪に関する捜査を進めていた ガルソン判事自らが、まさにそれら人道犯罪に関わっていた極右政党や団体によって 告訴され、被告として法廷に立たされ、そして今その判事としての職務からも追われてし まった。 もちろん、独裁政権下の犠牲者の家族をはじめとする多くの組織、司法関係者、 学者や教育関係者、労働組合、芸術家団体などから今回の最高裁およびCGPDの裁定に 対する抗議行動が起こっている。スペイン以外の国々でもその動きは見られる。 5月15日の世界各国の主要紙にもこの記事が見られる。 日本の新聞ではどうだったのだろう。 2008年10月に歴史記憶回復連盟や独裁政権下の犠牲者家族団体の訴えを初めてくみ上げて 全国管区裁判所において捜査を開始する判断を下すまでに、同判事は人道犯罪に関する 国際法に照らし合わせて多くの判例を蒐集して同裁判所評議会に提出していた。 2008年11月28日、全国管区裁判所刑事法廷総評議会が「ガルソン判事にこの捜査を 指揮する権限が無い」という裁定を下した時、17名の判事のうち3名は「権限がある」 という反対票を投じていた。 今回のガルソン判事背任訴訟を認めるならば、国際法にある裁判官に対して法解釈の 相違に基づく刑事責任の追及はないという考えが覆されることになり、ひいては前述の 裁定で反対票を投じた3名の判事にも背任の責任が問われるのかという矛盾が生じる として、今回の訴訟に批判的な法曹界関係者の声もある。 また、スペインの全国管区裁判所の一判事の立場から、複雑な国際法を巧みに解釈して 人道犯罪追求の捜査を進め、チリの独裁者ピノチェ将軍の逮捕を実現したガルソン判事 が、自国スペインのフランコ独裁政権下の犠牲者の名誉回復のための捜査を 始めた途端に、次々と障害に立ちはだかられ、ついには判事の職務を剥奪されて しまった。 そしてそれらの障害は他でもない、人々を守るために作られた法律という武器を 使うことを許された特定の人たち、つまりガルソン判事と同じ裁判官たちによって もたらされているという事実。 2008年に民主憲法制定から30年が過ぎ、民主国家スペインは世界の先進国の 仲間入りをしたと思われていた。 経済力と文化を育み、洗練され華やかな外見をもつようになっ法治国家スペイン。 しかしそのスペインのレントゲン写真を見せられたらそこにはたくさんの不気味な影が 写っていた、そんな気分にさせられたここ最近の出来事。 そしてもっと不気味なのは、そのレントゲン写真を見せられても何も感じない人が たくさんいるらしいこと、また感じないように誘導しようとする意志が存在するらしい ことかも知れない。 私たちは皆、自分が目にしたり耳にした「現実」を基に考える。 でもそれらは誰かが何らかの価値基準にそって選択した情報によって構成された 「現実」であって、真実ではない。 となると、その価値基準や選択プロセスになんらかの「意志」が加わった場合、 その意志を見極めようとする力をもたないと、全てはその「意志」によって繰られ 思うままに流されてしまう。 昨年ヒットしたスペイン映画「Camino」はひとつの真実が見る人によって全く異なる現実 になることを見せ付けてくれた。 パレスチナとイスラエルの紛争。これでもかこれでもかと残酷な情報がつきつけられる。 ソマリアの果てしない内戦。部族抗争、宗教抗争、お金と権力、多くの犠牲者、 映像と数字による膨大な情報を突きつけられ、やがて皆辟易して耳や目を塞ぎたくなり、 「なぜこの紛争は終わらないの?どんな意志がこの悲劇を生んでいるの?」と 考えることを止める。 アフガン侵攻、イラク侵攻。「悪の枢軸がそこにある」と何百回・何千回と 聞かされるうちに、証拠は?なぜそう言えるの?と考えることさえ止めてしまった 私たち。 金融危機、経済危機、緊急救済措置、公費投入・・世界中が右往左往して2年が過ぎ、 ようやく景気回復しつつあるかに見えるけれど、結局は投機的操作で世界中の株式市場が かき回されるメカニズムは全く変わらず、無責任な投機的風評で一企業や一国の財政を ズタズタにすることさえできてしまう。 ここにも目に見えないなんらかの意志によって翻弄される危うい世界がある。 ガルソン判事がフランコ独裁政権下の人道犯罪にメスを入れてから1年半、私たちが 情報から得る「現実」は司法的手続きが生んだ結果の積み重ねでしかない。 法律を解釈して裁判を行うのは裁判官。 最高裁、憲法裁判所、司法評議会などで評議判決を下すのも裁判官。 そしてこの司法手続きの積み重ねである奇跡をじっと見つめると、なんらかの意志に よって描かれたシナリオが浮かび上がってくる気がする。 太陽の国スペイン、、 今まで気にしていなかったのに急に太陽が雲間に隠れてしまったような、漠然とした 不安のような、ちょっといやな気分を禁じえない今日。 せっかくのサン・イシドロも台無しだ。 |
12月3日現在 |
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歴史記憶法に思うこと つい最近日本に里帰りした際、「私は貝になりたい」という映画を見た。 ごく普通の市民とその家族が戦争というものに翻弄され踏みにじられていく 過程が、美しい日本の四季の風景とともに優しさと悲しさと切なさに満ちて 描かれている。 普通の人間にとって一番大切なもの、それは家族。家族を恋しいと思い 大切に思う気持ち、それさえも剥ぎ取って「貝になってしまいたい」と 思わせるほどの戦争という過ちを繰り返す人間の犯す罪はあまりに重い。 こんなことを考えながら成田からスペインへ向かう機中、スペインの友人 から聞いたある家族のことを思い出していた。 〜ある家族の記憶〜 スペインはエクストゥレマドゥーラ地方のバダホスに近い人口2万人ほどの 町にアナは住んでいた。 1931年にスペイン第2共和制が樹立されると、この町も複数の政党から 町会議員が選ばれた。 マヌエルは社会党に属する町議だった。3人の子供を残して妻に先立たれ、 同じ町に住む働き者のアナを後妻にもらい、僅かな土地を耕して二人で 懸命に働きながら5人の子供たちを育て、貧しいながらも家族仲良く暮らして いた。 夫はたまたま社会党員だったが、小学校しか出ていないアナは思想などという ものに興味はなかった。ただ、正直に働く者は皆同じという彼女なりの 正義感を持っていて、どちらかというと左寄りの町のパン屋が毎日教会に通う カトリック信徒で保守的な主婦にパンを売らないという嫌がらせしているのを 見ると、「その人の思想が右にあろうが左にあろうがお腹は空くんだから、 その口に入るパンが必要なのよ」とたしなめたりする女性だった。 1936年にスペイン内戦が勃発、 この町もは反乱軍と共和国軍の激しい戦いが繰り広げられる場となった。 そして反乱軍に町が制圧されると、マヌエルを含む120人以上の町議が 逮捕されバダホスにある強制収容所に送られた。 この収容所では過酷な強制労働と劣悪な環境の中、半分以上が死んでいった と言われる。 一方残されたアナは、町がフランコ軍に制圧され内戦が続く中、 身を粉にして働き5人の子供たちを食べさせることに必死だった。 1939年、内戦が終わりバダホスの収容所にいた囚人達は釈放された。 過酷な収容所生活をなんとか生き延びることができたマヌエルは一刻も早く 家族に会うために故郷の町へと向かった。 フランコ独裁政権下となった今、この町の統治を任されていた治安警察隊の 隊長は自分の一存で(この時代には指揮者の一存が全てだった)これら 元収容所囚人をその家族もろとも全員銃殺する命令を下していた。 保守派の家庭の主婦がこのうわさを聞きつけ、アナに知らせに駆けつけた。 とにかく子供たちを連れてどこかに隠れるようにと。 アナは大急ぎで4人の子供を連れて治安警察隊に見つからないように 身を潜めた。 だが17歳になる一番上の娘はバダホスから戻る父を迎えに出かけて しまっていた。 そして、その日以降、マヌエルと長女は「消息不明」となった。 フランコ独裁制の下、誰もこの「消息不明者たち」を探すことも、 その消息について話すこともできなかった。 そうすることは自分と家族の身を危険にさらすことだったから。 アナは貝のように口を閉ざして沈黙を守り、ひたすら働き続けた。 1936年から39年までスペインという国が二つに分かれて戦った内戦が 終わったが、共和国側で戦った人々(自分の意志に関係なく戦わされた人々も 含めて)にとって過酷な弾圧の日々が始まった。 多くの人々が集団銃殺されたりマヌエルのように「行方不明」となった。 そして残された家族にとって、隣人の告発に怯えながら口を閉ざし身を潜めて 生きる長い長い歳月が待っていた。 行方不明の元社会党員町議の妻にとってフランコ独裁下の世間は決して 優しくはなかったはずだが、アナは一人で4人の子供を育て、成長した 子供たちはそれぞれに結婚し家庭を持った。 末娘の家族と一緒に暮らしていたアナはフランコの死より2年早い 1973年にこの世を去った。 4人の子供たちも既に亡くなってしまった今、アナの夫マヌエルとその長女が あの日行方を絶ってからどうなったのかを知る術はない。 この話を聞いたのは、アナの孫にあたる私の友人からだが、失われた家族の 記憶をたどるには、資料も協力してくれる組織も、そしてなによりも それを推し進めようとする社会の意志が欠如しているという。 アナもその子供たちも、そしてその孫たちも沈黙を守って生きて来た。 スペインという社会の半分がじっと口を閉ざして生きてきた。 そして今ようやくこの半分が沈黙を破って動き始めようとすると、 あとの半分が「そんなの知らない」と口を閉ざす。 失われた家族の記憶を取り戻すのは、とても難しいようだ。 内戦中およびフランコ独裁政権下で集団殺戮され、あるいは「消息不明」 のまま共同墓地(実際は巨大な穴に投げ込まれたことをこう呼んでいる)に 埋められたとされる人々の数は10万人を超えると言う。 2007年12月に歴史記憶法が成立したことによって、失われた家族の 記憶を探すことが合法化され、社会的恐怖とタブーから開放されたとは言え、 数十年間口に出すことさえできなかった夫や父や祖父の亡き骸をスペイン各地 に存在する共同墓地から探し出して家族の元に連れ戻して弔うには、まだまだ 多くの困難が存在しているようだ。 歴史記憶法に関する簡単な説明とその背景および同法成立後の主な出来事を 簡単にまとめてみた。 ●歴史記憶法とは何か、なぜ必要だったのか。 1997年から2期続いた民衆党(保守)アスナル政権後、2004年に 発足した社会党サパテロ政権のもと、内戦と軍政時の被害を調査する委員会が 発足され、その時代に行われた弾圧に関する調査および研究が進められて いたが、1978年憲法が制定されてスペインが民主化の道をたどってから ほぼ30年となる2007年12月に「歴史記憶法」は成立した。 同法はスペイン内戦(1936年から39年)とその後の軍事独裁政権下(1975年の フランコ死去まで続く)で政治的弾圧によって処刑されたり行方不明となった 人々の名誉を回復し、その遺族を補償するために法的根拠を与えるもので、 共和制を求めて戦った人々に対して軍政下で行われた裁判は「非合法」として いる。 具体的に次の要項を含んでいる。 · 遺族に対する年金 · 犠牲者の身元確認 · 内戦と政治弾圧に関する資料の保存 · 軍事蜂起したフランコ将軍や蜂起をたたえる記念碑やシンボルの撤去。 1931年、プリモ・デ・リベラ独裁政権が崩壊し、国王アルフォンソ13世が イタリアへ亡命。 統一地方選挙で共和制支持派が勝利し、主権在民を唱える民主的な共和国憲法が 制定され「第2次共和制」が発足。 共和制下、急進的な労働組合が実施したデモや左翼と右翼の間で起こる テロ活動などが頻発して治安の悪化や社会不安をもたらす一方、政教分離政策 に対してカトリック教会側の不満も大きくなっていった。 こうした大地主やカトリック教会などの保守勢力と、ファランヘ党などを 中心とするファシズム勢力が結びついて、1936年7月に軍事蜂起へと 発展。 ドイツやイタリアからの軍事援助を受けてフランコ将軍を中心とする反乱軍は 36年11月にはスペイン全土のほぼ2/3を占領するに至る。 共和国政府軍は人民軍を組織して戦ったが、反乱軍の前にその力は及ばず、 外国からかけつけた義勇軍の応援にも拘わらずスペイン各地の主要都市は 次々と反乱軍の手に落ちて行き、39年3月、最後の砦であったマドリッドも 制圧されて内戦が終結。 この後、1975年にフランコが亡くなるまでの独裁政権下では、共和制を 求めた人々や労働組合活動を行った人々が政治的弾圧の標的となり、多くの 犠牲者を出した。 ●歴史記憶法成立後の主な出来事 ★2007年12月に歴史記憶法が成立し発効したが、行政主導の具体策は 打ち出されていない。 それはなぜか? PP民衆党とスペインカトリック教会はフランコ独裁体制の悪を認めて いない、つまりスペイン社会の半分はまだ、この法律を認めていない ということだ。 現在、犠牲者の身元確認のための発掘作業(内戦時およびその後の フランコ独裁体制化での行方不明者、殺害されて共同墓地に埋められた 人たちの)は13の民間団体、歴史記憶回復協会連盟が行っているのが 実情である、これらの団体は歴史研究家や大学などの協力を得て活動 しているが、自治体行政が主導している例は非常に少ない。 このように、政治の分野から主導的動きが見られない状況の中、 全国管区裁判所のガルソン判事が司法の分野から最初の一歩を踏み出した。 ★2008年10月14日、これら歴史記憶回復連盟が個々に全国管区裁判所に対して 共同墓地発掘の申請を行っていたのを、ガルソン判事が全国犠牲者共通リストを デジタル書類としての作成を命じると同時に、各関連機関に犠牲者確認に 必要なすべての書類提出と発掘協力を要請するよう命じた。 ★11月6日、ガルソン判事が担当していた捜査が完了し(同判事の入院時に その代わりに捜査を指揮していた)サンティアゴ・ペドラス判事が、 「すべての共同墓地の発掘を命令する」旨を発表した。 ★11月7日、全国管区裁判所の検察長官ハビエル・サラゴザは、 「ガルソン判事にはこのような捜査を指揮する権限はない」という旨の控訴を 提出し、それに対し同裁判所の刑事訴訟法廷は緊急総評議会を召集し、 「緊急を要すると判断されない共同墓地発掘に関してはそれを延期する」 という決定を下した。 また来週以降には同評議会が「ガルソン判事にこの捜査を指揮する権限が あるかどうか」に関する裁定を下すと予想される。 もし権限がないという裁定が下ると、今までガルソン判事が進めてきた調査が 無に帰すことになる。 11月6日のパドラス判事の発表からたった1日で行動を起こした検察側の すばやい控訴も、異例とも言える刑事訴訟法廷の迅速な総評議会召集も、 ガルソン判事の捜査がもたらした具体的な命令が実際に動き始めるのを よしとしない人々が社会の半分以上いるという現実を思い知らせるに 十分だった。 ★11月18日、ガルソン判事は自ら、それまで行ってきた内戦時および フランコ 独裁政権下での犠牲者に関する捜査を中止し、共同墓地の発掘は各々が 属する地域の地方裁判所に委譲されるべきとする判断を下した。 これは全国管区裁判所の刑事法廷総評議会にて「ガルソン判事にこの捜査を 指揮する権限が無い」という決定が下る前に、発掘調査を各共同墓地が 所属する地方裁判所で継続して行われるための筋道を作るためとも見られるが 政治的圧力に屈したと見る筋もある。 犠牲者の家族などからなる歴史記憶回復連盟からは、ガルソン判事の捜査、 全国管区裁判所の検察側の主張、刑事法廷総評議会の決定など一連の 出来事を前にして、あくまでも「司法の独立を尊重し、政治が介入すべき でない」という態度を維持している政府に対して、歴史記憶法を作っただけで、 その法律に基づいた一貫性のある具体的政策を何も実施していないという 批判の声も出ている。 ★11月28日、全国管区裁判所刑事法廷総評議会は賛成14票対反対3票 という圧倒的多数で「ガルソン判事にこの捜査を指揮する権限が無い」という 決定を下した。 社会の半分以上はフランコ独裁制時代の「悪」の部分を認めていない、また 「悪」の部分が存在したことをさえ認めていない(なかったことにすべき、 忘れるべきことという考え方)。 あとの半分は、75年フランコの死後も30年以上、恐怖と社会的タブーに 対する抑圧なしに語ることができなかったが、昨年ようやく法的根拠が 制定され合法的にこれをできるようになった。 合法化されたとはいえ、社会の半分が犠牲者の記憶と名誉回復に反対 している以上、状況が大きく変わるには時間がかかる。 歴史学者や犠牲者の家族が組織する民間団体の活動に依存していた作業に、 司法の分野から一歩を踏み出したガルソン判事の行動の意味は大きい。 スペイン国内よりも国外において歴史記憶回復運動は認知されている。 ガルソン判事の権限が認められなくても、動き出した運動は国際司法の 分野から新たな展開を見るかもしれない。 ガルソン判事が送り出したこの捜査を各地方裁判所が続けられるかどうか、 そこには司法の独立以外のあまりにも多くの要素が存在している。 マヌエルやその長女を含む多くの「消息不明者」が家族と同じ場所で 安らかに永眠できる日はくるのだろうか。 |
11月27日現在 |
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学生ビザ、なぜ却下? スペインで学生ビザを持たずに、旅行者として滞在出来る期間が3ヶ月で、 6ヶ月以内の留学の場合は、それだけ滞在出来て、後に現地での期間更新が出来ない ビザを申請する事となり、また6ヶ月をこえる滞在期間を予定している場合には それが可能なビザで、現地で学生滞在許可証の発給を受け、必要に応じて、滞在 期間延長が出来るタイプのものを申請する、、、、と言うのが現在、留学を目指す 方々に与えられた選択肢です。 多くの場合、長期留学と言えば、この中の最後のパターンとなる訳ですが、 これを申請する際に必要な提出書類の中に、スペイン国内の学校に 6ヶ月、正確には180日を越える期間、通うと言う証明書があります。 以前は、180日以上通う、と言うだけではなく、その内容として、授業数が 週に15時間以上、(つまり土日を除いたとして、月曜から金曜まで、一日あたり 3時間以上あること)と言う説明文がありましたが、現在では、この1文が 抹消されています。 そこで、週に15時間以上と言う制限が無くなったのかどうか、東京にあります スペイン大使館へ問い合わせますと、今まで、私の耳に入ってきた学生さん達からの 情報では、いつもうやむやな回答が返ってくるようです。 それで、明確な制限が無いのなら、ともっと少ない授業数で何らかの学校に登録して、 申請をしようとすると、「これでは授業数が少なすぎます」と言ったニュアンスの事を 言われる例が多いようです。 それなら、以前どおり、「週に15時間以上必要なのですか?」とたずねると、 「それぐらいが望ましい、、、」ぐらいの回答です。 この点、私も以前より気になっていましたので、先日、スペインの外務省における 同件担当官に直接、確認をしましたところ、彼の回答の仕方も、やはり、うやむや でした。 言葉どおり、お伝えしますと、「週に何時間以上なければいけないと 言う制限は無い。 が、それがあまりにも少なく、勉強とは名ばかりで、 あからさまに遊びに来るためだと判断される程度の場合は却下する」 ぐらいの 答え方でした。 スペインの公立語学学校、Escuela Oficial de Idiomas のコースの場合、 週に15時間も授業がありませんが、ここで登録をして ビザ更新手続きに問題があったという例は、聞いたこともありませんが、 私立の学校の場合、週15時間以上を満たしていても、却下される事があります。 ここに、なぜ公立学校の場合は、少ない授業数でもOKなのか、、と言う素朴な疑問が 残ります。 また仮に、高名なアーティストなどにレッスンを受けるような場合、 週に1時間もレッスンが受けられれば、凄いことなのですが、 残念ながら、スペインのこの制度では、そう言った形での特殊なレッスンでは ビザを取得するのは無理なようで、どうしても、必要がなくても、どこか、他に 語学学校などに無意味に登録し、無意味な授業料を収めて、ある程度の授業数をカバーす る 証明書を発行してもらう必要があるようです。 次に、それでは、仮に、以前、最低基準として定められていた週15時間以上の 授業数、、と言うのを満たす形で、学校に登録し、180日を越える期間分の 授業料を一括払いして、ビザ申請に必要な書類を学校側から発行してもらい、 これを添えて、学生ビザを申請した場合、常に学生ビザがおりるのか、と言うと、 そうではありません。 申請するためには、180日以上、そして一定量以上、 例えば、週に15時間以上の授業数をカバーする登録と支払いを済ませ、 その証明書をもらう必要があるのに、それだけの時間と費用を 費やしても、申請後、2、3ヶ月、待たされたあげく、あっさりと却下される と言う例もあります。 そして、この却下に関する理由の詳細については、伝えられません。 これでは、ビザを欲しい人は、まず、スペインの企業(学校)にお金を 払いなさい、、と出費を義務付けられ、その後、その授業を受けるために必要な 学生ビザを支給してもらえず、結果、スペイン社会は日本人学生からお金だけを 吸い上げて、実際には、何ら、サービスは行なわないと言う、政府レベルでの まるで「詐欺」のような状態が実際に起きている事となります。 こう言った状況の中、気の毒な学生を一人でも減らすべし、、と出来る範囲で 調査に乗り出しました。 まずは、外務省に直接問い合わせです。 スペインの外務省の学生ビザ担当官と直通電話で話しをした際、 「同じ条件を満たしていても、登録した学校が違うだけで、なぜ、学生ビザが 支給される場合と、却下される場合とがあるのか?」と言う問いに対し、 「それは、例えば、登録した学校に問題があることもある」との回答でした。 それでは、問題がある学校と問題が無い学校とをリスト分けして、公表して くれなければ、外国人は、その区別など付かないのだから、せっかく、登録して 学費を払い込み、就学証明書をもらって、ビザ申請をしても、却下され、 留学にも来れなければ、払い込んだ学費も戻ってこないと言う、気の毒な例が 繰り返されるのでは?」 と言う問いに対して、担当官のお返事は 「それは外務省の管轄ではなく、警察が決める事なので我々は関係ない」でした。 「それでは、それを担当している警察の場所と電話と担当課とを教えて欲しい」 と言いますと、住所と、管轄部門の名称を教えられただけでした。 これを頼りにネットで検索し、電話をしますと、その内部の部門によって 分けられている別の電話番号を伝えられ、その電話番号は、朝から晩まで すでに100回はかけていると思いますが、話中か、極稀につながっても、 受話器をとって、がちゃんと切るだけ、、、。 次に、スペインの文部省に電話をかけ、事情を説明し、いったい誰が ビザを認可する学校と認可しない学校とを判断しているのか? また、東京にあるスペイン大使館へ送られる認可、不認可の書類にサインを している人物は、どこにいるのか?」と尋ねると、 マドリッドについては、それは文部省ではなく、マドリッド州政府の問題 だから、州政府の文部課に聞くように言われ、ここへ電話しますと、 全くピントのずれた問答の末、結局は、先述の警察へ問い合わせるようにと、 たらいまわしにされて終わりました。 電話が通じたそれぞれの機関から、いくつももらった電話番号の全てに 電話をし、問い合わせましたが、どこも他部門へ、たらいまわし。 最終的に、先述の、誰も応対しない電話番号一つが残った次第です。 果たして、電話ではなく、ここへ実際に足を運べば、あの不可解な認可、不認可の 決定を下している人物に会うことが出来るのでしょうか、、、 |
1月29日現在 |
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スペイン全土が 大寒波に見舞われた金曜日。マドリッドも雪こそ降らなかったものの、 気温が上がらないうえにかなり強い風が吹き荒れる天気でした。そんな寒空の下、日本語 を学んでいる若いスペイン人達の日本食用の食材の買出しに同伴することになりました。 マドリッドにある2軒のお店を廻るとの事でしたが、私は一軒目をパスして自宅から比較 的近いほうの店で待ち合わせしました。 普段なら散歩がてらに丁度いい距離ですが、木枯らし吹き荒れる中鼻を垂らしながら?時 間丁度にお店に着くと案の定だれも来ていません。5分くらいたってやっと携帯が鳴り、 「ごめーん。今車止めてるとこだから、あと5分くらいでそっちに着くよ」さらに10分 近く待ってからやっと到着。実は駐車していたのではなく、駐車する所を探していたので した。しかも途中で渋滞にも巻き込まれたようです。金曜日の夕方に中心地に車で来れば 渋滞にも遭うのは当たり前ですが、郊外に住んでいるのでそこまで考えなかったようで す。集まるのはせいぜい3人くらいと思いきや総勢7人が現れ、まただらだらと一時間近 くああでもない、こうでもない、とお買い物。やっと皆さんお勘定を済ませたので、寒さ をしのぐために近所のカフェテリアへ。コーヒーを飲んで体も暖まったと思っていたら 、先ほどまで誰もいなかったカフェにどんどん人が入ってきてそのたびにドアが開閉され 冷たい風が、、。そこで場所を変えてどこかで飲もう、ということになったのですが、帰る 人もいるためひとまず車に戻ってそれぞれが買ったものをお引取り。 ところが、ここでも妙に時間がかかっているなと思ったら、最初のお店で買った業務用の 鰹節の大袋をその場で山分けしていたのでした。トランクを開けたまま暗がりでごそごそ やってると、はたからみればとても怪しい人々。ふと見ると、近辺で何かあったらしくパ トカーに迷惑駐車されていて、車が出せない状態になってます。それをみてまた「これっ て、ちょっとクラクション鳴らせないよなあ。今車出さないからいいけどさ」とひと笑い。 って可笑しいけど、、寒いんだから早くしてくれー。と心の中で叫んでいると、ボトッと何 か落ちる音が。買ったものを落としてしまったらしく暗い所で探すのにまた時間が。それ でもやっと終わって、さよならの挨拶もして、「じゃあアイリッシュバーにでもいこうか」 と歩き出したところで1人が「あ、俺お金引き出してくるわ」「ア、私も」と計3名が道路 の反対側のカへロ(ATM)へ行ってしまいした。私と残されたもう一人で、しかたなく立 ち話をしてましたが、これがまた帰ってこない。「お金下ろすだけでなんでこんなに時間が かかるんだ。」「どんな言い訳してくるのかね。」などと言ってるとやっと到着。遅くなった 理由は、カへロの中に入ろうとしたらホームレスのおじさんが、寝ていて、起こしたら悪 いと思い、違う銀行に行ったけどそこは休止中だったので結局元のところに戻っておじさ んを横目に、引き出したそうです。やっとバーに入って色々おしゃべりしたあと、早めの 解散をしました。皆とても感じのいい子たちで殆どの人が初対面だったにもかかわらず楽 しくすごせましたが、厳寒の中うろうろしたので、かなり疲れた半日でした。 |
12月7日現在 |
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12月もはや6日を過ぎ。街中ももうすっかりクリスマスモードに入っています。 よく日本の知人などに「ヨーロッパのクリスマス、素敵でしょうねえ」などと羨ましがら れる事があります。年々信仰心が薄くなり教会に行く人も減っているとはいえ、年に一度 家族の集まる一大イベント。街の飾りつけも気合が入っています。ただ、心からクリスマ スを楽しみにしているのは子供達くらいで、大人にとってはなにかと頭の痛い時期の様で す。 最も痛いのは、出費がかさむこと。まず22日に発表される宝くじ。これは、国を挙げて のイベントで,朝から殆どのテレビ,ラジオで会場の様子を生中継。なぜかいつも同じ小学校 から選ばれ、練習を積んだ?子供たちが、ビンゴ等でも使うような籠から出てきたボール の数字を大きな声で読み上げていきます。会場に押しかけてずっと様子を見ている人もい るからびっくり。どうせ当たらない、とは思っていてもつい買ってしまいます。 特に会社などでは皆で同じ番号を買うので、万一当たった場合自分だけ蚊帳の外なのは悔 しいというのが、購入理由なのですが、大きな会社になると他支店や派遣先などのくじ にも参加していくうちに、どんどん金額がふくらんできます。 また、クリスマス前に行われる会社の忘年会も、飲みすぎや食べ過ぎもさることながら、 全くただというわけではないので、いろんな部署や派遣先なんかの集まりに顔を出してい るとまた出費。 そしてクリスマス当日やイブの食事にかけるお金もかなりのものです。この時期になると 魚介類、肉類を中心に値段はウナギ上りですが、せっかくのクリスマスだからという事で いろいろ買い込ン出しまいます。。 さらにプレゼントという難題が。これは、懐が痛むだけでなく頭も相当使うもので、両親 や長年連れ添った相手でも何十年もの間毎年プレゼントをしていると、もう何をあげてい いのかわからず、それが嫁や姑、義理の兄などになると、気を使うこともあり余計に悩ま されるようです。ただ大勢で集まる場合は、さすがに全員がプレゼントを交換するのでは なく何人かで話あって、お義兄さんには、○○を贈ろうとか、決めるそうですが。 それでも気に入らないプレゼントをもらった人は、ネットを通じてこっそり転売するのが 今の流行だそうです。 とある銀行の調査では、今年スペイン人は、一人平均1000ユーロをクリスマス期間に 使うそうです。こうして、寂しくなった懐と豊かになったお腹を抱えて、「ああ、やっと今 年も終わったか」とため息をつくのです。 |
10月21日現在 |
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スペイン在住十数年のまりあじゃです。秋も深まり、もうすぐサマータイムも 終わりだなあ、なんて思っていたらスーパーの店頭に早くもクリスマスのお菓子が、、、。 テレビのニュースでもアリカンテのトゥロン製造工場が、クリスマスに向けて フル稼働している様子を伝えています。 トゥロンは、クリスマスのお菓子の中でも最もポピュラーなもので、75種類もの バリエーションがあるそうです。代表的なものは、ヒホナと呼ばれるソフトタイプと トゥロン・デ・アリカンテというヌガーのようなハードタイプ。ヒホナは、アーモンドを 粉にして蜂蜜や砂糖で固めたものでかなり甘いです。甘党の私でもあまり沢山は 食べられない感じです。その他トリュフ入りチョコ、ドライフルーツ、ココナッツを 固めたものなど色々です。値段もピンからキリまであり、値札と箱のデザインで 質の良し悪しを確認できます。たいていのスーパーでは、自社ブランドの製品も おいてあるので、私はよくこれを買います。 その他のお菓子では、アーモンドの粉をギュッと固めてキャンディー包みをした ポルボロン、トレド名物のこれまたアーモンドのお菓子マサパンなどがあります。 どの製品も質がいいものほど甘さが控えめで、安いものほど逆に甘さで ごまかしているような気がします。 12月に入ると多くの家庭では、お盆にこれらのお菓子を常に並べておいて、 おやつに食べたり、お客さんに出したりして本番に向けて予行演習?。最初に買った 量では足りなくて、また買い足すこともしばしばです。 で、このクリスマスのお菓子類の買い時は、クリスマスシーズンの終わり頃。 この時期になると売り切れそうにない商品を値下げしてくるので、この時期に一年分の お菓子の買いだめをするという友人がいます。私は、日本に帰国する際、ほとんど 必ずトゥロンを買って帰るのですが、季節はずれだとスーパーに置いてないこともあるので、 割高だけど空港で買うこともあります。 |
6月8日現在 |
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このコーナーには初登場のcocoです。 昨年7月にマドリッドに到着してから早11ヶ月、カナリアからマドリッドに着いた頃は まるで集団就職で農村から東京にやってきた少女のように見るもの聞くもの、目を輝かせて 生活を送っていたのですが、1年弱も経つとマドリッドの生活にも慣れ、肌も以前より白く なり、服装やヘアスタイルも気にするようになり、少しは都会の女に近づいてきた(?) 今日この頃です。 スポーツクラブにも通ってみたけれど何か新しい事をやってみたい、そう思って最近始めた のがコーラス・グループへの参加です。本当は何か楽器をやりたかったのですが、楽器を 買わないことには練習ができない、でも歌なら楽器は要らない。早速友人の友人が所属して いるコーラスグループに連絡を取り、2週間前の金曜日の夜、ボイスチェックに行ってきま した。場所は自宅から地下鉄に揺られること20分、その後地下鉄の駅から徒歩20分!と いうかなり遠いところで、昼間は小学校として使われている建物です。 デイレクターの男性にチェックをしてもらい無事合格、アルト1(アルトも2つに分かれて います。)として2ヶ月間の試用期間に入ることになりました。 私「あの、いつから練習に参加しましょうか?」、ディレクター「なんだったら今日から 合流すれば」。というわけでそのまま練習に参加することに。 ではここで簡単にこのコーラスグループの説明をしましょう。このコーラスグループは 時々いろいろな場所でコンサートをやったり、コンクールにも参加して入賞・優勝している という、マドリッドでも結構有名なコーラスなんだそうです。 運営は協会組織になっていて、例えば楽譜のコピー係、ウエッブ・マスター、コンサート 開催のまとめ役、人事などいろいろな仕事は全てメンバーが分担して行っています。 また無断欠席やコンサートへの不参加が続いたりすると退会処分もありと、かなり真面目 です。練習は月曜日と金曜日の20時から22時半まで、メンバーは男女合計50人 ちょっと、男女1人ずつのボイス・トレーナーもいるし、毎回の練習で何をやるかちゃんと 3ヶ月ごとのプログラムも組まれています。 その日私が合流した時はパート別に練習、その後途中休憩をはさんで後半の1時間は全体 練習というスケジュールでした。あ、ドレミファソラシドの「レ」は巻き舌になるんですね、 びっくり。 そして歌の種類はmusica contempolanea(現代音楽)が中心ですが、これまた難解な曲が 多いんです。初日はちんぷんかんぷんで目が点状態でした。スペイン語で歌うだけでも私に とっては大変なのに、おまけにラテン語、バレンシア語の曲もあるため、日本人の私はスペ イン人メンバー以上に練習と努力が必要のようです。 さて何とか無事に練習も終わり、その後は次週からドイツに引っ越してしまうソプラノの 女性の送別会に誘われ、そのまま近所のバルへなだれ込むことになりました。バルでは みんな飲むわ、タバコ吸うわ、肩を組んで大合唱になるわ、みんなすっごくはじけてました。 私は夜中の0時半頃バルを後にしましたが、まだ残ってる人もたくさんいました。バルで メンバーの何人かと話をしたときに、みんながみんな「普段はこうじゃないのよ〜、今日は 送別会だから特別なの、普段は練習が終わったらさっさと皆帰るのよ〜。」と言ってました が、本当かな〜(笑)。 有名なコーラスグループといっても練習が終わればみんな普通のスペイン人なんですね。 これまで合計4回練習に行きました。最初はやっていけるのかな〜と心配でしたが、今練習 してる曲は去年の9月から歌いこんでるんだそうで、新入りの私が歌えないのは当たり前と わかり、少しは緊張もほぐれてきました。 私はまだ試用期間なのでまだコンサートには出られないけど、今年中にはデビューできそう です。 そうそう、うちのコーラスグループ、テノールが足りません。「我こそは」という方、 いつでもご連絡ください。 |
5月7日現在 |
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こんにちは、セニサです。 少し前の話ですが、日本人の新婚さんをお祝いする機会がありました。 日本で結婚式の二次会となるとクラッカーがつきもの。 というわけで、盛り上げアイテムの一つとして、 クラッカーを調達することになりました。日本ではどこでも売っているから、 スペインでもすぐに見つかるものとおもいきや・・・。 まずは、日本でいう「100均」にあたるお店を何軒かあたりました。 街中どこでもあって、マイナーな商品からレアな商品まで幅広く取り揃えています。 ところが、どこに行っても置いていない、店の人にイラストを書いて説明してみても 「知らない」「置いていない」の返事ばかり・・・。 次に通いの酒場で聞いてみることに。 「円錐の形で、筒の下に紐があってそれをひっぱると、爆竹みたいな音がなって、 中からきらきらした細かい紙がでてきて・・・(ほとんどは絵を書いて説明したのですが)」 ここでも同じ反応。使ったこともないし、見たこともないし、売っている店も知らないし、 名前も知らないとのこと。聞いた人が年配な人ばかりだからかと思い、 次に、学校の友達に聞いてみると、またまた同じ反応。 友 達:「そういえば、アメリカ映画でみたことがあるなぁ。」 セニサ:「じゃあ、パーティーのときってどんなことして盛り上げるの?」 友 達:「紙テープ投げたり、紙吹雪まいたりかなぁ。」 (そっかぁ、でもクラッカーの方が見栄えいいような・・・、 さてさてどうしたものか・・・。) 何日かして、又通いの酒場で聞いてみることに。 相変わらず知らないの答えが続く中、偶然居合わせた 1人の年の近いコロンビア人のバル友達が、 友 達:「ああ〜、それなら知ってるよ!」 セニサ:「ほんと?!なんて名前?どこで売ってるの?」 友 達:「場所は○○だよ、名前は、多分serpentina(セルペンティーナ) だったかなぁ・・・」(ここでも名前となると曖昧に・・・。) でも存在している事が判明、場所もわかったので早速買出しに。 その店はパーティーグッズが豊富にそろっていて、 確かにserpentina(セルペンティーナ)という商品名でありました。 購入してお試しでつかってみると、それはクラッカーのように火薬を使ったものではなく、 バネを利用したものでした。クラッカーよりは、キラキラした何種類もの セロハンの巻テープやセロハンの吹雪がでて、個人的にはこっちの方が好きだったりします。 ただ後片付けが少々面倒だったりもしますが・・・。 それにしてもこんなに名前の知られていない商品がスペインにあるとは、 ちょっとびっくりでした。 ちなみに、スペインのどこかの街に、当初探していたクラッカーは売ってるようです。 今回、住んでいる周辺では見つけることができませんでしたが。 serpentina(セルペンティーナ)/(紙の)投げテープ。蛇状の。 |
3月23日現在 |
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「後ほんの少しの点数やんか。職員室には行ったのか?行かなアカン。 もっと怒りながら抗議するんやで!!わかったか?怒るんやで!!」 学校のカフェテリアのカマレロのキケとパオロに後押しされて、なんとなく しぶしぶ学校のスペイン語コースの職員室へ。 「あのぉ〜、今回の試験ですけど納得いかないんです。どうして落ちたんでしょうか。 どの部門が何点足りなかったんですか。自分のテストの採点を見せてもらえますか?」 今行っている学校では試験に落ち納得のいかない生徒は、自分のテストの採点結果を 見せてもらい、抗議する事ができます。正当な理由がある場合は(抗議、説得の仕方に よっては)一度落ちた試験でも、合格になる事もたまにあるのです。 テストに落ちたのが今回が初めてではないため、周囲の人も(守衛のマヌエルまでも) かなり心配してくれていました。 スペインに来て(日本でもそうですが)主張はちゃんとしなくちゃ、と思うことが よくあります。 日本では、まずは人の意見を聞いてから自分の意見を述べる、と言われると 思うのですが、こちらでは人の意見を聞いているとそのまま相手の流れに 乗せられてしまいそうになります。 先日もスーパーの野菜売り場の前で順番待ちをしていると、横から恰幅のいい 女性がチラッと私のほうを見たかと思うと、ズンッと私の斜め前に入ってきました。 え?ひょっとして順番抜かし?と思い、ちょっと〜!と言おうと思った瞬間 「ちょっと!この人が先に並んでたのよ!」と私の代わりに前にいた女性が発言。 その横入りした女性は「あ、そう?気づかなかったのよ」と言い訳をし、やや後ろに 下がりました。 あれ?そう言えば今日も同じような事が銀行であったなぁ。私の前に何食わぬ顔をして 横入りした女性・・・。「ここに私がいるんだけど、あなたより前から待ってるんだけど」 って言うと、「ふんっ、それで?」と言い返した女性。自分が悪い事をしても何か一言 言い返さないと気がすまないといった感じでした。 教室でもこの手の話題は、生徒同士でよく交わされます。クラスメートに ご主人の仕事の関係で日本に4年住んだギリシャ人の女性がいます。 この女性は日本が好きで、必ずまた行きたいといつも言っていますが、 日本人は何を考えているかわからない事がよくあったと言います。彼女によると、 日本人は人の話をいつも真剣によく聞いて相槌をうってくれるのだけど、その後は 意見を言わないし、何も話さない。おとなしい人だと思っていたら、実は 自分の知らないうちに相手を怒らせてしまっていたこともある、とのこと。 外国に住んでいると言葉の問題もありますが、それでも、相手に意思を 伝えることは大事な事ですよね(今更ながら気づく事でもないのですが) ・・・ところで、その後試験の方はどうなったかと言うと、まだまだ青二才の私では 抗議にもならず、なるほど、ここがこう悪かったのか、ふむふむ、ま、今度頑張れば いいや、と変に納得して帰ったのでした。いや、単に下駄を履かせるほどの点数も なかったのかもしれません。 |
2月9日現在 |
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こんにちは、セニサです。 少し前より、少〜しずつですがスペインの手話を覚えています。 きっかけは、通いの酒場の常連客に数人の聴覚障害の人がいるのですが、 頻繁に顔を合わせるものの、スペイン語もスムースに話すには程遠い上、 どうコミュニケーションをとっていいのかが分からない・・・、 ある日、身振り手振りで自己流の「おはよう」の挨拶をしてみると、 相手も同じような表現でお返事。「!もしかして考えていたより簡単なものかも?」と思い、 他の挨拶は手話ではどう表現するかと、これまた身振り手振りで質問すると、 親切に丁寧に教えてくれました。それからというもの、顔を合わせる度に、 前に教わった表現の復習をしてもらったり、又新しい表現を教えてもらっています。 手話を使ってコミュニケーションをはかり、相手が理解を示してくれたときは 本当に嬉しくなります。とはいえ、まだまだ初級者ですが・・・。 日本では、「手話技能検定試験」というのがあります。 スペインでもあるのでしょうか。次回顔をあわせたときに 尋ねてみようとおもいます。 |
11月14日現在 |
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みなさん、はじめまして。セニサです。 今回は、私の名前の由来について書こうとおもいます。 通いの酒場では、色々な人に出会います。警察の人、お医者さん、占い師、 車の修理工場をで働いている人、役者の卵、美容師、学生・・・老若男女様々です。 そして、その大半は常連のお客さんです。気がつけば私も常連の1人となりました。 はじめはなんだかよく見る顔だなぁ〜からはじまり、 回数を重ねる内に顔見知りになり挨拶を交わし、カタコトながらも スペイン語で会話をして・・・、そんな時間を過ごしています。 気がつけば顔見知りになったある1人の男性が、いつも酒場の主人に からかわれています。 そのやり取りを見ているだけで愉快で、ケタケタ笑ってしまいます。 彼は酒場の主人から「セニソ」と呼ばれています。彼が「セニソ」と呼ばれる時、 私に限らず皆も笑っています。 そんなある日、「セニソ」の彼から、酒場で私の顔をみるなりいきなり 「セニサ」と呼ばれてしまいました。すると、周りに居た人達は オドロキ笑いだしました。 実はそのときまで「セニソ」という意味も知らず、からかわれているやり取りを みて笑っていたのです。とりあえずその場は訳もわからないまま 「オラ、セニソ」なんて返事をしました。 その後、家に戻り「セニソ」という単語を辞書で引いてみると、 「cenizo,ceniza:不吉な影を持つ人、不運・縁起が悪いこと」と載っていました。 “なるほどー、それで彼はいつもからかわれ、セニソとよばれていたんだ〜、 そういえばよくついていない話を聞くな〜”と納得をしながらも “なんで私がセニサと呼ばれるの??”なんて腑に落ちず・・・。 それでも、その日を境に「セニソ」「セニサ」と呼び合う友達の仲になりました。 そしてなんだかこの呼び名に愛着のようなものを持ってしまっているこの頃です。 |
3月17日現在 |
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かつて時々邪魔しておりましたオリゴデンドロシートです。 超ごぶさたしておりましたが、久しぶりに書かせて頂きます。 11日のマドリッド同時爆破テロは言葉では表せないものでした。 朝07h39から3つの駅の4つの異なる電車で計10個の爆弾が爆破されました。 私も08h30くらいからテレビの前で信じられない思いでニュース速報を 見ていました。 なんで? どうして? なぜこんな事ができるの? 線路や駅構内に散らばる死体(ばらばらに吹き飛ばされた死体の一部)、 あちこちで血を流す人達、その阿鼻叫喚の中を走り回る救急隊や ボランテイアの人達。 映画やドラマや小説を見て涙が流れる事はあったけれど、ニュースを見ながら 涙が止まらないという経験は初めてでした。 マドリッドでもっとも貧しい人々、もっとも弱い立場の人々の多い地域で、 早朝の通勤通学電車(仕事場へ急ぐ労働者や学校へ向かう学生たち)を 4本同時に爆破し死者200名+怪我人1400人以上 (現在危篤状態の人20人以上+ 重態人数十人)という犠牲を出したこのテロ、犠牲者の平均年齢が25歳 と言う事です。 怖いとは思わないですが、なんで?どうして?どうしてこんな事が できるんだ?っていう怒りで一杯でした。。 12日金曜夜の反テロのデモはスペイン全土で11百万が参加。 マドリッドは激しい雨が降っていたにもかかわらず2百万人が参加。 私もびしょ濡れで寒かったけれど参加してきました。自分たちには何も できないけど、何かでこの理不尽さに対する怒りを表したいという気持ちで、 老人も体の不自由な人も子供もびしょ濡れになりながら静かにデモを 繰り広げていました。 そして、14日(日)の総選挙は、予想をはるかに越えて社会党の圧倒的勝利と なり、左翼系の新しい政府がZapatero氏を首相として成立する事になりました。 11日のテロがなければこの選挙結果は別のものになっていた事でしょう。 テロ後選挙までの3日間、ETAによる犯行をにおわせる路線をとり続けて 国営テレビを始めとする情報コントロールに躍起となった政府に対して、 真実を知りたいと切望するスペイン国民は「もう嘘はたくさん!」という姿勢を、 史上最高の77%という投票率で表し、「社会党に投票」というよりも 「アスナル氏の民衆党の絶対多数を回避するために投票」という意思が 反映された結果が出たようです。 国民の90%が反対したにもかかわらず、米英と結束してイラク侵攻を 推し進めたアスナル首相の政策は、イスラム過激派による今回のテロという形で その代償を払わされ、結果として民衆党政権は崩壊する事になりました。 テロリストはその目的をスペイン国民の投票した選挙結果という形で 果たした事になります。 でもこの代償になった罪も無い多くの市民の犠牲はあまりにも大きすぎました。 この数日間でスペインは歴史的出来事をたくさん経験しています。 あまりにも多くの人々がもぎ取られるようにその日常を剥奪されてしまったから 私も含めて人々は生きている事のありがたさ、朝「行ってきます」と言って 出かけて、夜「ただいま」と帰ってくる事ができる日常の尊さを改めて感じて います。 最近スペインでも携帯電話の普及が目覚しい限りですが、今回のテロ爆破事件の 現場で、現場のあちこちに横たわる犠牲者(死亡者)の携帯が鳴り続けていた そうです。安否を心配した家族からの電話でしょうが、救急隊員はこれらの 電話に応答する事はできなかったそうです。なんとも言えない凄惨な光景だった そうです。 日々進歩している様々な技術が、邪悪な目的に使われる事無く、世界の人々を 幸せにする為に使われるといいですね。 |
3月16日現在 |
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みなさん、お久しぶりです。1時間差で「死の電車」に乗らずにすんだAlcalainaです。 今回のテロには本当に驚きました。なんと言っても私が毎日利用している路線で起こった 出来事だったもので。 テロの後、国鉄は全線不通、「国道沿いに爆弾を積んだ車がある」とかいうデマが流れたり したので、バスもダメ、木曜日は結局、マドリッドに出ることができず、その日はずっと 家でテレビのニュースを見ていたのですが、自分が毎朝毎晩目にしていた風景の中に、車両の 一部が吹っ飛んだ電車、怪我人、死体、警察、救急隊員がいるのが信じられませんでした。 犯人たちが爆弾を仕掛けたのが1時間遅かったら、私もどこかの現場にいたかと思うとぞっと しました。 テロ直後発表されている死者数が少なかったからか電話も比較的つながりやすかったのですが、 時間が経つに連れて、携帯電話はどんどんつながらなくなっていきました。ニュースを聞いて 色々な人が安否を気遣って電話をくれたのに、電話はうんともすんとも鳴らず、私が受け られなかった通話の番号を知らせるメッセージだけが送られるので、何度か公衆電話に 走りました。公衆電話から普通の電話にかける分には問題なかったので。携帯電話って便利 だけど、肝心ときには使えないですよね… 復旧までにはもっと時間がかかると思っていたのですが、テロの翌日、金曜日には被害に 遭った区間を除いてすべての路線での列車の運行が再開されました。テロから4日目の今日、 月曜には被害区間も列車が運行され、失礼ながらスペイン人やるやんと思ってしまいました。 金曜日、別の路線を利用してアトチャ駅に行った友人の話では、駅から500Mの場所で 爆破された車両が残されていたそうですが、今日はアトチャ駅の車両はもう片付けられて いました。そのかわり、犠牲者の数が最多だったエル・ポソ駅では被害車両がまだホームに 残されており、カバーがかけられていたものの、爆弾で吹き飛ばされたのであろう車両の 一部ががっくりへこんでいるのがシート越しにはっきりとわかりました。それまで本を 読んだり、おしゃべりしていた乗客全員が手を止め、窓の外を無言で見ているのが印象的 でした。 私の身の回りでは被害に遭った人はいませんでしたが、このときはテロの犠牲になって亡く なった人、怪我をした人たちのことを思わずにはいられませんでした。新聞エル・パイス紙 では、毎日10人程度ずつ亡くなった人の写真と近親者による生前の短いエピソードを 載せているのですが、家族、友人など犠牲者1人につきどれだけの人が悲しんでいるかと 思うと、一刻も早い事件の解決を願うばかりです。それで亡くなった人が戻ってくるわけ ではありませんが。 |
3月13日現在 |
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こんにちは、初めまして。こちらには初登場のAKIです。 朝晩まだ冷える日もあるマドリッドですが、アーモンドの花も咲き、春らしく なってきました。寒の戻りがあるにしても、ヨーロッパの春は、あっと言う間に 終わってしまい、気づいたらもう夏、という事があったりします。となると、 まだ今シーズンしていない鍋、早くしてしまわないとタイミングを逃してしまう!! ・・・ということで、ついこの間、友達と一緒に鍋をしました。 とは言っても、持ち運びができる日本のような簡易ガスコンロや電器鍋を持って いないので、台所で調理した鍋をそのまま食卓に運ぶという、少々味気ない鍋。 本当は、鍋を囲み、みんなでわいわい言いながらしたかったのですが、贅沢は 言ってられません。普段食べられない食材が一度にたくさん食べられるのですから、 がまん、がまん。 材料は豆腐、白菜、もやし、肉(今回は豚肉)、にんじん、たまねぎ、大根、 らーめん、もち。あれ?なんか違う。鍋って何を入れるんだっけ?と首をかしげつつ、 まーいーや、何でも入れればいいよねと、足らないものを紙に書きとめ、買い物へ。 マドリッドにも日本の食材を買えるお店があるんですが、私の住んでいる所からは 近くはないので、そんなに頻繁に行ける訳ではありません。中国の食材を売っている ところにも日本の食材を置いていたりするので、今回はそこで購入する事に。 買いたかったものの殆どを手に入れたのですが、どうしても、もちを手に入れることが 出来ませんでした。今回は友達に、是非日本のもちを味わってもらいたかったのですが。 夜の7時半頃に友達の家に行き、準備開始。日本文化にとても興味のある友達なので、 間違った事を教えては…と思い、一応昆布とかつおでだしを取りました。すると、 友達がメモを取り出し、鍋のレシピ(?)を書き始めました。う〜ん、材料を 切って鍋に入れるだけだし書くほどのものでもないんだけど・・・。それに 材料も手に入る物を使うだけだし。 材料を洗ったり切ったり、おしゃべりしたり飲んだりしているうちに、9時頃に 食べられる状態に。ポン酢がないので、醤油にお酢をいれて、そこに大根おろしを 入れたもので食べてもらう事にしました。後はお好みで七味を。スペイン人には 味が淡白で、ちょっと物足りないかなぁと思っていると、なかなか好評。 取り分けたお椀の中がすぐに空っぽになりました。その後は、味噌味も楽しんで もらおうと思い、鍋の中に再度材料と味噌を加えました。ワインに味噌味なんてあうのか かなり疑問でしたが、これも結構喜んで食べてくれました。おかわりをしていたので、 醤油味で食べた時よりも気に入ってくれたみたいです。しかも、七味を入れると もっと味が良くなる!と。 そして、最後に登場したのがラーメンです。これはとても人気がありました。 結局、みんなのお椀は空っぽ、鍋もわずかにスープが残る程度できれいに 食べてもらえました。その後、友達が作ってくれた甘さを押さえたアップルパイ (あまり甘いのは私が得意ではないので)を食べて、11時過ぎに夕食が終了。 その後、台所に洗い物を残したまま、そのまま友達の部屋に行き、おしゃべり。 ご自慢の日本の小物コレクションを見せてもらい(友達が日本の某お菓子会社の チョコレートの各パッケージを、とっても満足そうに見せてくれたのがとても おかしかった)、インターネットで日本のニュースを一緒にチェック、などなど・・・。 ・・・とまぁ、欲張って3回も中味を変えてのだらだらとした鍋となりましたが、 楽しく食べてもらえたので、良かったです。文化交流になってればいいけれど。 それにしても、残念だったのが、もち。今度は是非もちを入れてしてみようと思います。 でも、来年かなぁ…。 |
8月20日現在 |
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みなさん、こんにちは。初登場からほぼ10ヶ月、沈黙を守りつづけていたAlcalainaです。 最近、私はスペインのバラエティ番組の面白さに目覚めました。私の中で今、ブームになっているのが、TVE1で火曜日の夜に放送されている“カンシオン・デ・ベラノ”特集番組です。(TVEの国際放送でも見られるんでしょうか?) “カンシオン・デ・ベラノ”というのは、直訳すると“夏の歌”ですが、毎年夏になるとスペインで流行る、すごくくだらない歌詞と安っぽいメロディなのに、なぜか頭にこびりついて離れない歌たちのことを指します。この歌を歌っている歌手は往々にして一曲だけ大ヒットを放った後、闇に消えていきます。去年はやった『アセレへ』を覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、『アセレへ』は典型的な“カンシオン・デ・ベラノ”です。現にこの歌を歌っていた三人姉妹はこの夏はもうテレビで見かけません。
翌日早起きしなければいけなく、ビデオも家にない私は残念ながら平日なのに午後10時に始まって午前1時に終わるこの番組を最初から最後まで見たことはないのですが、毎週、眠気と闘いながら見られるだけがんばっています。ここまでしてこの“カンシオン・デ・ベラノ”特集番組を私が見るのは、今年スペインで流行していて、どこに行ってもかかかっている歌が聞きたいからではありません。3時間にもおよぶこの番組を支えるために有名歌手出演の隙間と隙間に混ぜられる名もなき歌手、往年の有名歌手のアヤシサに私は魅せられているのです。
ルシアに限らず、この番組に出演する“隙間埋め”女性歌手は、お色気路線で売る人ばかりで、そしてほぼ全員金髪(でも地毛ではなく染めたもの)です。服装はミニスカートにロングブーツと相場が決まっていて、中にはスカートが短すぎてパンツが丸見えでも平気で踊る歌手もいます。踊りはかなり挑発的です。
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6月5日現在 |
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ああこんなにご無沙汰してしまいました、の焦げ茶犬です。 先月、日本に一時帰国して参りましたので、その時の印象を少し書いてみたいと思います。
多くの海外在住者が帰国後まずチェックしに行くのは、スーパーマーケットと本屋、ドラッグストア、
洋服屋さん、そして100円ショップだと思います。ご多分に漏れず私も帰国の翌日の
午前中に大型スーパーに行きました。
という訳で、スーパーの階から上に上がり洋服のフロアに。お洋服たちが「よく来たわね、
まあかわいい私達を買っていってスペインで着てちょうだい。」と、私を迎えます。はい、
そこにはこじゃれていて、何回洗濯してもびくともしないお洋服たちが並んでいます。
間違ってもファンデーションや口紅がべったりくっついていたり、袖がほつてれいたり、
ボタンが無かったりする物はありません。
しかし、今回驚いたのが女性の年代による洋服のボーダレス化でした。これは昨年には
感じなかったのですが、今回中年と言われる年代の女性の多くが、いわゆる大仏ヘアーという
今までの、この年代のスタンダードだった髪型を捨て去り、10代20代の女性のような、シャギー
の入ったショートに茶色く髪を染めています。また、服装も例えば、綿のハーフコートやフリースに、
チノパン(しかもゴムウエストではないと見受けられる)、頭にはサンバイザーではない帽子を
かぶり、肩にはトートバックをかけている・・・。
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1月11日現在 |
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皆さんこんにちは。ご無沙汰の焦げ茶犬です。 「スペイン滞在のノウハウ」の中の「一人暮らしをしてみよう」のコーナーにもありますように、 私は今年1人住まいのピソ(と言ってもエストゥディオですが)を借りました。2002年8月の事です。 そして今は2003年1月。両隣がうるさいという問題はありますが、まあ大した事件もなく年を越す事ができました。
さて、新年早々私は一人暮らし初のピンチを迎えております。そもそも始まりは1月5日。 この後私は朝から何も食べていない事に気がつき、昼食を取ってからオフィスに出向くのですが、 ピソの前の道の片隅に白いコルテフィエル(スペインのファッションブランド)の袋を発見しました。 ん?これってさっき私が壊した壁の瓦礫を集めて捨てるために水道屋さんに渡した袋と同じ サイズじゃん・・水道屋さんはそれを持って帰ったはず・・中を覗くと、はい、うちの壁の瓦礫 でした。捨て逃げするなよ〜。。。 という訳で、また進展があったらここにお知らせします。。。。 |
10月24日現在 |
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みなさん、はじめまして。掲示板に時々間接的に登場しているAlcalainaです。名前を 見てもわかるように私は現在アルカラ・デ・エナレスという町に住んでいるのですが、 今日は私が毎日利用しているRenfeのセルカニアス(近郊電車)について書いてみたいと 思います。 ラッシュアワーの電車の本数は職員のコントロール範囲を超えているらしい、という のがスペインで電車通勤を始めて気づいたことでした。電車に乗り遅れそうで、息を 切らせながら構内に入って見たものは無秩序にウロウロしている人々。4分後に出発 するはずの電車が何番線から出るのかまだアナウンスがないのです。私もみんなと 一緒にその辺でしばらく待っているとマドリッドの方から電車が着きました。 (アルカラ駅は3本に2本ぐらいが始発です。)電車の先頭には“Sin Servicio (回送)”の文字。にもかかわらず一部の人々はそちらに歩き始めました。(回送 ちゃうんかなあ。)と見ていたらやっぱりその電車は、予告どおり乗客を降ろすだけ 降ろして、ドアを閉めてしまいました。がっかりして戻ってくる人々。 次にようやくアナウンスがあり、もう1台の電車がマドリッドの方からやってきました 今度はちゃんと電光掲示板にも行き先と発車時刻(とっくに過ぎていますが)が出て います。みんなわらわらとそっちに向かいました。ホームで降りる人を待っていると、 急に一部の人が階段の方に走り出しました。見ると、線路を隔てた向こう側のホームに その次のグアダラハラ(アルカラより3つ向こうの駅)発の電車がやって来ている ではないですか。しかも、アナウンスなし。一瞬、考えました。(今から走っても間に あうかも。)でも、その時に私がいた位置から階段まで走り、さらに地下通路を通って ホームに上がってその電車に間に合わず、戻ったときにはこっちの電車も出てしまって いたら… 小心者の私には思い切ることが出来ず、結局とっくに出ているはずなのに、 5分後に出る電車より後に出た電車に乗ったのでした。これを私は週に何日かの割合で 経験しています。すっかり学習したので、今では階段の横で待って、どのホームに 電車が来てもカバーできるようにしていますが。 帰りは帰りで、席取りのバトルが大変です。スペインの駅は私が知っている範囲では 日本みたいに並ぶところが決められていません。みんなそれぞれここ!と思うところに 陣取って電車を待っています。電車が止まる場所なんて決まっていません。だから 毎日がバクチです。ホームの電光掲示板には行き先のほかにも到着までの時間が表示 されるのですが、これが減っていくにつれ、目に見えて緊張感が増します。(電車の 来るのが見えたときのあの空気の張り詰める瞬間を文字で書き表せたら… )電車が スピードを落とすにつれ、人々はドアの位置に合わせてジリジリ移動し始め、その間 みんなそれとなく牽制しあっています。 アトチャ駅で乗り降りする人の数はすさまじく、到着する電車は日本の通勤電車と同じ ように満員です。そして、電車から人々が降りるのを待っている間の緊迫した空気。 中には待ちきれなくて、まだ全員降りないうちに乗り込む人もいます。1人がそれを 始めるともう無政府状態です。こないだはおばちゃんが「あんたたち、降りる人待て ないの!」と怒鳴っていましたが、誰も聞く耳持たず。電車が空いていた8月が 懐かしい… 8月には乗客にスペイン人がほとんどいませんでした。ある日ふと気がつけば、乗って いるのは服が土で汚れているので建設現場帰りとおぼしき中南米顔の男の人と東欧顔の 男の人が8割以上。(夏は工事多いからなあ)と思いつつ、スペイン人が優雅に バカンスを楽しんでいる間に働いている移民(私もか。)の苦労に思いを馳せたの でした。そして休暇が終わり、学校も始まった今はあまりの乗客の多さに車掌さんの 車内検札もありません。 こんなこと書くと問題ありそうですが、セルカニアスはけっこう無賃乗車またはキセル が簡単にできてしまいます。例えばアルカラ駅では駅から出るのに切符を改札機に通す 必要がありません。また、駅によっては切符売り場が無人になっている時間もあり、 自動券売機で切符を買おうにも“お釣りがありません。”の表示があって、切符を 買えないことがあります。私も最初のうちは切符を持たずに電車に乗ることでドキドキ しましたが、検札が来ても「窓口に誰もいなかったから」と言ってお金を払えばえば 済みますし、来なけりゃラッキーと思うようになリました。駅によってはホームの端の フェンスが低い、またはホームの端から直接外に出られるという駅もあり、最初から 払う気なくそこから潜り込む人もいます。 この間、空いている時間帯に電車に乗ったら物乞いの女の人がやってきました。 けっこう身ぎれいにしている人だったのですが、なんでも未婚の母らしく、「手当が 明日にならないと出ないのに今日の分の食費がない。少しでいいからめぐんで。」と 乗客の間を回っていました。するとそこに車掌登場。「切符は?」と聞かれて彼女、 「後ろの車両にいるダンナが持ってるから」。その瞬間あちこちで「さっき、未婚の母 って言ってなかった?」とみんながヒソヒソささやき始めました。おばさん連中に いたってはそこから会話が発展して、全く関係ない話で盛り上がったり。 ただ、その場で一瞬仲良くなっていたおばさんたちも降りる駅が近づくと他の乗客と 同様ソワソワし始め、気もそぞろに。私の見るところ、スペイン人は降りる準備を 始めるのが異常に早いです。すごい人は駅を出たらすぐに席を立ちます。別にその後 乗り継ぎの電車が待っているわけでもないのに。そういう人たちはそれから5分以上 立ったままで、私は(それなら乗るときにあんなにがんばって席とらなくてもいいのに と思ったりしています。しかも、電車は絶対スムーズには止まらず、電車が駅に着いて 5分以上前から立っている人たちがガクッとよろめいているのを見ると、(そんなに 早く立たなくてもいいのに)といつも思います。みんながあまりに早く席を立つので、 駅に着くかなり前から出口はすごく混んでいます。せっかく早く立っても結局降りる までにドアの辺りでけっこう待つことになってて、なんだかスペイン人ってせっかち なんだかのんびりしてるんだか、スペインに2年以上住んでいるけれど、いまだに 私にはよくわかりません。 |
7月4日現在 |
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スペインを愛するみなさまこんにちは 夏です。ヴァカンスです。 街を歩いていると、ふと目にする旅行関係の広告気になりませんか。都市バス の側面に貼りついてる広告・無料で配られている新聞の折り込み広告・旅行 代理店の窓に貼りつけてあるペラ紙、、、ア−ア旅に出たい。 7月に入り、普通は全て売れ切れているはずの夏(7ー8月)のバレアレスや カナリアス諸島(カナリアスは夏は超ハイシーズンではないが)への商品を いまだに新聞の1ページを使って大々的に広告しています。通常、この時期 には9月ものだけを広告していたような記憶があるのですが、、、もしくは、 9月ものに割安感を与えるために8月の料金を載せていたはずなのですが、、、 まあ、ガラガラと言う事はないのでしょうが、まだまだ売れ残リ商品がある事 は確かでしょう。これは、未だ目的地を決定していない国内の客を狙っている のは勿論ですが、スペイン人のあまり先のことを考えずに、最後の最後まで物 事を決定しない傾向を読んでいるのもあるのでしょう。しかし、それは今始ま った事ではないので、今年の傾向つまりいまだに上記のような超有名リゾ−ト 地で空きがあることには他に原因があるようです。 どうやら、かなりの数のドイツ人やイギリス人(スペイン観光地、特に両諸島 の最高のお客さん)がトルコや旧ユ−ゴスラビア諸国等(値段的にもかなり 競争力がある)のビーチリゾ−トに鞍替えしたらしい。つい数年前までは政治 不安や地震などの要因で敬遠されがちであったこれらの地において、この要因 が無くなるもしくは忘れられる事により、再び観光客を呼び寄せる事になった のでしょう。 又、行き先がスペイン等にかたよっていた頃に、(値段も多少なりとも上がり ました)ホテルをかなりの数建設してベッド数大幅に増やしたのが一要因とさ れてはいます。(例外的にバレアレス諸島ではホテルの新規建設はかなり制限 されています)しかしこれはそれほど決定的だったとは思えません。それよも、 昨夏?のバスの運転手のストの方がマイナス影響になっているような、、、 これ、かなりドラマチックだった記憶があります。真夏に何時間も子供をつれ た家族が空港でタクシーをただひたすらまたさせられていた様子が、ヨーロッ パのTVに映りました。そして最後は政府が仲介に入ってようやくおさまったよ うでした。まあ、これも時が経てば忘れられてしまうのでしょう。 先日、某TV局でスペインの旅行業についての番組がありました。政治宣伝的 な内容が多かったのですが、そのなかでスペインを旅行した人達のスペイン 旅行業に対しての意見を統計にしたものが画面に映りました。そこで気になっ たのは、満足できなかった点に“サービス”があがっていたところです。スペ インに来られたことのある方なら、どこかで親切で優しいスペイン人に会った ことがあるはずです。こんな我々の大好きなスペイン人でさえ、サービスが悪 いという印象を与えてしまうのは、安い給料ではやってられないということで しょうか。数年前、知り合いのレストラン・チェーンのオーナーが“プロフェ ッショナルな人材は欲しい。しかし、欲しくてもそんなに存在しない”といい ました。私は、“いくら払っているの? いくら払う気があるの? それなりの 給料を払えばいくらでもいるはずでしょう。”と言う内容の事を冗談ぽく答え たような記憶があります。そこで、ジャパニーズならぬ彼のスパニッシュ・ス マイルにて会話がとぎれました。 それでもスペイン観光業界(上記のリゾート地)にもプラス要因はあります。 例えば、業界関係の人の話だと、今まで儲けた分をそのまま懐に収めるだけで はなく、かなり設備投資をしたので今まで以上に高品質の商品を提供できる 状況になったそうです。後は値段も下がって(そうすれば、我々もこれらの リゾート地に行きやすくなるのですが)質・値段ともに競争力がつけば、また そのうち好況が来るでしょう。あと、これはプラス要因と呼べるかわかりませ んが、イスラエルにおける紛争によって(早くこの紛争が解決に至る事を祈っ てます)、イスラム諸国のビーチリゾ−トが本来ライバルとなるべきところを なれないでいるのも、スペインの大幅な観光客減をいくらかはくいとめている ようです。 いずれにしても、全ての要因が複雑に絡み合ってこのような状況を作ったので しょう。 友達の業界関係者曰く、“DESPUES DE LAS VACAS GORDAS, SIEMPRE VIENEN LAS VACAS FLACAS. Y DESPUES DE LAS VACAS FLACAS, SIEMPRE VIENEN LAS VACAS GORDAS.”(聖書から引用して作った文と記憶するのですが) “ 豊作の次ぎは不作。不作の次には豊作。”というところですかね、、、 あ-あ、バレアーレス諸島いきたいな〜〜〜。、 |
6月7日現在 |
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サッカ−を愛するみなさまこんにちは 出張先の宿で録画放送でみました。 日本惜しかったですね。完全に勝てる 試合を引き分けてしまいましたね。と思っているのは、私だけでしょうか。 でも、ふと気になったのは、偶然スペイン民放局のA3TVが日本対ベルギ−戦を 本日の一戦に選んだので、ノ−カットでみられましたが、もしそうでなかったら ダイジェスト版でしか楽しめなかったところでした。 当然、FIFAがスペインにおいては、スペイン戦の無料生中継を保証している のでスペイン戦はみられるのだが、これを日本戦にもとめると準決勝・もし くは決勝でしか実現不可能である。確かに、金さえ払えば方法はあるのだが、 元来庶民の娯楽であるサッカ-において、この扱い方には疑問が残ります。 移民の増えた今日現在、彼らは(我々は)、母国の試合を母国に戻る・もしくは 有料TVでみるしか手段がありません。大多数の移民は出稼ぎに来ているので、 有料TVをつなげる場合の方が少ないと思います。移民差別とまではいかない と思うのですが、明らかに我々移民サッカ−ファンの興味には、完全には答え られていないのではないでしょうか。何故なら、FIFAが出場国の試合をその国 において無料生中継保証をしているその主旨は、庶民(大衆)でもみられる ようにとの配慮からきているからだと思うからです。(当然商業的にも有利 と判断したからでしょう、、、) やはり単なる貧乏人の泣き言なのでしょうか、、、、、 |
2月15日現在 |
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オペラション・トリウンフォ テレビの視聴率というのはどうやって出すのか知りませんが、日本だと30%といえば 凄く高い数字ですよね。古い話ですがあのキムタクの「ヒーロー」が毎回30%近い数 字を出して騒がれたと聞いたことがありました。 2月11日にオンエアされた「オペラション・トリウンフォ」の最終回は、スペイン全人口 約4千万人のうち1千5百万人が見ていたそうです。この数字は、例えばサッカーのヨーロ ッパチャンピオンリーグの決勝にスペインのチームが勝ち残っている場合の試合の生中継 位でしか達成された事の無い物だそうです。 「オペラション・トリウンフォ」は昨年10月から国営放送第2チャンネルで放送されてい た、今はやりの「Telerealidad」(TV擬似現実とでも訳せましょうか)系の番組。一般公 募で集めた人々をある程度閉鎖された環境の中に一定期間拘束し、そこで展開される人間 関係や各個人の様子を、テレビカメラを通して視聴者がまるでその環境を共有するような 感覚で見る。視聴者の人気投票によってその閉鎖空間の中の参加者は少しずつ減員されて 行き、誰が最後まで残れるかを競う。テレビカメラを通して視聴者自身も閉鎖空間の中の 参加者達と「擬似現実」を共有するので「Telerealidad」と呼ばれる番組。民放のテレ・ シンコが放送して大成功を収めた「グラン・エルマノ」がこのTeleralidad系番組の走り で、その後民放各局が競って類似番組を作成してきましたが、2番煎じ、3番煎じで今ひ とつ高視聴率は出ていなかったようです。 そんな時、元ミュージックバンドメンバーが主催するバルセロナの番組製作企画会社が一 つのアイデアを引っさげてあちこちのTV局にセールスに行ったところ、民放各社から軒並 み断られた末、一番地味でお堅い国営放送第2チャンネルで採用されちゃった。 「Telerealidad」系のスタンスと「スター誕生」系のコンセプトを組合せ、オーストラア に存在するある番組(一般公募で集めたミュージッシャン志望の若者を一定期間あるスタ ジオに拘束し、曲作り、練習、レコーディングなどの課程をテレビカメラで追って行くも の)をベースにして作られた番組「オペラション・トリウンフォ」。 一般公募で選抜し たスターを夢見る若者16名と、それらを特訓する教授陣とを、あるスタジオに一定期間 拘束し、架空の「テレント養成アカデミー」強化合宿で繰り広げられる訓練課程をオンエ アする。アカデミーは架空でもそこで繰り広げられる特訓は真剣そのもの。その様子を見 ている視聴者の人気投票で「訓練生」は選抜され減員されていく。そして最後に残る3名 を選抜したのが2月11日オンエア分でした。視聴者の投票は全て携帯電話からの通話か メッセージによって寄せられ集計されました。この番組がオンエアされる度に何万という 携帯電話からのメッセージや電話がLa2(国営第2チャンネル)の特設番号へ寄せられた 訳です。最近電話を通して視聴者が参加するテレビ番組が増えていますが、受付電話番号 は906から始まる非常に通話料金の高い番号が設置されています。この超高い通話料の 恩恵はどこに行くのでしょう?番組?テレビ局?テレフォニカ?・・因みにこのオペラシ ョン・トリウンフォの番組を企画制作した会社の株の61%はテレフォニカが持っている とか。話がそれました。 訓練生達の履歴も様々。もともと音楽に携わる者もあれば、全く関係ない分野で働いてい る人もいる、中には昨日まで建築現場で働いていたとび職の若者もありました。それぞれ の訓練生の出身地では「我が町のロサちゃんを」「おらが村のダビッド君を」「この街の マヌ君を」と地元一体になって応援運動が繰り広げられ、2月11日夜にはこれらの町や 村の広場には大型スクリーンが設置され住民達が結集して最終選抜の成り行きを見守ると いう凄さでした。最終選抜された3名の出身地ではお祭り騒ぎでもう大変! この番組の大成功に便乗して、訓練生が「アカデミー」で練習している曲をレコード会社 がリリースし特定契約店に限定販売をすれば、CDは瞬く間に売り切れ、毎週ヒットチャー トの上位を占めるという状況が数ヶ月続きました。 学校でも職場でも「オペラション・トリウンフォ」の話についていけないと異端視される ほど、この番組は社会現象と化していました。国営テレビはこの最終選抜3名をどんどん いろんな番組に出していくのはもちろん、落選した他の訓練生達もフルに活用して視聴率 上昇に励む様子。一番地味な国営第2チャンネルにお株を取られた感で、民放各社このオ ペラション・トリウンフォ症候群を苦い思いで見ていることでしょう。筆者はスペインの テレビはニュース以外は殆ど見ないのですが(単純につまらないからなのですが・・)唯 一毎日見ていたのがLa2国営第2チャンネルの夜10時のニュースだったのです。ところ が昨年末からなぜかこのニュースが無くなって、なぜ?なぜ?と憤慨していたら、なんと このオペラション・トリウンフォが放映される為30分遅らせていたとか。La2の看板番 組10時のニュースを遅らせてこういう番組を放送するようになったのかと、深く考えさ せられました。 若者が国営放送を見るようになった、国営放送の視聴率が上がった、スペインの人口の4 0%ちかくがこの番組を見守って、社会現象となった。その涙と感動のサクセスストーリ ーの裏では膨大な利益が動いている。この番組は視聴者が入り込めば入り込むほど、テレ ビ、電話、音楽など多岐に渡る業種に恩恵をもたらす様に周到に計算されているという事 を頭の隅に刻んでおかなくてはいけない気がします。そしてこれは全て「つくられた」現 実だという事も。 映像というのは恐ろしいものですね。毎日毎日多くのTV局で同じ内容のニュースが繰り返 し報道され「これが現実です。こういう人がこういう事を言っています。」と聞かされな がら「編集」された映像を見せられていると、視聴者はそれをまるで自分自身が見て聞い て考えたような事実として受け止めてしまいます。ニュース報道だけではなくテレビとい うメディアは、映像や音声を「編集」したり「脚色」したりする事によって、それと気付か ないうちに視聴者の見方・考え方に影響を与える事ができる、また見て欲しくない物があ るとそれを一切シャットアウトする事でまるでそれが存在しないと思わせる事ができる、 という点で非常に恐ろしいものですね。 スペインのアスナル政権が高い支持率を保っている事、米国のブッシュ大統領が9月11 日依頼超高い支持率を得ている事、テレビというメディアの活用無しでは考えられないで しょう。 余談ですが、最近考えさせられる事。自分が目の前に見ている「現実」とは一体どんなも のか?ということ。少し前になりますが「リング」「らせん」「ループ」「バースデー」 を読んで行く内に感じた、私達は誰かに見られ操られているのか?という感覚。ジム・キ ャリーの映画「トルーマンショー(題名が今一定かでないのですが・・)」での恐ろしい 感覚。アレハンドロ・アメナバルの映画「Tesis」「 Abre los Ojos」「Los Otros」の、 いずれも私達映像を見る側が「そこにあると信じている現実」を見事に裏切り、私達を翻 弄して楽しませてくれたあの感覚。フィクションの世界だけでなく、この「そこにあると 信じている現実」はきっと現実社会の中にたくさんインサートされているのでしょうね。 スペインのテレビや新聞を見聞きしながら、そう思えてならない今日この頃です。 |
11月3日現在 |
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みなさん、こんにちは。再び登場のこげ茶犬です。 先週末より寒かったり暑かったり気候が不順だったせいか、すっかり風邪をひいて 伏せっておりました。 さて突然ですがこのページの読者の方に質問です。もしもあなたがスペインに 語学留学をするとします。学校を選ぶ際に何を重視しますか?金額?コース内容? 課外活動が多いか?クラスの人数??色々あるでしょうが、多くの人が 「日本人の生徒が少ないところ」を条件に挙げます。してその理由は?「海外に出てまで 日本人と話したくない」、「日本語ができるだけ無い環境に身を置いて、スペイン語 にどっぷり浸かりたい」・・ふむふむ・・なるほどなるほど・・・。 何故にこんな質問をしたかというと、私は先月1ヶ月間ある語学学校に通いました。 過去、クラス全部が日本人、もしくは半分が日本人で半分は欧米人、 という経験しかなかった私も、上の様に思っていた一人です。しかし、 今回の「全校生徒の全員(私以外)が欧米人・しかも独・米がその殆どを占める」という 学校はかなり強烈なものがあり、今までの語学学校に関する思い込みがくつがえされ ました。そのお話を独断と偏見たっぷりにお話したいと思います。 欧米諸国からの学生はとにかくよくしゃべります。文法も動詞の語形変化 も、それを正確に使う事はあまり重視せず(しているのかもしれないが)、 母国語の訛りもお構い無し。とにかくしゃべり続けます。イタリアやブラジル 出身の生徒などは、単語がわからなければ、母国語の単語を無理やりあて はめて話し続けます。 間違う事を恐れずに、自分の考え、意思を表す・・・これは私にとっては大いに 見習いたいところですが、「この人たちは正しいスペイン語を習いに来て いるのではないのか?街ではブロークンでどんどん話してもいいだろうけど、 学校ではもう少し正しい文法と発音を心がけよう、なーんて思わないのか??」 と、憮然とする事も度々ありました。しかし、そんな私の半分負け惜しみの様な 憤慨をせせら笑うかのように、彼らの話は止まず、まず頭で文章を組み立ててから 発言しようとする典型的日本人(?)の私は、その作業中に話題においていかれてしまう・・・。 また、私たち日本人は複数人数との会話の場合、自分の話を切り出す タイミングの計り方が下手だということを改めて実感しました。日本ではまず 人の話が終わるまで静かに聞き、その後自分が会話をする事が多いですよね。 でも彼らは・・・例えば街を歩いていると、皆が一斉に話をしていて あれでお互いが言っている事がわかるのか?と思うシーンがよくあります。 それがクラスでもしっかり再現されます。皆の間では実に自然にスムースに 会話が弾んでいきます。その切れ目無い会話の中、話のタイミングをつかめない 日本人の私はまたしても話題についていけない。折角頭の中で組み立てた 文章は発言される事無く、話題はむなしく移り変わっていきます・・・。
・・と、ここまでやけに愚痴っぽくなりましたが(実際愚痴も入って
たりして)、今回言いたかったことは、学校選びの大きなポイントは
実は「その学校に在籍している(いた)学生の国の分布を知ること」かも
しれない・・という事なのです。多くの国の生徒が集まっている
学校は、先生も様々な母国語を持つ生徒を教える経験をしている訳ですから、
個人個人のペースと弱点を鑑みた授業をしてくれる率が高いのでは・・・
と思うのです。 まあ、一番必要な事はどんな環境でも自分を表現できる積極性と度胸、 そして強い心でしょうが・・なかなか難しいんだよな〜。 |
10月22日現在 |
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みなさん、こんにちは。 初登場のこげ茶犬です。スペインで暮らし始めてようやく1年ちょっとの私には まだまだわからない事や「何でこうなるんだ!?」ということばかりです。 これからこの場をお借りして、そんな日常に起きた事を細々と綴っていきたい と思います。 どうぞよろしく。 この国に来て自分の部屋も整い、まず最初に頭を抱えたのは、洗濯物のアイロンがけ の際に不気味なコゲの様な物が布に付くという事でした。 スペインでも、まずは洗剤で洗濯をして、柔軟剤でふっくら仕上げて、アイロン・・ と日本と何ら変わらないやり方でやっているのに、何故にこのような物が? このコゲの様な物は茶色の、みるからにこきたないサビにも似た汚れで、洗っても 漂白しても取れません。真っ白いシーツにこれがつくと見るからに汚い感じなのです。 この物体が最初に発生した時、私はアイロンが不良品なんだろうと思いました。 だってアイロンの鉄板のスチームの口にこびりついているので、てっきりそうだと。 で、ちょうど日本に帰国する友人がいたので、私は彼女のアイロンを買い取りました。 格安で買い叩いてきたそのアイロンの鉄板の部分は家のとは違ってえらくきれいで、 例の茶色のブツは全く付着していません。「よし、これでもうアレとはおさらばだ・・・」 と喜んだのも束の間、そのアイロンも数日で汚れがこびりつきました。一体何なんだ!? 怒る私にある人がいいました。「柔軟剤が原因」と。その時私が使っていたのは ファーファ(こちらではミモシンという名前)の濃縮タイプ。ん?ではこの小熊が 原因だというのか?このタオルにスリスリして「柔らか〜いキャハハ」と無邪気に 喜んでいるこの熊がいかんのか?しかし柔軟剤を使わないと布がシワだらけになって アイロンかけはあまりに大変なのです。皮肉にも例の小熊の上には「planchado facil (アイロンがけが簡単に)」と書いてある。何だよ〜これじゃあ「planchado dificil (dificilはfacilの反対)」じゃん!と熊に八つ当たりしつつも私はその後、 少しづつ柔軟材の1回の使用料を減らして様子を見ることにしました。しかし情況は変わらず。 半量以下に落としても相変わらず、アレは発生する・・。 そこでまた別の説が生まれました。今度は「水質が問題」。なるほど、日本ではこんな事が 起きなかったのは、もしや水のせい?マドリッドの水道水は日本の水道水に比べて カリウムやマグネシウムなどの鉱物質が多いはず。これが悪さをしているという説は あの汚れが固くて水に溶けないことからも何となく頷けるものがある。でも・・ まさかミネラルウォーターで洗濯できないし・・・諦めるしかないのか? がっくり来た私にさらに追い討ちをかけるような事件が突然発生しました。 白い洗濯物が青く染まってしまったのです。それも何回も。ジーパンも青い服も 一緒に洗っていません。でも白いシーツはうっすら水色に(しかもまだらに)、 クリーム色の下着はゴムの部分だけが真っ青になり、何とも可愛げのない物になって しまいました。白いブラは最初から水色だったように・・・(泣) このままでは私の白い服は全て青くなってしまう、周囲の主婦2人に聞くと、2人とも そんな事起きたことはない、と。で、あくまでも何かのせいにしたい私が疑った2つの 物・・それは「柔軟剤の液の青さ」、そして「粉末洗剤の緑と青の粒々」でした。 まず、柔軟剤を青い物から白い物に変えました。げんが悪いので今回は熊マークは パスです。ちなみに白い物は「スカンジナビアの白い花の香り」で、私は本当は 「モモの香り」に惹かれたのですが、万が一にも今度は洗濯物が黄色くなってしまっては たまらん、と断腸の思いでそれを諦めました。 また、粉末洗剤は例の緑と青の粒々をスプーンを使って1粒1粒取り除く努力を したのですが・・途中であまりの辛さとばかばかしさに挫折しました。 これらの努力に洗濯の神様が恐れをなしたのか、不思議な事にその後はこの様な 事がなくなりました。ただ、アイロンの茶色い物体は相変わらず発生しています。 アイロンかけの神様は手ごわい・・・。 誰かこれらの原因、思い当たりませんか!? |
2001年7月28日 |
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いつも青空駐車の車がひしめいている我が家の前の通りも、少しずつ間引き状態が進行し、 この週末には更にスッキリすることでしょう。6月や9月に夏休みをとる人が年々 増えてはいるものの、やはり8月はマドリッドの人口がぐっと減るようです。 夏の民族移動第2弾。車で、電車で、飛行機で、海へ山へ、日ごろの憂さを忘れ、 目いっぱいバケーションを楽しもうという人々が大移動。 ところが、そんな人たちをテロリストが待ち受けている。 24日火曜日、地中海沿い アリカンテ地方の人気ビーチリゾートのひとつTorrevieja、バケーションを楽しむ 家族たちがお昼の後のシエスタをむさぼっている17h30、マンションの一室で爆発が 起こった。2キロのダイナマイトが爆破。室内にいたETAメンバーの20歳の女性は 体を吹き飛ばされて即死。ボロボロになった彼女の手、足、胴体、頭が中庭の芝生の上や プールのへと降ってきたのを子供たちも目撃。マンション全体が多大な被害を受け、 マンションの中庭であそんでいた4人の子供たちと3人の大人が重症。 建物の基礎建築部分がかなり破損された為、修復は難しく建て直す必要ありとか。 怪我を負った人はもちろん、マンションを破壊されて人たちにとっても、年に一度の バケーションがまさに吹っ飛ばされてしまった訳です。 即死したOlaiaCastresanaは20歳、警察にマークされていなかったETA構成員。 このマンションは、彼女と一緒に滞在していたAnartz Oyarzabal(同じく警察にマーク されてなかったETAメンバー)の両親の所有だったとか。 彼女が2キロのダイナマイトで爆弾を作成中、なんらかの誤りで爆発が生じた模様。 同マンションにはこの他にもダイナマイトがあったこと、この爆発直後2-3人がこの マンションから逃走していることなどから、Olaia、Anartzを含む移動コマンド小部隊が Torreviajaをはじめとするリゾート地にいくつかの爆弾を仕掛けようと準備していた、 と見られています。 警察は早速、OlaiaとAnartzが住んでいたSan Sebastianの自宅を捜索し、テロ活動関係の 書類や爆発物を押収。テレビのニュースでこの家宅捜索の模様がオンエアされた時、 警察の作業を阻止しようとするBatasuna(前HB)のシンパのデモ隊が映っていました。 イクリーニャ(バスク州旗)をかざし、「英雄Olaia」と記した横断幕を掲げて、警察に 抗議する人たち。 彼らにとって、ビーチリゾートでバケーションを楽しむ人々を 標的にした無差別殺人を目的として爆弾を仕掛けるという行為は、どういう論理で正当化 されるのだろう。彼らにとって、殺人行為を遂行しようとした途上で「殉死」した彼女は やはり「バスクの英雄」として称えられるのだろうか。 ほぼ1年前、8月7日にBilbaoで 30キロのダイナマイトを移送中のVizcayaコマンド部隊幹部4名が、同ダイナマイトの 爆破で即死。車は二つに裂け50メートルも吹っ飛び、4人のETAの体もこなごなに吹っ飛ぶ という事故がありました。あの時も彼らの出身地の町で彼らを「バスクの英雄」として 賞賛する行事が催され、物議を醸したのは記憶に新しいところです。 今回のTorreviejaの事件直後、各政党のコメントが発表されていますが、PP民衆等の バスク代表は「殺人集団の構成員が一人減ったという事は喜ばしいことだ。 彼女の死によって、何人もの罪のない人たちの命が危機に瀕する必要から免れることが できた。」とコメントしています。PSOE社会党のコメントは「民主主義の社会において、 一人の人間の命が失われるということは、それが誰であっても遺憾なことである。 しかし、この事故を元にいくつかのテロ行為が未遂に終わるという事は喜ばしいことだ」 でした。 殺人者もイデオロギーによっては「祖国の英雄」になり、またイデオロギーに よっては「人の死」が喜ばしいことにもなる、そこにはまだまだとてつもない大きな Abismo(亀裂)が横たわっているようです。 98年のバスク地方選挙で18%の支持をうけたHBが今回(2001年5月の前倒し選挙)は10%の 支持に落ち込みました。そして選挙前あれほどTVや新聞でPP民衆等の勢力拡大が 報道されたのに(政権与党の力を駆使して、ある意味では国民に錯覚をおこさせていた とも思えますが・・・)、実際は予想をかなり下回って前回より勢力縮小に終わったのは バスク人の「暴力や殺人は反対するが、バスク民族としてのアイデンティティーは決して ゆすれない」意思の現れだったといえるでしょう。それゆえに、HBから離れた バスク人たちの票はPNVに流れた訳です。 落ち込んだとはいえ、10%のバスク人がHBを 支持している、ひいてはETAを、テロ活動を、無差別殺人を肯定しているという現実は そこに厳然としてあり、バスク地方の10以上の市町村はそのHBが政権を握っています。 去る7月14日にUPN(親PP系の政党)町議Jose Javier Mugica氏が殺害されたLeitzaの 町もその一つ。 人口3100人、町議会議員はHB6人、EA3人、UPN2人で、HBが政権をとる 小さな町。 親の代からの写真屋を継ぎ、その傍ら学童の通学スクールバスの運転手でも あったMugica氏。小さな町の中で、HB系の町民の子供たちから「バスク人の敵」と 罵倒されることもしばしばだったとか。又昨年夏には彼のワゴン車が自宅前で燃やされる という事件も起こっていた。こういうプレッシャーの中、彼も彼の家族もずっと耐えて 生きていて、たまの休みをとって数日バケーションへ行っていた彼が13日夜帰宅したのは 翌14日に結婚式の写真撮影の仕事が入っていた為。夜遅く帰宅して、車を自宅前に駐車し 翌朝仕事に向かおうと車に乗りエンジンをかけた途端、車は火の海と化し、駆けつけた 家族の目の前で彼は焼け死んで行きました。彼の家族や友人の言葉「ETAが彼を殺したが そのETAの手先になって彼を見張っていた人間はここに住んでいる、私たちの周りに 今もいて私たちを見張っている。」は強烈でした! そして又、昨日早朝マラガ空港にETAによってCarbombが仕掛けられました。 なんらかのメカニズムの故障により予告された時間午前8時には件の車は爆発しません でした。Tedax(警察の爆発物特殊部隊)が出動し6時間以上かけた手作業の末、車から 爆弾を取り外すことができ、午後3時頃にはマラガ空港は平静を取り戻しました。 もし予告どおり8時に爆発していたら、とてつもない被害が出ていたはず。 スペイン国内だけでなく、イギリスやドイツに多数発着するフライトに多大な影響が 出たはず。スペインのリゾートCosta del Solの玄関口であるマラガもETAの標的に されている。ETAの無差別殺人はまだまだ続くのでしょうか・・・ |
7月20日現在 |
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2月19日以来、5ヶ月のご無沙汰でした。 その間に、天気が悪く冬の延長のような春が過ぎ、マドリッド史上かつて無いという超暑い 5月で一挙に夏に突入し、燃えるような6月が行き、少し涼しい7月がやって来ました。 シベリアの氷が溶けてとんでもない洪水があったり、スペインが雨の多い国になっちゃった り、南極の氷がどんどん溶けていたり…地球の環境は確実に変化しているのを肌で感じられ る今日この頃。それは日本でも米国でも同じように顕著なはずですが… 今日からボンで始まった世界環境会議での日本の態度がスペインを始めヨーロッパ各国の注 目を集めています。 最近、スペインでよく日本が話題になります。以前は日本というと、「すごーく働き者の国 民だなぁ。あんな小さな国が世界経済ナンバー2なんてすごいなぁ。」という論調が多く、正 直スペインに住む日本人としては悪い気分ではなかったのですが、最近は新聞などのメディア で眼に耳にはいってくる日本観というのは結構ネガティブなのです。 「不良債権に呪われた金融機関、その呪縛が如何にして生じたかを分析し、如何にしてそこ から逃れるか企業レベルで厳しく探求する事を怠り、公費投入で何度も何度も繰り返し呪縛 から逃れ様ともがきながら、さらに深みに入っていく。痛みや流血なくして過去の呪縛から 逃れることはできないのに、既得権の中でぬくぬくと肥えている一握りの人はそのままに、 この呪いは一般市民へと静かに広がって行く。この日本経済の膠着状態は倣ってはイケナイ 破綻経済の一例」などという某紙社説。 「現役大統領が責任を放棄して国を捨て日本へ亡命?フジモリ大統領の右腕で諜報担当官 モンテシーノ氏もチャーター機で逃亡しベネズエラに潜伏していた所をFBIの協力で遂に逮 捕されペルーへ移送され監囚される身となっているのに、大統領本人は日本へ逃げ込んだま ま。本国ペルーで大統領の地位は更迭され、さらには在任中のさまざまな罪状で起訴されて いる身。 何故ペルー国民によって選ばれた大統領フジモリは自分のやった事の責任を自分の国ペルー の国民の前で何故はっきりと訴えないのか?日本政府はこの事態をどう考えるのか?そして なぜフジモリをそこまで保護するのか?」という某紙論調。 「海南島で米軍機が中国人パイロットの犠牲者を出した時の中国側の強行な態度に比べて、 えひめ丸沈没で多くの一般市民(学生)を出した日本の政府はなぜもっと毅然とした態度を米 国に対してとらないんだ?」というコメント。 「新政権についたコイズミが一体どこまでやってくれるか、スペインを始めヨーロッパ諸国 は期待している。地球環境会議に際して、米国に遠慮せず日本が英断をもって京都議定書調 印を行ってくれる事を期待していたが、それは難しそうだ…・」というコメント。 昔に比べてスペイン人が日本に対して興味をもっているからこそ、こういったコメントも出 てくるのでしょうが、なんとなーく居心地悪いのは私だけでしょうか?…・・ |
4月12日現在 |
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今、1年中で最も大切な宗教的行事、セマナ・サンタの真っ最中です。 今月8日より始まった、日本のお盆、或いは、ゴールデンウィークのような大型連休です。 12日、13日が祝日となる所が多いため、土日が休みの方は、9日の月曜日、10日の火曜日に休暇を 申請すれば、7日(土曜日)から15日(日曜日)まで9連休となる訳です。 これは、キリスト教の国々で盛大に行なわれる祭りで、一般に復活祭と呼ばれるものです。 初日の8日は「枝の日曜日」と呼ばれ、各家庭のバルコニーやテラスに、ナツメヤシ、棕櫚、オリーブの枝などを 飾ります。そのため、数日前から、街中でこれらの枝葉を売っているのが目に付き始めます。 およそ2000年前に、イエス・キリストが、エルサレムへ入った時に、群集が手に手にこれらの枝葉を持って 歓迎の意を込めて振ったのを記念するものです。 そして、12日は「聖なる木曜日」と呼ばれ、最後の晩餐が行なわれた日に当たり、13日は「聖なる金曜日」と 呼ばれ、イエスが十字架刑にかけられた日に当たります。 これらの両日を中心にスペイン全国で沢山の プロセシオンと呼ばれる日本のお神輿のようなものを担いだ行列が出ます。 お神輿のように使われるものには 大抵、イエスや聖母マリアの御像が乗せられています。そして、その周りを目の部分だけ穴をあけた三角形の とんがり帽子をすっぽりとかぶった集団が一緒に歩くのですが、彼らはナザレ人を表すものです。 そして、このお祭りの最終日が、今年の場合、15日の日曜日、十字架刑にかけられたイエスが復活する日に 当たります。 カタルーニャなど、地方によっては、その翌日の月曜日を祝日とする所もありますが、これは 全国的な習慣ではありません。 さて、この連休は全国的な民族大移動の時となります。6日の金曜日の夕方に第一回目の大移動が始まり、 翌7日の土曜日に第2回目の大移動、そして、11日の水曜日辺りに第3回目の大移動があると言った感じ でしょうか、、、、 ほとんどの地域では16日の月曜日が祝日扱いにならないため、通常、連休最後の日は 15日の復活の日曜日となり、この日の昼頃から道路も空港も駅も全て大混乱となります。 この時期に旅行をされる方は、こう言った動きを良く把握して、移動を考えないと大変な事になってしまいます。 マドリッドのように、全国から人々が集まって生活をしているような町では、この時期、外から入ってくる人 よりも、町から里帰りなどで出て行く人口の方が多いため、普段に比べると比較的静かになります。 いつもの街中の交通渋滞が無くなり、住むものにとっては非常に快適なシーズンです。 それでも勿論、伝統的なプロセシオンは地元の人々によって盛大に行なわれますから、今日もマドリッドの 中心部では、蝋燭で灯されたマリア様の御像などを中心に、三角帽子のナザレ人、沢山の現物人、楽隊などが 完全に交通を遮断してゆっくりと流れています。 スペイン人の若者を見ていると、普段、それほど信仰深いような感じを受けませんが、このような祭りになると 本当に重たそうなイエスやマリアの神輿を、歯を食いしばって担いでいるのですから、まだまだ彼らの根底には カトリックの信仰が脈々と流れているのでしょうか、、、単にお祭り騒ぎをしているだけのようには見えません。 また、この時期になると、決まってテレビで、キリスト教関連の映画が放映されるのも、なんとも季節感を 感じます。 クリスマスシーズンもそうですが、イエスの生涯を扱ったものや、ペテロの生涯を扱ったもの、 ローマのクリスチャン弾圧の時代を背景にした映画など、毎年、同じものだから、飽きてくるのですが、それでも この時期の風物詩のようなもので、なんとなく繰り返し見てしまう、、、 そう言えば、日本でも赤穂浪士や宮本武蔵、坂本竜馬などの映画は、いろいろな俳優が演じているのを何本か 見たような記憶があります。演じる人が変わっても有名なくだりは同じで、どことなく、その場面を楽しみに 見ているあたり、、、どこか似たところがあるような気もします(笑) |
2月20日現在 |
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地球温暖化に伴う気候の変化?この冬は寒くはないが毎日毎日雨雨雨… それが二月も半ばの 今になってここ数日ぐっと気温が下がり、本当の冬がやって来たという感じです。マドリッド の街中でもちらほら眼につき始めてたアーモンドの花も急な冷え込みにビックリしてるんじゃ ないかな。 ところで、最近「なっ、なにー?!」と思わず口があんぐり開いちゃうほどあきれた事があり ました。 2月16日(金)のEl Pais紙のマドリード面をご覧になった日本人ならきっと私と同じように感 じたのでは? 1998年12月以来2年2ヶ月ぶりに、去る2月15日に開かれたマドリッド市治安審議会。本来この 審議会は6ヶ月毎に行わなければならないとマドリッド市議会で決まっていたのに、野党から 審議会開催の要求が成されるたびに無視し続けられ、2年以上も延期されていたもの。今回は 野党からのやんやの催促に市政府側もようやく重い腰を上げた様です。マドリッド市政府の治 安担当官(マドリッド市警察を総括する)は女性で名前はMaria Tardon。Tardarというスペイン 語は「時間がかかる、ぐずぐずする」とかいう意味があり、Tardonだと名詞で「いっつも送れ て来る奴、いっつもぐずぐずのろい奴」みたいな意味にとれるのですが。なんかこの新聞の記 事をよんでいて、こりゃまるで冗談みたいだ "Tardon tarda mucho!" 話が脱線しちゃいました。 この治安審議会の名目上の議長がAlvarez Manzanoマドリッド市長と中央政府マドリッド担当 官 Ansuategui氏。このお二人がそろっておっしゃった。「マドリッドはヨーロッパで2番目 に治安の良い街である。犯罪件数も大幅に減少している。さらに庶民の生活に密着した庶民に 愛される警察を目指して警察官を増員する計画である。」 ちょっと待って! ヨーロッパで一番安全な街が何処か知りませんが、どこをどう押したら2番目 がマドリッドになるの? どういう方法で算出したどういう数字をもとにこういう発想がでて くるのですか? 日本から来られるツーリストの方達を始め、私達の様に長くスペインに居住している者でも、 スリ・ひったくりは元より最近ではあの手この手で時には暴力で時には巧妙なテクニックで現 金・貴重品・パスポートなどを盗まれたり、運が悪いと怪我を負うというケースが後をたたな いという現実はどうしてくれるんだろう?! リュックサックは背中に担げないのでどうしてもお腹側にかけて歩くしかない。たとえGranVia のような目抜き通りでもいつも左右前後を気にしながら歩くしかない。誰かが後ろを歩いてると スワッ泥棒か?とビビッてしまう。指輪・ネックレス・イヤリングなどして歩く事に恐怖を感じ る。バッグを持つのが怖くって透明の中が透けて見えるビニールケースとかビニール袋を持っ て歩く。この現実はどうしてくれるんだろう?! これがヨーロッパで2番目に治安の良い街ですか?! そしてAlvarez Manzano市長はさらに続けられました、「某国ではマドリッドへ行くツーリス トに対して治安の悪さに関して忠告しているらしいが、それは観光地としてマドリッドと競合 する他の国からの妨害によるものである」と。 さらに中央政府マドリッド担当官 Ansuategui 氏もおっしゃいました、「日本企業関係者、日本国大使館領事部、及び日系旅行会社の方々と 話し合いを持った。日本人というのはこと治安に関しては強欲であり彼らを満足させることは できないし、貴重品はホテルに置く様にという支持に対しても決して従おうとしない不規律な人 達である」と。 口あんぐりの後、なんかムラムラと腹が立ってきて、この記事の話を知人のスペイン人(彼は 多国籍企業の役員で一週間にヨーロッパの2−3都市を巡って仕事をしてる)にしたところ、 「またあのバカ市長か。幸せなやつらだ。どんな風に数字をいじくったらマドリッドがヨーロ ッパで2番目に治安の良い街になるってんだ。さっき取引先のギリシャの会社の社長を空港で 迎えホテルへ送ったところだが、ホテルへチェックインするなりロビーで全て盗み取られ、今 パスポート再発行手続きしてる所だ。日本人だけじゃない。外国人だけじゃない。スペイン人 も同じ様に被害に遭ってる。現実を見る目が無いのか、現実を見たくないのか、いずれにして も幸せなやつらさ。」とあきれてました。 |
1月23日現在 |
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1年前の今ごろは3月の総選挙を控えどの政党もスマイルスマイルでしたっけ。 特に与党は、 とんでもない公共交通運賃の値上げなんておくびにもださなかったし、スペイン経済は順風満帆 だとか、IRPF減税とか良いことばっかり言ってましたっけ… そして3月の、選挙の結果は与党PP(民衆党)の圧勝。Diputados(下院議会)でもその議席数の 絶対過半数を獲得し、他の政党と政治連合の必要も無くなりました。第2次Aznar内閣が5月に 誕生してから早8ヶ月が過ぎた今日この頃、PP政権の「やりたい放題」が至る所に垣間見れら、 深く静かに進行している政治の右旋回を感じます。 まずは1月22日、明日から又改正される外国人法について考えてみました。 全ての政党からの代表者と知識人から成る新外国人法案審議委員会が長い時間を費やし協議して 作成した新外国人法が99年11月に下院上院両議会を通過し、2000年3月に発効しました。 しかしこの背景で、与党PPはEU(ヨーロッパ連合)との兼ね合いなどもあり、委員会が提出した 原案に反対し、完全修正案を通そうと最後まで努力したのですが、上院でも下院でも連合政党を 抱き込めず原案通りに新法が成立してしまったのでした。スペイン経済に不足している労働力 として不可欠の第3諸国からの移民労働者を速やかに合法化し、移民の基本的人権を擁護する という原則に沿って作られた原案に対し、与党PPの完全修正案はどちらかというとEUの玄関口の スペインへ入国してくる違法入国者を逮捕し強制送還する(違法入国者のスペイン司法権に 訴える権利が削除される)という国家の治安を最優先した物と言えるでしょう。ちょうど1年前、 なんとか法案審議委員会の原案を阻止し修正案を通そうと政府与党が議会を初め各方面に圧力を かけているとき、政府内で唯一これに反対したのは当時の若き労働大臣ManuelPimentel氏でした。 彼はスペイン全土(特にアンダルシアおよびレバンテ地方)の農業や建設業を始めとする労働力の 一端を担っているのが非合法の移民であるという現実を受け入れ、一刻も早くこれらを合法化 できるような新法を作るべきであり、「臭い物に蓋をしろ」的な抑圧的な新法は長期的に見て スペイン経済にとってマイナスであるという彼の方針を変えなかったので、Aznar首相と対立し、 3月12日の総選挙の1週間前に突然の辞任に追いこまれました。それ以来彼は政治の表舞台 から姿を消してしまいました。第2次Aznar内閣発足後、議会で絶対過半数を持つ与党PPは、 早速先の議会で原案のまま通過し発効してしまった現行外国人法の改正に着手。そしてその 絶対過半数をもって野党の批判や反対を一挙に押し切り、上院下院ともにすんなりと修正法案を 通過させてしまいました。そして1月23日からこの新たな外国人法が発効する運びとなり ました。 昨年3月現行外国人法が発効し、それまで法律上は不法でありながら現実にはスペインで労働し、 その労働力が不可欠でありながらそれら移民やその家族の存在が法の隙間に漂っていて医療・ 社会福祉などからも一切隔絶されていた現状を改善すべく、たとえ滞在許可や労働許可(内務省や 労働省の国家レベルでのコントロール)を所持していなくても住民登録(Enpadronamientoと言い 各市町村が管理している)をすることは可能であり、Enpadronamientoを所持するすべての人は 医療福祉サービスを受ける事ができる、又Enpadronamientoなどにより過去5年間スペインに 居住していた事を立証できれば特別措置で滞在許可が所得できるなど、現実に即した政策が 打ち出されていました。 しかし不法移民の問題は様様な側面を呈し、この外国人法の進歩的な部分を歪曲・誇張し「スペ インへ入ってしまえば滞在許可も取れて仕事に就けてお金も稼げて家族も呼べる」とおいしい 餌をぶら下げて経済的あるいは政治的に苦しんでいる第3諸国の人々から高額な斡旋料を取り、 怪しい方法で命からがらスペインへ密入国させる事を商売とする国際マフィアの横行が眼に あまる今日この頃。アフリカ大陸から小型船でスペインの地を目指し水死体となってスペインの 海岸に流れ着く人たちは後を絶たず、たとえ生きてたどり着いてもその場で保護され強制送還 されて行く。近頃は臨月間近の妊婦や乳呑児までもその中に多く見られる様になりました。 マフィアの斡旋で不法入国する中国系移民も増えているし、片道切符をなんとか手に入れ中南米 から新天地スペインを求めてやって来る人々も急増。 これらの移民たちの合法化手続きが追いつかない中、法の目をくぐって働こうとする移民の弱みに 付け込み低い賃金と過酷な労働条件でこれら不法移民を雇う経営者も出てくる。 不法移民の安い労働所力抜きでは存在し得ない、野菜や果物の生産農業地Muricia県のLorca という街で先日起きた踏み切り事故もこの現実の氷山の一角を露呈した物でしょう。警察の 眼から逃れるため未だ暗いうちに幹線道路からわざと外れた辺鄙な道を選び迂回しながら農園に 向かうエクアドールからの不法移民労働者達を乗せた小型トラックが遮断機も無い踏み切りで 電車と衝突し12人が死亡。皆日雇いで農園へ行き収穫高キロいくらの出来高制で働いていた 不法移民達でした。この事故の後亡くなった移民達を雇っていた経営者がマスコミなどの非難の 槍玉にあがっていましたが、この経営者はたまたま運が悪かっただけでいずれの農園の経営者も 大なり小なり不法移民の労働力の上に成り立っているはずで、その証拠にこの事件後警察当局の 取り締まりが厳しくなった途端、不法移民を日雇いする農園が無くなり作物は収穫されないまま 腐るに任せられる光景があちこちで見られました。農園経営者らは違法労働で高い罰金を科せ られるより作物を諦める方を選んだ訳です。この現実を前にして政府のとった方針は「不法 移民はとにかく一回本国へ帰り、正規の査証手続きをしてから新たにスペインへ来て労働許可を 申請しなさい!なんなら片道帰国航空券はスペイン政府が出そう!」というもの。 借金を抱え命からがら背水の陣でスペインへたどり着いた多くの不法移民にとってこれはまさに 絵に書いた餅。取り締まりと追求の手を強めればそれだけ不法入国者たちは追い詰められマフィアの 手に頼るしかなくなって行く。 そしてさらに23日から改正された外国人法が発効し不法移民達の基本的人権が大幅に削減 されると、マフィアなどに騙されて高額の斡旋量を払って命からがらスペインへ入国しても すぐにスペイン当局に逮捕され強制送還される場合、スペイン司法権にのっとって被害者として マフィアを訴える権利が剥奪されてしまう為、結局マフィア追求の手はなくなり、彼らは丸儲け。 こんなおいしい仕事マフィアはもう止められなくなっちゃう。 前述のLorcaの事故以来、スペイン各地で、中南米からの不法移民達が政府に対して「本国に 帰ることなくスペインにいながら労働許可と滞在許可を申請できる様に」求めてストを行って いますが、これも23日に新外国人法が発効すると、そのスト権も剥奪され、本国強制送還に なる訳です。 そんな中、先週なかばに政府の移民問題担当官Fernandez-Miranda氏が重大発言をしっちゃった。 全国の市町村に対し不法滞在移民の住民登録(Empadronamiento)を拒否するよう呼びかけた のですが、これは前述した様にスペインで合法的に滞在する権利を得ようと努力している移民に とっては2つの意味で打撃。ひとつにはEnpadronamientoができないと医療福祉を受けられない、 もうひとつには合法化に必要な過去5年間のスペイン滞在事実立証ができない。そしてこの 発言は第1次Aznar内閣の時代1997年7月に発令された政令「各市町村の住民登録は、国籍の 如何に関わらず、また内務省管轄の滞在許可を有しているか否かに関わらず、その地域の全ての 住民に対して与えられなければならない」に矛盾していたり、さらにはやはり前述のManuel Pimental前労働大臣の時代に労働省といくつかの地方自治体の協力のもとに始められ、いまでも 与党PPのWebSiteに記載されている不法移民を合法化するための住民登録推奨キャンペーン とも矛盾するものです。 治安の悪さとか失業率の高さとかスペインのネガティブな部分を不法入国してくる移民のせいに する傾向があり、確かにそれも一理あると思います。しかし、まるで自分の家の中の汚い物や 臭い物を玄関から外へ掃き出すかの様な政府のやり方に疑問も感じるのです。 明日から改正された新しい外国人法が発効したら、私達日本人も含め、スペイン当局の外国人に 対するコントロールは厳しくなるはずです。 余談ですが、私、先週自分の持っていた携帯電話をPrepaidCard式から月極め契約式に変える べくAirtelの販売店に行って申請しようとした所、身分証明書を要求されたので提示したら 「あっ、日本国籍ですか。日本人には携帯電話の契約はできません。」と一言。何故か?と 聞くと。「スペイン人かヨーロッパ連合内の国籍を持つ人しか契約はできないのです。」とか。 各個人の滞在の合法性や経済的な面は一切考慮されずただ国籍だけで判断されるのかと問い ただしたら、「そうです。国籍の問題です。あなたほヨーロッパ連合に属してない国の国民 だから、契約はできない。」 だったらスイス人もダメなのね?と聞いたら「そう、スイス人も ダメ。」とおっしゃった。それは人種差別ではないか?と尋ねると、「そんな事はないと思い ます。これはAirtelの方針です。」 納得できず、さらに別の販売店二軒でも同じことを尋ねた所、最後の店でようやく理論的な 回答を聞く事ができました。「国籍だけで判断するということではないが、過去に多くの使い 逃げのケースがあった為、今ではPrepaid式以外の携帯電話契約を結ぶ時、まず審査が行われ、 その際ヨーロッパ連合以外の国の国籍を持つ人が拒否される率が90%を超えているのが現状 です。あなたがヨーロッパ連合以外の国籍の人でももちろん申請はできます。ただ拒否される 可能性があることはご承知おき下さい。」 という訳で私日本人ですがダメもとで申請をしました。そして4日経った今まだ回答が来てません。 久々に感じました…私って異邦人だったんだ…って。 |
1月16日現在 |
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毎日の生活の忙しさに流されて、あっという間に2ヶ月が過ぎ、もう21世紀に突入してし まいました。近頃の出来事が「過ぎし日の出来事」になってしまいそう… なんといっても近頃一番鬱陶しいのは、来る日も来る日も降り続く雨,雨,雨…12月半ばに 降り出した雨がいまだに止まず降り続いています。スペイン北部のガリシアやカンタブリア だけでなく、アンダルシア地方でも多くの被害を出し、もう1ヶ月以上毎日毎日雨。太陽の 国スペインで、幾久しく太陽にお目にかかってない。スペインで18回目のクリスマスを過 ごしましたが、こんなに雨に降り込められてのは初めて。長雨に慣れてないスペイン人の 「雨はもうイヤ!」症候群もボチボチでてます。我が家のダンナ様もその一人。朝起きて ドンヨリ灰色の空とシトシト降る雨を見ると、ドーッと暗くなり不機嫌になっちゃう。 たとえ身を切るような寒さでも、あのきれいなマドリッドの朝焼けを早くみたい!と切実に 思う今日この頃です。 そして、近頃憤慨してること…・それはマドリッド市内の公共交通費値上がり。 マドリッドの地下鉄はここ数年、若きマドリッド知事AlbertoRuizGallardon氏の肝いりで 目覚しい発展を遂げています。在来ラインの刷新と延長、新ラインのオープン、運行車両の 改良刷新、そしてさらにはマドリッド県南部のベッドタウン各都市とマドリッド市を結ぶ 新しいマドリッド南部地下鉄新ラインの建設。そしてこれらのつけが今一挙にやってきた! 1月1日から地下鉄も市バスも平均物価上昇率の約3倍にも匹敵する8%台の急激な値上がり! 当局はこの値上がりの理由として、地下鉄に関しては運行車両系統の刷新を挙げているのですが… 以前この欄で書いた事があるように、5番線だけ何故か未だに「骨董品」のような超古い車両が 運行しているのです。その凄さといったら…古い(冷暖房はもちろん無く、窓枠も壊れガラス もはまっていないので、部分的に地上を走行する個所では雨天の時は雨が車内に入ってきて濡 れちゃう)、暗い(照明は1車両にふるーい蛍光灯が2、3個灯ってるだけなので新聞や本を読 む事もできない。時にはその数少ない照明も消え非常灯だけが頼りの時も多々有り)、うるさ い(車輪なのかパンタグラフ?なのか、その凄い摩擦音で隣に座っている人との会話も不可能。 しかしその中で怒鳴るように会話を続けるスペインのおばさんたちには、あきれるというか、 尊敬するというか、とにかく凄い!)と3拍子そろっていて、5番線を利用しない人がこれを 見ると「えっ!こっこんな電車がまだ動いてたのっ!」と絶句するほどの凄さです。その 地下鉄5番線を毎日利用している筆者は、この理不尽さにずっと憤慨し続けているのですが、 最近スペイン鉄道関係の方と知り合い、この理不尽さは何故?と尋ねた所、「んー、私は鉄道 関係だが、地下鉄関係の知人に聞いてみよう」と言って調べてくれました。その結果「君の 言うとおり。マドリッドの地下鉄ラインの古い系統の運行車両を全て5番線に集中したのだ そうだ。それは1から13まである地下鉄系統の利用者全てから苦情が出る事を避け、苦情は 5番線利用者だけの最小限に留める為の措置らしい。まあ5番線は地下鉄のゲットーという ところかなー、ハッハッハッハッ…・!」 これって市民権の平等に反しませんか? 眠さと戦いながら通勤する早朝、仕事の後疲れきっ て家路に着く夕暮れ、地下鉄ホームに入ってくるこの古い車両を見ると、どっと気持ちがク ラークなり、ムラムラと怒りが湧き上がって来るのです…・Encima,その上にですよ、一挙に 8%の値上げだって?冗談じゃない!これが憤慨せずにいられますかってーの! ねえっ、 そう思いませんか?! |
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