((((( Spain Nandemo Jouhou Real Time !! )))))

PENELOPE CRUZ

今スペインでどんな映画がはやってるのか、
最新の情報を現地から
ちょっと独断と偏見を交えてお届けします。


★スペイン映画界注目の俳優さんたちをこちらで紹介してます。★



インデックス

2000年の作品
*You're the one / ユー・アー・ザ・ワン(2000/12/17)
*Maestros / マエストロス(2000/11/23)
*Las razones de mis amigos / 友達の友達たる所以(2000/11/13)
*Obra Maestra / 大傑作(2000/11/3)
*Plenilunio / 満月(2000/10/10)
*La Comunidad / コムニダー(2000/10/8)
*Kasbah / カスバ(2000/9/30)
*Plata Qeumada / プラタ・ケマダ(2000/9/10)
*Gitano / ジプシー(2000/9/10)
*Km 0 / 0km地点(2000/7/13)
*Yoyes / ジョジェス(2000/4/16)
*El arte de morir / 死の美学(2000/4/7)
*Carreterra y Manta / カレテラ・イ・マンタ(2000/3/2)
*Pídale cuentas al Rey /王様に責任をとってもらいなさい(2000/2/16)
*Segunda Piel/第二の肌(2000/1/31)


You're the one
(ユー・アー・ザ・ワン)


監督:Jose Luis Garci
出演:Lydia Bosch, Ana Fernandez, Manuel Lozano, Juan Diego, Julia Gutierrez Caba


市民戦争が終わっても、その心の傷跡をひきずっているフリアは強度の鬱状態からぬけだせない。恋人が反政府のイデオロギーを持つという理由で投獄されてしまい、マドリードから少女時代を過ごしたアストゥリアスの田舎へと逃げるように飛び出す。田舎の家の管理をしている一家、ガラおばさん、その嫁であるピララ、孫のフアニート、さらには教師であるオルフェオやマティアス神父との交流を通じて、失っていた愛を、自分自身をとりもどしていく。。。

“You're the one”という英語の題名が示すとおり、完全にアカデミー賞を視野に入れた映画作りとなっている本編は40年代のハリウッドを意識した白黒の映画です。この映画の制作方法によって話題先行となり、さらには公開直前に出演者のひとりであるヘスス・プエンテが亡くなり、報道陣への公開記者会見が涙、涙になってしまったことも宣伝効果をあげるひとつの要因となりました。 もちろん、スペイン映画アカデミーより来年度の米国アカデミー賞への出品作として選出されましたが、選出された舞台の裏側には同アカデミーとガルシ監督との確執を帳消しにするものではないか、とのよくない噂も流れていました。
本作品が29作目となるホセ・ルイス・ガルシ監督は1982年に“Volver a empezar”でオスカーを獲得しているベテラン監督です。今回、主役のフリア役に最近はTVで活躍するリディア・ボッシュを起用しました。映画の世界から遠ざかっていたとは思えないほど自然にスクリーンに溶け込んでいます。主役以外の脇を固める俳優陣も豪華キャストを配し、ガルシ監督の賞に対する執着を感じさせます。 ピララ役のアナ・フェルナンデスは昨年“Solas”で一躍脚光を浴び、ゴヤ新人賞を獲得した女優サンで、薄幸な女性を演じさせるとピタリとはまります。今回も姑と息子とともに田舎で生きている芯の強いピララを好演しています。
フアニート役のマヌエル・ロサーノは昨年“La Lengua de las Mariposas”でデビューした少年ですが、とにかく演技のうまさ、というか自然さにおいては周囲を食ってしまうほど。彼の観客を魅了する才能は天性のものではないかと思います。ちょっとしたインタビューの番組に出ていた時もユーモアもあり、ちょっとひねたようなところもありで大人達と堂々と渡り合っていたのがまたかわいくもありました。
さまざまな映画に顔を出しているフアン・ディエゴはまたこの演技?といった相も変わらない一本調子の演技で食傷気味。ガラおばさんのフリア・グティエレス・カバなどの同年代の人達の存在感ある演技の中ではっきりいって浮いていました。

俳優陣の良し悪しはさておき、映画全体はどうなのか、というとどうしても私には何が言いたいのかはっきりわからないというしかいいようがありません。1940年代後半を舞台とし、わざわざ白黒にまでして強調した作品なのに基本線がずれてしまったのだろうか、と頭をひねりました。映画や演劇、宗教観などをモチーフとしていながら、どれもこれもが曖昧模糊とし中途半端に終っている、そんな気がしました。(もしかしてこの年代に生きていたスペイン人なら郷愁をさそうものがあるのかしら。。。)
そして、一番気になったのが、全編を通して間をもたせるための小道具として利用しているタバコ。とにかくモクモク、もくもくと白黒画面に煙がたちこめます。映画館の中が真っ白になるのではないか、と錯覚を起させるほど。なんだか、見ているほうが窒息してしまいそうでした。

とりあえず、今年のアカデミー賞出品作でもあるので(ノミネートされるかどうかはまた別問題)ご紹介しておきますが、好き嫌いははっきり分かれるところでしょう。お時間があればどうぞ。

BY TAKA(12月17日)


Maestros
(マエストロス)


監督:Oscar del Caz
出演:Alvaro de Luna, Manuel Alexandre, Tomas Zori, Jesus Guzman, Conrado San Martin


1960年代に一声を風靡した5人の泥棒“マエストロス”も塀の中での生活が30年を超えた。周りのムショ仲間に愛され、看守達からも温かい目を注がれ、いつしか外の世界のことを想像することすらなくなっていた。。。
ある日、“マエストロ”たちは刑務所長に呼ばれ、“出所”の宣告を受ける。この晴天の霹靂に誰もがとまどうが、お上のお達しの前にはどうすることもできない。シャバに出ても30年という空白を埋めるすべもなく、またもや5人は顔をつき合わせ古き良き時代の再現をもくろみ始める。。。

なんと、ほのぼのとした映画なのでしょう。。。5人のじっちゃんたちの愛らしいことといったらこの上ない!30年以上も自分達ほど素晴らしい“プロ”の銀行泥棒はいなかったっていう自負が塀の外に出てみたらガラガラと崩れてしまって呆然自失。出所後の落着き先でも自分の居場所がなかったり、めまぐるしく周る世界についていけなかったり。それなら、もう1度一緒にお仕事しましょうか、ってな話になって計画をねったり、下見をしたり。銀行の防犯システムにおののき息消沈しちゃったって急遽盗みに入る先を闘牛場にかえてみたり。
とにかく、「じっちゃん、がんばれ」って応援しちゃうような流れなんですよ。

さて、この映画を世に送り出したのはオスカル・デル・カスという監督なのですが、60年代の懐かしい時代の上質な作品を意識して作っています。デル・カス監督は、この時代に脇役として活躍していたこれらのおじさまたちに表敬の意味もこめて本作品を撮影したのだ、と話しています。最初のクレジットの流し方からして古い映画を彷彿とさせられます。
血なまぐさい暴力も不必要な男女の絡みもなく、物語の展開もゆるやかでとてもほっとする作品です。 現代の映画が新しいものへ新しいものへ、いかに奇抜なストーリーをみせるか、に移っている中で、止まった時のなかで過ごすのもいいもんだ、と思いました。
少々、言葉がわからなくってもだいじょうぶ。スペイン語を習いはじめたばかりの人でもこの作品を肌で感じることができると思いますよ。
小作品だけど、お薦めです。

BY TAKA(11月23日)


Las razones de mis amigos
(ラス・ラソネス・デ・ミス・アミーゴス/友達の友達たる所以)


監督:Gerardo Herrero
出演:Marta Belaustegui, Joel Joan, Sergi Calleja


30代のマルタ、サンティアゴ、カルロスは大学時代から変わらない友情を保ちつづけている仲間同士。毎月、同じレストランで、同じテーブルで、同じメニューに舌鼓をうち、話を弾ませる。
ある日、カルロスが自分の会社のプロジェクトのために800万ペセタを融通してくれないか、と切り出す。3ヶ月の期限ということで、マルタは快くOKし、サンティアゴもそれに続いた。
しかし、それ以降3人の関係は少しずつずれていき、ギクシャクしてくるようになった。それに伴って、彼らのそれぞれのパートナーとの関係もおかしくなっていく。。。

“お金”と“友情”、どんな時代にも、どんな場所にでも存在するこれら2つエレメントを大げさでなく、あわあわと等身大に描いた本編は、アンヘレス・ゴンサレス・シンデが脚本を手掛けただけあって良質な作品に仕上がっています。現在までに彼女が携わった作品は高く評価されており、本作品も例外ではありません。また、ヘラルド・エレーロ監督はプロデューサーとしても実績を残している中堅どころの監督といえます。
先日の「バジャドリ国際映画週間」ではこの作品が審査員特別賞を受賞しました。派手でもなくまた、地味すぎることもなくバランスのとれた一品でしょう。

主演の3人のうちの1人マルタ役のマルタ・ベラウステギはここのところ映画出演が増えてきている新進女優というところでしょうか。先日はサン・セバスティアン映画祭で司会を務め、テレビドラマにも出演するなど活躍の場を広げています。スタイルのよさに加え、嫌味のない自然な雰囲気を持ち合わせ、酷評された「GITANO」で唯一女優としての風格を保っていた人物でもあります。
サンティアゴ役のジョエル・ジョアンは名前からも想像できるようにカタルーニャの出身で映画出演の経験もあるのですが、活躍の場はバルセロナの舞台が中心でした。
カルロス役のセルジ・カジェハはマルタ・ベラウステギと「MARTA Y ALREDEDORES」で共演した経験を持ち、主役級の役では本作がはじめてとなります。(私の知る限りでは。。。)

さて、この作品のモチーフである“お金”はじわじわと人の心に影を落とし、不安、苛立ち、不信感をつのらせる魔物であることが、否応なく観客の身体に染みついていきます。脚本のゴンサレス・シンデは観客が登場人物と自分を重ね合わせて見てもらえることを狙って脚本を書くそうですが、その術中にはまってしまっていることに気付かされます。本当にこの人は人間を良く知っている人なのだろう、と驚かされることばかりです。

ところで、唯一現実からちょいと離れているんではないかなぁ、と感じたのが借金800万ペセタ。各人400万ペセタ(220万円くらい)とはいっても、そんなお金が余ってるスペイン人がどれだけいるんだろう。。。と素朴な疑問。実際、想像もできない金持ちもいるけど、一般的スペイン人にとって400万は“超”がつくほど大金のはず。それをポンと貸せるものかどうか。なんて、考えてたら、映画を見終わったあとに、周りはみんな、同じ疑問を口にしてました。なぁんだ、やっぱりそうか。老いも若きも、たとえちょぴり金持ち地区の映画館に来る人だって同じなんだ、と思った次第です。

最後に。映画の撮影場所はマドリード市内。登場人物が住んでる場所や働いている場所など、どれもこれもマドリードの住民には馴染みの場所。一発でどこだかわかります。会話の中で聞こえてくる通りの名前などで、その人達の微妙な社会階層を示すところなども上手いですよ、ホントに。(マドリードの人以外ではちょっときついかな。) すっごく面白いから見てね、という作品ではないけど、自分の心に潜む、普段は気付くことのない人間の嫌な部分に光を当てたい時に見るにはとてもいいのではないでしょうかね。。。

BY TAKA(11月13日)


Obra Maestra
(オブラ・マエストラ/大傑作)

監督:David Trueba
出演:Ariadna Gil, Santiago Segura, Pablo Carbonell


自分達で映画を創ることに取りつかれている自称映画監督ベニーと俳優(?)カロロ。監督、脚本、音楽、効果、衣裳、メイク、etc.etc...全てを2人でやろうとするが、いかんせん主演女優がいない。2人が目をつけたのは飛ぶ鳥を落とす勢いの映画スター、アマンダ。自信作の脚本を持ってアマンダに体当たりするのだが、けんもほろろの扱いを受ける。どうしても、この仕事を受けてもらえるよう説得を始めるが、成り行き上、アマンダを誘拐してしまうことになって。。。

さて、この映画なんといっても、醜く、汚い役をやらしたらこの人の右に出る者はいないというサンティアゴ・セグーラと“Caiga quien caiga”で突撃レポーターをやってるパブロ・カルボネルという強烈かつはっきりいって下品な2人と美しさ、清楚さ、上品さを持ち合わせたアリアナ・ヒルが共演するという思いっきり不協和音が響いてきそうなところがウリ。怖いもの見たさ、とでもいいましょうか。。。

このすっごい個性の強い人達のバランスをうまくとってしまったのが、本作品が長編2本目となるダビス・トゥルエバ監督。名前からもわかるように名監督フェルナンド・トゥルエバの弟、かつ本作にも出演しているアリアナ・ヒルのだんなサンでもあります。監督以外に脚本も自分で書いていますが、どうもサンティアゴ・セグーラも一枚かんでるような仕上がりです。
とにかく笑いをとるツボが押さえられていて、わかってはいるけど術中にはまってしまう、という感じです。でも、ただのドタバタ劇だけで終っているわけでなくてちゃんとドラマにもなっているんですよね。しめるところはビシッときてますよ。

今回は2人の男優陣に食われた形となってしまってアリアナ・ヒルも本領発揮できなかったんじゃないかな、と思います。金髪にし、眉を細くし、雰囲気を変えるのにがんばってみたけど空回りしちゃった気がします。やっぱり、驕り高ぶった役はまだまだ似合わないですね。憂いを含んだシーンなんかはとてもきれいなんですけど。サンティアゴ・セグーラはコメントすることもないくらい、いつもの通り。好き嫌いは激しく分かれるところです。彼は容姿を除けば素晴らしい才能に恵まれてるんだろうな、なんて。天はニ物を与えず、です。パブロ・カルボネルもどちらかといえばサンティアゴ・セグーラと同系統ですが、今回俳優歴短いながらいい味を出してました。これからに期待したいところです。

スペイン人のある友人にこういう映画って外国人から見てどう思う?って聞かれ、素直におもしろいんじゃないかなって言ったんですが、こういうお下品なのはスペイン人として恥ずかしい、そうです。私が以前「風雲たけし城」がこちらのTVで放映されていて恥ずかしく感じた(日本で見てる時は感じなかったですけど)のと同じなのかもしれないな、と思いました。

BY TAKA(11月3日)


Plenilunio
(プレニルニオ/満月)

監督:Imanol Uribe
出演:Miguel Angel Solá, Adriana Ozores, Juan Diego Botto,
Fernando Fernan-Gomez 他


ある小さないなか街で小学生の女の子が何者かに暴行され殺されるという衝撃的な事件が起こった。この事件の捜査にあたるのは1ヶ月ほど前にこの街に引っ越してきたばかりの刑事だった。
いったいこの事件の犯人は誰なのか、手掛かりを求め、殺人者の“目”を求めてさまよう刑事は自分自身も迷路の中をさまよっていることに気付いて行く。殺された少女の担任であったスサーナと知り合い、お互いがそれぞれの理由によって惹かれあっていく。。。

夏休みが終って次々とスペイン映画が公開される中、イマノル・ウリベ監督の待望のこの新作が発表され、サン・セバスティアン映画祭にコンクール外ながら出品されました。
原作は同名の“PLENILUNIO”というアントニオ・ムニョス・モリーナの長編小説です。脚本は原作者の妻であり、コメディーを得意とするエルビラ・リンドが担当しました。
さらに、クレジットには主役の刑事にミゲル・アンヘル・ソラ、スサーナにアドリアナ・オソレス、殺人者にフアン・ディエゴ・ボット、神父にはフェルナンド・フェルナン・ゴメスとそうそうたるメンバーが名を連ねています。

この映画は犯人探しや事件の衝撃性を題材にしたものではなく、やわらかめのハードボイルド(ちょっと変な表現ですが)で大人向けの作品といえるでしょう。ただ、冬、雨、夜といった暗く寂しい映像が延々と続き、特に物語の前半はいったいこの映画何時間続くのだろうと思えます。ちょっと間延びした感があるのが残念です。特にウリベ監督の場面転換のタイミングの良さ、音楽とのバランスなど私は大好きで期待が大きかっただけにちょっと首を傾げてしまいました。とはいえ、サスペンス性を極力おさえていること、登場人物の内面をおおげさでなく描ききったところなどはうまいなぁ、というのが正直なところです。前記の映画祭では審査員の反応があまりよくなかったようですが、一般での評判はそれほど悪くはありませんでした。
同監督は過去のサン・セバスティアン映画祭で何回か最優秀映画賞(コンチャ・デ・オロ)や特別審査委員賞などを獲得しており、5年ほど前の“DIAS CONTADOS”ではコンチャ・デ・オロの他ゴヤ賞の8つのカテゴリーを制し、もちろん最優秀監督賞、最優秀映画賞をもらっています。(もし、まだ御覧になっていない方は貸しビデオ屋さんに走ってください!この映画は必見です!!!)

俳優陣の紹介をちょっぴりさせてもらうと、ミゲル・アンヘル・ソラはアルゼンチン出身、カルロス・サウラの“Tango”でかなり話題をとり、今年に入ってから“Sé quién eres”でアルゼンチン訛をしっかりとり去り記憶喪失の役を好演していました。アドリアナ・オソレスは遅咲きの女優サンですが、この年代でありながら叔母さんぽくなく、といって色気ムンムンでもなく監督の間で非常に人気が高いのが特徴。そして、彼女のお父さんはとても人気のあった喜劇役者(残念ながらもう亡くなってしまっていて私はライブで見たことがないです)でもありました。フアン・ディエゴ・ボットは、ウリベ監督が一発でこの役に決定したというまだ25歳の青年、とはいえ芸歴は非常に長く、映画の出演だけでなく舞台俳優としても活躍しています。代表作では“Asfalto”“Sobrevivré”などがあります。結構素敵なお兄さんですが、髪の毛を短くしちゃうとすごーく変。少し長めにして無造作にかきあげるっていうのが一番似合ってる、と思うんですけど。今回はちょっとした脇役だったけど、いつでも作品をびしっと決めてくれるのがフェルナンド・フェルナン・ゴメス。作家でも監督でもあり脚本家でもある、そしてスペインレアルアカデミーのメンバーともなっているスペイン文学界、映画界の重鎮。

映画の中ではどこの街、とはいっていませんが、実際撮影が行なわれたのはパレンシア。(オレンジの産地のバレンシアとはちがいます)カスティージャ・イ・レオンの寒く暗い冬がスクリーンを通してやってきます。どちらかといえば、少し前のフランス映画に似てるな、と感じましたが、どうでしょうか。

BY TAKA(10月10日)


La Comunidad
(コムニダー)

監督:Alex de la Iglesia
出演:Carmen Maura, Eduardo Antuña
Terele Pavez, Emilio Gutierrez Caba 他


不動産会社でセールスウーマンをしているフリアは、かかえているマンションをあの手この手を使って客に売りつけなくてはいけないのだが成果はあがらない。ある日、客を案内したマドリードの中心にあるマンションを気に入ってしまい、そこでこっそり一晩を過ごすことを計画、それがそもそもの“こと”のはじまりだった。。。
翌日、上の階から水が漏ってきたことがきっかけとなって、そこの住人が死体が発見される。フリアはひょんなことからその住人が隠し持っていた3億ペセタを見つけ、自分のものにしてしまおうと計画する。ところがどっこい、その金の存在を知っていたマンションの住人全てが敵に回り、フリアがその金を持って逃げないようありとあらゆる手を使って建物の外に出さないよう画策するが。。。

スペインの集合住宅にも日本と同じように管理組合、自治会のようなものが存在しますがそれがそのものずばり“Comunidad(コムニダー)”。アレックス・デ・ラ・イグレシアの第5作目にあたるこの作品は“Comunidad”を題材にとって、所詮人間なんて欲の塊だ、と言い放つ濃い濃いブラックコメディー。9月に行なわれたサン・セパスティアン映画祭の幕開けを飾った作品でもあります。

主演のフリア役カルメン・マウラはこの人をおいてこの役を出来る人はいないと世間にいわしめたほどの好演で同映画祭の最優秀女優賞を獲得しました。デ・ラ・イグレシア監督はこの映画への出演依頼をした時に、もし彼女がイエスといってくれなければこの映画はつくられることはなかった、といっています。
アレックス・デ・ラ・イグレシアといえば、上品さからはかけはなれた強烈な映像を撮ることを得意とし、かなり人をあざわらっって皮肉っているようなストーリーを描くため、見ている者の好き嫌いがはっきり出てしまうような監督です。彼の今までの作品を見ていると“エログロ”(これってもう死語ですよね?)という言葉が頭に浮かんできます。では、今回はどうか、というと、まず、映画の冒頭に蝋化した死体が映しだされ、猫がその死体をなめるシーンがでてきます。これを見た瞬間、また始まった、と思ったのは私だけではないと思います。ただ、今回は視覚的にグロいシーンが減って人間同士のどろどろとした欲とエゴをことさら強調することでデ・ラ・イグレシア流を保っていたように見うけられます。他の映画の有名なシーンをパクってみたりする遊び心も持ち合わせています。特に、最後の方では気がふれちゃったおばちゃんの1人が屋根を飛ぶシーンなんて“マトリックス”そのもの。観客席はどっと湧いていましたっけ。

さてさて“La Comunidad”の住人たちの強烈キャラはこの辺のマンションの一番うるさいおばちゃん(どちらかといえばおじちゃんは少ない)と妙な隣人を一同に集めた、といわんばかりのすごいもの。日本は人の生活を覗き見ることが好きでもそれほどストレートには出さないものだけど、スペインはあのドアについてる覗き穴からヒマにまかせて観察してる人って多いんですよ。隣人が何してるのかとか誰が訪ねてきたのかとかみんなよく知ってますよー。この映画を見ていると「そうそう、こういう人いるんだよねぇ。」と思わずうなずいてしまいます。スペイン人って個人主義って思われがちだけど変なところで一致団結しちゃったり。でもその輪が崩れて行くのもはやい。そういうところなんかを心憎いほどに、でも暴力的に描いていてさすが、です。脱帽。
これって誇張しすぎよネ、と笑ってみている方、実はそんなに現実からかけ離れているわけでもないんだよ、この国では、と言わせていただきます。
もちろん、このすごい隣人たちはスペインでも名の知れた俳優サン達で固められています。

とにかく、今年公開された映画の中では間違いなくイチ推し!!劇場に今すぐ駆けつけて!!

BY TAKA(10月8日)


Kasbah
(カスバ)

監督:Mariano Barros
出演:Ernesto Arterio, Pepe Sancho,
Natalia Verbeke, Mehdi Quazzani 他


5年間我慢してきたモロッコでの赴任生活を終えスペインへの帰国日を翌日にひかえているマリオのところへ、上司から1枚のFAXが入る。「娘がバケーションでそちらに行くので面倒を見てもらいたい」と。わがままな金持ち娘のお守役を引き受けざる得なくなるマリオ。翌日、市場での観光中にラウラは忽然と姿を消し彼女の車ともども行方が知れなくなってしまう。
上司のビクトル夫妻、モロッコ警察、大使館全てがマリオがラウラを拉致してどこかに隠したと信じ込み、ラウラを返さない限りは出国もできないと脅す。無実の罪を晴らす為にはラウラを探し出し、親の元に無事に送り届けなければならない。。。
地元モロッコ人たちのうそ臭い情報にふりまわされながらも何の手段も持たないマリオはブラヒムの言うがままにラウラ探しの旅に出る。。。

マリアノ・バロソ監督の第4作目にあたる本作品の撮影は全編、モロッコで行なわれ、監督自身が深く愛する地でスペイン社会の奥底に潜むモロッコ人蔑視に対する挑戦状ともいえる映像が創り上げられています。今回は前作「Los lobos de Washington」にも出演していたエルネスト・アルテリオを主役マリオに、同じくペペ・サンチョを得たいの知れない野卑な男ロドリゴに起用しています。
エルネスト・アルテリオは父親がエクトル・アルテリオというアルゼンチンとスペインの両国で活躍する俳優であり、その父親譲りの緑とも青ともつかない不思議な色の瞳を持つ青年です。芸歴は長いものの今までは準主役級が多く、本作品が初めての主演となります。蛇足となりますが彼の妹も映画デビューする予定とか。
マリオの旅の道連れとなるのがナタリア・ベルベケ扮するアリックス、半分自暴自棄となってしまった、歯磨きのコマーシャルに出ているモデルという設定となっています。彼女が今までに出演してきた作品どれを見ても歯の印象が強く、歯磨きとか歯ブラシの宣伝にうってつけだな、なんて思っていた私は、やっぱり他の人(バロソ監督)も同じように考えるのね、と思ってしまいました。ただ、このあまりに特徴ある美しい口元が邪魔してしまって、彼女の女優としての存在が薄れてしまうのが残念な気がします。

この作品を表面的に見ているとスペイン人のモロッコ人、もしくは北アフリカに住む人々−スペイン人は蔑視の意味をこめて“モーロ”と呼ぶことが多いのですが−に対するステレオタイプな見方のみが強調されているように見えます。自分の目的のためには嘘をついてもかまわない、富を持てる者もしくは外国人(異教徒といったほうがよいかもしれない)から少しばかり(少しではないけれど)その“持っている物”を頂いたって悪くない、しいては、“ずるがしこく”、“信用のおけない”のが“モーロ人”である、と。でも、バロソ監督はスペインに住む人々の多くは歴史的、地理的にみても“モーロ人”の血が混じっていることが明らかであること、にもかかわらずそれを認めることに恐怖を抱き、否定しているスペイン人の愚かさを描きたかったわけですが、表現方法にあまり斬新さがなかったためにちょっぴり滑稽なかんじになってしまったのかな、と思いました。

観客の1人となったアジア人である自分の中にもスペイン人が持つのと同じ差別感情が存在することを知らされ、寂しい気持ちとなったのも事実です。
映画の中で「モロッコとスペインは兄弟だから」という一説がよく出てくるのですが、いつになったら本当に“兄弟”となれるのでしょうか。

BY TAKA(9月30日)


Plata Quemada
(プラタ・ケマダ)

監督:Marcelo Piñeyro
出演:Leonardo Sbaraglia, Eduardo Noriega, Pablo Echarri 他


1965年のブエノス・アイレス。“双子”と呼ばれるプロの犯罪者のアンヘルとネネ。この最強コンビのもとに現金輸送車襲撃の話が舞い込む。政治家もからみ、パーフェクトであったはずの計画は襲撃時にアンヘルが銃で撃たれたことから崩壊への道を辿っていく。。。
事前に計画が漏れていたとしか考えられないような成り行きに犯人グループの統率者であるフォンタナはアンヘルとネネ、そして運転手役のクエルボを連れてウルグアイのモンテビデオに逃げ込むが、そこでもすでに4人はお尋ね者となっていた。。。

この映画はスペイン、アルゼンチンの合作ですが、撮影は全てアルゼンチンとウルグアイで行なわれ、監督、俳優ともどもアルゼンチン人、唯一スペインからの参加はエドゥアルド・ノリエガということで、スペインの映画とはちょっと毛色のちがったものというかんじでしょう。映画の原作は映画と同名の“PLATA QUEMADA”でリカルド・ピグリアの筆によるもの。実際に1965年に起きた事件を再現したかたちとなっています。
監督はマルセロ・ピニェイロで、80年代にオスカーの最優秀外国映画賞を獲得したルイス・プエンソ監督のメガホンによる“LA HISTORIA OFICIAL”でプロデューサーを経験、90年代に入ってから“TANGO FEROZ:LA LEYENDA DE TRANGUITO”でデビュー、スペインでは“CABALLOS SALVAJES”“CENIZAS DEL PARAISO”などのヒット作を持ちます。
ネネ役のレオナルド・スバラリアはピニェイロ監督のお気に入りで今年30歳、男の色気を感じさせるアルゼンチン映画界のスター。アンヘル役のエドゥアルド・ノリエガについては説明するまでもないですね。スペイン映画界の正当派二枚目俳優と言えばこの人をおいていない、といわれている人。

映画の舞台となっている時代のアルゼンチンではまだまだ政局が安定するような時期ではなく、ペロン派と軍部との政権争いが繰り返されていた頃です。映画の中で見られるような政治、警察の腐敗、マフィアの暗躍などが騒がれるそんな時代にアンヘルとネネが犯罪者として社会からはみでているだけでなく、同性愛という社会規範からは認められない関係を続けることで煮詰まり、破滅していくしか道が残されていない、というちょっとつらく、重たいストーリーを扱っています。
題名となっている“PLATA QUEMADA”の“PLATA”とはスペインでは“銀”の意味ですが、南米では“お金”を意味します。“燃えてしまったお金(PLATA QUEMADA)”は彼等自身が求めてやまなかったものの象徴であるといえます。
映画の冒頭からなんとなくけだるく退廃的な雰囲気を漂わせている映像とバックに流れる音楽が重なりえもいわれぬ気分にさせられます。どんどん泥沼にはまっていく主人公たちにいらだちながらも感情移入してしまうやりきれなさが全編を通じて感じられます。

私としては話しの筋にそれほどの面白さを感じなかったのですが、俳優陣の好演がそれをおぎなってあまりないことは確かです。映画公開前からレオナルド・スバラリアはスペインの雑誌等で“アルゼンチンのエドゥアルド・ノリエガ”と評されていたのですが、それまではあまりピンとこないなぁ、と感じていたのです。しかし、映画の中での彼のせつないまなざしや困惑したような表情は“エドゥアルド”どころじゃない!!映画の中の登場人物にときめいてしまうことなんですごく久しぶり!!です。私以外にもどきどきしちゃった人が他にもいっぱいいるのではないかな、とおもっているのですが。。。 実際、私の中では彼の効果が絶大でそのまま映画の評価を上げてしまったわけですが、私の場合、アルゼンチン訛のスペイン語とGUAPO(いい男、というか素敵な人というか。。。)にしごく弱いため過大評価になりがちなので、その辺はさしひいておいていただけるとよろしいのでは。。。

BY TAKA(9月10日)


Gitano
(ジプシー)

監督:Manuel Palacios
出演:Joaquin Cortes, Laetitia Casta, Marta Belaustegui


ジプシーのミュージシャンであるアンドレスはいわれのない罪で2年間の刑務所生活を終え、再びグラナダのジプシー社会に戻ってきた。彼の出所を喜ばない闇の世界、家族の求める絆、ジプシー社会のしがらみは彼の新たな出発を許してはくれなかった。
2年の間に姿を消してしまったフランス人ジプシーである妻のルシアの出現、アンドレスを想う彼のいとこ“エル・ペケ”の妻ロラとの関係、自分を罪に陥れた人物の黒幕探し、などなど次から次へアンドレスは深みにはまって行く。。。

なんといってもこの映画、ホアキン・コルテスのプロモーション映画?といってもいいほどのホアキンづくし。ホアキンといえば、“フラメンコ界のプリンス”、スペインで知らない人はいないほどのバイラオール。世界的にも数年前にスーパーモデルのナオミ・キャンベルと浮名を流し、自殺未遂までさせちゃったことで有名になったアノ人です。相手役のロラを演じたのは22歳のフランス人モデル、レティシア・カスタ。
監督のマヌエル・パラシオスは今までにテレビや演劇界で活躍、数々の短編映画を製作していましたが、今回が初の長編映画となりました。

前評判が高く、というか撮影開始時から大きな宣伝をうち、ホアキンや相手役のモデルのおねえちゃん(女優サンという気がしなかったんです、ごめんなさい。スペイン語がしゃべれないもんだから吹き替えになってたし。。。)がクローズアップされて話題として取り上げられることが多かったこの映画ですが、見終わってからついつい「何、これ?」と言ってしまいました。何もかもが中途半端なのです。別に大筋を謎解きにする必要はまったくなかったでしょうし、なんとなく脈絡のない女性との絡みのシーンとか、嘘とは言わないけど映画用に作り上げたようなジプシーの社会とか。
彼は俳優として大きな1歩を踏み出した、これからもバイラオール以外でも活躍が期待される、なんてとってもいいコメントばかりが一人歩きしていました。
役者としての資質をうんぬんするつもりは毛頭ありませんが、やっぱり、踊りでみせる表情とスクリーンで見せる表情は全く別物であって欲しいし、まわりとのバランスということも考えて欲しいなぁ、と思った次第です。

この映画にはジプシーであるアーティストがこれでもかこれでもかと登場してきます。ホアキンのためにひと肌脱いでやろうか、ってなかんじで。アスカル・モレーノやロサリオが歌っちゃうし、KETAMAのアントニオは映画の中では故人となっているけどビデオの中でホアキンとミュージシャンででてくるし、トマティートはさりげなくギターをひいちゃってるし。。。さらにKETAMAのアントニオ&フアンの父のフアン・アビチュエラ、ホセミの父ペペ・アビチュエラがギターを聴かせてくれるし、と音楽関係は非常に充実していたためにアンバランスが目立ってしまったともいえますね。

でも、映像はとてもとてもきれいです。グラナダ観光局でもからんでいるの?と勘ぐっちゃうほど美しいアルハンブラの眺めや、サクラモンテ、アルバイシンの坂道、等々。もう見ているだけで観光している気分にさせてもらえます。実際、グラナダに行ってあれほど完璧なまでの眺めが手に入れられるのかと思ったほどです。

最後に、ホアキンが踊る、と勇んで映画館に足を運ぼうとしている方にお伝えします。彼は一切踊りません。最初と最後のシーンは「.SOUL」という先頃スペイン国内で披露されたホアキンの舞台の始まりと同じです。映画で撮影したシーンをそのまま舞台でも使ったのか、それとも舞台用に制作したものを映画で使用したのか、はわかりませんが。。。(「.SOUL」は10月に日本公演があるようですね)

BY TAKA(9月10日)


Km0
(0Km地点)


監督:Juan Luis Iborra & Yolanda Garcia Serrano
出演:Concha Velasco, George Corraface, Silke, Carlos Fuentes 他


真夏のマドリード午後6時、Km0(キロメトロ・セロ)地点で待ち合わせをすることにした複数の男女が、会うはずだった人とは違う人とブラインドデートをすることになって。。。
金持ちだけれど夫に相手にされないマルガは新聞広告で見つけたジゴロのミゲルとアバンチュールを楽しむためにやってきて、田舎者の映画監督志望のペドロが姉の友人と思った相手は、真面目な会社員セルヒオと待ち合わせをしていた売春婦タティアナで、タティアナとうまく出会えなかったセルヒオはマッシモに誘われ、マッシモとインターネットで会う約束をとりつけた若きダンサーはそこを通りかかったミゲルの共同生活者ベンハミンをマッシモと思いこみ。。。

Km0(キロメトロ・セロ)とはマドリードに住む人間なら誰でも知っている、太陽門の広場、プエルタ・デル・ソルにある小さな目印。目印とはいえ目の高さにはなくて地面に小さくタイルがはめ込んであるだけ。ここはプエルタ・デル・ソルの反対側にある“くまの銅像”とならんで待ち合わせのメッカとなっているんです。(でも初めてくる人は絶対見つけられなくって必ず人に尋ねることになります。私もそうでした。)ただ、真夏の午後6時なんてまともに太陽を浴びる時間帯、影もないところで5分と我慢していられない、っていうのが現実です。

さて、この映画は初めて出会った何組ものカップル(男女、もしくは男男)がさまざまなシチュエーションでそれぞれに愛を求め、最後にはカフェテリア「キロメトロ・セロ」に集まってくる、という人間同志には直接の関係がない物語が軽いタッチで描かれています。
監督はフアン・ルイス・イボーラとジョランダ・ガルシア・セラーノのコンビで長編映画は2本目となりますが、映画やテレビのコメディー番組の脚本を書かせたら天下一品という人達です。
映画の始まりは10人以上の人がどんどん出てくるので登場人物の把握が大変です。どちらかと言えば有名どころの俳優さんはマルガ役の大女優コンチャ・ベラスコとカルロス・フエンテス、シルケくらいでしょうか。他はみんな主演をはるようなひとたちではないのですが、個性的でありながら雰囲気を壊すことなく役どころをしっかりとおさえていて、見終わった後はとてもすっきりします。
実際、コンチャ・ベラスコが女優として活躍していたのは50、60、70年代でしょう。もうおばあちゃんといってもいい年なのでしょうがとても魅力的です。最近はスクリーンよりTVへの露出の方が多いです。カルロス・フエンテスはカルロス・サウラ監督の「TAXI」で脚光を浴びたのですが、そのころに比べて丸くなってしまってかわいらしいおにいちゃんになってしまいました。シャープさがなくなった分スペイン人には珍しく若返ったような気がします。

最近にしてはとっても珍しいゴテゴテしてないコメディーだなぁ、というのが正直な感想です。スペイン人の大スキなちょっとエッチな会話と映像が随所にばらまかれているのですが度を超すことなく上品にしあがっています。この映画を見たらマドリードの街が堪能できるのでは?と思うかもしれませんが、実際に街でのロケはプエルタ・デル・ソル周辺と南バスターミナルくらい。映画を見てスペインを旅した気分にはなれませんがスペインの真夏の熱い風だけは感じていただけるのではないでしょうか。

BY TAKA(7月13日)


Yoyes
(ジョジェス)


監督:Elena Taberna
出演:Ana Torrent, Ernest Alterio, Florence Pernel


“YOYES”(ジョジェス)はバスク独立のために戦う年若き女テロリスト。 ETAの創設以来、初めて女性でトップの地位にのぼりつめた彼女も組織の方針 に疑問を抱くようになり、警察の手を逃れメキシコへ亡命。
12年の時を経て大学で学び、国連で働き、母になった彼女は、祖国バスク に戻る決意をする。テロリストとしてではなく、普通の女性として家族 とともに過ごすために。。。
YOYESの帰還は様々な波紋を呼び起す。バスクを離れていた12年の間に 彼女の存在は神格化され、さらには過激化する組織の頭脳として働くことを 期待していた仲間たちは組織に戻らないことを裏切りとみなす。。。

この映画は実在の人物、実際に起こったことを基にした、フィクションです。 “YOYES”は、ETAの女性初の幹部であり、組織を離れたことで仲間 から裏切り者として、抹殺されてしまったマリア・ドローレス・ゴンサレスと いう女性をモデルにしています。

昨年、11月にETAが休戦撤回宣言を出し、テロ行為を再開しているこの時期 にETAを主題にとったこの映画はエレナ・タベルナという本作が長編第1作 となる女流監督のメガホンによるものです。タベルナ監督はバスク地方の隣、 ナバーラ出身で現在までドキュメンタリーや短編などを扱っていました。
この映画を撮影するにあたって、マリア・ドローレス・ゴンサレスの家族、親戚 とある種のコンタクトを取っていたようですが、事件の特殊性からそのことに ついてノーコメントを貫いています。

“YOYES”の役はアナ・トレント。子役の時代に一声を風靡し、その後 泣かず飛ばずの時期を経て、「TESIS」で復活を果たしたことは、日本の スペイン映画ファンの記憶に新しいものとおもいます。あの影のある表情、 昔から変わらないあのまなざしは、まさにYOYESそのものであると言えます。 “YOYES”の夫役“ホシェアン”はエルネスト・アルテリオ。数々の映画と テレビドラマで主役を引き立ててきた、とてもやさしい表情ができる俳優さん。

そして、この映画ではこの他に主役がいるのです。それは、バスク地方の 素晴らしい景色。撮影場所はマドリード、バスク、パリと3ヶ所ありますが、 なんといってもバスクです。風景以外でも、地方のお祭りや催し物の場面が さりげなく盛り込まれ、目を奪われます。誰だって、こんな素敵なところで 静かに暮らしたいと思うでしょう。この映像をみていると、監督自身がこの地を 愛しているのだということを感じずにはいられません。
さらに、タベルナ監督はひとつひとつの場面を短くし、その中で感情の挿入を 極力おさえることによって、政治とは無関係であることを主張しているように 感じました。

さて、この映画の中はちょうど70年代から80年代、フランコの死の前後、そして、 ETAとGALの“目には目を、歯には歯を”の壮絶な戦いが繰り広げられて いる時代。ETAがバスクの独立のためといってテロ行為を行っていることは 知られていても、政府がGALという組織を使ってETAに対抗していたこと はスペイン以外ではあまり知られていないことだと思います。このことを全く 知らないと映画を見ていても筋が良くわからないかもしません。

もう一度、同じ映画を“映画館で”見たいと思ったのは久しぶりです。
バスクの人たち、スペインの人たちがこの映画を見てどのように感じるか、 それはわかりません。でも、その外側にいる外国人である私たちのほうが この映画を純粋に楽しめるのではないか、監督の意図しているものをつかめる のではないか、と思いました。。。

BY TAKA(4月16日)


El arte de morir
(死の美学)


2000年/サイコサスペンス
監督:Alvaro Fernandez Armero
出演:Fele Martinez, Gustavo Salmeron, Maria Esteve


4年前の“ある日”を境にナッチョは人々の前から姿を消した。ボッシュを愛し、そして死に対して特別な執着のあった若き才能ある画家のナッチョ。ある日、彼の友人イバンのもとに警察からナッチョに関する新たな手掛かりが手に入ったと連絡がある。
イバンを含めた6人の若者たちは4年前の“ある日”に乱痴気騒ぎをした廃墟に向かうことを決意する。そこで起こったことを確認するために。。。
その日以降、若者たちの1人、また1人と奇妙な状況で変死をとげ、残された者たちの恐怖は高まっていく。。。これらの死の後ろに隠れているのは一体誰なのか。。。

久しぶりにドキドキする映画を見せてくれたのはコメディーを得意とする監督アルバロ・フェルナンデス・アルメロ。彼の4作目になります。そして、主演のイバン役はアレハンドロ・アメナバル監督の作品「Tesis」で96年ゴヤ最優秀男優賞を持っていったフェレ・マルティネス。エキセントリックなナッチョ役は長髪の全く似合わないグスタボ・サルメロン。

この作品は別にすごく目新しい何かを使ったということはないのですが、とにかくじわじわと恐怖がせまってきます。次の犠牲者はわたし?と思い始めた若者達の追いつめられたような、神経がまいってしまっている表情が恐怖に追い討ちをかけているんですね。
以前、日本で「らせん」「リング」とはやったことがありましたよね。(どちらが先でしたっけ、わすれました。)その1作目を読んだ時のあのゾクゾクとした得たいのしれない恐さに似ているといったところでしょうか。(ちなみに私は映画化されたものを見ていないので映像からの恐怖は知りません)
“死”とはなんぞやという答えのない問いに対する一つの答えを見せられたような気がしました。

フェレ・マルティネスは出演する作品ごとにイメージを変えて出てくるのですが、今回も例外ではありません。いきなり髪をオールバックにし、年齢不詳の意気地のない男をうまく演じています。彼自身、一作ごとに雰囲気を変えるためにヘアーメイクさんたちといろいろと研究を重ねているようです。
イバンの彼女クララ役を演じたマリア・エステベは同監督の前作にも出演していましたが雰囲気をがらりと変えて登場です。あまり美人とはいえない(失礼!)彼女の引きつった恐怖の表情はそれだけで恐かった!!

この映画の不思議なところはもう一つ。普通スペイン映画を見ているとどこで撮影しているかというのがすぐわかるものなのですが、今回は最後の最後にマドリードのメトロが出てきてやっと、ああ、マドリードが舞台だったんだ、ってわかりました。このことは、非現実的な空間で起こったものがたりなのだということを強調しているように思われました。
実際、撮影はマドリードの郊外で行なわれていたようです。

最近のサイコサスペンスではうまくできていると思いますし、きちんと納得した終り方をしていると感じましたが、どうでしょうか。ビデオで見るより映画館に足を運んでいただいた方がいいとおもいますよ。

BY TAKA(4月7日)


Carretera y Manta
(カレテラ・イ・マンタ)

2000年/コメディ
監督:Alfonso Arandia
出演:Carmen Maura, Jordi Bosch, Eduardo Noriega, Natalia Verbeke



リオ・デ・ジャネイロに行って自分のレストラン持つぞと意気込むコンチータ。週末だけ仮釈放された夫フェリスを刑務所に迎えに行き、ブラジル行きの船の出るフランスへポンコツ車を走らせるが、途中で事故ってしまって立ち往生。フェリスが仮病を使って、通りがかった若いカップルのルイスとマルタの乗るベンツにまんまと乗りこむが、運が悪いことにマルタが医者だったものだからたまらない。自分の大事なベンツに胡散臭い2人を乗せることすらイヤなルイスに比べてお節介焼きのマルタはフェリスを救急病院に連れて行くといってきかない。。。何を間違ったか拳銃を手に入れたコンチータはルイスとマルタを人質にとり、奇妙な4人旅が始まる。。。

今回のコメディは、大御所(失礼!)カルメン・マウラが期待にたがわずぶっ飛んでるコンチータを演じてくれています。若い時にはアルモドバルの作品にチョイ役で出ていた決して美人でもなくナイス・バディでもない彼女、日本では「神経衰弱ぎりぎりの女たち」とか「アイ!カルメラ」(2作品とも結構古いかな?)なんかでもおなじみですね。こういうあまり上品でない気の強いおばさん役をやらせたら天下一品。彼女の右にでるものはいないです。このコンチータの夫役のジョルディ・ボッシュ、決して主役になることはない俳優サンだけど、こういう役はまさにはまり役!!
この夫婦に対抗するのが、我らがエドゥアルド・ノリエガ君と「NADIE CONOCE A NADIE」でエドゥ君と共演したナタリア・ベルベケ。エドゥ君演じるルイスは滑稽なまでに自分のライフスタイルを崩さない、若き実業家(?)、その彼女でお医者さんのマルタはコンチータ顔負けの熱演。前作でエドゥ君を誘惑したようなとろけるような甘さはすっかり影をひそめ、「おめぇ、うるさいぞ!!」と言いたくなるような女性に大変身。
ルイスの滑稽さを強調しているのビシッーとなでつけちゃってるエドゥ君の髪型。となりで「エドゥアルドい・の・ち」っていう友人が「Qué feo! Feiiiiisimo!!(すごーい変!かっこわりぃー)」 って叫んじゃうくらい似合ってないんですよ、これが。画面いっぱいにアップが広がる度に「もう、やめてー」っていいたくなっちゃいました。

さて、この映画の舞台になったのはバスク地方、アルフォンソ・アランディア監督の生まれた土地を含めて撮影されたのですが、マドリッド近郊の色あせた緑を見なれている目はバスク地方の元気のいい緑を見ると新鮮です。このアランディア監督はバスクテレビで大ヒットを飛ばしたコメディー番組をてがけていた人、笑いのつぼ、ほろりとするおとしどころを押さえています。 コンチータがスペインとフランスの国境に今でもあるとかたくなに信じて疑わなかった検問所のシーンででてきた旧検問所はさびれていて本当にこんなところでバスポート検査してたのかしら、としみじみしてしまいました。

この映画の題名になっている「CARRETERA Y MANTA (カレテラ・イ・マンタ)」を直訳すると“道路と毛布”、エドゥ君の思いつきだそうですがあまりパッとしないですよね、そう思いません?

この映画、こんな大物の共演だったにもかかわらず、スペイン国内では余り評判にならず、(きっと広告宣伝費をけちったんでしょうね、もしかしたら題名のせい?)さっさとロードショー打ちきりになってしまいました。でも、とてもおもしろくて、特別な効果なんかにお金をかけなくても俳優さん達だけで十分楽しめるんだよって言いたい作品です。日本で公開されるといいんですけど。

最後に。知る人ぞ知る。映画の最初のワンシーンに“ドゥンカンドゥー”のミケル君がほんのちょっぴり特別出演しています。

BY TAKA(3月2日)


Pídele cuentas al Rey
(ピダレ・クエンタス・アル・レイ/王様に責任をとってもらいなさい)

2000年/ドラマ
監督:José Antonio Quirós
出演:Antonio Resines, Adriana Ozores, Nicolás Fernández


アストゥリアスの炭坑で働いているフィデルはある日、突然の炭坑の閉鎖によって、職場を失ってしまう。周囲の人間の損害賠償だ、早期退職制度の適用だといっている中で漠然とそんなんじゃいけないとあたりちらしている。この責任は誰にあるのか、そう、王様に直接訴えるしかない、憲法で保障されている全てのスペイン人は威厳を持った仕事につく権利がある、それを王様に訴えるしかない。かくして、フィデルはアストゥリアスのいなかから歩いてマドリードまで行く計画を実行に移す。妻、子供と共にバックパッカーとなり、旅ははじまったが。。。

キロス監督はアストゥリアスのこの映画のモデルともいえるような炭坑町の出身です。今までにも炭坑夫の未亡人達のドキュメンタリーで何かの(何だったけ)賞を取ったことがあります。それでもまだ彼には足りなかったんですね。このような辛く苦しい労働に耐えてきた人達に彼なりの方法で敬意を表するという意味で初の映画がこの作品となったわけです。

このフィデルを演じるアントニオ・レシネスは映画にもテレビドラマにもしょっちゅう出てくる普通のおじさんです。本来はコメディーが得意分野で恋愛ものなんかも演じちゃいますが、やっぱりヘルメット被って不精ひげ生やして炭坑に入っているっていうこの役が適役だなと思わせます。彼はもともとはフェルナンド・トゥルエバ監督と大学で同期生でプロデューサー志望だったようですが、トゥルエバ監督の第1作に俳優として出演してしまったことで方向転換。1997年に「La Buena Estrella」でゴヤ賞を獲得したことで彼の評価は高まりました。
フィデルの妻を演じてるアドリアナ・オサレスは監督たちが今一番起用したい女優さんだそうです。

ところで、この映画の最初は白黒、セピア色の炭坑夫たちの闘争シーンが流れ、すごく重い始まりという感じだったのですが、普通の映像にもどるといなかの炭坑のわりになんだか都会の人達が演じてるという感がぬぐえず、ちょっと残念な気がしました。特にフィデルの母親役はマドリードにいるちょっと口うるさいおばちゃんみたいで、その違和感が最後まで残ってしまいました。

でも、山と緑の多いアストゥリアスの映像からほこりっぽいカスティージャの土地の映像へと移っていく変化とところどころで会う人々とのふれあいのシーンはとてもほほえましく、なんだかほっとさせてくれます。
そして、最後に王様に会えたかって?
それは見てのお楽しみ。
私は、最後のシーンを見てさすが、スペインと感心しちゃったんです。というのがヒントです。

ちなみにこの映画を見に映画館に来ていた人というのは60歳はとっくにこえてるよねっていうようなカップルばっかりで若い人は見当たりませんでした。あしからず。

BY TAKA(2月16日)


Segunda Piel
(セグンダ・ピエル/第二の肌)

1999年/ドラマ
監督:Geraldo Vera
出演:Jordi Mollá, Ariadna Gil, Javier Bardem


おまたせしました。2000年の第1号は脂ののった俳優3人の共演作です。

航空技師のアルベルトは妻エレナ、小学生の息子アドリアンとごく普通の生活を築いているかげで、愛人ディエゴと秘密の関係を続けている。
ある日、エレナはふとしたことからホテルの利用明細書の控えを見つけてしまう。そこに書かれている「特別室」。その日はアルベルトの夜勤の日だったはず。。。
波のように広がっていく疑問は二人の関係をぎくしゃくさせ、エレナにアルベルトの"女"の存在を確信させる。夜勤と称して出かけて行ったアルベルトが忘れて行った携帯電話の留守番メッセージをきいたとたん、愛人が"女"ではなく"男"であることを知ってしまう。。。

愛する二人の間で悩み傷つくアルベルトを演じるのは若手の中で今一番光っているジョルディ・モジャ。この作品ではゴヤの最優秀男優賞にノミネートされていました。エレナ役は主演、助演映画がひきもきらないアリアナ・ヒル。どのようにゲイの役を演じて見せるのか気になるディエゴ役のハビエル・バルデム。

この映画をどろどろとしたホモセクシュアルを交えた愛憎のドラマと期待してみると肩透かしを食わされます。三者三様に普通の人間が愛について考え、とことんまで悩む過程が細やかに描かれています。
脚本のアンへレス・ゴンサレス・シンデは1998年に「LA BUENA ESTRELLA」でゴヤの最優秀脚本賞をとった後、スペインの脚本家の中でめきめき頭角をあらわしてきた人。女性ならではと思われるエレナの心の動き方の描写がとても自然で、自分が同じ境遇になったらまったくこの通りの行動をしてしまうだろなと思わせるくらいです。
ハビエル・バルデムの珍しく押さえた演技も今までの彼に対するイメージを全て払拭させるまでにはいたらなかったのですが、(私にはどうしてもあの有名な"ハモン・ハモン"の映像が頭にこびりついていて彼のどの作品を見ても"女に向かって一直線"の男のイメージが消えないのです。)ふとした表情、しぐさがせつない男心をうまくとらえていました。彼の次回作もゲイの役どころ。どのように成長しているかみものです。
最後に、映画の公開前から話題になっていた男同士のベッドシーン。これは圧巻。スクリーンを通して肉と肉のぶつかり合いが迫ってきて思わず、映画館の硬い椅子に押しつけられたような感覚にとらわれました。この撮影に関して、ハビエル・バルデムは「友達であるジョルディとだからできたのだと思う。他の人とだったら、どうだったか。。。」とコメントしていましたが、友達だからこそこっぱずかしいってことはないんですかねぇ。

この作品を見た後、世の中の女性がたの不安や心配が増えないことを祈ります。

BY TAKA(1月31日)