((((( Spain Nandemo Jouhou Real Time !! )))))

PENELOPE CRUZ

今スペインでどんな映画がはやってるのか、
最新の情報を現地から
ちょっと独断と偏見を交えてお届けします。


★スペイン映画界注目の俳優さんたちをこちらで紹介してます。★



インデックス

2001年の作品
*Intacto / インタクト(2001/11/8)
*Solo mia / 僕だけのもの(2001/11/2)
*Juana La Loca / 狂女フアナ(2001/10/3)
*Los otros / The others (2001/9/10)
*Lucia y el sexo (2001/8/27)
*Tuno Negro (2001/7/25)
*Mas pena que Gloria (2001/7/19)
*Pata Negra (2001/6/21)
*Mi dulce / 私の大切なひと(2001/5/10)
*Silencio Roto / 破られた沈黙(2001/5/07)
*El espinazo del diablo / デビルズ バックボーン(2001/4/24)
*Torrente 2 - Mision en Marbella / トレンテ 2(2001/4/2)
*Before night falls / Antes que anochezca(2001/3/23)
*Nueces para el amor/胡桃は愛への活力(2001/2/28)
*2000年度、ゴヤ賞発表(2001/2/6)
*Todo me pasa a mi/トド・メ・パサ・ア・ミ(2001/1/28)
*Aunque tu no lo sepas/たとえ、貴方がそれを知らないとしても(2001/1/8)


Intacto / インタクト


監督:Juan Carlos Fresnadillo
出演:Leonardo Sbaraglia, Eusebio Poncela, Max Von Sydow, Monica Lopez


フェデリコは自らの不思議な才によりカジノでついている客からその運を取り去るという仕事を請け負っていた。ある日、その世界から足を洗うことを決意するが、カジノのオーナーで、それ以上の不思議な力を持つサムから全ての才を抜かれボロのように捨てられるのだった。
それから数年、フェデリコは航空機事故によって唯一生き残ったトマスに特別な運があることを見出す。2人は非合法なゲームによって運だめしを繰り返し、犯罪者として警察から追われる身であったトマスはその過去との決別のため、フェデリコはトマスを利用し、サムへの挑戦の機会をうかがっていた。。。

数年前にアカデミー賞の短編部門でノミネートされて以来、長編デビューはいつになるのかと映画ファンをじらしし続けたフアン・カルロス・フレスナディジョ監督が世に送り出した待望の「Intacto」。人々の生まれながらにして持つ“運”を題材にしたスペイン映画らしくない、かといってハリウッド映画とはかけはなれた不思議な不思議な作品である。
「彼女っていっつもついてるよねぇ。」とか「私ってなんでいつも貧乏籤ひくんだろう。」なんて友達をうらやましく、自分の運のなさをのろったことが幾度となくある私にとって、このテーマは考えても結論の出ないとても魅力的なものである。運とはいつかはめぐってくるものなのか、それとももともとその人にかねそなわったものなのか。
ここで運をためす方法は非常に単純なものである。暗い部屋の中に強運の持ち主が集まり、妙な虫を飛ばす。その虫が頭に止まった人の勝ち。林の中を目隠しし、後手に縛ったまま全速力で走る。途中木にぶつかって倒れればドロップ・アウト。最後まで走り抜けられた人が勝ち。これらは、地下組織の非合法な賭け事として進行する。参加者は限られた大金持ちかつ天賦の才を持つと信じているひとたちである。賭けるものは、サラブレッドだったり、大邸宅だったり、スポーツカーだったり。さらには他人の命であったりもする。
この運試しストーリーに絡んでくるのが、また、トマスを執拗に追いかける自動車事故で一人生き残った女刑事なのだが、これははっきりいって余分だった気がする。人物設定が非常にあいまいで何のために登場させたのかはっきりしない。余分な肉はそぎ落としておくべきだったのではないだろうか?

主役のトマスを演じたのは、昨年「Plata Quemada」にエドゥアルド・ノリエガと共演し、一気にスペインにその名をはせたアルゼンチン俳優レオナルド・スバラリア。俳優としての技量はまだまだ、ともいえるのだが、何せカッコイイ。とにかくグアポである。カメラが近づきアップになったとたん、“ふっ”っと不敵に笑うとその効果たるや絶大で卒倒しそうになる。(ちょっと大げさかも)
今年に入って拠点をアルゼンチンからマドリードに移し、本格的にスペイン映画への進出を図っているため、これからはスクリーンで見る機会も増えそうである。(と同時に、街で生のレオナルドを見かける機会もあるのでは?、とひそかに期待していたりするのだ。。。)
もう一方の主役、フェデリコのエウセビオ・ポンセラ。彼の出演作は今年に入ってから3本目となるが、非常にどの作品もはまり役となった。「Sagitario」でのゲイの俳優「Tuno Negro」での謎の神父、そして今回、野心、復讐、という本心を隠しながらトマスを導き、その才に惚れていくフェデリコ。スペイン人の俳優としてはとても色が薄い、という印象がある。強烈な個性を発散させることで自らを主張している人が多い中、それを押し隠すことが個性となっている、ともいえる。
そして、ゲストとしてサム役を演じたのはスウェーデンの名優マックス・フォン・シドー。ほとんど引退状態となっている彼を引っ張り出したこと自体“運が良かった”といえるのだろう。ホロコーストから唯一生き残った強運の持ち主、彼以上の運を持つ人間を探しつづけている寂しい老人という設定がとても現実味を帯びている、そんな気がした。

見るべきところ、考えさせることの多い作品ではあるのだが、余計なものが多すぎた。話しの大筋はとても良く出来ているし興味深いのだが、もっともっとタイトにまとめるべきだった。フレスナディジョ監督、期待を一身に背負い、頑張りすぎてしまったのだろうか。ちょっと残念だ。

BY TAKA(11月8日)


Solo mia / ソロ・ミア
(僕だけのもの)


監督:Javier Balaguer
出演:Paz Vega, Sergi Lopez, Elvira Minguez, Alberto Jimenez


仕事の鬼のようなホアキンは新人の受け付け嬢アンヘラを見初める。恋に落ちた2人はそのまま結婚、アンヘラの妊娠と幸せな日々が続いていた。ところが、ささいなことから口論が始まり、そのうちにホアキンがアンヘラに手をあげるようになる。そして子供が産まれると、さらにホアキンの暴力はひどくなっていった。。。
度重なる暴力と罵倒によって疲れ果てたアンヘラは意を決して家を出る。裁判所からの別居申し立てが認められても、なおかつホアキンは執拗なまでに狂ったようにアンヘラを追い求める。。。そして最後の手段としてアンヘラが選択したものは。。。

「Solo mia(僕だけのもの)」という題名に背筋を凍らせる思いがするハビエル・バラゲールの初作品。日本だけでなくアメリカだけでなくここスペインでも社会問題となっているドメスティック・バイオレンス(DV)。夫、恋人、もしくは元夫、元恋人による虐待、傷害、殺人。家庭内の、夫婦間の問題として処理されてしまうことが多く表に出にくい性質を持つ、れっきとした犯罪。それを正面から扱った「Solo mia」は主役のパス・ベガとセルジ・ロペスの好演につきる。物語としての新しさは全くない。どのようにDVが始まっていくのか、そのとき妻はどのように向っていくのか、語り尽くされている。スペインでは、この問題にスポットがあてられるようになってからというもの、元来しゃべりたがり、出たがりのスペイン人はその手の特集番組に出演して経験談を話すようになったり、殴られ蹴られ、元の顔もわからないようになったありのままの姿を人前にさらす。
その出演者の1人はとてつもない経験を語った後、救われることがないまま暴力を振るいつづけていた元夫に生きながらにして焼かれ、自宅のベランダから突き落とされ殺された。恋人を殺害し、懲役刑を受けながら仮出所期間に新たな恋人を虐待、殺害したという例もあった。
映画の中でもホアキンは夫婦の関係を知る人々から、何らかの治療を受けるべきだ、といわれるように、ある種の病気といえるのだろう。自分の愛するものを、愛しているという理由でかわいがり慈しむのではなく、独占することが至上の愛の表現となってしまうのだろうか。
この問題の解決策はない。アンヘラが弁護士に投げつける言葉。「私が殺されなければ解決策はないのですか。」救済団体の人の言葉。「姿を隠すしか、DVから逃げる手段はありません。」両方とも真実を語っていると思う。現状では法律も政治もこの問題を解決してはくれない。

この作品ではカメラを2つの時点から違った角度でまわし、ありきたりの物語に変化をつけ、それから先の展開を予想させるような作り方をしている。私は、あなたにこんな思いをさせられてきたの、あなたにもそのときの恐怖を感じてもらいたい。。。と。それは暴力を振るってしまう(本人にいわせれば大したことではないらしい)人々全体へのメッセージがこめられている。
一方で、いつのまにか自分がアンヘラの恐怖を共有していることに気付かされる。自分が女だからなのか、決してホアキンに自分を見出すことはない。私対ホアキンの図式ができていることが怖かった。映画を見ている男の人たちは第3者として2人とは無関係の立場から見ているのだろうか。ちょっと知りたくなった。

アンヘラを演じたパス・ベガは最近「Lucia y el Sexo」で女優としての評価が一気に高まったところであったが、この上をいっているといっても過言ではないほどの熱演であったと思う。この女優の底知れない魅力と可能性にどれだけの監督がラブコールを送っているのだろうか。
そして、セルジ・ロペス。彼の場合、フランス映画での活躍で名声を得、スペインに戻ってきた珍しいタイプの俳優であるといえる。年々大きくなる体躯はコメディー向き、といったらいいのか最近の出演作は人のいいオッサン役が多かった。「El cielo abierto」、「Hombres felices」と続いた路線を変更するによい作品であったといえるだろう。
ホアキンの同僚役で出演しているアルベルト・ヒメネス。彼は「El Bola」でタトゥー・ハウスを経営している、主人公の友人の父を演じていたが、相変わらず、役柄がカッコ良い。これまであまり注目されていなかったのが不思議なくらいだ。

そう、解決のない問題を扱った場合、どういう結末にするのかという興味がつきないものだが、これに関しては、あまり期待をしないほうがよい。結局そのようにもっていくしか物語を集結させることができないのだから。

BY TAKA(11月2日)


Juana La Loca / 狂女フアナ


監督:Vicente Aranda
出演:Pilar Lopez de Ayala, Daniele Liotti, Manuela Arcuri, Eloy Azorin, Rosana Pastor


フアナ・ラ・ロカ−狂女フアナ−。イサベル、フェルナンドカトリック両王の娘として生まれ、ハプスブルグ家のフェリペ・エル・エルモソ−美公フェリペ−に嫁ぎ、彼を愛しすぎるがゆえに、狂女の烙印を押されてしまった中世の女王。カルロス1世を初めとする6人の子を産みながら、生涯の3分の2はトルデシージャスの城に幽閉されて過ごしたカスティージャ、アラゴン王国の女王。
愛と嫉妬に翻弄された10年という短い結婚生活。フアナの人生が全て凝縮されているこの年月、女として、妻として、愛することが狂気とされたこの時代に生きたひとりの女性の物語。

ビセンテ・アランダ監督の新作は「サン・セバスティアン映画祭」で主演のピラール・ロペス・デ・アジャラが最優秀女優賞“Concha de Plata”を獲得した「フアナ・ラ・ロカ」。
スペイン人であるならば、スペインの歴史を少しでもかじったことのある人なら誰でも知っているフアナ・ラ・ロカはその名の通り、狂女として歴史に名を残し、映画や舞台の題材に取り上げられることもある有名人物である。一般に言われているのは、結婚相手であったフェリペが非常に男前で、なおかつブルゴーニュ風の華美な生活に慣れ親しんでいたため女扱いが上手く、敬虔なカトリックの信者であったフアナを虜にしてしまった、そのフェリペが何人もの愛人を作るのでフアナの嫉妬が狂気へと変わり、フェリペの突然死によって本物の狂人になってしまった、というものである。
500年も前のことであるからして、その真実のほどは定かではない。その時代のヨーロッパは政略結婚による国取り合戦が頻繁に行われていたわけで、ヨーロッパの端とはいえカスティージャ王国、アラゴン王国の後継者、女王ともなれば嫌が応でも汚い争いに巻き込まれていく。王である前に女であったフアナに狂女のレッテルを貼ることなど朝飯前である。
そこで出てくるのが、「フアナは本当に狂っていたのか?」という命題である。そのひとつの回答としてこの作品が存在する。“狂いそうになるほど激しい愛情をフェリペに注いでいた”ということがこの作品の柱となっているのだ。たびたび出てくるフェリペのせりふ「Estas loca.」(君は狂っている)。それに対してフアナも「Estoy loca.」(私は狂っているのよ)と応じる。狂っているといっても、決して気がふれている、とか常軌を逸してしまったという意味で使われているわけではない。感情の激しさに対する形容なのだ。
アランダ監督はとにかく、“愛”にテーマを絞った。時代物でありながら、現代の愛と通じるものを表現した。たじたじとなる愛情に力を得た女性の強さを描いた。これはアランダ監督の得意とするところだ。「Celos」、「Libertarias」、「La Pasion Turca」・・・同性が目を背けたくなるいやらしさ、ずる賢さを遠慮なく見せつけるところが彼の持ち味となっている。

さて、この作品が3作目となるピラール・ロペス・デ・アジャラは前2作でも高い評価を受けていたが、今回のフアナ役は突出している。決して役に負けることなく存在感を残す。思った以上のできの良さに驚いた。
そして、フェリペ役はダニエレ・リオッティというイタリア人俳優。本国イタリアではTV俳優らしいのだが、フェリペ役をするには格好良すぎる気が。。。というのも、現在残る「フェリペ・エル・エルモソ」の肖像画は線が細く、ハプスブルグ顔をしておりイメージがあまりにも違いすぎるのだ。美しさの象徴としての映画内でのイメージは最高のものとなった(何せ、ふわふわとウェーブのかかった髪をなびかせ、その中世の衣装を身にまとっている姿は男っぽくてとても素敵なのだ。)とは思うが。まぁ、役どころとしては、美しい青年であればよい、わけだからそれはそれでよしとしたい。が、フアナの幼馴染のアルバロ役であったエロイ・アソリンの方がどちらかといえば、肖像画の“フェリペ”に合うような気がするんだけどなぁ。。。などと思ってしまったのも事実。

実在の人物、歴史ものを映画化すると時として、その人物描写に時間をかけすぎたり、時間経過を追うがためにだらだらと無駄な時間が費やされたりするが、今回は的を絞ったことが幸いして、非常に簡潔に分かり易い(アランダ映画は割と複雑なことが多い)作品に仕上がったと思う。歴史を知らずとも映画そのものに集中できるはずだ。

BY TAKA(10月3日)


Los otros / The others


監督:Alejandro Amenabar
出演:Nicole Kidman, Fionnula Flanagan, Alakina Mann, James Bentley


時は第2次世界大戦が終わりを告げた1945年、場所はイギリスのジャージー島。グレースは戦争から戻ってこない夫の帰りを2人の子供と共に待っていた。世間から隔絶されたかのように鬱蒼とした森の中に建つ一軒家は常にカーテンが引かれ、親子3人は闇の中での生活を強いられていた。子供たちが陽の光をまともに受けることができない、という奇妙な病を持っていたからである。。。
ある朝やってきた新たな3人の使用人に課せられた厳しい掟、扉の鍵をかけてから別の扉を開けること。徹底されていたはずの掟でありながら、守られていないことがちょくちょく起き出した。それと時を同じくして奇妙な現象が見え始める。誰もいないはずの部屋からピアノの音が聞こえ、人が歩く音がする。。。

待ちに待ったアレハンドロ・アメナバル監督の第3弾。「TESIS(殺人論題)」「ABRE LOS OJOS(オープン・ユア・アイズ)」と確実に世界へその名を広めてきた若き才能は、ハリウッドに生きるトム・クルーズを魅了した。「ABRE LOS OJOS(オープン・ユア・アイズ)」のリメーク権を買い取り、自ら監督・主演した「VANILLA SKY」を製作した。そして、アメナバルには新たな作品製作のオファーをした。それが、この作品「LOS OTROS(THE OTHERS)」となって出来あがってきたのだ。
製作発表時はエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ね、自分の妻ニコール・キッドマン(その当時)を主役に据えるなど、表向きはトム・クルーズ主導のハリウッド映画かと世間の目に映る一方、その作品の性質上、内容やロケの状況などは徹底的に伏せられた。謎が深ければ深いほど関心は高まり興味を引くという人間の心理をうまくついた計算された宣伝方法をとるところなどもハリウッド的な戦略である。トムと離婚したことを払拭するかのようにニコールはアメナバルと共にアメリカ各地、ベネチア(映画祭)、スペインと宣伝に飛び歩いた。
スペインより4週間早く公開されたアメリカでは、映画とは別の話題性も手伝ってか、興行収入はすでに制作費35億ペセタの3倍を超える勢いとなっている。

本題に入ろう。見ての感想は、とにかく「やられた!!」って感じ。アメナバルはスペインとかアメリカとか関係なく、アメナバルであったのだ。舞台がイギリスで、資本がアメリカで、世界的な超有名女優が主演していて、作品が英語でとられていることなど意にも介していない。全てを超越した作品だ。
アメナバル監督は、この作品にある“恐怖”は子供の頃の自分自身の経験からくるものであることを語っている。彼の幼児期は人一倍怖がりで、一人で暗いところにいること、トイレに一人で行くことなど決して出来なかったと言う。「闇」は人の心を不安にさせ、恐怖を引き起こす。ベッドの下に、クローゼットの中に、ドアの向こうに誰かがいるのではないか、という恐怖。さらに、その恐怖は目に見えないものであるだけに倍加し、人々に伝染して行くものであるということを作品に投影した。
ホラー映画にスペシャル・エフェクトを多用した血まみれシーンを求める人もいるだろう。しかし、アメナバルはそのような効果を全て排除し、観客を少しずつ少しずつ心理的恐怖に陥れて行く。恐怖を伝染させることに成功しているのである。もちろん、伝染させる媒介となっているのがニコール・キッドマンであることを忘れてはならない。公開前に、アメナバルとニコールの間で双方でその役割を褒めちぎっていたが、嘘ではなかったと納得がいった。ニコールはアメナバルが選んだ訳ではない。トム・クルーズが勝手におしつけてきたのだ。とはいえ、結果的にグレースはニコールでなくてはならなかったほど素晴らしい出来となった。英国内で半年以上もかかってキャスティングした子供たち、給仕頭のミセス・ミルズ役のフィオヌラ・フラナガンなど本当にその時代に生きていたのではないか、と錯覚するほどはまっており、ニコールの脇をしっかり固めた。

アメナバルは決して小手先で物語を作ってはいない。自由に物語を描いて行くことを楽しんでいる。苦労して苦労して傑作をひねり出したわけではない。作られたものではなく涌き出てきたものと言ったほうが良いのだろうか。それに加えて、彼の緻密さが作品の細部にまでこだわりを見せ、極上のホラーサスペンスにしあがったと言える。

気の早い人は、もう次回作は?といいはじめているが、アメナバル監督はとにかく「バケーションがほしい!!」んだそうだ。そして、コメディーに挑戦してはどうか?との問いかけに、コメディーを書くつもりでも、知らないうちにホラーとかサスペンスになっているから難しい。。。とのこと。ヒッチコックの再来とも、それをも超えるとも言われるアメナバル監督、これからも才能の無駄遣いをせず、良作を世に送り出して欲しいものである。。。

BY TAKA(9月10日)


Lucia y el sexo
(ルシア・イ・エル・セクソ)


監督:Julio Medem
出演:Paz Vega, Tristan Ulloa, Najwa Nimri


仕事を途中で投げ出したルシアは、精神状態が不安定な恋人ロレンソの元に駆けつけるが、すでにロレンソの姿はなかった。同時にかかってきた警察からの電話。「悪い知らせがあります。。。」途中で電話をおいたルシアは地中海のある島へと逃げるようにでかける。。。
6年前、面識のなかった作家であるロレンソに突然同居をもちかけたルシア。「私はあなたのことが好きでたまらないの。。。一緒に住まない?」いきなりの提案にとまどうロレンソ。ルシアの目にひきこまれるように、その日のうちに生活をともにするようになったが、月日を経るにつれてロレンソの繊細な神経があらぬ方向へと走り出した。その原因は?決して語ろうとしなかったある出来事。地中海のある島について。。。

ストレートな題名から想像できるように、公開前にはソフトポルノなのでは?と騒がれたこの作品。日本だったら間違いなくカットされるようなショットも数多く挿入されているが、決していやらしく不潔な思いを観客にさせることはない。また、隠微で官能的という表現もあてはまらない、新しい感覚での性描写であると感じたのは私だけではないはず。照れをとりはらい、それこそ体当たりでルシアを演じたパス・ベガの伸びやかな肢体から発散される色香も健康的。決してシチュエーションが健康的なわけではないし、トリスタン・ウジョア演ずるロレンソがスポーツ感覚のセックスを楽しんでいるわけでもない。「性」というものを全面に押し出しているが、行為だけをきりとったポルノ映画とは全く別物であるのだ。
当初、フリオ・メデム監督はルシア役にエレナを演じたナジワ・ニムリ(彼女の名前はナイワともナジュワとも発音されている)を前作に続いて思い描いていたという。彼女の独特の雰囲気からするとそれはそれで見てみたいという気にさせられるし、もっと官能的になったであろうと思う。ところが、パス・ベガを一目見たとたん、彼女しかいない、と魅せられたそうだ。そして、ルシアと対極にあたるエレナ役にナジワをもってくることになった。

ところで、本作はメデム監督の第5作目。前作「Los amantes del circulo polar(邦題:アナとオットー)」の評価が高く、商業的にも成功したといえるため、それと比較されることをいやがったメデム監督。ヒット作を手がけた後に陥る呪縛から逃れようとしたために、無理してメデム路線から脱却したことに間違いがあったのか、前評判のわりにまとまりがなくなってしまったともいえる。いろんな要素を詰めこみ過ぎた感がある。2時間という作品の長さも問題かと思う。もうちょっとコンパクトにまとめて欲しかった、というのが素直な感想である。
それにしても、フリオ・メデムという人は頭脳で考えるのではなく、感覚で物事をとらえる人なのではないだろうか。観客も同様に「映画を目で見る」というよりは「肌で感じる」ことがメデム作品を愛でる早道なのだと再確認させられた作品だったといえる。

BY TAKA(8月27日)


Tuno Negro
(トゥノ・ネグロ)


監督:Pedro L. Barbero, Vicente J. Martin
出演:Jorge Sanz, Silke, Fele Martinez, Eusebio Pncela, Maribel Verdu


大学の学生寮で次々に起こる殺人事件。血に飢えた殺人鬼は伝説上の「Tuno negro」なのか、それとも君の隣にいる仲間の一人なのか。。。
サラマンカの大学寮に入寮したアレックスは、ある日サイバーカフェで「Tuno Negro」と名乗る人物とチャット上で遭遇する。それ以降と言うもの、彼女のPCに殺人現場を撮影した映像が送られて来る。Tuna仲間と共に殺人のターゲット、動機を調査し始めるが、その仲間たちも一人また一人と犠牲者になって行く。。。

舞台となるのはスペインで最も古い、創立は13世紀にさかのぼるサラマンカ大学。何百年にもわたる歴史の裏にはさまざまな伝説が作り上げられる。
そのうちのひとつが「Tuno Negro」。
さて、Tunoとは何か。Tunaを奏でる人たちのことを言う。ではTunaとは何か。中世の衣装を身にまとい、いろんな種類の弦楽器を手に、各大学、各学部学生たちによって編成された流しの楽団のこと。スペインに旅行に行ったことのある人なら一度くらいはお目にかかっているのではないかと思うが、夜、学生街、旧市街のバルにいるとがやがやとやってきて、それはそれは上手に演奏する。このTunaの発祥は映画の中でもふれているが、苦学生が学費の足しにと始めたものである。豊かになった現代では学費の足しというよりはサークル活動といったほうがよい。Tunaの編成は5、6人くらいのときもあれば、20人も30人もいることもあるが、共通して言えることは「ホントにあんたたち、学生?」と言いたくなるようなおっさんが含まれていること。多分みかけだけでなく、実年齢もかなり高いのだろうことは想像に難くない。スペインの大学は5年生。全ての単位を5年でとれれば良いのだろうが、スペインでは“単位を取る”ことよりも“良い成績をとる”ことのほうが重要視される。別にダブることははずかしくはない。ということで、何年も学生をやっている人が五万といるのだ。(もちろん日本にもけっこういるが)さらには、途中で気に入らなくなって学部を替えたりすることもあるので30歳を超えているような人もざらにいる。
この作品に出演している“学生”たちがやっぱり、トウがたってるなんてもんじゃない年齢の人たちである。いきなり冒頭で殺されてしまうマリベル・ベルドゥ、おちゃらけエドゥ役のホルヘ・サンスを筆頭に30代の俳優さんがズラリ。学生の年齢に近いのは主演のシルケ(アレックス)くらいのものだろう。まぁ、スペインのTVで放映されてる学園ドラマなんかでも、25歳くらいのひとたちが高校生役をやってるんだから、あんまり気にする必要もないのだろうが。。。

前置きが長くなったが、このスペイン産ホラーサスペンス、実にスペイン的である。良い意味でも悪い意味でも中途半端で笑いを誘ってしまうことが多々ある。この分野で遅れをとっているスペイン映画界だけに「ハリウッドにはないもの」を意識してつくったようだ。でも悲しいかな、どうしても先進国をみてしまうのだなぁ。大聖堂を舞台にしたり、何世紀も前の彫刻の謎解きを絡めたり、歴史のある国でしかできないことをベースにしているのに、謎の人物との交信手段が最新式コンピューターだったりする(だいたいスペインであれだけのもんが一般人に普及しているのかは疑問。大学であるということを差し引いても大学寮内に一人一人がPCを持っているもんなんだろうか。。。)。犠牲者が血祭りにされているシーンは滑稽なほど「なんちゃってハリウッド」。技術不足が露呈されてしまっている。ま、いろいろと突っ込みたくなることは山ほどあるが、筋がばれてしまうのでやめておこう。

個人的にはホラーやスプラッターものは大嫌いなくせに連続殺人ものとか精神異常者犯罪関係ものは大好きだったりするので映画館に足を向けたのだが、もうひとつ、フェレ・マルティネスが出演しているというのも気になってしょうがなかったのだ。私はてっきりフェレも学生の一人なんだろうな、と思っていたのだが「テシス」のチェマの二番煎じになることを避けたのか、今回はクールな刑事役だった。完璧にオールバックにして笑わないフェレは得体がしれなくて怖い。主役であろうが脇役であろうが関係なく彼のマスクは変わる。次はどういう風に変わるのだろうと見るほうに期待させてくれる数少ない役者であると思う。
残念だったのは映画の冒頭にしか出てこなかったマリベル・ベルドゥ。ホルヘ・サンスとは10代の頃から共演作が多くいつも息のあったコンビを見せてくれるのに、今回は2人が重なるシーンはひとつもなかったのがちょっぴり不満。
アレックス役のシルケは一時行方知れずになってしまってスクリーンから姿を消していたのだが、昨年から大々的に復帰、美しいだけでなくかっこよさも兼ね備えた主役をはれる女優に育ってきていて楽しみ。

謎解きとか映画としての質を求めるのであれば見る必要なし。ただ、大掛かりなセットを組まなくてもこんなすごい建物がスペインには実存するのだ、というのを見るには良い。俳優陣も結構有名どころをそろえてるし。。。(監督はペドロ・L・バルベロとビセンテ・J・マルティンでデビュー作)

BY TAKA(7月25日)


Mas pena que Gloria
(マス・ペナ・ケ・グロリア)


監督:Victor Garcia Leon
出演:Biel Duran, Barbara Lennie, Manuel Lozano, Quique San Francisco, Maria Galiana


ダビはとってもシャイな16歳の高校生。家業は街の小さな食料品店。アトレティを愛する父、いつまでたってもダビを子供扱いする母、いつもいつも甘いものを食べてる肥満気味の姉のマルタ、そして、妙に大人びた弟のルカス。そんな一家の住む狭いマンションにタバコの火の不始末からアパートを追い出された祖母がやってくる。おばあちゃんと一緒の部屋で寝ることになってしまったダビは今までもほとんどもちあわせていなかったプライバシーをさらに侵害されることになってしまって。。。
高校では、ひとつ年上のグロリアに恋心を抱くが、どうしていいかわからない。グロリアの家のゴミをあさってみたり、グロリアのお母さんのやっている歯医者に通ってみたり。グロリアとお近づきになるためには手段を選ばないダビも、そのうちに現実の厳しさを知るようになる。。。

この映画が公開される前にちらほらとささやかれたことは、“親の七光り”という言葉。監督は若干25歳のビクトル・ガルシア・レオン、父親が有名なホセ・ルイス・ガルシア・サンチェス監督。彼と共同で脚本を執筆した18歳のホナス・グロウチョはオスカー監督フェルナンド・トゥルエバを父に持ち、音楽担当のダビ・サン・ホセは父がビクトル・マヌエル、母がアナ・ベレンという超大御所歌手というサラブレッド。初めての長編とはいっても親が有名人であるというだけで、評価は厳しくなるといっても過言ではない。

そんな意地悪な見方もあるのかもしれないが、そんなことはすっかり忘れさせてくれるような作品の出来である。思春期の男の子達の女の子へのあこがれ、性への執着、誰もが通ってきた道、通る道をあるがままに見せてくれる。きっと成人してしまった男性は苦笑してしまうに違いないような懐かしさのある物語だろうと思う。あの年代の男のコが考えることすることはただひとつ。女の子が相手でなければ、そう、自分でするしかない。自分の部屋でこっそりするか、トイレにこもってみるか。このダビという男のコ、ホントに間が悪いことこの上ない。だって、真っ最中に必ず母親からの横槍がはいってしまうのだから。まわりではうんうん、とうなずいてるおじさんたちもいたりして。
それにもまして、ダビの普段着が親の商売柄、販促用にもらったドーナツのTシャツだったりするところなんかもダビを描く重要な要素になってたりする。おしゃれにお金を使うことなど考えもしてない(考えてもお金がない)まだまだ子供のダビにふりかかってくる現実っていうのは、ふりかえってみれば笑い話だけど本人にしては天地をひっくり返すくらいのできごとだったりするのだ。

ダビ役のビエル・ドゥランは実際に17歳であるとはいえ、まだまだ幼顔が残っていてとてもかわいくて、この役にピッタリはまっている。表情がとにかくいいのだ。とても演技とは思えないくらい。
それに加え、グロリア役のバルバラ・レニー。マドリードの高校中をキャスティングして回ってやっとみつけたといわれる全くの素人。どこにでもいそうだけど、あの目にはぐっとくる。スクリーン向きの女優になるだろう、と期待せずにはいられないような魅力がにじみ出てきている。
脇を固める俳優陣も存在感おおありなんだが、主役を食うことなくもりたてている。体育教師のキケ・サン・フランシスコとか祖母のマリア・ガリアナとか。さらにはダビの弟ルカス役のマヌエル・ロサーノが文句なくいい。もともと「La Lengua de las Mariposas(蝶の舌) 」でデビューし人々を魅了してしまった少年。「You're the one」や「Lazaro de Tormes」などにも出演している。ちょっぴり大人びてて舞い上がってる兄を冷ややかにみている演技力は並大抵のものではないぞ、と絶賛してしまう。

物語自体もうまくまとまっているし、会話も楽しいし、俳優陣の出来も最高とくれば、お薦めの作品に加えざるをえないかな。

BY TAKA(7月19日)


Pata Negra
(パタ・ネグラ)


監督:Luis Oliveros
出演:Gabino Diego, Yamilet Blanco, Santiago Ramos, Manuel Manquina


ホセは日本企業との黒豚生ハムプロジェクト(パタ・ネグラ)のためにカリブへと黒豚の飼育場所を探しに派遣される。
当地ではちゃんとアテンドしてくれるはず、と思ったのは間違いのもと。いきなり、ボロい車をあてがわれ、一人っきりで見ず知らずの土地へと旅立つこととなったのだ。
ところが、地元は軍部とゲリラの抗争地帯、なぜだかホセは両方の陣営から狙われるはめになる。窮地に陥ったホセを助けたのは地元の美女オダリスで、オダリスは地元のボスのお気に入り。
ばかばかしいまでの誤解がさらなる誤解を生み、ホセの逃亡生活は続く。。。

ちょっと前に公開された「Torrente 2」で久しぶりのスクリーン復帰をみせてくれたガビーノ・ディエゴが今回のおばかさんホセの役。ジェラール・ドパルデューに負けないほどの鼻、日本人でもここまで厚くないぞ、というほどのたらこ唇のガビーノ、「Torrente 2」でも、“あんた、そこまでやる?”ってかんじだったけど、今回もかわらず憎めないお間抜け役に徹している。
実際、映画の冒頭からばかばかしさが炸裂してる。まず、おどおどしてるホセと上司のところへ日本企業の若き女性エグゼクティブがやってくる。なんと、この女性エグゼクティブ、20年前のアメリカB級映画に出てくる日本人のようなメークを施されてしまっているのだ。(幸いなことにゆかた姿ではなかった)そりゃないよ、といいたくなるとともに、この女優さんがとても気の毒になってしまった。(彼女は中国系の日本人もどきではなく、ちゃんとした日本人の女優さんなのだ)そして台詞は日本語で「はじめましょう」一言。ホセのプレゼンテーションなど鼻にもひっかけず、きびすをかえしたところに女ったらし系のフェリックス登場。こう言う場面にぴったりなのがカルロス・ロサーノ。(一応特別出演らしい)目の周りが青く輝く彼女に向かって日本語で「お目にかかれて光栄です」。もちろん私が日本語を母国語としているから、そういってるのだとわかるほどたどたどしい。でも彼の甘いとされるマスクと差し出された極上ハモンにうっとりしてしまうお嬢さん。契約成立!!!

そして場面は変わって、カリブのある町。本当はフェリックスが来るはずだったこの町に代理としてやってきたホセ。10人のりくらいの飛行機は野っぱらに着陸、ホセを迎えに来た地元の親父2人は黒いサングラス。それを見たとたん、爆笑。だって、色黒の西田敏行と中尾彬に見えてしまったんですもん。いやはや、話しの筋とは全く関係のないところでウケてしまった私はさらにどんなに暑くてもワイシャツ、ネクタイ、スーツ姿のガビーノの演技がツボに入ってしまって、物語自体どうでも良くなってしまった。
途中でホセを助ける地元の美女オダリス役はジャミレ・ブランコという映画初出演のキューバ人なのだが、これまたかっこいい。スラリとした四肢にワイルドな髪型、へにゃへにゃなホセとは対照的。最初は厄介モノをしょいこんだ、ってかんじだったんだけど、それはそれ、当然のごとく主人公の恋愛感情の対象となり、最後はハッピーエンド。
あれ、物語の中盤はどんなんだったけ、と思い返してみると。。。この映画はスペイン、キューバの合作でスペインからも結構中堅どころの俳優さんたちがでてるんですよね。神父さん役のマヌエル・マンキーニャ、ロボ役のサンティアゴ・ラモス、ヒットマン役(なんのためにでてきたんだかよくわからないんですが)のハビエル・グルチャガなどなど。この人達は作品の中でもスペイン人、いわくつきでキューバに流れてきた人達で、結局同胞であるホセの世話をやいてあげるっていうのがすごくスペイン人的。
まとめてみると、笑いあり、ロマンスあり、どたばたありといった完全娯楽映画でガビーノのキャラを120%搾り取ったという作品かな。
ただ、ガビーノが大好きな私としては(おまえはグアポが好きなんじゃなかったんかい!っていう突っ込みは入れないで)こんな役ばかりじゃなくって、たまには胸がせつなくなるような役もやってよ、って言うのも本音。もちろん、彼の役者としてのすばらしい才能を埋もれさせておくなんてもったいないことだし。

そうそう、題名となっているPata Negraとは生ハムにすると非常に美味である豚の脚のひずめ部分が黒い豚のことをいうのです。この生ハムって乾燥した場所でしかうまくできない、とかで日本国内じゃなかなか製造が難しい、ってことなんだけど、カリブって豚の飼育場所にはよくても生ハム製造には向かないのでは?なんて思ったんですが。。。だって、高温多湿ってイメージがあるじゃない。。。考えすぎ?

BY TAKA(6月21日)


Mi dulce
(私の大切なひと)


監督:Jesus Mora
出演:Aitana Sanchez-Gijon, Barbara Goenaga, Unax Ugalde


バルセロナのある地域、社会の吹き溜まりのような場所で警察官として働くアンヘラ。10数年前に母親が家をでていってからというもの、しがない父、物心のつかないような妹ラウラの面倒を母親代わりとなってみてきた。
ある日、ラウラのもとにまだ見ぬ母からの手紙が届く。姉に内緒でオランダまで母に会いに行こうとするが、ラウラを手放せないアンヘラはその計画を阻止するためにやっきとなる。反抗的なラウラは目的を果たすためには手段を選ばず、友人のハミラ、ラウラに恋するオスカルを巻き込み、事は最悪の方向へ転がっていく。。。

15歳という多感な時期に自分を捨てたのかもしれない親の存在が現実となり、会いたい、という素朴な感情を持つ少女、その感情を憎しみに転化させようとする姉の妹への執着、威厳も存在も無い、ただそこにいるだけという父親、こわれてしまった家庭。
歯止めの利かないラウラ、警察官としての自分を見失ってしまうアンヘラ、アンヘラとコンビを組む吹き溜まりにお似合いの警察官フェルミン、いつも嘘をつかずにはいられない少年オスカル、やばい商売をやってる彼氏を持つ友人ハミラ、etc、etc。。。どこか社会からはみ出してしまった者たちが織りなす出口の見えない物語。

この脚本を書いたイバン・モラレスはまだ22歳、カタルーニャ地方のTV番組では知られた俳優さんだそうですが(映画では「Los anos barbaros」に出演してたらしいんだけど記憶にないなぁ。。。)、なんとこの脚本は17歳の時に書き始めたとのこと。これを映画化してくれるところを探してマドリードのプロダクションをしらみつぶしにまわったとか。物語としてはかなり荒いのだけど、若いからこそ(今でも十分若い)感じられることをそのままそっくり作品に投影したんだろうと感じられるような物語。
それをまた120%演じた出演者もいいです、ほんとに。特にラウラを演じたバルバラ・ゴエナガ。彼女のこの透明感、女としての色気を漂わせない美しさに感動。苗字からも想像できるかと思いますがバスクはサン・セバスティアンの出身。17歳の彼女の芸歴はもう10年以上にもなるそうで、活躍の場はバスクTVで放映される番組を主に、最近では全国放送の民放局にも顔をだしてきています。
アイタナ・サンチェス・ヒホンはこの役のために長かった髪をばっさり切って、あまり似合わないながらも警官役に挑戦しました。妹を守らなくちゃいけない、何がなんでも自分の手元でまともに育てなければ、とおいつめられ狂気に走っていく姿は彼女ならではのもの。妖艶なマダム役から工場で働く疲れたおばさん、下級娼婦までなんでもこなす彼女も、警官としてジョギングする姿だけはちょっと変。あんなに前に進まないジョギングしてるんじゃ、犯人おっかけられないぞ〜、なんてね。
そして、妙な男子学生を演じてるウナクス・ウガルデ。彼もバスク出身でTV、舞台中心の活動だったんですが、映画「Bailame el agua」で好演したことで全国的に有名になったんですよね。今回は嘘つきだけど純朴で、人にうまく接することができない男の子をある種独特な雰囲気を持って演じてます。私はこういうの、好きです。

最近のスペイン映画はベテランの活躍ばかりが目立って、主役が脇役に食われちゃって、あれあれ。。。ってことも多いのですが、本作はちゃんとバランスがとれていて一安心。
映画自体は普通だけど、バルバラ・ゴエナガは一見の価値ありますよ。

BY TAKA(5月10日)


Silencio Roto
(破られた沈黙)


監督:Montxo Armendariz
出演:Lucia Jimenez, Juan Diego Botto, Mercedes Sampietro, Maria Botto


市民戦争が終わって5年、ルシアは村に戻ってきた。村に一軒しかないバルを経営する叔母と身体の不自由な叔父のもとで新たな生活をはじめ、幼なじみのロラと弟のマヌエルに再会する。
ルシアの中では過去のものとなっていた市民戦争もこの村ではまだ現実として残っており、フランコ独裁政権下での治安警察隊による“マキス”狩りは徐々に深刻になっていった。村での生活ができない“マキス”たちは山にたてこもり隙をみては村にくだり、ゲリラ行動を起こしてはいたが打撃を与えられるほどのものではなかった。
マヌエルも父親同様、山での逃亡生活を余儀なくさせられるようになり、別世界のことと考えていたルシアも愛するマヌエルのために密かに“マキス”たちへの援助をはじめる。。。

“マキス(Maquis)”とは市民戦争が終わってもフランコ独裁政権に反対し、共和国軍として最後までゲリラ行動をとっていた人達の総称です。主にナバーラやレオン、アストゥリアスなど山間部を拠点にし、長期にわたって抵抗運動を繰り広げていました。治安警察隊の手に落ちた最後の“マキス”はなんと1965年までがんばっていたとのこと。
監督のモンチョ・アルメンダリスは現在の民主主義政権の中で忘れられた存在、というより記憶の底に封じ込められようとしている存在の“マキス”にスポットをあてようと、生き残っている“マキス”たち(すでに80代、90代の人達)の証言を集め、文献をあさり、ドキュメンタリーを探すなどして史実に忠実に再現していったそうです。(ただ、登場人物に関しては架空の人物であり、舞台となった村も特定されてはいません。)
しかしながら、この物語ではその“マキス”たちの家族、恋人など、自分ではどうすることもできない運命をしょってしまった女性達を中心に話が進んでいきます。
フランコ側につく叔父の下にいながら、マヌエルのために危険な橋を渡ることもいとわないルシア、表面上は夫に従っているが、治安警察隊から目をつけられているドン・イラリオを匿うテレサ、山にこもる筋金入りの“マキス”の父、父と同様に山へ逃亡する弟のマヌエルを気遣うロラ、夫がフランコ側にいることを甘んじなくてはならないソレ、など一人一人の女性達が逆らえない波にのまれながらも、強靭な意志をもって生きている姿が浮き上がってきています。

前作「Secretos de corazon」で高い評価を受けたアルメンダリス監督は脚本も担当しましたが、登場人物の台詞がとてもこまやかですばらしい、の一言につきます。彼女たちの心情をあますことなく言葉におきかえることに成功したといえると思います。
ただ、大筋とは関係の無い無駄なシーンがあったことやルシアとマヌエル2人の関係がさらりと描かれすぎていて物足りなさもありました。

俳優陣ではメルセデス・サンピエトロ(テレサ)、マリア・ボット(ロラ)がこの作品を支配し、甘さのないものに仕上げたと感じます。
主役は大抜擢のルシア・ヒメネスでしたが、ちょっと役不足という気がしないでもないです。現代的過ぎる派手な顔のつくりと、表現力の乏しさがどうもしっくりとこないのです。また、マヌエルのフアン・ディエゴ・ボットもなかなかの男前ですから、2人だけを見るとお似合いなのですが、やはり時代にあった顔、というものがあるよなぁ。。。と思ったりもしました。これが残念なところです。
フアンのなんともいえないあの甘い笑顔はうっとりしてしまいますが、本当に年を重ねるにつれ、グアポ度が増してきました。普通スペインの男優さんは子役の頃は食べてしまいたいくらいかわいいのですが、25歳を超え30歳の声を聞くようになると、「小さい頃はグアポだったのに。。。」とため息がでてしまうことがままあるのです。それに比べてフアンは逆。(ちなみに彼はアルゼンチン生まれです)「Historia de Kronen」(これもアルメンダリス監督の作品)の頃とは比較にならないくらい男っぽさとまろやかさがにじみ出てきています。映画ではコメディーからシリアスなものまで何でもこなし、舞台でも活躍しています。実生活でもマリア・ボットの弟にあたります。
ルシアはもともとはTVの学園ドラマ出身で映画にも顔を出すようになった女優さんですので、まだまだ役者としては未知数です。次回に期待、というところです。

BY TAKA(5月7日)


El espinazo del diablo
(デビルズ・バックボーン)


監督:Guillermo Del Toro
出演:Eduardo Noriega, Marisa Paredes, Federico Luppi


スペイン内戦下の孤児院。新入りのカルロスは初めて過ごす夜に誰かがすすり泣いているような音をきく。彼にライバル意識を燃やすハイメが何かを知っているようだが、教えてはくれない。そのうちに、すすり泣きだけでなく姿までもが見えるようになり、その亡霊がサンティと呼ばれた子供であったことを知る。しかし、院長のカルメン、医者のカサーレスは亡霊の存在を否定、サンティは空から爆弾が落ちてきたことに驚いて逃亡を図ったのだ、と言い張る。
さらに、カルロスは何かと暴力的な用務員のハシントが台所で何かを探している姿を目撃する。いったい何を探しているのか、台所にたびたびあらわれるサンティの亡霊は何を伝えたいのか、謎は深まっていく中、内戦の影はここ孤児院までも忍び寄ってくる。。。

「MIMIC」を撮ったメキシコ人監督ギジェルモ・デル・トロがアルモドバル兄弟のバックアップを受け制作した本作は、ホラーでもありドラマでもあり、またアメリカ色が見え隠れしている作品でもあります。
最近のアルモドバル作品には欠かさず顔を出すマリサ・パレデスや数々の作品に名脇役として登場するフェデリコ・ルッピといった大ベテランを起用し、大衆の耳目を集めるエドゥアルド・ノリエガを主演に据えました。
さて、ここでちょっとお断りしておくことがあるのですが、筆者はホラーと呼ばれるジャンルのものはほとんど見ることがありません。なぜなら、あのおどろおどろしい、超常現象というものが極めて苦手だからなのです。ですから、ここでホラーの質についてうんぬんすることは差し控えさせていただきますね。なんといってもデル・トロ監督の「MIMIC」すら見ていないのですから。。。とはいえ、本作品にちょっとだけでてくる亡霊の映像(これですら、心臓が止まるくらい怖くっておびえてしまいました)が実に「エクソシスト」に似てる、なぞと感じたのですが、それもそのはず、デル・トロ監督は「エクソシスト」の制作に参加していたのですね。(ちなみに「エクソシスト」は昔むか〜しその昔TVで見た記憶が。。。)それ以外にスペシャルエフェクトを使用している場面などもあるのですが、どうもいただけないです、ちょっと雑な気がしたのは見慣れていないから?どちらかといえば、ホラーというよりドラマに重きを置いて見るほうが正解のような気がします。

人間の心の中に潜む悪魔のささやきに悩み苦しむ主人公たちが周囲には赤土しかない大地に建つ暗い孤児院で右往左往する姿が描かれています。
毅然とした態度の裏には女としての脆さが潜み、それに溺れることに自己嫌悪すら感じている孤児院の院長をマリサ・パレデスが、院長にプラトニックな愛を捧げながらも、男としての円熟期を過ぎてしまったことに寂しさを漂わせるカサーレス医師の高潔さをフェデリコ・ルッピが、恐怖と戦いながら子供ながらに正義を捜し求める少年達がこの作品を支えています。

それに引き換え、ハシント役にエドゥアルドを起用したことはミスキャストといわざるを得ません。彼が自らの容姿を武器にスターの座をのし上がってきたことは疑いのないところですが、それにも限界があります。確かに「Tesis」では彼の新鮮さにハッとさせられ、その後コメディでも新たな一面を見せてくれ、彼なりにテリトリーを広げてはいます。ただ、俳優としての多様性、多面性を監督に依存しているようでは彼自身の存在感を失いかねない、と感じるのです。早いうちにアイドルからの脱皮をしてほしいものです。

作品自体は可もなく不可もなくで、結末もひねりがなく素直で平凡なものでした。アルモドバル兄弟は本当にお金を出しただけだったんですかねぇ。ちょっとあっさりしすぎでは?と感じるのは欲張りかな。内容はさておき、とにかくベテラン2人に脱帽、です。

BY TAKA(4月24日)


Torrente 2 - Mision en Marbella
(トレンテ 2)


監督:Santiago Segura
出演:Santiago Segura, Gabino Diego, Toni Leblanc, Ines Sastre, その他多数


お待たせ致しました、前作を上回るお下品さとばかばかしさがもりだくさんの第2弾。サンティアゴ・セグーラの魅力大爆発でお届けします。。。といえばいいのでしょうか。。。

映画の筋はさておき(別にどういう物語でもかまわないんですよ、おもしろけりゃ)、スペインではパート2っていう映画がないんですよね。シリーズにするほどヒットした映画がないのかなんだかわからないんですが私が知るかぎりでは初めて。前作がスペイン国内で空前の大ヒットを飛ばし、ラテンアメリカ諸国をも席捲し、トレンテ旋風をまきおこしちゃったくらいすごいものだったものだから、そりゃ第2作にも期待がかかるというもの。ま、パート2がパート1より良かったっていうことが少ないのは映画界の常。それを覆したサンティアゴ・セグーラはやっぱり怪物?(才能、容姿ともども)

さてさて、今回のTORRENTE 2 - MISION EN MARBELLA - は前作品の最後に、トレンテがしてやったり、とばかりにせしめた大金をスペインの最高級リゾート地であるマルベージャで散財するシーンから始まるわけですが、第一作目を御覧になってない方のために、ちょっと補足。主演であるサンティアゴ・セグーラはホセ・ルイス・トレンテという警察を追放されてしまったマドリードの私立探偵もどき。女好きで人種差別主義者でアトレティコ・マドリー(マドリードのサッカーチーム)をこよなく愛する、近所の鼻つまみ者。10メートル先からでも匂ってきそうなばっちい格好でいっつも金欠状態。それが、どうしたことか、紆余曲折を経て大金を手にして終るというのが第一作。ということで、本作の冒頭は派手派手で趣味の悪いスーツに身を包んだトレンテが赤のオープンカーを走らせるシーンから。もちろん車のボンネットには“アトレティ”のエスクード。若くって美しくっておっぱいボヨヨーンのお姉ちゃんに囲まれプールにつかってうはうはしてたのもつかぬ間、カジノで一文無しになっちゃう。それなら、と再び私立探偵業を再開、麻薬中毒者でトレンテを崇拝するクコを手下に、トレンテのミニチュア?ともいえるパグ犬(こいつの名前が“フランコ”っていうのだ、もちろん独裁者フランコからとってる)を従えて胡散臭い商売で日銭を稼ぐことに。それが、どうしたことか本人の預かり知らぬところでマフィアの“マルベージャ爆破計画”機密チップを手に入れてしまうのだ。

物語がどうのこうのというよりは芸達者な俳優陣が会話の中にちりばめられるお笑いの要素を全て消化してしまっているということが、とにかくすごい。内輪受けしているような気分になってきて、笑いが止まらない。スペイン人やスペインに長くいるような人には次に投げられる見え見えの行動やギャグをうまくキャッチできるけど、そうでない人は1人取り残されたような気分になることは間違いないかな。スペインのことを、スペイン人を知っていれば知っているほど面白さが倍増する、そんな作品。
“ジェームズボンドシリーズ”や“ミッション・インポシブル”なんかをちゃかしてるけどやりすぎず、ボンドガール顔負けのお姉さん達を起用するところは太っ腹と思っちゃう。
そのうえ、これでもかこれでもかと有名な俳優やお笑い芸人、モデル、スポーツ選手なんかがチョイ役で出てくるのも楽しめるんですよ〜。

この作品の監督、脚本、主演を務めたのは言わずと知れたサンティアゴ・セグーラ。前作ではゴヤ賞新人監督賞を受賞、俳優としてもアレックス・デ・ラ・イグレシア監督の作品に出て強烈な個性の役をこなしたりしてる“35歳”(ほんとだよ)。本作品撮影時には119キロあったという巨漢も現在では30キロほど減量し、ちょっぴりしぼんでいます。そうそう、近日日本で公開されるという“どつかれてアンダルシ(仮)”という映画に出演してますよ。
そして、クコ役のガビーノ・ディエゴ。どんなにくだらない、ばかばかしい役をやっても映画自体をひきしめてくれる芸歴の長い多彩な役者さんです。彼の場合存在感がありながら、絶対に主役の人をつぶさないことができる人です。前作でもせりふのない覆面をかぶった強盗の役をやってました。
そして、前回はトレンテの父親役(結局死んでしまう)で今回は叔父役のトニ・レブランもなんともいえない役どころ。存在自体が笑えてしまう。

とにかくどんなに口で説明しても文字に表しても、絶対見なけりゃわからない。スペインのお笑いがこういうものである、というのがよおくわかる作品。
さて、パート1を越えた興行収入が記録されるかどうか。。。こうご期待。

BY TAKA(4月2日)


Before night falls
(Antes que anochezca)


監督:Julian Schnabel
出演:Javier Bardem, Olivier Martinez, Johhny Depp, Sean Penn


今回ご紹介する作品はスペイン映画ではありませんが、主役を演じたのがスペイン映画界の若手俳優ハビエル・バルデムです。ゴールデングローブ賞、アカデミー賞の主演男優賞にもノミネートされたほどの話題作ですので、各国で上映されることと思います。
スペインでは先週、全国一斉に封切られ、日曜日にはアカデミー賞の発表も行われるため最近の芸能関係の話題はどこもハビエル・バルデム一色です。ここ1週間はアメリカに滞在中のハビエルを追っかける映像が続々と流されています。いまだかつてスペイン人でアカデミー賞を受賞した俳優がいなかったためいやがおうでも国民の期待が肩にのしかかります。最近の取材合戦にちょっと辟易している様子がうかがわれるハビエルではありますが、世界に進出する上での洗礼ともいえるものでしょう。
実際、本人さんは自分を映画界のエリートとは見ておらず、“労働者階級”の俳優であると評し、賞をとれたらラッキーみたいな態度をつらぬいています。(とはいえ、きっとのどから手がでるほどこの賞欲しいんだろうな、なんて私は思ってます。ま、当然か。。。)

さて、この作品はレイナルド・アレナスというキューバ人作家の一生を描いたもの。自国キューバにいても作家であること、ホモセクシュアルであることから迫害され、アメリカに渡ったあとも決して自由ではいられなかった孤独な生涯を追っていきます。
幼少の頃より貧困の中から逃げるように自分の世界へ没頭、文章への才能を如何なく発揮していくレイナルド。20歳の時に出版した小説は国家文学賞を受賞しますが、彼の最初で最後のキューバ国内での出版物となります。フィデル・カストロによる独裁政権下、国内での出版が不可能になるや国外の友人を頼って出版、それがもとで官憲から追われる身となり、ついには投獄されることとなるのです。
出獄後数年、精神に問題があるとされたラサロと出会い、カストロが行った、同性愛者と精神病者の国外追放政策にのっかり新たな地へと踏み出すのでした。

ジュリアン・シュナーベル監督の第2作目。レイナルド・アレナスの死後3年、あるTVのドキュメンタリー番組で彼のことを知り、いつか映画化を、と考えていたといいます。キューバという難しい体制の中で筆を持って抵抗した人物の生涯は彼を惹きつけてやまなかったとのこと。

この作品を公開前からとても楽しみにしていたのですが、あまりにも楽しみにしすぎたせいで「ふーん」という程度の感想で終ってしまいました。確かにハビエルは俳優として一皮むけて、かなりの成長を遂げている、とはおもったのですが、筋自体のおもしろさっていうのがあまりないのですよね。まぁ、伝記ですから、それなりのもの、なのでしょうが。登場人物を多くしすぎて、どれもこれも中途半端な人物描写となってしまったことも残念です。
出演者の顔ぶれを見ると、「おっ」というかんじで期待も高かったのです。だってジョニーデップやショーンペン、スペインからはナイワ・ニムリまででているんですよ。ジョニーデップは目を引く役ではあるけど、実際彼でなくても全然かまわないような役回り。ナイワ・ニムリなんてせりふもないまま窓から飛び降りちゃうんですよ。ちょっとだまされたよ、って気分になったのも正直なところ。
その中でラサロ役のオリビエ・マルティネス君、ちょっぴりかわいく気になります。今までどのような映画にでていたのか、ちょっとわからないんですが私の中で勝手に注目株になっています。。。

BY TAKA(3月23日)


Nueces para el amor
(ヌエセス・パラ・エル・アモール/胡桃は愛への活力)


監督:Alberto Lecchi
出演:Ariadna Gil, Gaston Pauls, Nicolas Pauls


1975年、アルゼンチン、ブエノスアイレス。コンサート帰りの車中で親しくなり、急速に関係を深めてアリシアとマルセロ。しかし、アリシアの恋人が帰還するという知らせに2人の関係は終止符を打たれ、離れ離れとなってしまうのだった。
時は流れてサッカーのワールドカップがスペインで行なわれた1982年。マドリードの街で偶然にも再び顔を合わせることになった2人。すでに母となったアリシア、ブエノスアイレスに身重の妻を残して出張中のマルセロ。2人の心の中では関係が終っていなかったことを再確認しながらの別離。
1990年、ブエノスアイレスに戻ってきたアリシアが偶然出会ったのはまたもや2人の子の父親となったマルセロだった。急接近する2人に待っていたものはまたしても別れだった。。。

アルゼンチンのアルベルト・レッキ監督が取り組んだテーマは“永遠の愛”。主演女優に選ばれたのはスペインを代表する女優アリアナ・ヒル。
惹かれあう2人が自分たちにはどうしようもできない時代の趨勢によって翻弄され、偶然といういたずらによって愛を再燃させる、よくある昼メロみたいでしょ?でも、ちっとも下品ではなく美しいロマンスです。2人の出会い、別離がこの時代の南米にありがちな独裁政権、軍部の横行に左右されていることも重要なポイント。
レッキ監督は、ある女性が精神病院から抜け出し昔の恋人に会いに行くために停車中の列車を動かした、という話にインスピレーションを感じてこの物語を作ったそうです。そして、軍部独裁政権下でアルゼンチン人の誰もが経験した抑圧、希望と現実とのギャップ、自己喪失などに思いを込めながら“愛”を語ってみたのです。人それぞれ難しい時代に対する思い入れがあるとは思います。以前クラスメートだったアルゼンチン人の男性が南米スペイン語について調べものをしていた私に対し「いくらでも教えてあげるよ」とにこにこしながら協力を申し出てくれたのですが、私が「ここ2、30年のアルゼンチンの歴史。。。」と尋ねたとたん、「独裁時代のことは聞かないでくれ。思い出したくもない」と語気を荒くしたことが鮮明に思い出されます。

さて、アリアナ・ヒルですが、20代の頃は健康的な美しさ、透明感が目立っていましたが、ここ数年は陰のある女性役が増えていますね。今回も芯の強い、マルセロを惹きつけて止まない女性を演じています。レッキ監督は彼女をこの役にくどいた際、アルゼンチン訛りでしゃべる必要はない、といったそうです。それならば、と受けたにもかかわらず、撮影に入ったとたんアルゼンチン訛りを要求されたとか。いってみれば、江戸っ子がいきなり大阪弁をしゃべれ、と言われたようなもの。(それ以上かな)そりゃ大変だったでしょう。モノローグの部分などは完璧(に聞こえた、私には)だったのでしょうが、口論のシーンなどはやっぱり、「???」というところも。
マルセロの青年時代のニコラス・パウルスと壮年時代のガストン・パウルスは兄弟。目の色や雰囲気がそっくりなので違和感無く時代の流れを感じられます。昔のどん臭い雰囲気を漂わせた弟、アリシアを愛しているのにいざというと腰砕けになる情けない中年男にぴったりのこの兄弟。映画でありながら現実味を感じさせてくれて評価が高いです。
冒頭のコンサートシーンで出てきた「Sui Generis」というロックバンド。バックにはこの解散してしまったバンドの曲が挿入されていて音楽の効果は相当なもの。

最近は、スペインと南米との合作映画が増えていますが、上質な作品が多くなってきています。双方向での俳優、監督の行き来はスペイン語圏での映画のレベルアップにつながっているようで、これからも楽しみです。

BY TAKA(2月24日)


2000年度、ゴヤ賞発表


先週の土曜日に2000年のスペイン映画界の総決算とも言えるゴヤ賞が発表になりました。 テレビ放送もあったので、賞の行方とともにどんな授賞式だったのかもちょっぴりお伝えしますね。

昨年のスペイン映画界は前年に比較してちょっぴりおとなしい年でした。一昨年はPedro Almodovar監督の「Todo sobre mi madre (All about my mother)」がスペイン国内だけでなく海外でも大きな反響を呼んだせいもあり、そのギャップが大きかったとも言えるでしょう。
さてさて、そのような1年でも話題作はいくつか上げられ、その作品がゴヤ賞のノミネート作品になっていました。Alex de la Iglesia監督の「La comunidad」、Jose Luis Garci監督の「You're the one」はそれぞれ15部門、14部門でのノミネートとなり、2作品の独占状態かとも予想されていました。それが、蓋をあけてみると。。。

まず、授賞式の幕開けは今年の最優秀新人賞の発表からでした。男性部門は「El Bola」で主役を演じた13歳の少年Juan Jose Ballesta。そして、女性部門は「Fugitivas」のLaila Marull。どちらも受賞した喜びを体全身で表現していてとても新鮮でした。女性部門はPilar Lopez de Ayalaが本命とされていただけにしょっぱなから意外性が飛び出たかたちとなりました。個人的にはPilarはかわいいだけで演技の幅があまりない、と思っていたので、Lailaのあの演技が評価されたことが嬉しく感じました。

そして、最優秀助演賞は姉弟受賞となり、ちょっとした話題になりました。Julia Gutierrez Cabaと Emilio Gutierrez Cabaが「You're the one」、「La comunidad」という今年の双璧となる作品で受賞したのです。彼らの活躍をみれば、文句のつけようがないところです。

そして、最優秀主演賞男性部門は他に何もノミネートをされていなかった作品「Adios con el corazon」に主演したJuan Luis Galiardo。彼はゴヤ初受賞となるのですが、この部門、何せ今年は不作だったために誰が受賞するかというのは女性に比べあまり話題にのぼらなかった、といえます。女性部門では他の追随を許さず、3度目の主演女優受賞となったCarmen Mauraが余裕で壇上にのぼっていましたっけ。他の女優サンたちが足元にも及ばない風格が。。。

最優秀監督賞に至っては前記の2作品(「You're the one」「La comunidad」)の対決かと思いきや、なんとベテラン中のベテランJose Luis Borau監督がさらっていってしまったのです。確かにこの作品、専門家の間では非常に評価が高かったのですけど、何せ「重い、暗い、やりきれない」という伝統的なスペイン映画にありがちなテーマなもんで(映画を見終わった後、私は貝のようにだまりこんでしまった)、どうしてこれが、という半面、やっぱりね、と思ったのでした。

最後は最優秀作品賞の発表。今度こそ2つのうちのどちらかだろう、と見ていると。。。
(「You're the one」が獲得したらスペイン映画アカデミーの見識を疑うぞ、と思っていたのですが) なんと、最優秀新人監督賞も受賞したAchero Manasの「El Bola」。思いっきり拍手をしてしまいました。この作品は、とにかく、すごくいい、としかいいようがないもの。この映画コーナーで紹介をしなかったのは、良すぎて、何を書いても嘘臭くなって書けなくなってしまったからだったのです。扱ってるテーマが家庭内での親による子供虐待であるだけに娯楽作品とはいえないのですが、機会があったら見て欲しい作品です。
監督の「親からの虐待に苦しんでいる全ての子供達に捧げます」というのがとても印象的でした。

付け足しとして。。。
最優秀外国作品賞(スペイン語編)のプレゼンテーターはなんとアルゼンチンとキューバからやってきた、Leonardo SbaragliaとVladimir Cruz!!なかなか見られない顔合わせに、私はテレビに釘付けとなってしまったのです。2人とも「Plata Quemada」「Lista de Espera」で主演し、もちろん作品がノミネートされていました。どちらかといえば、「Lista de Espera」の方が映画のできとしては素晴らしく、良質のコメディで私の中では評価が高かったのですが、結果は「Plata Quemada」が受賞しました。そして、この作品名が読み上げられて一番先に壇上に駆け上がったのは、Leonardo Sbaragliaと共演したEduardo Noriegaだったのです。なるほど、彼が出演してる分、点が高かったかと妙に納得。それにしても、映画の時は感じなかったんだけど、2人の顔の大きさの違うこと違うこと。Eduardo君はまた太ってしまったのね。。。と。このまま恰幅のいいおじさま路線まっしぐらなのだろうか。。。とちょっぴり心配してしまいます。横でにこにこしているLeonardo SbaragliaはEduardoより5歳くらいは上のはず、なぜかこちらの方が若く美しく見える、のは私の贔屓目なのだろうか。。。

ちょっと話がずれてしまいましたが、2000年の総決算は大方の予想に反して「La comunidad」「You're the one」の受賞が少なく3部門、5部門で終ってしまったこと、スペイン映画アカデミーの新人に対する門戸が広く寛容である姿勢が変わっていない事が特徴であったといえるでしょう。

BY TAKA(2月6日)


Todo me pasa a mi
(トド・メ・パサ・ア・ミ)


監督:Miquel Garcia Borda
出演:Miquel Garcia Borda, Javier Albala, Lola Dueñas, Jordi Collet, Cristina Brondo, Miriam Alamany


幼ななじみのアンヘルとエドゥのシェアするアパートの階下ではチェル、アイナのレズビアンカップルとエレナの女3人がやはり共同生活を送っている。お互い自由に行き来するような仲間達のところに1年ぶりにオスカルがインドより戻ってきたところから、全ての関係が少しずつ崩れて行く。
聖職者になるためにまたインドへ戻ろうかと悩むオスカルに猛烈に言い寄るエレナは男に恵まれず1人わが道を行ってしまうし、エドゥは1週間後に結婚を控えたアンヘルに結婚を思いとどまらせようとやっきになるし、アイナはオスカルに愛情を抱くようになるし。。。

オスカルを演じたミケル・ガルシア・ボルダがこの作品の監督なのですが、このバルセロナ出身の俳優サン、今までに短編すら撮ったことなく、いきなり長編を世に出してしまいました。7千万ペセタという低予算、配給先も決まらないまま、撮影を開始、公開までに長い時間を要して陽の目を見たこのコメディーはもともと、本人が出演していたバルセロナの舞台作品を焼き直して映画化したもの。そのため多分に演劇の要素が残っていて、これもあれも、と盛りだくさんの内容になっています。
20代半ばから30代にかけての転換期に自分がどうしたいのか、どういう決断をするのが一番良いのかというテーマを底辺にコメディーの基本であるテンポのよい会話が物語を形作って行きます。
その中で、場面の切り替えが上手じゃないのは新人監督ならではのご愛嬌といったところでしょうか。

実をいうと、ある映画の中でミケル・ガルシア・ボルダを見て純朴そうなやさしそうなお兄さんだわ、とずっと気になっていたのです。それほど多くの映画に出演しているわけでもなく、有名でもなく、もちろん監督作品も今までに皆無。そんなときに、この映画が公開されたので勇んで見に行った訳です。見終わった感想は、映画自体は可もなく不可もなく、主演の6人は魅力的、といったところですが、振返って見れば、見ている最中結構ゲラゲラ笑っていたので、おもしろかったんでしょうね。アイナを演じたクリスティーナ・ブロンドも私のお気に入り女優の仲間入りをしました。密かにアリアナ・ヒルくらいの女優サンになるのではないか、と期待しているのですが。

とにもかくにもコメディーとして見る分には十分合格点をあげられる作品ですが、“超おすすめ”というほどではないですね。ビデオでみてもいいかな、と思います。

BY TAKA(1月28日)


Aunque tu no lo sepas
(アウンケ・トゥ・ノ・ロ・セパス/たとえ貴方がそのことを知らないとしても)


監督:Juan Vicente Cordoba
出演:Silvia Munt, Gary Picker, Cristina Brondo, Andres Gertrudix


ある日、ルシアはデパートの中で懐かしい人をみかける。なんとはなしに、後をつけていくと、25年前に彼女が住んでいたマンションの向い側の建物に入っていった。そう、彼はやっぱり、フアンだったのだ。
ルシアはフアンのことが気にかかり、両親が住んでいたその元の家に引っ越すことにする。昔の想い出をよみがえらせながら、フアンとの関係が近所づきあい以上のものになるよう淡い期待を抱くのだが、フアンの人を立入らせない冷たい態度にとまどう。。。
25年前、17歳のフアンは祖父母の家の窓越しに見える向いの家に住むルシアに一目惚れをしてしまうが、労働者階級と中産階級の家庭の溝は埋めようもなく、あえなく失恋してしまうのだった。。。

最初はルシアという40代の女性から見た視点でドラマは始まる。誰にでもありがちな良い想い出だけが残り、自分本意な思いこみが先に走っていく。25年という月日が人をどのように変えていったか、なぜ変わってしまったのか、ということを深く考えず。懐かしい人との再会で焼けぼっくいに火がつくことを期待し、相手が独身ならなおのこと、過去をやり直せると錯覚してしまう、ちょっぴり愚かな幕開け。
25年前の回想シーンではフアンが中心に話はまわっていく。マドリードの中ではブルーカラー、低所得者層の地域の代表のように言われるバジェカス出身のフアンが市内のホワイトカラーの地域に住むお嬢さん、ルシアに恋をする。一方、バジェカス地域の粗野な若者達の若者特有の激情にまかせた慣れの果てなどを大げさなほどに描いていく。

映画を見る前に何も考えずにあらすじだけを読んで、「中年の青春回顧物語?」と思っていたのですが、ずいぶんと予想を裏切ってくれました。それも良い方に。この作品ではあくまでもフアンの心中を丁寧に描き、かたくなに心を閉ざし、自分の殻にこもってしまった、ナイーブな少年期の物語を追っています。少年時代のフアンを演じたアンドレス・ゲルトゥディクスもさることながら、大人になってからのフアン役のゲイリー・ピッカーがすさまじく冷たいのです。100%冷徹な、感情を押し殺してしまった演技が強烈です。もしかしたら、自分も知らないうちに誰かの心を回復できないまでに傷つけてしまっていることがあるのではないだろうか、と薄ら寒くなる気持ちでした。
よくいいますよね。恋愛に関して男性の方が繊細で傷つき易く、女性の方が傷ついても立ち直りが早く、強靭である、と。まさにこの作品は女性に対して、貴方も過去にこのようなことがありませんでしたか、と尋ねているような気がしてならないのです。

本作品は長編第1作目のフアン・ビセンテ・コルドバ監督がアルムデナ・グランデス著の「El vocabulario de los balcones」という小説を基に自分の少年時代を投影して作り上げたといいます。時代はフランコ独裁末期の何もかもが動き始めているとき。現代とは比べものにならないくらいホワイトカラーとブルーカラーが別れている時代でもありました。フアンやその友達の服装や髪型は市内のお坊ちゃんたちのそれと全く違い、全くもって滑稽、でもこんな人達が日本にもいっぱいいたよな、と幼少期を思い出しました。ヒップハンガー(昔はヒップボーンっていってたよなぁ。。。)ですそ広がりのスラックス、襟の大きな派手な開襟シャツ、キッスの時代に流行ったようなあの髪型。。。なかなかいいじゃないですか。。。
映画の中で使われている音楽がジョアン・マヌエル・セラットのもの、これ以上くさくなりようがないというほど効果的なんですよね。「ルシア」という曲でルシアの心をつかもうとするところなんて、とくに。

せりふはそれほど多くはないのですが、ルシアの少女時代を演じたクリスティーナ・ブロンドが光っています。彼女の可憐さ、憂いのある横顔、遠くを見つめるまなざし、どれも美しいです。23歳になるカタラン人の彼女はお隣のフランスでもTVドラマに出演するとか。
成人したルシアのシルビア・ムント、フアンのゲイリー・ピッカーも国際的に活躍している中堅どころの役者さんです。
ルシアが最終的に天秤にかけたお坊ちゃん役で「Todo sobre mi madre (All about my mother)」でエステバンを演じてたエロイ・アソリンが特別出演していますが、先頃公開になった「Besos para todos」と同様はまり役です。

表題となっている「Aunque tu no lo sepas...(たとえ、貴方がそのことを知らないとしても。。。)」という言葉を耳にしたときに、一瞬体温が急激に下がったような気がしたほどの衝撃だったのですが、この映画を見た方はどのようにかんじられたでしょうか。。。

BY TAKA(1月8日)