((((( | Spain Nandemo Jouhou | ))))) |
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今スペインでどんな映画がはやってるのか、
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★スペイン映画界注目の俳優さんたちをこちらで紹介してます。★
監督:Gerardo Vera 出演:Leonor Watling, Leonardo Sbaraglia, Cecilia Roth, Rosa Maria Sarda, Ernesto Alterio, Nomra Aleandro 他 |
第2次世界大戦もまもなく終結をみようという1945年。エルビラは、ある高級マンションの管理人夫婦ロヘリオとロラから独身実業家であるパブロの家政婦の職を紹介される。体の不自由な母、左よりの思想家の妹ラケルを養わなければならないエルビラにとって、この邸宅での仕事は必要なものであった。 ほどなく、ドイツ系アルゼンチン人である雇い主のパブロは聡明で美しいエルビラに惹かれ、エルビラもまた夫を持つ身でありながらその誘いにこうじきれず、2人は愛し合うようになる。しかし、2人の間には絶対に相容れないものが存在したのだった。パブロはナチスドイツの高官をスペイン経由でアルゼンチンに亡命させる秘密エージェントであり、エルビラはスペインのファシストたちに父を銃殺されたという忘れがたい過去をもっていた。 刑務所から帰ってきたエルビラの夫フリオは、この事実をエルビラにつきつけ、2人の関係を清算させようと迫るが、すでに時は遅く、後戻りができない状況となってしまっていた。。。
ヘラルド・ベラ監督の新作は、どうやっても頭では理解することのできない男女間の欲望を思いっきりクラシックな手法をもって描いた恋愛物語。
そして、この恋愛物語の主人公となるのはレオノール・ワトリングとレオナルド・スバラリア。やはり、美しい愛の物語はそれ相応の美男美女でなければならい。そうでなければ、一目見て惹かれあう、というお話に嘘臭さが漂うではないか。(と私は勝手に思っている。)
特にレオノール・ワトリングがいい。家政婦として働きながらも気高さをうしなわず、かたくなな冷たさを放っているのだが、パブロを受け入れたとたんに女に豹変するところは息を呑むほど美しく、あでやかである。使用人としての遠慮が全て消え去り、愛人としての大胆さが空気をかえてしまうかのようである。レオナルド・スバラリアも世界中の女性を骨抜きにしてしまうのでは、と思われるようなやさしい笑顔と、眩しく見えるほどに自然に創り上げた裸体によって、レオノールに対抗している。 さらに脇を固めるのがセシリア・ロス、ロサ・マリア・サルダ、エルネスト・アルテリオ、エミリオ・グティエレス・カバなどで、アルゼンチンからはノルマ・アレアンドロが特別出演している。(ちなみに、レオナルド・スバラリアもセシリア・ロスもアルゼンチン出身、エルネスト・アルテリオも父エクトル・アルテリオがアルゼンチン出身である。)非常に豪華なキャストである。この中でもロサ・マリア・サルダは口がきけないエルビラの母親役を好演。もちろんセリフが一言もない中、表情、目の動き、不自由な体の動かし方などで全てを見せるところはベテランの渋さである。 愛の物語に始まりがあれば終わりもあるはずである。決して許せない価値観を持つ相手を愛してしまったことが自らを傷つけ、憎しみを増幅させる。終わらせることを望んでも感情は、肉体はそれを否定する。欲望は意思とは無関係に走り出す。無理やりとどめること、それは悲劇を生む。悲劇を避けるために自らをだますことはさらなる悲劇を生む。2人の関係がどのように終焉を迎えるか、その答えはひとつしかない。。。 BY TAKA(11月19日) |
El robo mas grande jamas contado /至上最高の泥棒大作戦
監督:Daniel Monzon 出演:Antonio Resines, Manuel Manquin~a, Neus Asensi, Jaime Balnaran, Javiel Aller, Sancho Gracia 他 |
“エル・サント”は「人が考えつかないような」ものを盗むことで新聞の一面に出ることを夢見るが、いつまでたってもその夢を果たせないままムショとシャバを行ったり来たりしているケチナ窃盗犯。その妻ルシアがその日暮らしのためにストリップ小屋で踊っているのに耐えられず、ひやかした客を殴って、ムショに逆戻り。 売れない画家兼彫刻家の“ソルバ”は食うに困ってリャドロの店の展示品と自分の作品とをすり替え捕まり、ムショ送りとなる。 小人であり、すばやい動きを身上とする元サーカス団員のピニートは飛行機内の荷物室に忍び込み窃盗を働くのを生業とするが、荷物の中にあった死体を見たとたん神経がいかれ、御用となる。 “ウィンドウズ”はコンピューターに関して天才的な頭脳を持ち、それを悪用しては小金を稼いでいるが、あるとき、悪ふざけが過ぎて、ブタバコへ送られる羽目に陥る。 ムショで顔を会わせた4人はシャバに出てから、誰も考えた事のないような「どでかいこと」を計画することに。それは、ピカソの「ゲルニカ」を盗み出すこと、だった。。。
ダニエル・モンソン監督の第2作目。前作「El corazon del guerrero」では、TVゲームが大好きという監督ならではの現実とファンタジーの世界の区別がつかなくなった主人公を中心としてデジタル映像を駆使した新しいタイプの作品を披露した。今回は、とにかく誰もが楽しめる作品を作る、ということにこだわったという。映画評論家上がりでもある同監督はデビュー作で、批判する側が制作する側に移ったときに陥りやすい罠にかかった。非の打ち所のない作品を作ることに集中しすぎて、映画を見る一般の人々のことを考えていなかったのだ。実際にはガス欠をおこしたかのように、作品自体が尻すぼみになり、テーマがずれてしまって穴だらけの作品だったが。 「ゲルニカ」はご存知の通り、ピカソの傑作、マドリードのソフィア王妃美術センターに展示されている。以前は防弾ガラスの中におさめられていた。政治色が強すぎて、襲撃の可能性が指摘されていたからである。それが、あるとき、人前に無防備にさらされることとなった。同美術館を訪れたことのある人なら絶対見たことがあると思うが、この作品、とにかくでかい。縦が3メートル以上、横が7メートル以上あるしろものだ。これをどうやって盗んで運ぶのか、というのからまず難問である。そして、防犯カメラをごまかすために、ゲルニカのレプリカを飾っておこうというのだからあきれる。レプリカを製作するのはソルバの役目。とはいえ、その出来上がった作品ときたら。。。どんな風だったかをここで言ってしまうと映画を見たときに楽しさが半減するので控えるが、とにかくソルバのこのこだわりがすばらしい。個人的には何も背景を考えなければ、ソルバの作品の方が好きだが。。。
本作品に主演する5人のうちの3人は前作にも出演していたアクのつよ〜い人々である。ルシアのネウス・アセンシはサンティアゴ・セグーラの「トレンテ」などその他いろいろと出演しているが、思いっきりボディーいじってます、というような肉体を披露しH系の役が多い。今回も期待を裏切ることなくサイボーグのような体をさらしている。 何も小難しいことを考えないで見て欲しい。かなりおもしろい。それなりにちゃんと落ちもあったりして、モンソン監督の頭のよさが光る作品だと感じられた。ばかばかしく、どたばた劇が嫌いな人にはどうかと思うが、笑いを求めるならば、すすめられる作品である。 BY TAKA(11月13日) |
監督:Alex de la Iglesia 出演:Sancho Gracia, Carmen Maura, Terele Pavez 他 |
マカロニウェスタンが全盛期であった頃に特殊技師として活躍していたフリアンも今はアルメリアにある、さびれた「テキサス・ハリウッド」なる場所で観光客相手にウェスタンショーを演じるただの頑固おやじになりさがっている。 撮影中に自分のミスによって実の息子を死なせてしまった彼は、妻からも嫁からも見捨てられ、新しい時代の波に乗れなかった仲間と共に過去の栄光をよりどころに生きている。そんなフリアンのところにひょんなことから生前の父の写真を見つけた孫のカルロスが家を飛び出したずねてくる。 一方、決してフリアンを許そうとしない嫁のラウラは大規模不動産開発会社の社長として、フリアンの唯一のよりどころである「テキサス・ハリウッド」の地所を買収、新たなテーマパーク開発に乗り出そうとする。それを阻止せんがためにフリアンが断行した強攻策、自らの人生をかけた戦いが今ここに始まる。。。
アレックス・デ・ラ・イグレシアの一風変わった新作は「マルミタコ・ウェスタン」。
主人公となるフリアンはサンチョ・グラシア、御年65歳。白髪交じりで日焼けが染み付き顔の皺が年輪を感じさせるベテラン俳優。実際に若い頃にマカロニウェスタンに参加し、その現場をリアルタイムで生きた経験をもつ主人公そのものである。良き時代とその後の苦難の時代両方を知る貴重な存在であり、本作品には欠かすことのできない人物であったことは同監督自らが明かす。 個人的に以前はそれほど好きな監督ではなかったのだが、「Muerto de risa」あたりからとても興味を持ってみるようになった。どたばた劇がうすっぺらなものでなく、腹にずん、とくるようなところがいいらしい。徹底的に偽善を排しているところも、人間をシニカルに見ているところも、スペイン映画界では彼の独断場だ。何かをやってくれるだろう、という期待に十分こたえてくれる数少ない監督ではないか、と思う。ほろりとする正義感、男臭さ、ヘビーな笑い、そういうものが欲しいときはぜひとも見て欲しい。特に時間があれば、レンタルビデオ屋にでもいって同監督の全作品を探して見ると良い。知らぬ間に彼の術中にはまってしまっていることに気付かされるだろう。 BY TAKA(10月31日) |
監督:Fernando Leon de Aranoa 出演:Javier Bardem, Luis Tosar, Jose Angel Egido, Nieve De Medina 他 |
造船所を解雇されたサンタ、ホセ、リノ、アマドールは毎日することもなくリコのバルで酒を飲みくだをまいている。 独身のサンタは得意の話術で女をひっかけ暇つぶしをし、ホセは缶詰工場で働く妻の夜勤を送り出す。妻と子供2人を持つリノは何の特技もないまま職にありつくために面接を受けつづける。家に帰ることを嫌うアル中気味のアマドールはバルの洗面所の電気が手動で切れないと文句をたれる。 今日が何曜日だったかも思い出せない失業者たちは、何から手をつければいいのかもわからず、1日1日を無駄に過ごしていく。。。 脚本家として、監督として、奇麗事だけではない、目をそらしたくなる社会の現実というものをえぐり取り、大衆につきつけてきたフェルナンド・レオン監督。本作品で今年のサン・セバスティアン映画祭コンチャ・デ・オロ(最優秀作品賞)を受賞した。前作「Barrio」で見せた、自分の脆弱さを見せるまいと肩肘をはって攻撃をしかけてきた激しさ、とげとげしさが姿を消した。人間の仮面を無理に剥ぎ取ることを避け、にじみ出る感情を掬い取り、見る者との同化を図ることに成功したといえる。実に自然な会話は力を加えることなく自らが進んで流れを作り出している。
男たちは何かきっかけとなる出来事がない限り毎日毎日を無為に過ごすことにならされてしまい、不平不満がさらにつのっていき、意固地になり卑屈になっていく。 仕事を積極的に探す風でもなく、新たな勉強を始めるわけでもなく、かといって仕事があったときは良かったと懐古にひたるわけでもなく、ひたすら集まり酒を飲みその場限りの話を続ける。誰かが、とめてくれなければ、なにか特別なことがおきなければ、永遠に同じ時がまわりつづけるかのように。しかし、あるとき、そのきっかけが生まれる。サンタがアマドールの寂しい家庭をまのあたりにしたことであり、その死であった。生ける屍となっていた失業者たちの目を覚まさせるに十分な衝撃となる隠された事実が存在したのだ。。エゴイズムに蝕まれ、他人を振り返る余裕を失くしていた彼らに人間らしい思いやりの感情が戻ってくる。 今回サンタの役を演じているのが、久しぶりの母国での作品となるハビエル・バルデム。「Antes que anochezca」「Pasos de baile (The Dancer Upstairs)」と2作つづけて英語の作品だったが、やっぱりスペイン語での演技のほうがずっといい。さらに雰囲気を出すためにちょっとばかり額をそりあげ、あごひげをのばしたことで労働者風になってしまった。その上かなり体重を増やしたこともうかがえる。本人曰く、役のために太ったのではなく、タバコをやめたら10キロ勝手に増えてしまったのだ、そうだが。 ホセ役のルイス・トサールはわりと今までの出演作では強面の、すぐ切れてしまうような役回りが多かったが、「Flores de otro mundo」では田舎の朴訥とした役を演じていた。今回もやっぱり、不完全燃焼したやり場のない怒りを溜め込み1度は切れてしまうような中年男。 この作品を見ていると、ちょっとした田舎のほうのバルでよく見るような光景なんじゃないだろうか、と思い始めた。通りすがりの者にはいい中年のおっさんが昼間っから酒をくらって、ドミノに興じている姿を「いいご身分で」としか映らなかったが、もしかしたらこの映画と同じように職を失い、これくらいしかすることがないのかも、とおもいあたった。全く毎日酒ばっかり飲んでぐうたらぐうたらしてないで、仕事探すなりなんなり前向きに行動しなよ、といいたいところだったが、彼らなりに光を求めて出口を探し、外に出たときに具体的に何をすればいいのかを思い描いているのではないだろうか、そんな気がした。 ガリシアの海、港湾都市を前に淡い光の中で風に吹かれながら、岩場で、定期船の上でひなたぼっこをする彼らに日曜日も月曜日もない。誰にもじゃまされず平日の昼間に冬の太陽を満喫することができるのである。それは決して南の海、空ではありえない色と陽ざし。物悲しさを漂わせる北の一風景に溶け込ませた描写は特筆すべきものがある。暗く、重苦しいテーマではあるものの、どんよりした気持ちで席をたつことのないような結末を選択したことがこの作品の質を高めたといえる。ところどころに挿入される音楽も心地よい気分へと導いてくれ、手をとりあってこれからの人生歩んでいこうや、と言いたくなった。
BY TAKA(9月29日) |
監督:Imanol Uribe 出演:Clara Lago, Juan Jose Ballesta, Alvaro De Luna, Rosa Maria Sarda 他 |
スペイン市民戦争の陰が押し寄せてきた1938年、キャロルはアメリカ人であり、国際軍のパイロットである父と別れ、ニューヨークから母と共に母の生まれ故郷に戻ってきた。 自由、気ままで田舎の村では異端視されるキャロルも母方の祖父や、母の友人であり教師でもあったマルハの理解を得、ガキ大将トミチェとも友情をあたためながら、人生とは一筋縄ではいかないのだということを学んでいく。。。
11歳の女の子が、アメリカとは全く違った閉鎖的で形式ばったスペインでの小村での生活にとまどいながらも、自分自身を見失うことなく成長していく姿を軸に市民戦争時の田舎での生活状況を子供の視点を通して語るイマノル・ウリベ監督の新作。
キャロル役のクララ・ラゴは映画初出演。TVの学園モノ連ドラにちょい役で出演していたときには、「えらくがんばって演技してるな」という印象が強かったのだけど、今回はとっても自然でかわいらしい。トミチェ役のフアンホ・バジェスタは「El Bola」でゴヤ新人賞を獲得した少年で映画にもまたTVにも(上記の連ドラにも出演している)顔を出す芸達者な15歳。 実際にこれほどまでの作品とは思わなかった。「また、市民戦争もの?」とあまり興味をひかれることなくひまつぶし感覚で映画館に足を向けたのだが、「申し訳ありません」というしかない。実に「感動」という言葉がぴったりな作品なのである。もともと涙腺が弱いせいもあるのだが、涙ボロボロ、鼻ズルズル状態となってしまって、映画館を出てから恥ずかしかったの何のって。おそらく頭で理解するセリフではなく、映像や音楽が五感を刺激し、体全体で感じていたのではないだろうか、と思う。素直にウリベ監督に拍手を送りたい気分だ。 BY TAKA(9月20日) |
監督:Enrique Urbiz 出演:Antonio Resines, Jose Coronado, Goya Toledo 他 |
コスタ・デル・ソル(太陽海岸)のとある銀行の支店長、モデスト・パルドは土曜日の閉店間際に強盗集団に押し入られ、貸し金庫のある地下室へ閉じ込められる。薬で眠らされ、目を覚ました時には貸し金庫は無残にも破壊され、荒らされた後であった。しかしながら、偶然にも残骸の中から7年前、娘の命をうばった山火事の真相を知る手がかりを発見する。
一方、地元警察署の元署長でありながら悪の手先となりさがったラファエルは金庫荒らしの一報に耳を疑う。貸し金庫の中には彼の命綱ともいえる書類が預けてあったのだ。この書類が公に出ることは彼の死を意味する。
モデストは真相を暴くために調査を始め、ラファエルは自らの窮地を救うために強盗集団の後を追う。。。
最近の傾向としてサスペンス系の謎解きを題材にした映画が急増してきているように思う。スペイン映画界では人間ドラマに主眼をおいたものが根強い人気を誇っていたのだが、スペイン産サスペンスでも受け入れられるのだということがアメナバル監督の活躍によって証明され、徐々に作り手と受け手の許容範囲が広がってきたのだろう。ただし、日本におけるTVでの2時間サスペンス放映開始当初をおもいだしていただけばよいかと思うが、ソフィスティケートされた作品がなかなか出てきていない。どれも題材に無理があったり、つめが甘かったり、映画としての質(TVドラマならOKだとしても)はお世辞にも高いとはいえない。 とはいえ、先日公開された「El Alquimista impaciente」(パトリシア・フェレイラ監督)は非常に質の高いものであった。ロレンソ・シルバ作の同名の小説を映画化したものであったのだが、小説自体が非常に良くねられていたこと、そのよさを素直に映像に反映させていたことが高い評価につながった。一方、今回の作品には原作がない。エンリケ・ウルビス監督はそれをおぎなうかのごとく、舞台となったコスタ・デル・ソル周辺で実際に起こった事件を丹念に新聞記事で追い、肉付けすることに成功した。 このコスタ・デル・ソルという場所、表向きはスペインだけでなく欧州各国からのツーリスト、引退し余生をすごしにやってきたお金持ちの優雅な別荘などがあり、温暖な気候、青い海と白い砂が人々にはまばゆいものにうつる。しかし、人の集まるところには金も集まり、それにむらがるハイエナたちがいる。中国マフィアやロシアマフィアで牛耳られている裏の世界があることも事実である。政治家、警察の汚職が多いのもこの地域である。サウジの王様が何百億ユーロをかけてバケーションを過ごすマルベージャはサッカーチーム、アトレティコ・マドリードのヘスス・ヒル会長が市長であり、同時にここの裁判所はスペイン一「移動願い」が多いというところでもある。裁判官が事件の捜査、裁判を行おうとしても、有形無形の圧力がかかり正常な司法手続きが不可能になり、それに嫌気がさしてしまうからだ、と言われる。もちろん、本作品もそうい陰の部分がふんだんにとりいれられているため、苦虫を噛みつぶしている御仁が多数いると思われる。 物語の筋はさておき(あまりふれると、見たときのおもしろさが半減するので)、出演者はというと、出演作を挙げればきりがないアントニオ・レシネスと映画、ドラマ、CMとコンスタントに人々の前に顔をさらすホセ・コロナド。そして、「アモーレス・ペロス」での演技が非常に高い評価を受けたゴジャ・トレド。アントニオ・レシネスは相変わらず安定しているんだけど、セリフのないときに体からたちのぼるような感情がとてもよい。彼のたるんだ腹と背脂ののった幅広の肩は悲壮さと力強さがあいまっている。あまり見たい体じゃないが、現実味があってよろしい。(鍛え上げた体というのは妙に空々しいものがある)そして、ホセ・コロナドは私の嫌いな俳優の一人であった。なぜか、「おれって結構いけてるだろ?」という中年のうぬぼれが嫌みったらしくみえてしまうからなのだ。特にヨーグルトのCMが大嫌い。どうも暑苦しい。(スペインのCMを見ることのできない方々ごめんなさい。どんなもんだかわからないですね。)だが、今回、結構私の中での見方が変わった。悪くないんじゃない?と。脂ぎってる顔をたるませ、ニタニタした表情がなく、すっきりと角刈りにしてる。硬派にしようと思えばできるんだ、と再認識。 舞台設定や人物の配し方などなかなかおもしろいし、最後まであきさせることないテンポもよいが、いかんせん、バイオレンスの部分が強調されすぎているきらいがある。陰の部分はあくまでも甘えがあってはいけない、ということをいいたかったのか。 家族を失う、もしくは失いそうになったときに、人間はこうも感情を失い無機質になっていくものなのか、と喧騒感が静まり陽があせていく晩夏の海岸をみるような寂しさも感じさせられる作品であった。 BY TAKA(9月10日) |
監督:Julio Wallovits, Roger Gual 出演:Eduard Fernandez, Chete Lera, Antonio Dechant, Juan Diego, Manuel Moron 他 |
あるアメリカの会社のスペイン支店。トップが替わり社内全面禁煙の規則がたてられたがだまっていられないのがスモーカーたち。そのうちの1人ラミレスが物置小屋同然の一室を喫煙室にするよう会社に陳情するための署名を集め始める。 当初は簡単に事がなるように見えていたのだが、いざ、署名をする段階になってみるとなんやかんやと言い訳をつけてサインを渋る者が続出。ラミレスの必死の説得にも逃げ腰となる仲間たちには、どうも何か隠していることがあるようだ。 なぜ、サインを渋るのだ、となかば意固地になって奔走するラミレスの行く末は。。。
老若男女を問わず喫煙率の非常に高いスペイン。禁煙マークがあろうとなかろうとおかまいなく、ところかまわず吸いまくる、いわば喫煙マナーというのが全くなっていないお国柄でも、昨今は一応喫煙の及ぼす害というのを知らせるキャンペーンを張ったり、禁煙のための治療を目的としたクリニックができたりしている。
まず、しょっぱなからなんだか分からない会話で始まるのだが、2人の会話とはいっても一方が好きなだけ喋りまくる。その次の場面でも、その次の場面でも会話者が変わってもどちらか一方だけがしゃべり、もう一方は聞き役となっている。スペイン人の会話は一方通行というのはよくあるが、片方だけが喋りまくるということはまれなことであるからして、この手法自体かなり観客の興味を引く。その上、カメラアングルがかなり特殊である。絶対に顔全体を写すことがない。どこかが切れている。顔の半分だけだったり、目だけ、口だけだったりと。そして、その会話の内容が実にもっともなのである。理にかなっているというのではなく、まさにそこここで交わされる不満やたわいのない噂話、家庭内の問題などに嘘が感じられないのである。作られたものであるにもかかわらず、そこに現実がみえるのである。
特に私の気に入った場面は新しいアメリカ人支店長のことについて言及している2人のおっさん社員の会話。 この世の中から、特にスペインからたばこがなくなるということはないだろうが、世界的な傾向として喫煙場所が減っていくことは十分考えられること、である。そうすれば、喫煙者の肩身が狭くなっていくのは自明の理。どこまでそれが進んでいくのか。でも、そんなことはくそ食らえだ、というのが本作品のメッセージなのだろう。たばこを吸うことが悪いことだと居心地が悪くなる前にちょっとばかり世間に反逆の思想をまいてみようか、というところであろうか。ちょっと痛いところをつかれた気がしてならない。
監督、脚本を手がけたのはアルゼンチン出身のフリオ・バロビッツとカタルーニャ出身のルジェ・グアル。前者はCM畑の出身、後者はグラフィック・デザイナーと映像関係者とはいえ、映画界の出身ではない。それゆえか、既存の感覚にしばられることなく、斬新な作品を創り上げることが可能だったのか。 最近の作品の中では傑作に属するのでは、と個人的には非常に気に入った。こういう作品もたまには出てこないと、人々のガス抜きができないのではないだろうか、と。。。 BY TAKA(6月15日) |
監督:Miquil Garcia Borda 出演:Adria Collada, Jose Sacristan, Cayetana Guillen Cuervo, Hector Alterio 他 |
司祭のマイケルは、ローマのお偉方の1人よりバルセロナのジョバネラ枢機卿を探るよう内密の指令を受ける。何が起こっても決して他言はせず、警察への援助は一切あおぐな、というものである。 一方、バルセロナではカトリックを中心とする宗教会議が催され、その最中にジョバネラ枢機卿が忽然と姿を消す。ローマ法王逝去後の法王候補者の1人であるジョバネラと彼がつかんでいたと思われる内部機密の行方を追わなければならなくなったマイケルは、10年前に関係を絶った警察官の父親ルイスに協力を求める。。。
まず最初に。大きな期待をもってはいけない。
ここでは、一応サスペンスとされる作品であるので、ねたばれするようなことは避けねばなるまい。
この作品は俳優でもある、ミケル・ガルシア・ボルダの2作目にあたる。1作目の「Todo me pasa a mi」の時は予算がなくて友人一同を集めて作ってみた、というかんじのかわらいらしい、それでいて肩のこらないコメディであった。 とまぁ、こんなかんじなのであるが、どうも花丸には程遠いようで、もっとがんぱりましょう、のはんこが関の山。どうして映画を撮りたいのか、どうして自分はこの作品を世に出したいのか、といったところが全く見えてこないために、冷めた目でスクリーンを見てしまったのだろうか。基本的に俳優としてのミケル・ガルシア・ボルダに興味を感じるだけに、監督として成功してほしいという気持ちもあるが、そのまま俳優業に徹したほうがいいのでは、という気もしてきた2作目であった。 BY TAKA(5月15日) |
El embrujo de Shanghai / 上海の魅惑
監督:Fernando Trueba 出演:Fernando Tielve, Aida folch, Ariadna Gil, Antonio Resines, Eduard Fernandez, Fernando Fernan-Gomez, 他 |
市民戦争が終わりを告げ、フランコ独裁体制が固まってきた頃のバルセロナ。混沌とするこの街で、いずれもが戦争によって残された傷跡をひきずり、悲しみを癒すために彷徨い、欠けてしまった破片の一片を探し求める。。。 父親が戦争に行ったまま帰らぬ人となった少年ダニィ。官憲の手に落ちないようにと何年もの間洋服ダンスの奥に隠れていたキャプテン・ブライ。街一番の美人で映画館の切符売りをするアニータと結核を患う娘のスサーナは夫であり父親であるキムの帰りを待つ。 ある日、2人の住む屋敷にはキムの行方を知るというキムの仲間のフォルカットが転がり込んでくる。ダニィとスサーナはフォルカットが話してくれる、重要な任務を受けてキムが潜伏しているという上海に思いを馳せるようになり。。。 スペイン映画界2002年の超大作として大々的に発表されたフェルナンド・トゥルエバ監督の「El embrujo de Shanghai」。フアン・メルセの同名小説の映画化で、バルセロナに戦後の上海を再現、400人にものぼるアジア系エキストラを募集して制作された作品。もちろん、トゥルエバファミリー総出演、さらには昨年度のゴヤ最優秀男優賞を獲得したエドゥアール・フェルナンデス、「El espinazo del diablo」のフェルナンド・ティエルベ、「El Bola」で一昨年のゴヤ最優秀新人賞を獲得したフアン・ホセ・バジェスタを加え、ヒロインスサーナ役には映画初出演の15歳、アイーダ・フォルチが起用された。
物語は15歳の少年ダニィとスサーナが中心となって現実と想像の世界を行き来しながら進んでいく。
さて、大作といわれるにふさわしいキャストと話の展開なのだが、なぜか、欲求不満の残る作品だ。どの俳優をとってもみても強烈な個性を発しつつ、非のうちどころのない完璧な人物像を創り上げている。また、それぞれが、お互いに寄り添いあうことで100%どころか200%のできとなっているのだ。しかし、しかしだ。はっきりいって、つまらない。何がつまらないのか。きっと、脚本だ。原作の魅力をそのままに映像化するのには困難がつきまとうものだ。実際、この原作を読んだわけではないのだが、読者が行間に見出すセンティメンタルな部分が欠落してしまったのではないか、という気がした。
当初、この映画化はビクトル・エリセがメガホンを取る予定になっていた。それが、途中で制作との意見の食い違いから監督の首のすげ替えがおこなわれた。そして、白羽の矢がたったのがトゥルエバ監督で、脚本も自ら担当した。キャプテン・ブライ役のフェルナンド・フェルナン・ゴメスを除いて配役もすべて変更とあいなった。 いってみれば、スペインの中でもベテランに位置する監督に気心もしれた円熟味のでた俳優と新顔との共演、映像の美しさを併せ持った作品であるにもかかわらず、結局は失敗作との感が強いのはすべてに欲張りすぎたことが原因だったのか。それとも中途半端に原作に引きずられてしまったからなのか。やっぱり、原作を読んでみるしかないのだろうか。 BY TAKA(5月5日) |
監督:Pedro Almodovar 出演:Javier Camara, Dario Grandinetti, Leonor Watling, Rosario Flores, Geraldine Chaplin 他 |
「Todo sobre mi madre (All about my mother)」の世界的ヒットからはや2年。ペドロ・アルモドバル監督が世に送り出す第14作目は、珍しく男性を主役に据え、アルモドバルお気に入りのきらびやかな女優陣を一切排した、しっとりとした趣のある作品。
交通事故が原因で植物人間となってしまったバレリーナ、アリシアの世話を引き受けている看護士のベニグノ、闘牛に引っかけられ大怪我を負いやはり植物人間となってしまった女性闘牛士リディアのそばにいる新聞記者くずれのマルコ、同じような境遇にある2人がふとしたきっかけから友情を育んでいく。
アルモドバル作品というのは、一目見てそれと知れる作品であり、“chicas de Almodovar(アルモドバル・ガール)”と呼ばれるお気に入り女優で飾りたてることが
ほとんどであった。アントニオ・バンデラスがハリウッドへ行ってしまってから男性はいつも脇役、最近では唯一「Carne Tremula(邦題:ライブ・フレッシュ)」でハビエル・バルデムが主役を張ったくらいである。 作品の大筋とは別に、数分間の白黒無声映画が挿入されている。この映画はベニグノを変化させる大きな要因となるのだが、非常に興味深い。「El amante menguante」と題した、女性科学者の発明した新薬を試したその恋人が日に日に小さくなっていき、ついには親指姫のようになってしまう、というもの。この女性科学者役を現在飛ぶ鳥を落とす勢いのパス・ベガが、恋人をフェレ・マルティネスが演じている。滑稽さ、物悲しさ、永遠の愛がつまった、胸がキュンとなるようなそんな作品なのだ。(無声映画時代にこんな過激映像があるわけない、というところはアルモドバル的なんだけど) 個人的にはこういった潤いのある地味な(アルモドバルにしては)作品が好きである。ただ、やはり派手なことが好きなアルモドバル、女性に“囲まれていること”が大好きなアルモドバル、どうしても華が不足すると思ったのか、ほんの一言、二言のチョイ役に有名どころの俳優さんを並べたてている(もしかして、最近のはやり?Special thanksってことで)。クレジットには名前があがってないのだが、セシリア・ロス、マリサ・パレデスの両名も大勢の観客の中の1人でワンカットだけ出演。まるで、卒業生が恩師を訪ねるような余裕の雰囲気。また、舞台の場面を挿入するのが「お約束」のようになっているが、今回もPina Bauschの協力によって前衛舞踊の舞台で幕を開ける。 本作品、どちらかといえば、一般の反応は鈍い。批評家からの点数も高いものではない。前作のように世界的作品とはならないであろう。とはいえ、昔からのアルモドバル信奉者も、前作を見てスペイン映画を誤解した人も、次回作へのつなぎとして見ておいて損はない作品だと思う。アルモドバルがオスカーを手にしたことで一時代を終え、新しい世紀をまた別の角度から切り取って映像化するであろうことを期待する。 BY TAKA(3月25日) |
監督:Ramon Salazar 出演:Antonia San Juan, Najwa Nimri, Angela Molina, Vicky Pen~a, Monica Cervera 他 |
人生の転換期を迎えた、年代も職業も何のかかわりもない5人の女性がそれぞれにもつ“足”や“靴”への執着、コンプレックスを絡めて、スパイラルのような人間関係を織りなしていく、ラモン・サラサール監督の長編第1作。 数年前に同監督が発表した短編「Hongo(オンゴ)」が獲得した数々の賞は47にものぼり、本作品もスペインから唯一ベルリン映画祭に出品され、好評を博した。監督自身が明かしているように「マグノリア」の影響を強く受けている作品でもある。 いつものように簡単なあらすじだけを、と思ったのだが、今回登場人物が多く、筋を追うのに精一杯になってしまう可能性もあることから、以下に主要登場人物5人のアウトラインとそれぞれに関係する周囲の人物像を簡単に記すことにした。「スペイン映画見慣れてるから、俳優さんたちもみんな一発で判別できるわよ〜」という方は読み飛ばしてくださいな。
偏平足を気にするアデラ(アントニア・サンフアン)は毎日黄色いスクーターに乗って、郊外にある街道沿いのクラブへ出勤する。そのアデラにはアニータ(モニカ・セルベラ)という他の子よりも“知恵の発達がとってもゆっくりな”子供がいる。犬の散歩にはかかさず黄色い運動靴を履いてでかける。
セニョーラと呼ばれて、“セニョリータ(注:結婚していない女性に対する呼称)”と言い直させるアデラはクラブへ客を連れてきた独身を称するレオナルドという裕福な中年男性に思いを寄せられ、少しずつ淡い期待を抱いてもいいかな、と思い始める。一方、娘のアニータは自分マンションのある一画だけしか出歩くことができないが、アデラのいない間に世話をしてくれる青年ホアキン(エンリケ・アルシデス)とともに大通りに出るための一歩を踏み出すことに成功する。
この次から次へと出てくる人たちが少しずつ少しずつ意味合いを持ち、おのおのが関係を持ち始め、つながりが見え始めてくる。
通常、5人ものまったくつながりのない登場人物の紹介場面で、見ている者が迷子になってしまったり、話が散漫になってしまってだれだれになることは良くあることなのだが、本作品は流れが非常に良い。そして、それぞれの挿話がとても興味深くメタファーとして使われるものがとてもわかりやすい。人物像をしっかり設定したことも物語の骨組みをゆるぎないものにしたともいえる。さらに、ロケ地の選択も重要な切り口として大きな意味をなしている。マドリードの中心が主な舞台となっているのだが、物語の基礎を固めるのに十分すぎるほどの緻密さが見え隠れする。
主演の5人のうち、4人までもがベテラン、もしくはその域に達しているが、アニータ役のモニカ・セルベラは同監督の「Hongo」に出演した以外には新人といえる。この「Hongo」でも強烈な個性を発していたが、今回も難しい役をいとも簡単にこなしている。知能レベルは幼稚園並であるが、肉体は成熟し、男性を心身ともに慕うアンバランスで微妙な女性を演じている。
さてさて、私が今回注目したいのは主演のほうではなく、脇を固める男優さんのほう。ホアキン役のエンリケ・アルシデス。前作「Sagitario」ではアンヘラ・モリーナと共演して、若きツバメちゃんの役だったのだけど、目がとっても印象的で、瞳に野生の牙を映している、そんな感じだった。今回はとってもやさしくて暖かく人を包み込むような雰囲気を醸し出してはまり役だったと思う。ハビエル・バルデムやジョルディ・モジャなどの次世代を行く層が薄いスペインの映画界で、頭角をあらわしていってほしいと思う一人である。
最後にこの作品を見るにあたって、次はどのような場面展開になるのだろうか、と想像しながら見ていくと楽しい。どんでん返しがなくとても素直な筋なので余計な邪魔が入らず見続けることができるから。 BY TAKA(3月8日) |
A mi madre le gustan las mujeres / 私のママは女の人が好き
監督:Ines Paris , Daniela Fejerman 出演:Leonor Watling, Rosa Maria Sarda, Maria Pujarte, Silvia Abascal 他 |
ヒメナ、エルビラ、ソルの3姉妹は母ソフィアの誕生日を祝う席で、突然ソフィアから新しい恋人ができたと告げられる。父親との離婚後、ピアニストとして自立している母親の新しい幸せに喜ぶ娘達。ところが、紹介された人物に卒倒せんばかりの衝撃を受ける。そう、相手は自分たちと同じような年頃の外国人の女性だったからなのだ。。。 長女で普通の家庭の主婦であるヒメナは、「別に、ゲイやレズビアンに偏見はないけど、どうして、ママが。。。」と混乱、末娘で歌手、アーチストを自称するソルは「いいじゃない。」と好意的。ノイローゼ気味で自分をコントロールできないエルビラは「ホモセクシュアルは遺伝によるもの???じゃぁ、私もレズビアンの気ががあるっていうこと?」とパニックに陥る。 事実を受け入れざるを得ない状況の中で、3姉妹はソフィアが恋人のエリスカの学資や援助で貯金や遺産を全て使い果たしている事を知ってしまうから、さあ大変。母親からエリスカを引き離す作戦を練ることに。そして、3人のうちの誰かがエリスカを口説いてしまえばいいのだ、ということになったのだが。。。 「うちのママは女の人が好き」というストレートな題名通り、レズビアンをモチーフとしたコメディ。男同士の同性愛についてはスペインでも結構いろいろな作品にお目にかかれるのだが、女性同士というのはまだまだ敷居が高いのか、それともテーマとして魅力に欠けるものなのかは不明だが、見かけることはない。まだまだ、未開の地であるのは確かだ。とはいえ、この作品は別に同性愛を問題として真正面から見つめているものでもなく、主人公がそれに悩みぬくというタイプのものでもない。この母親のカミングアウトをきっかけに、3姉妹が自分たちの見ていなかったもの、見えなかったものを発見していく、というとってもかるーいタッチのストーリーなのだ。
いつも、ひょうひょうとして決してドラマチックにならないソフィア役のロサ・マリア・サルダもさることながら、真中の娘を演じたレオノール・ワトリングが非常にいい。彼女は、昨年ビガス・ルナ監督の「Son de Mar」に出演した際に、いったいどこにこんな女優がいたんだろう、といわれたほど、ビガス・ルナ作品にはまっていた。官能的、退廃的な雰囲気を持ち、倦怠感を漂わせ、男の人の視線をつかんで離さない、そしてとらえどころのない神秘性をも持ち合わせていた。それが、今回は180度違った人物になっていた。何せ、ビガス・ルナに一旦はまるとそのイメージから脱却することは非常に難しい。あのペネロペ・クルスが「Jamon, Jamon」によって脚光を浴び、それ以降肉感的な役ばかりが回ってきて、肉体派女優を払拭するのに大変な労力を要したこともあるのだ。ところが、レオノールは今回ノイローゼ気味で運の悪い作家志望の女性になりきり、彼女のポテンシャルの高さというのを見せつけた。いやはや、脱帽である。もちろん声の使い方、表情の変え方、落ち着きのない目の動き、そしてすいこまれそうな笑顔。この人はスクリーンで化けるタイプ。アルモドバルの次回作にも出演予定。
本作品の監督は脚本家としてはTVシリーズや映画などでも知られたイネス・パリス、ダニエラ・フェヘルマンの女性2人でデビュー作となるが、さすがにコメディはお手のもの。キャスティングの成功もあって、合格点以上のでき。映画を見終わった後についつい拍手したくなっちゃうような、ハッピーな気分にさせてくれる映画でしたよ。 BY TAKA(1月23日) |