当時、町や大学では、色とりどりのヘルメットと、かく棒や火炎瓶に対し、装甲車に守られた重装備の黒い集団とが衝突していました。 今も世界のあちらこちらで、投石と火炎瓶に対して、戦車と重装備の武装集団が衝突しています。
高校のブラスバンドのクラブでは、アメリカの行進曲は一切演奏しないことにしました。それは、ベトナムの人達のことや、いやでも前線に送られる同世代のアメリカ人のことも考えたからです。生徒会(有志)として、戦争反対のデモもしました。 さて、こんな時代に私は『フラメンコ』と出会いました。それは、ビッグバンドの楽譜を探していた時です。 『フラメンコギター教則本』というのを何気なく見てびっくりしたのです。ラスケア‐ド(フラメンコギターのテクニック)を、32分音符で表わされた楽譜で、ほとんど真っ黒でした。これってどんな音の表現なのか想像もつきませんでした。 早速レコードを探し、『サビカス』、『ニーニョ リカルド』・・・・・・ 京都は、十字屋という楽器店の『西村健太郎・フラメンコギター教室』でフラメンコギターを習い始めました。 自分が夢中になれる何かを探していた時に出会い、フラメンコギターにのめり込んで行きました。ブラスバンドでジャズの「スイング」をサックスで楽しみ、家に帰ると勉強もせず、ギターを寝るまで弾いていました。 そして、学校までギターを持ち込み、昼休みや、放課後に練習していました。二十人弱で演奏するクラブのサックスより、ギターソロのフラメンコのほうが面白くなっていきました。
来月に続く
第1回 |
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