フラメンコギターのことも、もう少し本格的に知りたくなってきました。コンパス(リズム)、特に「ブレリア」のファルセータ(小メロディー)の入り方がどうもわからず、「ラスケア-ド」も舞台やテレビで見ると、親指も使って手首が回転しているように見え、自分ではどうにもならず、困っていた時に出会えたのが、ギタリストの「 TETSUO 」さんでした。 左足でコンパスを取ることや、手首の動きを利用して弾く「ラスケア-ド」を習い、そして、レコードからファルセータが取れることも教えてもらいました。 ・・・「パコ」といえば、パコ・デ・ルシア か パコ・セペロ、パコ・デ・アンテケーラ・・・ぐらいしか、私がスペインに来た当時知りませんでした。しかし、マドリッドの街の中心、プエルタ・デル・ソルの近くの大きなサラ・デ・フィエスタ(ナイトクラブ)で、歌い手の『バンビーノ』の伴奏をしていた『パコ・デル・ガストール』のギターを聞いて、また、その舞台と客席が一つになった異様な雰囲気に、・・・・・・・ドカーン ! フラメンコギターを『音楽』と思っていた自分に、『これがフラメンコやでー!!・・』 ・・と、『音楽』の枠をはみ出した「何か」が強烈に私の身体の芯に突き刺さってきました。・・・何日も通い、ドンドン出てくる、『ディエゴ・デル・ガストール』(パコの叔父さん)のギター(ディエゴ節)・・・「えっ ! これって、京都の高瀬さんの家で聞いたことがある !!」・・・・ この時の驚きと、なんともいえない生の迫力は今でも忘れられません。(この時の実況録音テープは当然、高瀬さんへのお土産にしました。)・・・ この、私がマドリッドで、はじめて感動した「ディエゴ」を聞いていた高瀬さんとは「TETSUO」さんの「フラメンコショウ」が行われた所(確か何処かの、舞台があるレストラン)で出会い、お互いギターを習っていることが縁で付き合い始めました。よく家に遊びに行き、たくさんの輸入版のカンテ(歌)のレコードを聞かして貰いました。 『 歌とギターの「絡み」と「間」というか全体の雰囲気が、ええなー 』という高瀬さん。しかし、私はギターのファルセータ(間奏メロディー)ばかり聞いていました。というのも私にとって、『ギター』が一番大切で、ソリストになることを夢見ていたからです。当時はまだ、音楽性豊な表現力があるフラメンコギターのソロギタリストになりたいと思っていました。 その後、「TETSUO」さんの紹介で、高瀬さんと私は、大阪まで、ギタリストの「YUKI」さんに習いに行くことになりました。 私は「パコ・デ・ルシア」のギターソロを教えてもらい、夢中で弾いていました。 スペインに着いて数ヶ月が過ぎるまで。 いつも、私が京都に帰った時に必ず泊めていただくのが、高瀬さんの家です。本当にフラメンコが好きな、ディエゴを昔から聞いていた高瀬さんとスペインのワインを飲むのが楽しみです。
来月に続く
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