マドリッドのチャマルティン駅からタクシーでペンションにやっと着き、知り合いのギタリスト「TAKEMORI」さんに会えてほっとしました。 一日260ペセタ(当時800円ぐらい)の、空いていた小さな部屋に荷物を入れ、彼からペンションのことや、スタジオ(フラメンコの練習場・通称「アモール」)のこと、彼が紹介してくれる踊り手やギタリストのことなどを教えてもらいました。
これから生活する部屋で荷物を整理していると、 『PEPEが来たから紹介するので、俺の部屋に来てくれる。』と呼ばれ、部屋に行き、紹介してもらったのが、昔、私がはじめにギターを習った西村健太郎さんからも聞いていた、有名な日本人ギタリストの「PEPE」でした。
この私のニックネームになった"アルボンディガ"を一度聞いたスペイン人は二度と忘れません。( あの『カマロン』も二度目に会った時に、覚えていました。)
PEPEとTAKEMORIさんに連れて行ってもらった「ペーニャフラメンコ」は地下にありました。 昔、アメリカの西部劇の撮影がスペインの南(アルメリア郊外の"ミニハリウッド")で行われた時、よくインディアンの酋長役をやったという、カンタオール(フラメンコの歌い手)のラファエル・ロメ-ロが小さな部屋でマイク無しで歌い、ペリーコ(息子)のギターも、生で、目の前で聞けました。スペイン人達は、歌の内容に耳を澄まして、食い入るように聞いていました。そして時々、掛け声を、『オーレー !』と小声でかけるのです。そして、微笑みながら、相槌を打っています。ギターが歌を盛り上げ、ファルセータ(メロディー)の、なんともいえない"間"というか、音の"鳴き"を聞いてか、周りの人たちが『オレー』と微笑み混じりの掛け声をかけていました。
この「ペーニャフラメンコ」では、数ヵ月後、ギタリストの『エンリケ・デ・メルチョール』のギターソロも聞きました。その時、何と、彼の親父のギタリスト『メルチョール・デ・マルチェーナ』が息子のギターを聞きに来ていました。エンリケの演奏中に、私たちの方を見た名匠に「おまえさんら、右手の爪が長いが、ギターやってんのかい?」とジェスチャーで聞かれ、友人と一緒に頭を縦に振って「はい」と答えました。するとギターを弾いている息子の方を見て、右手でギターを弾く格好をして、同じ右手の手のひらを下に向け、その手のひらをゆっくり揺らし(「息子の出来は、まあまあだ」の意。)、手振りで話してくれたあのヒターノの名匠ギタリストのダブルの背広姿がとても印象的でした
来月に続く
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