『 ここが日本で憧れていたスペイン !』
今なら、マドリッドからセビージャまで、AVE(日本でいう新幹線)で行けば、2時間半ですが、
私が始めてセビージャに行った時は、アト−チャ駅を、夜の11時に出発して、セビージャに朝早く着くという夜行で行きました。 初めて着いたセビージャのコルドバ駅から、地図を見ながらまずは知人の住む、トゥリアーナ地区を目指して歩きました。 またここは、フラメンコの古い伝統をもち、セビージャのヒターノ(ジプシー)居住地で、フラメンコの歌い手や、踊り手、また、有名な闘牛士が たくさん昔から住んでいると聞いていた所です。 グアダルキビル川にかかる「イサベル2世橋」-通称・『トゥリアーナ橋』- まで歩き、川向こうのトゥリアーナ地区をはじめて見た時、 「本当に今もヒターノがたくさん住んでいるのかな〜 、フラメンコのアーティストもたくさん住んでいるのかな・・・??」と思いながら この橋を渡りました。 この、トゥリアーナ橋は、「エッフェル塔」の時代のもので、ほとんど「鉄」で造られています。自動車が横を通った時、足元が少し変だな?と感 じたのですが、大きなバスが私の横を通過した時、はっきり橋が上下に動いているのがわかり、「この橋、大丈夫かな?」と心配しながら渡りました。 ふと振り返ると、遠くに『ヒラルダ』(大聖堂の尖塔)や、『黄金の塔』、そして、 『マエストランサ闘牛場』、また、周りの建物よりもひときわ高い「シュロ」の樹、等が、6月(こちらスペインではもう夏)のコバルトブルーのもとで、 日差しのかなり強い朝日を浴びていました。
セビージャは古くから陶器が有名で、トゥリアーナには、花柄の絵ざらや壺を売る店がたくさんありました。
そんな店がならぶ、橋を渡って正面前方にのびる「サン ハシント通り」の「ペンション」に宿を決め、知り合いに紹介してもらった人に会いに行きました。
彼のアパートの近くには、昔、『異端審問所』( カトリック世界で主に異端者の告発と処罰を目的として13世紀に設けられた機関。 ----スペインでは、1834年廃止された。--- )が在ったそうで、今も、通りの名前( INQUISICION 通り)として残っています。 ・・・ということや、コロンブスが、ここセビージャに持ち帰った(かっぱらった)金の量とか、・・・、博学の彼、原さんからは、その時、 いろんなおもしろい話を聞きました。
ここセビージャでは、夕方、どこを歩いていても、なぜか疲れません。「BAR(バル)」で、コップ一杯の「カーニャ」(生ビール)とタパスをつまみ、
違う店では、美味しいタパスと「へレス」(シェリー酒)でまた一杯。飲み歩く街並みは、白壁の家々、ベランダには花を咲かした植木鉢、
街路樹が、オレンジで、夜は、どこか暖かさを感じさす水銀灯です。そして、常にどこからともなく、「パルマ」(フラメンコの手拍子)が
聞こえてくるのです。
来月に続く
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