『シエスタ(昼寝)は、一日を二度楽しむため !』 6月の半ばのセビージャは、朝晩はまだ涼しいのですが、昼間は35度を超え、40〜43度ぐらいまで上がることがあります。 しかし日本のように湿気がありませんので日陰は風があると意外と涼しいのです。
ある日、いつものように、ペンションの向かいの「BAR(バル)」(日本の喫茶店、兼居酒屋)で遅い朝食(コーヒーとチュ−ロス)をすませ、
散歩に出かけました。
橋を渡らず、川べりのベティス通りをぶらぶら歩いていると、魚を釣っている人がいました。しばらく見ていましたが、あまり釣れないようです。
『黄金の塔』の向かいあたりまで歩き、「リオ グランデ」という高級なレストランの横の「BAR(バル)」で休憩。
川の向かい側の街並みを見ながら、カーニャ(小コップ一杯の生ビール)とタパスの「チャンケッテ(5センチ位の小イワシ)のから揚げ」をつまみ、
また、フラメンコは、日本の幕末から明治維新の時代に、今の" タブラオ "(フラメンコを見せる店)の初期の「カフェ・カンタンテ」 (ヒターノたちの歌、踊りを主体としたアトラクションを見せる居酒屋)がこのセビージャで始まったんだな。・・・などと考えているうちに、 小さいコップの「カーニャ」が、「タンケ」(日本の生ビールの小ジョッキーぐらい)に変わり、ラジオからは今年のヒット曲の 「セビジャーナス」が聞こえ、つまみも、「ポークのトマト煮」、「タコの酢の物」、「ホタルイカのから揚げ」というタパス(小皿のつまみ)に 変わっていきました。 少し早い昼食が済み、左側前方の『黄金の塔』を見ながら、「サン テルモ」橋を渡り『ヒラルダの塔』を目指して歩いていると、 ビールを少し飲みすぎたのか、トイレがしたくなり、ちょうどホテルがあったので助かりました。とても豪華な五つ星で、 『 アルフォンソXIII 』といい、自分の恰好が少し場違いかなと思いながら、しかし、馬鹿にされたらアカンと思い、 悠々とトイレをして出て来ました。 ホテルを出て、左側に天使が彫刻された噴水を見ながら横断歩道を渡り、ツーリストオフィスを過ぎると、 コロンブスが集めた新大陸の資料を納めた「インド古文書館」が右に、そして世界で一番大きな「カテドラル」(大聖堂)が正面に ドカ〜ンと現れびっくり。スペイン人が『 セビージャ、マラビージャ! ヒラルダ!、プータマドレ!!』といって誉めて自慢する、 『 ヒラルダの塔 』・・・とにかくスゴイ、、、そしてまた、気高さも感じ、「なるほどな〜」と納得しました。 『 塔の一番上は信仰のシンボルの女性で、風見になっていて、ヒラヒラ動くから「ヒラルディージョ」と言うのです。 』 と教えてくれたのも「原さん」でしたが、当然、塔の下からは風見は見えませんでした。 大聖堂を後に大通りを進むと、古い市庁舎がありました。「この中に、この前聞いた、支倉一行が持ってきた『巻軸』が本当にあるのかな〜 ?」 と、彫刻が施された立派な建物を見ながら思いました。 そして、地図を見ながら、市庁舎の横のプラサヌエバという広場を横切り、闘牛場へと向かいました。 「マエストランサ闘牛場」の横の大通りの向かいに建っている、あのオペラの「カルメンさん」の像に挨拶して、トウリアナ橋を渡り、 ペンションに戻って、また夜のための、「シエスタ」(昼寝)です。今日の夜に会う人から「カンテフェスティバル」 (フラメンコの歌のフェスティバル)の情報が聞けるのを楽しみに、ぐっすり寝ました。
来月に続く
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