第18回(2003年8月)


『夏のフラメンコ・フェスティバル (2)』

 「プエルト デ サンタ マリア」という港町で初めてフラメンコの「カンテ・フェスティバル」を体験し、 アンダルシアの人々がフラメンコをどのように楽しむのかを観て、また一歩、フラメンコに近づけたと思いました。

 レコードでしか聞いたことがない有名なカンタオール(フラメンコの歌い手)達を、実際に見て、歌を聞いて、土地の人々と一体となって、 『オレー!』という歓声の中で行われるフラメンコの歌のフェスティバルに、正直に言って、戸惑い、圧倒され、何も食べずに、 ただただ録音することに気をとられ、楽しむ余裕はありませんでした。
 マドリッドの「タブラオ」や劇場で観たフラメンコとはちがったものを感じました。ここでは、舞台の上のアーティストが主役ではなく、 その場にいた全ての人が共有する" 何か "が主人公なんだなと思いました。

 夜空の下で、ワインやいろんな食べ物のにおいが漂う中、幼児から子供、年頃の若い男女、おとうちゃん、おかあちゃん、 葉巻をくわえたおじいちゃん、エプロンを着けたままのおばあちゃん、・・・みんなが『オッレー!』『おーれ〜!』と歓声を飛ばし、 皆がひとつになっている雰囲気のなかで、いまひとつ、周りに溶け込めない自分に気が付いていました。

セビージャにもどり、トゥリアーナ(地区)を歩き回って、人々の生活を見るのがとても興味深く、顔見知りのスペイン人を見ると 「オラ〜!」と話しかけ、親しくなろうとしました。
「バル」(BAR)も「タパス」(小皿のつまみ)の美味しい店を何軒か選び、毎日、シエスタ(昼寝)の後、飲みに行きました。 だいたい同じ時間に行くと、いつも同じ、おっさんや、粋なお兄ちゃん(常にアイロンのかかったワイシャツとズボン、 長髪をくしでオールバックにとかし、革靴を素足で履いていた。)に会えました。

 ある「バル」では、「フィノ」(辛口のシェリー酒)を皆が飲んでいるので、私も飲みながらその場の雰囲気を楽しんでいました。 ラジオからは、何処かの「カンテ・フェスティバル」の実況録音が流れています。
サンチョ・パンサのようなお腹をしたおっさん達は、『オッレー !』と声をかけたり、カンタオール(歌い手)の「詩」の話や、 「歌い節」について話している様子で、その話し方が、七五調の歌でも聞いているような心地よい響きで、 本当に詩の朗読でもしているようでした。
・・・ことばがもっとわかればな〜、スペイン語ができれば話の中に入れるのにと思いながら、皆の様子を見ながら「バル」の カウンターの隅で飲んでいました。

『 XXIII POTAJE GITANO ― UTRERA 』 (1979年6月23日) というフェスティバルを観に、セビージャから、30キロほど南東にある町、「ウトレラ」に行きました。  町にバスで着いて、野外のフェシティバル会場の場所を人に聞いて行ってみると、町の郊外に出てしまいました。 また、町に戻り探していると、さっき教えてくれた兄ちゃんが、こちらを向いて笑っています。
・・・その時は腹が立ちましたが、スペイン人に慣れてきた頃、わかったのですが、ただ、知らないということが、 スペイン人は言えないだけで、別に悪気は無いということです(?)。 また、スペイン人は周りにスペイン人が居ても、 我々外人に道を聞いてきます。そんな時、私はわかりやすく正確に教えてあげますし、知らなければ知らないと正直に伝えます。・・・

 夕方の、8時半頃、やっと見つけた野外会場に入り、録音が上手くできそうな場所に席を取り、座っていると、 まわりのスペイン人が美味しそうな料理を手に持っているのです。うらやましそうに見ていたのが通じたのか、 『これ、タダやで〜、早よう行って貰ってこんかいナ〜!』と教えてくれたのです。
「ポターヘ ヒターノ」という料理で、「ジプシー風のポタージュ」というか、豆やジャガイモ、にんじん、たまねぎ、 チョリソ(ソーセージ)、皮の付いたままのにんにく、・・・とにかく、いろんなものが入ったもので、なかなか美味しい料理でした。 木のスプーンも付いていて、かめないものを出しながら(腸詰の紐や皮、にんにくの皮など。)食べました。

 この料理の名前の「POTAJE GITANO」が、この町・「ウトレラ」のフラメンコ・フェスティバルの名前なんだと食べながら気が付きました。  (なんか飲みたいな〜)と思っていると、隣のおっちゃんとおばちゃんが、皮袋に入った赤ワインをくれました。
皮袋を押さえるとワインが細く飛び出し、それをすばやく口にうまく入れるというのですが、なかなか難しくアゴや首にかかってしまいます。 まわりのスペイン人がお手本を見せてくれるのですが、どうも上手くいきません。

 食べたり飲んだりしていると、舞台で若い二人が、パコ デ ルシアのギター曲「エントレ ドス アグア」を弾いていました。演奏が終わると、 司会者が出てきて挨拶し、出演するアーティストを紹介して、カンテ・フェスティバルが始まりました。

はじめのカンタオール(フラメンコの歌い手)は、シェリー酒で有名な町「ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ」の『フェルナンド・テレモート』 、 ギターは、『マヌエル・モラオ』です。
若い頃は踊り手だったとは想像もつかない巨漢の「テレモート」が出てきて、椅子に座り、「仁王」(金剛力士)さまのような大きな目で、 少し周りを見てから、挨拶をはじめました。
『・・私は、この村で歌えるのが光栄〜です。・・・え〜、フラメンコのカンテを愛する村と神が〜・・・』と話していると、 『話はええから、はよ歌え〜!』と野次が飛びました。・・『もうちょと、待ってくれや〜!?・・(少し怒った顔で、ブツブツ・・ せっかく、ちゃんと、なれへん挨拶してんのに!・・)』・・・会場から大きな笑い。・・・

挨拶を続ける「テレモート」、『この村は、ほんまに、ええ村や、カンテをわかっているし、うまい歌い手も居るし〜・・・そして〜、 私の村もそうやけど!。・・・ひとつ言わしてもらうで〜、・・ウトレラ、万歳!、ヘレス、万歳!』・・・『これでOKやろ〜?!』・・・会場から拍手。
『まづは「ソレアー」から歌いまスァ!』・・・「モラオ」のギターと共に延々と15分の「ソレア」を聞きました。 途中なぜか「花火」が何回もうちあげられました。しかし、みんな花火には惑わされないで、「ソレア」をジックリ聞いています。

 歌が終わると、何度となく『オッレー〜!』の歓声があがりました。
そして、周りの人々は、またワインを飲んだり、つまみを食べたり、隣の人と「テレモート」の歌について、興奮してしゃべったり、 ・・・再び会場が騒がしくなりました。・・・舞台では「テレモート」が汗を拭き、「フィノ」を飲んでいます。

 そんな中、ギターの「モラオ」が『シギリージャ』を弾きはじめると、ざわめいていた会場は「シーン」となり、しばらく聞いていると、 私にも『ガーン!』となんともいえない雰囲気が伝わってきました。
そして、テレモートが歌い始めると、さっきまで、一緒に食べたり飲んだりして騒いでいた、隣のおっちゃんや、おばちゃんをはじめ、 全ての人が異様は雰囲気に包まれていく変化を感じました。 会場の雰囲気が徐々に「 ジーン〜 」と重くなり、人々は下を向いて、 「テレモート」のカンテと「モラオ」のギターに引き込まれていきます。・・・カンテの歌詞の内容がわからない私は、はじめ、 いったいどうしたのかわかりませんでした。しかし、なんともいえない会場に漂う" 気 "を身体で感じました。

   歌が終わると、すごい拍手と歓声が起こりました。隣のおじいちゃんは、私に腕を見せ、『見てみ〜 ほれ! 鳥肌がまだ消えへん〜!』 と言いながら一人でうなずき、目は涙で潤んでいました。・・・・・・


来月に続く

■エル・アルボンディガのプロフィール


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