ラ・タティーの踊りの表現の豊かさには、ビックリしました。「ソレア」が歌われている時の彼女は、綺麗な衣装を着た19世紀頃の婦人のように 思え、ジャマーダ(〆、区切り。新しい事をはじめる前の一つの終わり。)でカンテ(歌)をかっこよく盛り上げて終わり、「エスコビージャ(足のリズム)」が始まります。 踊り手の感性の豊かさと、足の技の見せ所でもあるこの「エスコビージャ」で、タティーの感情の押さえからか、テンポもゆっくり始まり、 徐々に盛り上がっていく変化、また、どうしたのか、音が静かになり、テンポも遅くなっていき、悩みを抱えているかのような振りが続き止まるかと 思うと、徐々に、考え方を変えたのか、落ち込んでいた気持ちをだんだん晴らすかのように、テンポが上がり、音も強く軽やかになり、 胸を張って踊るのです。時にはスカートを持ち上げ、また、腰を色っぽく動かしたり、・・・
・・・・『あんな男の一人や二人、ドウ〜ってことないわ! 私の方からバイバイしてあげるわ! フン ! そこのお兄さん、私の綺麗な足見てんの
〜? それとも私の身体の曲線美 ? 結構いい女でしょ! わたし〜。 声をかけてもいいわよ、一緒にお酒飲まない!!』と、
言っているかのように観えたのです。
タティーの踊りの後、ランカピーノが歌うまで、しばらく、フェスティバルも休憩。ワインを飲んだり、つまみを食べたり、わいわいがやがや。・・
このおばちゃんの家に昔、日本人がホームステイしていたとかで、以前、話しかけられ、家におじゃましたことがあります。
『日本はスペインより何もかもが進んでいると聞いたんやけど〜、街はどうなってるのや?』・・・『そら〜もう、自動販売機にお金を入れたら、
何でも出てくるし、車は喋るし、道は歩かんかて、道が動くし〜、地下鉄があり、地下街には何でも売っているし、人は多いけど〜、シエスタ(昼寝)は無いよ、
また、美味しくて安いワインも無いな〜、・・・・』 このおばちゃんは、路線バスに乗ってポルトガルとの国境を越え、シーツやテーブルセット、綿のタオル、麻の布、コーヒー、等を買出しして (当時、これらの物はスペインよりポルトガルの方が安かったのです。)、 その日にセビージャに戻り、家々を回って行商して、 無くなったらまた買出しに行くのです。 『今、息子に小遣いもやれない時が〜、腰は痛いし〜、でも、もうじき楽になるやろから、 ビールもう1本飲もか?』・・・・『------ん〜。』・・・・・
・・・・あれは、私がまだ小学生の3年生ぐらいの頃でした。隣町内の、大八車を牽いて八百屋の行商をして三人の息子を養っているおじさんが、
家に来て私の親父に何か泣きながら話して、帰っていきました。
翌日、私と親父は一緒に家を出て、学校に行きました。親父は職員室に「殴りこみ」、いいえ、抗議するために入っていきました。
このトゥリアーナのおばちゃんには、何度も食事をご馳走になりました。ある日、私のおふくろのことを話しました。 フェスティバルが再び始まり、歌い手も、ランカピーノ、フアニート・ビジャール、カマロン、レブリハーノ、エル・アレネロ、ペドロ・ペーニャ、 チケテテ、そして、ファル−コの踊り、・・・と、延々と続き、終わった時は、空がもう明るくなってきていました。
来月に続く
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