はじめて過したセビージャでの体験で、私は「フラメンコ」のとんでもない深さを知り、自分はどこから、何を勉強すればいいのかも判りませんでした。 『おばちゃん、マドリッドに帰るわ、』 『なんや! マドリッドに行くのか?』『おばちゃんのこと、忘れへんで〜、「グラシアス ポル トード」(いろいろとお世話になり有難う!。・・・前の日に覚えたこの言葉が言えて良かった!!)本当にグラシアス!おおきに!』・・・と私がお礼を言うと、おばちゃんは、それまで見せなかったまじめな顔になり『大した事してないがな!・・・いつでもまたおいでや!気いつけてな!』『おばちゃんも身体に気つけや!また来るわ、アスタ プロント!』・・・と世話になったおばちゃんに挨拶しマドリッドに戻りました。
マドリッドの「アモール」のスタジオでは、夏のバカンスも終り、『パコ・フェルナンデス』のクラスレッスンが始まり、また、ペンションとスタジオを往復する生活が始まりました。 踊りの構成は基本的に同じで、はじめにギターが短いメロディーを引き、歌が始まり、歌に合わせた踊り(歌振り)、そして踊り手の「サパテアード(靴音の技)」、再び歌と歌振り、そして再び「サパテアード」になり、テンポが早くなっていき、歌も加わり、盛り上がって終わっていきます。
踊りの構成や、コンパス(リズム)がわかったといっても、どんな気持ちで、どのような雰囲気で弾けばいいのか自信が持てませんでした。踊り手や歌い手、そしてギター弾きが、気持ちを入れて表現するその“フラメンコの『アイレ(雰囲気)』”の源を知りたくなりました。
日本で民謡、演歌、歌謡曲、ビートルズ、グループサウンズ、フォークソング、百恵ちゃん、ジャズ・・・を聞いて育ち、フラメンコに出会い、スペインにやってきた者とは違うわけです。
こんな時に逢ったのが、セビージャで知り合った「チャンケ」さん(日本で活躍しているギタリスト)でした。彼に、『フラメンコ詩選』(飯野昭夫編著)の本を教えてもらい本当に良かったと思っています。 今まで、少しわかる歌詞と歌い節の雰囲気で漠然としていた「カンテ」(歌)の内容が、解説をもとに、何度も繰り返して読むことで、詩を味わう事が出来るようになってきました。
スタジオのクラスレッスンを弾いていると、クラスを受けている人に、個人練習の時の伴奏を頼まれ、忙しい時は1日に8時間も伴奏をした事があり、食事の時に箸も持てないぐらい疲れたのを覚えています。
スタジオで個人稽古の伴奏をすることが生活になっていった頃に、『ロシオ』というプロのバイラオーラ(女性の踊り手)に出会いました。彼女はマドリッドの「タブラオ」や「フィエスタ」(お金持ちが個人的に催すフラメンコの宴)などで働いている「ヒターナ」(ジプシー)でした。「タンゴ」や、「ブレリア」、「ルンバ」の曲も踊りながら歌います。 スタジオの帰りに一人でよく飲みに行っていたBAR(バル)では、マドリッドに住んでいる日本人の絵描さん達ともよく逢い、友達になりました。このBARはレストランでもあり、カウンターで生ビールをコップ一杯注文すると、おいしい「つまみ」が付いてくるのです。一杯ごとに違うものをサービスしてくれて、5杯も飲むとおなか一杯になったものです。
ある日、『フラメンコのダンサーを描きたいのですが〜、だれか紹介してくれませんか?』・・と知り合いになった画家に聞かれました。『いいですけど』・・・となり、お付き合いが始まりました。
私はこの“ ふんちゅう先生 ”に「ロシオ」を紹介する事にしました。 この “ ふんちゅう先生 ”は一週間もスタジオに通い、踊っている瞬間のデッサンをはじめ、練習の合間に椅子に座って休んでいるところや、踊っている時の彼女の表情も描いていました。・・・“ ふんちゅう先生 ”の本名は『MASAYOSHI AIGASA』といいます。 今は東京の某美術大学の教授だと、奇遇にも最近マドリッドで知り合った、この先生の生徒だった絵描さんから聞きました。 <p> 『踊り子 ロシオ』という画(油絵とデッサン)は画廊が売らないことにしたと云う事を、以前、先生からの手紙で知りました。 稽古着のままで、汗をかいて座って休んでいる、ヒターナ「ロシオ」・・・この画は、とても“フラメンコ”を感じさします。
来月に続く
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