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下町の飲んべぇ風豆知識、シェリー酒・後編


どうしてヘレスのお酒がシェリー酒と言う英語名で呼ばれるのでしょう?

お酒は、コニャック、シャンパンなどのように、良くそれが作られる地名で呼ばれる事があります。ヘレスも同じで、通常、原語名、総称として「ヘレス」と呼びます。ところが、日本人を含めて、シェリー酒と言えば判ってもらえても、ヘレス、或いは、ヘレス酒と言っても判ってもらえない場合が多いようです。 一体、シェリーと言う名称はどこから生まれた、何物なのでしょう?

ここで、少し、酒に酔ってタイム・スリップをしてみましょう。。。

15、16世紀、ヨーロッパ世界でスペインとポルトガルがその最盛期を迎えました。 俗に言う大航海時代です。ポルトガルは南北に細長い国土を持ち、北と東はスペインと言う大国に圧迫され、非常に息苦しい思いをしていた訳ですが、西方にはどこまでも広がる大西洋が横たわっていました。この広い海に未知なる世界を求めるのも当然の事だったのでしょう。その辺りにポルトガルが小国ながらも、残した華々しい海の歴史があるのでしょうね。同じ時代、隣の大国スペインも負けずに大海へ乗り出して生きました。両国がしのぎを削って海の覇権に挑んだために、より大きな成果をあげる事が可能だったのでしょう。 バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見し、コロンブスが新大陸を発見し、マゼランが初の世界一周を成し遂げた、、、誰もが歴史でおなじみの出来事ですね。これだけ華やかな時代がこの両国にはあったのです。ところが、、

奢れる者も久しからず、、、、盛者必衰の理をあらわすの如く、これらの時代はいつまでも続きませんでした。 スペイン、ポルトガルが衰えを見せると、次に台頭してきたのがイギリスであり、フランスです。 イギリスにはウェリントンが、フランスにはナポレオンがいました。共に目の上のたんこぶ! ライバル同士です。 そう言った中で、ポルトガルが、火種となりました、、、イギリスと条約を結んだのです!

俺の大嫌いなウェリントンと条約を結ぶとは、気に食わぬ奴、、、、、

とナポレオンはポルトガルに対して腹を立て、ポルトガル侵略作戦を開始します。  フランスから船隊を組んでポルトガルへ攻め込んできました。 ところが、、、

せっかくポルトガルと条約を結んだのに、いらぬ邪魔をしおって、、、、

とイギリスのウェリントン、ナポレオンの海軍がポルトガルへ向かう途中で、横から攻撃を加え、ことごとく邪魔をします。 ナポレオンさん(下町のナポレオンではありませんよ〜、、、ん? そんな焼酎ありましたねぇ、、)、何度か、海軍によるポルトガル攻撃を繰り返しますが、再三のウェリントンの邪魔によって、どうしても目的を達する事が出来ず、ついに海からの攻撃を諦めました。

うーむ、、、こしゃくなウェリントンめ、、、海が駄目なら、陸から攻めてやろうぞ、、、、

とナポレオン、完全に作戦変更。しかし、フランスからポルトガルへ内陸から攻め込もうとすると、どうしても通過せねばならない大地が横たわっていたのです。

それが、、、スペイン!!

フランスからピレネーを越えると、そこはもうスペインの国土、、、ここを通らねばポルトガルへは侵入できない。 そこで、ナポレオンは当時のスペイン王、カルロス4世と話をつけ、堂々とスペイン国内を行進してポルトガルへの攻撃を開始したのです。 ところが、、、

うぬ、生意気なナポレオンの奴、内陸から攻める気か、、そうはさせぬ、、、、

とウェリントンさん、ポルトガルに話をつけ、国を守ってあげましょう、、と公然とポルトガル国内に入り込み、スペインから攻め込んでくるナポレオン軍を待ち伏せしたのです。 こうして、コインブラはブサコの合戦が始まります。結果は、待ち伏せされているとは全く知らなかったナポレオン軍の完敗。 2,3度、敗北を重ねた後、ついにナポレオン軍はポルトガル侵略を諦めて引き上げて行きました。その結果、何が起きたかと言うと、、、

これ以来、ポルトガルはイギリスに頭が上がらなくなり、なんでもかんでもイギリスに 有利なように取り決めが行われます。その中で、今もポルトガル政府が誇る酒と言えば、 世界中の方がご存知のポートワイン、、、、  どうして、ポルトガルの地酒なのに人々はこれを英語名、「ポートワイン」と言う名前で知るようになったのでしょう?  原語名は、勿論ポルトガル語で「ビニョ・ド・ポルト」と言いますが、そう言って何の事だか判ってくれる人はめったにいません。イギリスはこの酒に目をつけて、その多くの権利を押さえて、本国に持ちかえり、イギリス経由で、英語名、ポートワインと言う名称をつけて、まるで、イギリスの酒のようなニュアンスをしょわせて世界に売り出したのです。 そのおかげで、ポルトガルの酒が世界に広まりました。文化を広めてくれた事に関しては喜ばしい事なのでしょうが、その国のその地方に根ざす文化である酒が、別の国の文化であるような誤解を伴って広まってしまったのは、多少、残念な気もする、一飲んべぇでありました。。。

さて、今までのお話がスペインのシェリー酒と何の関係があるのか、、、いえいえ、これが大有りなのです。 ポルトガルのコインブラの側、ブサコの森で完全なる敗北を強いられたナポレオン軍、そのままおめおめと何もせずにフランスへ帰ったと思いますか?

ふー、、、ひでーめにあった、、、あのウェリントンめが、、、むなくそ悪い、、、
このままではすまぬぞぉー、、、、、どうしてくれようか、、、ん? 待てよ、、、
そう言えば、我々は全軍がスペイン内に居る訳であるからにして、このまま この国を侵略、併合しない手はあるまい、、、、
スペインを頂いておこう!!

とまぁ、こんなものでしょうか、、、ナポレオンさんの胸のうちは、、、 さー、スペインは大変です、、、腹の中に爆弾を抱えてしまったわけで、もう逃げられない! これで、かつての大イスパニア帝国もこの世から抹消されてしまうのか、、、

なにぃ? あのナポレオンが、スペイン侵略を始めおっただと? どこまでも生意気なやつ、、、、そんな好き勝手な事はさせまいぞ!

とこちらは、イギリスのウェリントン、、、まぁ、ご丁寧な事に、ポルトガル国内から国境を越えて、スペインへと流れ込んできます。

侵略者からお国を守ってしんぜよ〜、、、と大義名分をたずさえて、、、

結果、隣国ポルトガルの場合と同様、ナポレオン軍はついにスペイン侵略を諦めてフランスへと帰っていきます。 この時、スペインはイギリスのおかげで歴史にその存続を許されたのです。それ以来、何かにつけてイギリスとスペインの間ではイギリスに有利なように事がなされるようになります。その中で、またもや、酒好きのイギリス人、やってくれました。 片田舎のヘレスで作られていた不思議な酒、これの多くの権利を押さえ、イギリス本国にも持ちかえり、英語名シェリーと言う呼び名でイギリス経由で世界に売り出したのです。そのおかげで、スペインの一地方の地酒が世界に広がったと言う喜ばしい出来事があった反面、ヘレスの地元に根ざした文化であるはずのものが、まるでイギリスの文化であるような誤解を伴って広まってしまった事にも、やはり寂しいものを感ずる一飲んべぇでありました。

さぁ、呼び名にこだわる必要は全くありませんが、ヘレスの気候風土が生み出した 奇跡の花、、、そして、この花が生み出した奇跡の水、ヘレスの水の、素晴らしい香りと味わいを味わってみようではありませんか、、、、、ヒック!