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スペイン音楽のアーティスト達《フラメンコ編》

今スペインで活躍しているアーティスト達、スペインで世代を問わず広く愛されている アーティスト達って?
個人・グループを問わず紹介してみたいと思います。

Duquende (ドゥケンデ)
1965年にサバデル(バルセロナ)に生まれる。幼い頃カマロンのコンサートで 彼の伴奏で歌う。その後トマティートのグループで共演。1993年に彼の伴奏で 「Duquende con la guitarra de Tomatito」を発表。97年からパコ・デ・ルシア のセクステットに加入。来日を果たす。2000年7月にイシドロ・ムニョスの プロデュースで7年振りの新譜「Samarco」を発表。巷では『カマロンの再来』と 言われ評価が非常に高い若手カンタオール。
Enrique Morente(エンリケ・モレンテ)
1942年グラナダ生まれ。若くしてマドリッドに移り住む。古くから歌いつづけ、 74年にペペ・アビチュエラの伴奏で名盤「ドン・アントニオ・チャコンに捧げる (Homenaje a D. Antonio Chacon)」を発表。国家音楽賞を受賞。95年に 文部省選定の国家音楽賞を受賞。彼の特徴は伝統的なカンテを完璧にこなしながら も、ロックやクラシック等の音楽とフラメンコの融合を試み、常に新しいことに 挑戦している事だろう。96年にロックバンド、ラガルティーハ・ニックと共演した 「Omega」を発表。98年発表の「Lorca」で、一流のギタリスト達をバックにロルカ の詩を歌っている。2001年には「En la casa museo Federico Garcia Lorca de Fuente Vaqueros」 を発表。2003年発表の「El pequen~o reloj」ではサビーカスやラモン・モントージャなどの 世を去った名ギタリストの演奏に自分の歌をかぶせると言う斬新な試みが見られる。
Jose el Frances (ホセ・エル・フランセス)
1993年に「Las calles de San Blas」でデビュー。マドリッドの若きヒターノ達に流行り、 2週間で2000枚売り上げる異例のヒットとなる。その後「Somos Perfectos」を発売し、2000年に 新譜「Alma」を発表。その中の『Ya no quiero tu querer』ではニーニャ・パストリとデュエット。 夏の大ヒットになり、「フラメンコ界のアレハンドロ・サンス」と呼ばれる。が、麻薬所持(本人は否定) の罪により、服役を余儀なくされる。その収監前録音した「Jugando al amor」を2002年に発表。 彼の音楽はフラメンコにポップス・レゲエ等を取り入れており、彼独特の世界を作り上げている。
Juan Manuel Canizares (フアン・マヌエル・カニサレス)
1966年サバデル生まれ。7歳でギターを弾き始め、10歳で地元の音楽学校入り。14歳でテレビのフラメンコ番組で演奏。
エンリケ・モレンテ、カマロン・デ・ラ・イスラ、パコ・デ・ルシアとの共演のほか、エル・ウルティモ・デ・ラ・フィラ(1989年ツアーに参加)、ジョアン・マヌエル・セラ、ピーター・ガブリエルなど国、ジャンルを問わず様々なアーティストと共演。カルロス・サウラ監督の「フラメンコ」にも出演した彼は、1998年まではパコ・デ・ルシア・セクステットで活動、以降ソロ活動に専念。現代フラメンコギターを代表する演奏家の1人。
Ketama (ケタマ)
フラメンコの名門家系に産まれたホセ・ソト、フアン・カルモナ、ライ・エレディアのギタリスト3人が 80年代初めに結成。85年に「Ketama」をリリース。その後ライが脱退(名盤「Quien no corre, Vuela」を残し1991年に死去)、フアンの弟アントニオがヴォーカルで、87年にフアンのいとこの ホセミゲルがギターで加入。92年にホセ・ソトが脱退。95年発表のライブ盤「DE AKI A KETAMA」が プラチナ・ディスクとなる。1999年に新作「Toma!KETAMA」を発表。バル経営が忙しかったのかしばし沈黙 していたが、2002年に「Dame la mano」を発表(このCDは「Fiesta gitana」と銘打ったDVD付き)。 彼らの音楽はフラメンコにサルサやポップス、ロックを取り入れた、いわゆる「ヌエボ・フラメンコ」の代表格。 また、他のフラメンコのアルティスタのプロデュースや歌伴奏、共演も大変多い。
La barberia del sur(ラ・バルベリア・デル・スル)
ケタマのホセミゲルをはじめ4人の若きヒターノ達が結成したヌエボ・フラメンコ のグループ。1991年に「La barberia del sur」でデビュー。2000年の「una noche en el Septimo」 (ライブ盤)までに5枚目のCD(「Histrias de un deseo(1993)」、「Tumbanos si puedes(1995)」)、 「Algo pa nosotros(1997)」、「Arte pop」)をリリース。中でも「Algo pa nosotros」は ゲストにチャノ・ドミンゲス、ホルヘ・パルド、カルレス・ベナベンというジャズ系のアルティスタ を迎えた意欲作。2004年にはヴォーカルのネグリがパコ・デ・ルシアと共にアメリカツアーに でるらしい。
Lolita(ロリータ)
1958年5月6日アントニオ・ゴンサレス"El Pescadilla"とロラ・フローレス"La Faraona"の長女として生まれる。フロレース3兄弟の一番上。幼い頃から引っ込み思案な上、母の偉大さを理解していたロリータはアーティストになることは考えていなかった。そんな彼女を周囲が説得し、1975年“Amor amor”でデビュー、大ヒットとなり映画やテレビドラマにも出演するがその後スペインでの人気が頭打ちとなり、中南米で活躍。83年結婚、88年に長女、93年に長男を出産するが、95年夫と別居。この年母と兄を続けて亡くす。97年発表のアルバム“Lola Lolita Lola”がゴールドディスクを獲得するヒットとなる。がっしりした外見に似合わずフラメンコ調のセンチメンタルなバラードが得意。
Maria Jimenez(マリア・ヒメネス)
1950年、セビージャ生まれの、シンガーでもありフラメンコ歌い(cantaora)。 彼女がアーティストとしての一歩を踏み出した頃、スペインは40年に及ぶフランコの独裁政権 から民主主義への変換を遂げるその過渡期だった。 1976年に、ギタリストPaco Ceperoのアレンジで最初のCDをリリース。 ルンバ、タンゴおよびボレロ、ブレリアなどのフラメンコの他にもメキシコ民謡を取り入れた本作は 成功を収めその後10年間は「Me doy entera」 、「Hablame en la cama」で安定した人気を誇ったが、 その後数作は低迷。2000年には彼女の40のヒット曲を集めたベスト盤が発売されたが、人気が 再燃したのは2002年にカブラメカニカやエストパ等の若いアーティストたちの協力を得て、ホアキン・ サビーナの曲を歌った「Donde mas duele」をリリースしてからだった。 現在の彼女の魅力は、中年女性の開き直りと奔放さ、そしてちょっと物悲しさを感じる歌い方と いえるか。もちろん歌唱力もあり。スペイン版美川憲一の様な衣装も話題。
Mayte Martin(マイテ・マルティン)
1965年にバルセロナ出身。 アンダルシア出身の父親の影響でフラメンコを聴いて育ち、独学で カンタオーラとしての才能を自ら育てて行き、10歳でカンテのコンクールに 出場、22歳で’87年度のカンテ・デ・ラス・ミナスで総合優勝、89年の コルドバのコンクールでも受賞するという輝かしい経歴を持つ。彼女は フラメンコだけではなく、他のジャンルでもその才能を発揮している。'94年にチクエロの伴奏で 「Muy fragil こわれもの」を発表後、'96年にはスペイン屈指のジャズピアニスト、 テテ・モントリウと共演しボレロを歌った「FreeBoleros」を発表。2000年にホセ・ルイス・ モントンの伴奏で「Querencia」を発表。'01年度のラテングラミー賞の最優秀フラメンコ賞に ノミネートされた。'03にラテン音楽界の巨匠達のボレロをカバーした最新作「Tiempo de amar」を発表。 彼女は非常にしっかりとした上手い歌い手で、泥臭い雰囲気は殆ど無く、声も非常に透明感がある。 しかし技巧的にだけではなく、感情表現の豊かさは特筆すべき物がある。
Miguel Poveda(ミゲル・ポベダ)
1973年バダロナ(バルセロナ)生まれ。1993年、フラメンコ界では権威あるラ・ウニオンのフェスティバル・デ・ラス・ミナスで最も価値ある賞 "Lampara Minera"を含む4つの賞を受賞。以降彼のキャリアは上り坂。同年ビガス・ルナ監督の映画“おっぱいとお月さま”に出演、 95年ファーストアルバム"Viento del Este"を発表、99年リリースの"Suena Flamenco"はラテン・グラミー賞候補作となる。 来日公演経験もあり。とにかく上手い。歌唱力、表現力、音感全てに優れた稀有の歌い手。
Nina Pastori(ニーニャ・パストリ)
1978年、カディスはサン・フェルナンド生まれの、現在最も商業的にも成功した若き カンタオーラ。幼少の頃から歌い始め、96年に「Eres Luz」でデビュー。『Cartita de Amor』 等が大ヒット。一躍人気スターになる。2000年には新譜「Canailla」を発表。 大人っぽく表現力豊かに成長した彼女の声が聴ける。 『Cai』はアレハンドロ・サンスが書いた曲で美しくも切ない名曲。 2002年5月には当時恋人、現在夫のチャボリがプロデュースした、第3作「Maria」を発表。モラオ親子や ティノ・ディ・ジェラルド等の実力派が脇をしっかり固めている。ファルキートも曲を 提供。
Potito(ポティート)
1976年セビージャ生まれの将来有望な若きカンタオール。父・親戚に有名なアルティスタを持つ。 1990年にパコ・デ・ルシアの兄、ぺぺのプロデュースでデビュー。変声期を乗り越えて 1999年に最新版「El ultimo cataor」をリリース。タンゴやブレリアが秀逸。 トマティートやケタマ等の大物達の暖かいバックアップを受けつつすくすく成長している感じ。 これからが一層楽しみ。
Raimundo Amador(ライムンド・アマドール)
1960年セビジャに生まれたライムンド・アマドール・フェルナンデスにギターを教えたのは父だった。 タブラオ"Los Gitanillos"でカマロンとパコ・デ・ルシアと知り合ったのがきっかけとなり、数年後彼らのアルバム"La Leyenda del Tiempo"の 録音に参加する。キコ・ベネノと結成したグループ“Veneno”はアンダルシアのミュージシャンの次世代の指針となる。 Veneno解散後、弟ラファエルと組んだ"Pata Negra" はフラメンコとブルースをフュージョンさせ、スペイン音楽界に新しい息吹を吹き込んだ。 Pata Negra解散後、1995年"Gerundina"をリリースしてソロ活動を開始、これまでに5枚のアルバムをリリースしており、B.B.King、Juan Perro などフラメンコにジャンルをとどめない様々なアーティストが彼のアルバムに参加している。
Ray Heredia(ライ・エレディア)
1964年生まれ。父親はバイラオール、義兄弟にエンリケ・デ・メルチョール、ビセンテ・ソトなどを持つ、フラメンコ一家出身。 タブラオのギタリストをしていた(新宿のエル・フラメンコにも出演)が、Ketamaの創立に加わり、ファーストアルバムに参加後、脱退。 1991年ソロデビューしたアルバム“Quien no corre, vuela”で、作曲家、歌い手、そして様々な楽器をこなす彼のマルチな才能は フラメンコ界に衝撃を与えた。同年6月6日、ソロとして初のコンサートをマドリッドのRevolverで行った数日後、マドリッド郊外で 死体となって発見された。死因はヘロインの過剰摂取。同CDに収められている「Alegria de vivir」、「Lo bueno y lo malo」は 他のフラメンコアーティストからもカバーされる名曲。早世の天才。
Remedio Amaya(レメディオ・アマジャ)
1962年、セビージャ生まれの若き大御所。幼い頃より歌い始め、78年にレコード デビュー。97年に「Me voy contigo」(ビセンテ・アミーゴが伴奏)を発表しヒット。 2000年に新譜「Gitana Soy」をリリースする。2002年に「Sonsonete」発表。 カニサレス、ホセ・アントニオ・ロドリゲス、パルド、ベナベンテなどの実力知性派? を従えての意欲作。 現代のカンタオーラのトップを行く、彼女の声は力強く、表現力が豊かでとにかく上手い。 特にタンゴやブレリアスのノリは秀逸。
Rosario(ロサリオ)
1963年11月4日、アントニオ・ゴンサレス"El Pescadilla"とロラ・フローレス"La Faraona"の間に3人兄弟の末っ子として生まれる。 長女ロリータ・フローレス、長男アントニオ・フローレス(1995年死去)共に芸能界で活躍する芸能一家。1984年に"Vuela de noche" でデビューするが、成功への道を歩み始めるのは92年リリースのアルバム"De ley" から。このアルバムには兄、アントニオが 生涯に作った中でも最も美しい曲数曲が収められている。2年後に出したアルバム"Siento" もヒット、95年に母と兄が続けて死去するという 悲劇に見舞われるが、カルロス・オレジャナとの間に娘ロラが生まれ、立ち直る。翌年兄の協力を失って初めてのアルバム"Mucho por vivir" を出し、これが40万枚売上のヒットとなる。次の作品"Jugar a la locura" では11曲中10曲の作詞を手がけ、以降常にジプシーという 自身のルーツを忘れることなく、アングロサクソン系音楽やラテン音楽にも目を向ける。 ペドロ・アルモドバル監督の"Hable con ella"で主役を務めるなど、今、ノッているアーティストの1人である。 マッチョなルックスだが歌い方は意外にかわいい。



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