スペイン 手作り旅行
主な訪問地
尚、この巡礼はTご夫妻の結婚○○周年の記念旅行としてお手伝いさせていただいたものですが、あまり大きく写真で紹介されるのは照れくさい、、、とのことでしたので、
そして、お二人の○○周年記念と言う大切なイベントにご一緒させていただき、 有難うございました。 またきっと近い将来、スペイン、或は広島で? お会い出来るのを 楽しみにしています。 お互い健康には気をつけて、○5周年には元気で再会しましょう!
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☆8月12日
ご夫妻はこの日の10時過ぎ、ビルバオの空港にご到着となりました。
私はそのお迎えをすべく、この日の朝、7時50分にマドリッド発のフライトに乗り、8時45分にビルバオに到着。
どちらのフライトにも大きな遅延は無く、無事、予定どおりビルバオの空港で落ち合う事が出来ました。
ビルバオの空港でレンタカーをピックアップし、いよいよ巡礼のスタートです。
まず向かったのが今日の宿泊地、ロヨラ。
日本からの空の長旅の後ですから、今日はハードスケジュールにならないよう、約80キロだけ走って
イエズス会の創始者、聖イグナチオ・デ・ロヨラの里、アスペイティアのロヨラ地区に到着です。
ロヨラに着いて、ホテルのチェックインを済ませたあと、早速、巡礼開始。
今回の写真は、アスペイティアの街の風景から始まります。
まず、向かったのが、聖イグナチオ・デ・ロヨラが洗礼を受けた時に使われた洗礼台が保存されている
サン・セバスティアン・デ・ソレアス教会。
以下、教会内部の写真を何枚か。
左列の上から4番目にイグナチオの洗礼台の写真があります。
石の洗礼台ですが、装飾を施した木製の大きな蓋がしてあり、最上部にはイグナチオの像が据えられています。
教会内では、ここの教区司祭がこの教会についていろいろと話を聞かせて下さいました。
教会を出たあと、すぐその傍に残る19世紀の共同洗濯場にちょこっと寄り道。
そのあと、イグナチオがパリの神学校から戻りしばらくこの故郷に滞在した当時、3カ月ばかりの間、手伝いながら
住み込んだラ・マグダレナ病院のすぐ傍、ラ・マグダレナ礼拝堂を訪れました。
イグナチオが人々の施しを請い、受けた恵みを病院に持ち帰り病人や貧困に苦しむ人々に分け与え、
また、時間が許す時には村人たちにカトリックの教えを説きながら3か月間を過ごした場所です。
日本からの到着早々でしたが、これら2か所の巡礼を済ませてからスペインでの最初のお食事、、、昼食の時間となりました。
バルではなく、テーブルについてゆっくり食事の出来るレストランを探して、ランチメニューを注文。
スペインでの最初の昼食で食べたのは、、、
ミックスサラダ
マカロニ
キノコと生ハム炒め、、でしょうか、、、
そしてメインが
小イカの鉄板焼き
豚肉?、、、すでに記憶が定かではありません(^^;
そして白身のお魚ですね、、、、 そして各種デザート
すみません、、、記憶もあやふやですが、この時、カメラのフォーカスが
誤って手動に切り替わっていたようで、お料理の写真がどれもピンボケです(^^;
食事を終えたあと、一旦、ホテルに戻って少し休憩を取る事にしました。
軽くシエスタを取った後、再び、出発です。
まずはオラッツの聖母像が祭られるお御堂へと向かいました。
13世紀建築のこの小さなお御堂に置かれたロマニコ様式の聖母像にイグナチオは
深い信仰を持っていたと言われています。
オラッツの聖母像にお祈りをしたあと、いよいよイグナチオの生家へ向かいます。
イグナチオが生まれ育った家と、後に17〜18世紀にかけてすぐその横に建築された巨大なバシリカとに
分かれますが、まずは生家を訪ねます。
以下、生家内部の写真を何枚か。
イグナチオの家族団欒の間や、食堂、書斎などが当時の様子に近い状態で残されているのを、
そして、パンプロナでの戦いで傷を負い瀕死の状態で運び込まれ、数回に及ぶ手術による死線を越えたあと、
その回心に至るまで過ごした「回心の間」などを巡礼し、生家を出ました。
生家を出ると、そのまますぐ横にあるバシリカへ。
立派なバシリカは、常に、巡礼者やツーリストが訪れるので、地元の人々の毎日のミサは
バシリカ内の奥まったところ、目立たない場所にある小聖堂で行われています。
間もなく、夕刻のミサが始まろうとしていたので、我々も地元民に混じって小聖堂へと向かいました。
地元民で無ければ判らないような場所にある小聖堂に入ってきた我々を見て、不思議そうな目で見る地元民も居ましたが、
すぐに我々もミサに来たと言う事を理解してくれたようで、すぐに不思議な視線は感じなくなりました(笑)
司祭はスペイン人でしたが、地元民のほぼ全てがバスク人であるため、ミサでのお話の一部はバスク語を
混ぜるようにされていたようです。
バスク語を使いこなせないまでも、少しでも地元の言語を使おうとする姿勢は大切なことですよね、、、、
きっと、ザビエルが東洋へ布教に来た時にも心がけていた事だと思います。
ミサが終わり、バシリカ内の見学を少し続けたあと、外へ出ました。
真夏ですから日は長く、外はまだまだ明るい青空が広がっています。
日本からの長い空の旅の直後であるにも関わらず、お昼前にビルバオに着く事が出来たので、
初日から頑張って巡礼を始めましたが、これにて今日の予定を終了することにしました。
車をホテルの駐車場へ置きに行って、これにて私の今日の運転も終了!
これでようやく、冷たいビールで喉を潤せます(^^)
車を駐車場に入れたあと、改めてホテルを出発。
ホテルのすぐ傍にあるバシリカを目指して夕刻のお散歩です。
人通りも車もほとんど無く、静かなお散歩を楽しむことが出来ました。
バシリカが見えるバルのテラス席に座り、まずはビールで乾杯。
そして次に赤ワインのクリアンサ(熟成ワイン)を1本注文。
お昼のランチメニューをたっぷり食べたので、夜になってもお腹は空かず、、、という事で、
モツ煮込みを少しだけ注文して、これをつまみにクリアンサを頂きました。
夏の夕暮れの風に吹かれ、だんだんと暮れ行く空の色の変化、
その中にくっきりと浮かび上がるバシリカのシルエット、、、、
それらを眺めながらのんびりとワインで乾杯(^^)
この日の夕食は、結婚○○周年記念旅行への私からのささやかなプレゼントでした(^^)
これからも元気で仲良く過ごされますように!
昼間よりも深く透き通った青色に染まる「夜の青空」から、紫色、そして漆黒の夜空へと変わって行くのを
ぼーっと眺めながら、過ごした時間、、、、 日本での日常から思えば、まるで嘘のような、幻のようなひと時だったのでは
無いでしょうか、、、、
再びホテルまでのんびり夜のお散歩を楽しみ、日本からの長い一日が無事、終了です。
お二人をホテルまで見送ったあと、私は、一人、カメラを持って高台にあるオラッツの聖母教会まで登ってみました。
この日、確か、獅子座流星群だったかが見られる日だったので、町の街灯の無い、暗い空を求めて登ってみたのですが、
残念ながら、ここ、ロヨラの里も、私が知っている昔の小さな村では無くなっており、すでに夜は明るい街灯だらけ(^^;
村ではなく、町になってしまっており、ちょっと歩いただけでは、真っ暗な空を探すのは難しかったです(^^;
この日の最後の2枚の写真はオラッツの聖母教会の夜景です。
ロヨラの里泊 |
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☆8月13日
今日も青空です。
ホテルでの朝食を済ませたあと、引き続きレンタカーを使って出発。
今日の最初の目的地、パンプロナへ向かいました。
ロヨラから110キロ程度の道のりです。
パンプロナに着いて、地下駐車場に車を止めたら、町散策を開始。
この町は、イグナチオが戦士として致命的な傷を負ったところで、ここから彼の人生の方向が
大きく変わっていくこととなります。
この日の写真の一番右上にあるのが、負傷したイグナチオの身体を故郷へ運ぼうとしている様です。
その写真のすぐ下には、おじさんが「走っているふり」をしている写真がありますが、
これは、この町の有名な行事として知られる「牛追い祭り」の真似をして、牛と一緒に走っているふりをして
いるツーリストの写真です(笑)
牛追いが行われる通りを抜け、この町の大聖堂へと向かいました。
ここは、イエズス会の創立メンバーの一人、聖フランシスコ・ハビエル(ザビエル)が子供の頃、
司祭への路を目指すための第一歩として、剃毛の儀式を行なったところと思われます。
また、この大聖堂は、サンティアゴ巡礼路の主要ルートの一つ、ナバーラの路の中で
フランスからスペインへ入ったあと、巡礼者を迎える最初の大聖堂となっています。
大聖堂内、そして大聖堂内付属の教区美術館を1時間かけてじっくり見学しました。
大聖堂を出たあと、市役所前広場へ。
大聖堂の写真が終わったあと、右側にある4本の旗があがっている写真が市役所です。
ここは、毎年、牛追い祭りが行われる時、その開催式が行われる場所としてお馴染みの広場です。
開催式の時には、この広場は人でぎっしりと埋まります(^^;
そして市役所のバルコニーから市長が開会の言葉を述べ、お祭り開始を表すチュピナッソ(小さな打ち上げ花火)を上げます。
市役所前広場から、すぐその裏側にある市場へ。
市場内を見学したあと、昼食となりました。
この日の夜は、ホテルでの夕食を含めておいたので、夕食をメインとするようにして、
お昼は軽く済ませることにしました。
ランチメニューを食べてしまうと、夜になってもお腹が空かないので、
ここは軽く、ピンチョスメニューを。
エビのパリパリ仕上げ
そしてイカ、または蛸のチョイスのモンタード これに飲み物が付いていたと思います。
昼食を終えたあと、再び車に乗り込んで今日の宿泊地、聖フランシスコ・ハビエルの里、ハビエルへ。
距離にして約60キロです。
本当はこの辺り、いろいろと立ち寄りたいところがあるのですが、この日は、まだハビエルに
到着したあと、聖フランシスコの生家、ハビエル城を見学しなければならなかったので寄り道はせず
ハビエルへ直行することにしました。
ハビエルに着いて、ホテルにチェックインしたら、早速、ハビエル城を見学です。
後に、イグナチオと共にイエズス会を創立する事となる聖フランシスコが子供のころ
住んでいたお城です。
日本では、時にポルトガル人と誤解されているフランシスコですが、ポルトガルからは
随分と遠い、スペインはナバーラの山奥で生まれ育った聖人ですね。
ハビエル家(ザビエル家)の家族団らんの間や、フランシスコが使っていたと言うお部屋、
そして、ハビエル家に伝わるイエス像などを見学しました。
お城を出る時に、スタッフの人にお願いして、お城のすぐ傍にあるイエズス会のレジデンスに
電話をしてもらい、そこに古くからおられる修道士に私の来訪を告げてもらいました。
彼とはもうかれこれ25年来の友人です。
ハビエル城の管理をして来た3人(司祭1名、修道士2名)の内、2名が亡くなったあと、古くから
このお城を守り続けて来た人は今や、彼一人となってしまいました。
彼とあとで、お城付属のバシリカで会う約束をして、我々は、お城の前にある教区教会へ向かいました。
ついこの間まで、この教会は女子修道院付属の教会でしたが、修道女達の老齢化が進み、
自力での生活が困難となったため、施設へ移られる事となり、今では無人となっています。
この教区教会として使われている修道院付属の礼拝堂に聖フランシスコ・ハビエルが洗礼を受けた時に
使われた洗礼台が保管されています。
右側、上下、お城とお城の写真に挟まれた写真が、その洗礼台です。
洗礼台のある礼拝堂を見学したあと、今は無人となったこの修道院の一部を使って
世界に散らばる修道女達によるワークショップのようなものが開かれていたので
これを少し、見せてもらいました。
ここでは写真は紹介していませんが、日本人のシスターによる作品もありましたね。
この旅の報告コーナーでは、撮った写真のほんの一部しか掲載出来ませんが、
ご参加頂いた方々には、いずれ全ての写真をDVDに編集してお届けしますので
気長にお待ちください(^^;
シスター達によるワークショップを出たあと、バシリカへと向かいました。
ここはハビエル城にドッキングさせる形で後から付け加えた教会部分です。
この、教会部分に入ると、かつて、フランシスコが生まれたお部屋があった場所を
示すプレートが床にはめ込まれています。
このバシリカ内で、先述の、古くからこのお城の管理をしているブラザーと再会しました。
今回、フランシスコ・ハビエルが日本にもたらした教えを日本で伝え続けているお二人が
訪れてくれた事をとっても喜んでくれましたね(^^)
ブラザー、、、スペイン語でエルマーノ、、、との穏やかな会話を楽しんだあと、
バシリカを出ました。
今日も朝から一日かけて、いろいろなものを見る事、感じる事が出来ましたね。
だんだんと日が傾き始めたようです。
夕食の時間まで、少し自由にお散歩を楽しみましょう。
私はカメラを持って、刻一刻と変わりゆく夕日の光と影を撮りつつ、ハビエル城の前に
座って心地よいひと時を過ごさせて頂きました。
真夏で陽が長いのですが、ここは山の中、、、
太陽が山に隠れて見えなくなるのは、街中よりも早いようです。
とは言え、まだまだ薄明るいのですが、夕食の時間となりました。
今日はお昼を軽く済ませたので、ディナーがメイン(^^)
山の中で、周囲には何もないため、夕食はホテルで予約しておきました。
メニューは、、、、
ガスパチョ
そして、、、何か、海の幸をパイ生地で挟んだものでしたね、、、
これまでに何度もこれを食べているのに、今、思い出せません(^^;
メインが、、、
カモ肉
赤ピーマンが添えてあるのは、、、何か白身のお魚だったでしょうか?
そしてもう一つは、、、鶏肉のような羊のような、、、(^^;
駄目ですね、、、今、11月にこれを書いていますが、8月の記憶がもうかなり消えています(^^; そのあと、それぞれに好きなデザートをいただいて夕食の終了です。
ちなみに、左列に氷を入れたワインクーラーに入った緑色のボトルが見えていますが、
これは、なんと白ワインでは無く、獺祭と言う山口の銘酒です。
今回、ご夫妻からお土産に頂いたものですが、旅の最期、バルセロナから私が国内線フライトで
マドリッドへ戻る時、チェックインをする大きな荷物が無いため、機内持ち込み手荷物だけと
なるのですが、手荷物に液体状のものは入れる事が出来ず、空港で取り上げられてしまうので
それならば、旅行中に楽しみましょう、、、という事になりました。
そこで、顔なじみのホテルのオーナーにお願いして、ホテル到着時から夕食の時間まで
冷蔵庫に冷やしておいてもらい、夕食時にこれを飲む許可を頂きました(^^)
海産物のパイ包みと一緒に、とっても美味しく頂きました(^^)
有難うございました。
考えてみれば、聖フランシスコ・ハビエルは日本滞在中、山口とも深く関わっていますから、
遠く、日本から旅してきた山口の銘酒をここ、ハビエルで頂くことになったと言う流れも
何か意味があったのかも、、、などと考えてしまいますね〜
夕食のあと、「夜の青空」の中に佇むハビエル城、そしてハビエルの像を見に行って
この日も一日が終わりました。
美味しいお酒を頂いたあとに撮ったハビエル城の夜景、、、見事なピンボケでした(^^;
ハビエル泊 |
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☆8月14日
今日も青空です(^^)
ホテルでの朝食を終えたあと、ハビエルを出発。
今日はサラゴサを目指しますが、少し寄り道です。
国道から反れ、山道を登りサン・フアン・デン・ラ・ペニャ修道院へと向かいました。
ハビエルから約70キロの道のりです。
随分と山奥にあり、道も細いため、なかなかここまで足を延ばすのは困難なのですが、
今回は小さなレンタカーを利用した小回りの利く旅なので、また、ここは訪れる価値のあるところ
なので、立ち寄る事にしました。
ここは人里離れた山奥に、岩盤と一体化するような形で作られたロマニコの修道院で、
まさに祈りの場、聖域、、、と言った感を受けるところです。
昔は、訪れる人も少なく、いつも静かに巡礼出来る聖地でしたが、近年、アラゴン州も
観光に力を入れるようになり、この山奥の聖地へも観光客が訪れるようになりつつ
あります。
また、訪問者の数が極端に多く無くても、そのアクセスが悪すぎるため、
祝日や連休、バカンスシーズンなどでちょっと訪問者が増える時期になると
あっという間に混雑してしまいます。
今回も夏のバカンスシーズンであり、また、この日が日曜日で翌月曜日が
聖母被昇天の祝日となっており、土、日、月の3連休の中日であったため、
混雑が予想されました。
よって、出来るだけ朝早く到着出来るようにホテルを早めに出発したのが
幸いで、何とか車を駐車することも出来、ぎりぎり混む前に静かに見学する事が出来ました。
この修道院の一つの重要点は、イエス・キリストが最後の晩餐で使った
聖杯が長い間、隠されていたとする有名な聖杯伝説の一つを持つ、、と言った点でしょうか。
このオリジナルと言われる聖杯は今、バレンシアの大聖堂に安置されていますが、
それはもともと、この修道院で発見されたもので、今、ここにはオリジナルのコピーが
置かれています。
今日の写真、左列の上から二つ目がその写真です。
スペインで最も有名な聖杯伝説が残るこのサン・フアン・デ・ラ・ペニャ修道院の
見学を終えたあと、混んでくる前にここを立ち去る事にしました。
到着時に車を止めた駐車場に戻ると、すでに満車状態でスペースが
空くのを待つ車が長蛇の列となっていました(^^;
再び、細いくねくね道を下り、途中、展望台からの景色を楽しんでいるところへ
スペイン人の自転車グループがやって来たので、ここで彼等と一緒に記念撮影。
正面から顔も大きく映っているのでここでは紹介していませんが、皆、楽しそうに映っていますよ(^^)
自転車グループにも、後日、メールで送ってあげると、とっても喜んでいました。
山道が終わり、麓の村、サンタ・クルス・デ・ラ・セロスまで来たところで再び車を止めて
村の散策と、ここに残る二つのロマニコ教会の見学です。
ここもいい村ですね〜
極稀に、変わったツアーの中には、ここを少し散策する日本人のツアーも
ありますが、さて1年間に何本ありますか、、、、
そして、ここに止まっても、この地域で最も重要な歴史モニュメントとされる
先の山上の修道院を訪れる団体ツアーはほぼ皆無です。
その昔、私は大型バスで強引に案内した事が何度かありますが、あの山道で
大型バスとすれ違いたい人など、誰もいませんね〜(^^;;;
このサンタ・クルス・デ・ラ・セロス村には、なかなか良いレストランもあるのですが
まだ時間が早かったのと、この日は、まだ先が長かったので、食事は摂らず、
散策と教会見学だけにとどめました。
しばらくこの村まで来ていませんでしたが、ここもバブルのあと、随分と
村が広がったのを感じました。
昔ながらの村並みとはちょっとそぐわない、モダンな住居も増えていたようで、
ちょっと残念ではありましたが、人々の生活が続いている以上、仕方ないことですね、、、
静かな村をのんびりお散歩し、村に残る二つのロマニコ教会を見学したあと、
再び車に乗り込み、この村をあとにしました。
このあと、今日の宿泊地サラゴサまで170キロの旅です。
サンタ・クルス・デ・ラ・セロス村を出てしばらく走ったあと、国道沿いのドライブインで
昼食を摂る事にしました。
注文したのは、、、
生ハムがたっぷり乗っかったサラダ、
コゴージョレタスとアンチョビ、ツナ、人参、トマトのサラダ、
コンソメスープ
そしてメインが、、、
お肉料理が二つありますね、、、豚と牛だったしょうか、、、
そして鱈のグラタンだったように思います(^^; そのあと、それぞれにデザートを頼んで、昼食の終了です(^^)
腹ごしらえが終わったところで、再び車に乗り込んでサラゴサを目指します。
サラゴサはそれなりに大きな街ですが、この日は日曜日、、、車も空いていて、
スムーズに街の中心地へとたどり着く事が出来ました。
街中での車の駐車は大きな街であればどこでも厄介なものですが、何とかホテルから
徒歩10分ぐらいのところにスペースを見つけて無事、駐車。
このホテルの地下駐車場は、通路が狭く、柱も多く、以前、随分と出し入れに
苦労した記憶があったのです(^^;
それで今回は、この日が日曜日で、翌日が聖母被昇天の祝日であるため、
公道の有料駐車エリアが無料となることもあって、路上駐車をすることにしました(笑)
無事、駐車し終え、ホテルのチェックインを済ませ、少しお部屋での休憩時間を
とったあと、この町の見学に出発となりました。
ここは今回の旅のテーマである「イエズス会」とは特に関連が深い町ではありませんが
このあとの目的地まで一気に移動するには距離が有り過ぎるのと、この町には
スペイン全体の守護聖母像が祭られていることからこの日はここで1泊挟むことにしました。
ホテルを出て、この町の名前、サラゴサの由来となったカエサル・アウグスタ(アウグストゥス帝)の像と記念撮影をし、
スペインの守護聖母像が置かれるピラール聖堂の前に広がる大きな広場へ。
この広場に面して、ピラール聖堂と大聖堂がありますが、ピラール聖堂はいつでも入れるので
まずは大聖堂へと向かいました。
が、ちょうど大聖堂でのミサが始まった直後で、終わるまでは付属の美術館を含めた見学が
出来ないので、一旦、ここを離れて、街の散策へ。
商店街を歩き、少しお買い物なども楽しんだ後、再び大聖堂へ戻って一般見学向けの入場時間に
合わせて入りました。
が、大聖堂内部は完全に撮影禁止となっているため、ここでご紹介出来る写真はありません。
大聖堂内部、そして付属美術館をじっくりと見学したあと、大聖堂を出て、すぐ傍にある
ビラ―ル聖堂に入りました。
こちらも内部は撮影禁止なのですが、監視の目が行き届いていないのと、ここは巡礼者が多く、
巡礼に来た人々がスペインの守護聖母を祭る教会内で写真を撮りたくなるのは当然の事であるため、
多少は目を瞑ってくれる、、、、そんな感もあるので、私も遠慮がちに数回シャッターを切りました(^^;
左側、オリーブとピンチョスの写真の上にある写真、、、これがピラール聖堂内部の心臓部、「ピラールの祭壇」です。
この大きさでは良く見えませんが、写真内、右側に緑色のものが見えており、この緑色をした
布地の中に、聖母マリア御顕現の柱が保存されています。
この柱(=スペイン語でピラール)が、この聖堂の名前の由来となっていますね。
ピラール聖堂の見学も終えるころ、そろそろ夕食の時間となって来ました。
周囲に何軒かあるピンチョス屋さんの一つに入って、ピンチョスとワインで軽く夕食となりました。
お昼にしっかりランチメニューを食べたので、夜は軽くで充分ですね(^^)
夕食を終えるころ、空は「夜の青空」の時間帯に突入。
そして、だんだんと真っ黒な夜空へと変わっていくのを眺めながら、その夜空に浮かび上がる
ピラール聖堂の堂々たる夜景を眺めながら、バルのテラス席で食後の1杯を楽しみました。
ピラール聖堂は、見る角度によって、いろいろな姿に見える建物です。
よって、広場からの夜景を目に焼き付けたあと、今度は場所を変えてエブロ川越しに見てみる事にしました。
エブロ川は、スペインを流れる主要河川の一つでサラゴサを横切る大きな川です。
川の側からピラール聖堂を見ると、大きな壁の部分が目立たず、空高く伸びる細い塔が目を引きます。
川面に映る聖堂や橋の夜景が揺れる様にしばらく見惚れているうちに、
真夏のサラゴサでの一夜が過ぎて行きます。
明日はいよいよ、聖イグナチオの教えの骨子となった「霊操」のオリジン、マンレサを巡礼します。
サラゴサ泊 |
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☆8月15日
今日は月曜日ですが聖母被昇天の祝日、、、、快晴です(^^)
ホテルでの朝食を済ませたあと、無事、路上駐車してあった車を回収?し、
ホテルを出発。
マンレサまで260キロの道のりです。
祝日なので、街中の渋滞は全く無く、スムーズにサラゴサを脱出。
ひたすら走り続けてマンレサまでやって来ました。
マンレサのサンタ・コバ(聖なる洞窟)まで来ると、遠方にモンセラの山々が見えます。
かつて、イグナチオがモンセラ巡礼を終えたあと、山を下りてしばらく滞在したのがここ、マンレサの
洞窟で、ここに滞在中、イエズス会の「霊操」のベースを作り上げます。
現在では、その聖なる洞窟を覆うような形で教会があり、洞窟であった所は岩盤部分を残しつつも
増改築が成され、小さな礼拝堂として使われています。
この教会には、予め、我々の訪問のことを連絡してあったので、祝日の、しかも公開時間外に
もつれ込んだにもかかわらず、ちゃんと細部にわたるまでスタッフから案内して頂きました。
まずは、簡単にサンタ・コバを巡礼したあと、この日のお昼のミサに参加させて頂きました。
そのあと、サンタ・コバとイグナチオの歴史についてのビデオを観せていただき、
資料館を見学。
資料館を見せて頂いたあと、再びサンタ・コバへ戻って、すでに閉館となり誰も居なくなった
サンタ・コバを静かに巡礼させて頂きました。
サンタ・コバには、イグナチオが托鉢に使っていた木製の器も展示されており、
左側、少し下方にあるイカリング揚げの写真の二つ上の写真がそれです。
サンタ・コバからモンセラの山々が良く見えますが、モンセラはカタルーニャの守護聖母が
祭られる聖地、、、、
イグナチオはこのモンセラの聖母マリアの導きの内に、「霊操」を作り上げたと言われています。
サンタ・コバの巡礼を終え、お昼休みにかかったにもかかわらず最後まで案内をしてくれた
スタッフに感謝を告げ、ここを後にしました。
今日はこのあと、モンセラへ向かう予定ですが、すでにお昼の時間です。
モンセラまで伸ばすと、昼食が遅くなりすぎてしまうので、ここ、マンレサでお昼にする事にしました。
サンタ・コバの辺りには、あまり食べるところが無いのですが、小さなバルを見つけてその近くに車を駐車。
店に入ると、国籍不明の人がやっているバルで、出入りしている客はアラブ系と黒人系の方々でしょうか。。。
メニューを見ると、とっても安いようです。
とりあえず、テーブルについて、イカのリング揚げ、鶏の唐揚げ?、ソーセージなどを注文してみました。
この日の夜は、ホテルでの夕食を含めてあったので、その場合はいつものごとく、お昼は軽めに、、、ですね(笑)
小さな、やや貧相なお店でしたが、いかつい?顔をしたおじさんが出してくれた料理は
どれも美味しかったです(^^)
実のところ、カタルーニャのこの辺りは、結構、自称イスラム国に加担するジーハディスタが多く隠れ住む地方で
そう言う種の人達とすれ違う可能性が高いのですが、とりあえずこのお店は安く、美味しく、感じも良かったので
また機会があれば行ってみるとします(笑)
昼食を終えたあと、再び車に乗り込んで今日の宿泊地、モンセラへ向かいました。
モンセラまで28キロ程度の距離で、近いのですが、何せ、あのギザギザの山へ登らなければなりません。
しばらく県道を走ったあと、細いくねくねの山道に突入です。
これは急いでも仕方ありませんから、のんびり登るだけです(^^)
山上の聖地に到着。
駐車場に止めようにも、完全に満車状態、、、、
ですが、我々は山上の修道院経営のホテルに宿泊するので、一般車両には通行止めのエリアにも
そのまま車で侵入出来、修道院まで無事、到着。
そのあと、夕刻になって駐車場が空くまでの間、駐禁エリア内に駐車出来るよう、ホテルが
警備員に連絡を取ってくれました。
無事、車を置いて、チェックインを済ませ、まだ暑い時間帯だったので一旦、お部屋に入って
休憩です。
少し涼しくなるのを待ってから行動開始としましょう。
シエスタタイムのあと、聖歌を伴ったミサの時間に合わせて修道院の礼拝堂内で待ち合わせとしました。
私はその前に、夕刻になって空いたはずの駐車場へ。
まだ、空いたとは言い難いものがありましたが、ちょうど目の前で出た車一台、、、
すかさずそこに駐車して、再び修道院まで歩いて登りました。
修道院内に入ると、礼拝堂の前の方に着席しているご夫妻を見つけ、その傍に私も着席し、
そのままミサに与りました。
この日、少年コーラスはありませんでしたが、司祭と修道士達の歌を伴った夕の祈りに
参加させて頂いて、修道院を出ました。
通常、この夕の祈りの時間には、ほとんど人は無く、静かに祈りに参加出来るのですが、
この日は聖母被昇天の大切な祝日、、、モンセラの聖母像にお祈りに来る付近在住の人々が
多く、夜になるまで人が多く、こんな様子を見るのは私も初めてでした(^^;
この礼拝堂に安置されるカタルーニャの守護聖母像、モレネタを参るための通路は、いつもなら
ミサの間も通れるのですが、この日は閉鎖されてしまいました。
そしてミサ終了と共に、再び、開かれ、あっという間に長い列が出来てしまいました。
普段では無いことです。
これに並んでいると、他に何も見る時間が無くなってしまいますから、あとでご縁があればまた
お参りする事も出来るでしょう、、、と、列に並ぶのをやめて、お散歩へ出かける事にしました。
この小さな写真では良く見えませんが、晴れ渡った景色には、遠方に広がる地中海までよく見えましたね(^^)
徐々に徐々に暮れ行く夏の聖地モンセラでのお散歩を楽しんでから再び、修道院に戻ると、
すでに聖母像への参道は閉ざされていました。
前回、私がここに泊まった時には、夜、結構遅くまで閉じる事は無く、誰も居なくなった静かな
礼拝堂の中、自由に聖母像まで登れたのですが、今回、それが出来なくなっていました。
イグナチオも深い信仰を持っていたモンセラの聖母、モレネタの傍まで行けないのは、とっても残念なことです。
翌日の開館時間に合わせて一番乗りで行く、、という可能性もありましたが、翌朝も、あまり時間的なゆとりが
ありません。
目の前まで近寄れなくても、遠くから見る事は出来ましたから、、、と、ご夫妻はおっしゃって下さいましたが、
とっても申し訳ない気持ちでいっぱいだったところへ現れたのがここの司祭の内の一人でした。
完全に礼拝堂の扉を閉じる前に、見回りに来た司祭のようでしたが、すかさずその方に話しかけてみました。
「以前は、ここで夜になっても静かにモネレタ(モンセラの聖母像)にお参りが出来たのだけど
今は、時間制限が設けられて、それも出来なくなったのですね? 残念です」
そうすると、司祭は快く 「どうぞどうぞ」 と言って我々を通してくださいました。
やはり、ご縁があったようです(^^)
すでに閉館となり、誰も居なくなった礼拝堂の中、我々3人だけで静かにモレネタにお参りをし、
モレネタの後ろ側にある小聖堂も見学させていただく事が出来ました。
モレネタの参拝での写真撮影は禁止ですが、、、誰も後ろに待つ人は無く、迷惑にはならないので、
シャッターを切らせていただきました(^^;
これにて、貴族であり騎士であったイグナチオがその両方の身分を捨てる誓いをたてた
聖母像モレネタの巡礼を無事、済ませ、修道院を出て、そのすぐ前にあるホテルに戻り、夕食となりました。
山上のホテルですから、周囲には食べるところがありません。
よって、今夜はホテルでの夕食を予約しておきました。
注文したのは、、、
野菜のクリームスープ
コゴージョレタスとスモークサーモンのサラダ
そしてメインが、、、
鶏肉?
メルルーサのフライでしょうか、、、
ローストビーフのマッシュルームソースがけ、、、みたいな感じだったでしょうか デザートにカタルーニャ風カスタードクリーム、焼きりんご、レモンムースなどを楽しんで 聖地モンセラでの夕食が終了です。
つい先ほどまでの賑わいが嘘のように思える静かな時間を迎えたモンセラ、、、、
ここは、バルセロナからの日帰りツアーなどで来るべき所ではありません。
グループ観光でごったがえしているあの様は本来のモンセラとは程遠い別の姿です。
人里遠く離れた山上に作られた祈りの場、、、
かつて、これが築かれた当時と同じ環境を経験する事は不可能でも、せめて夜の静寂が訪れ、かつての
本来の姿を想像し得る環境を経験したい、、、そんなところですね。
モンセラ泊 |
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☆8月16日
今日も青空です。
最初の4枚の写真は、ホテルの窓から撮った朝の景色です。
季節によっては窓から日の出が見えるのですが、真夏はちょっと角度がずれるようですね、、、
ホテルでの朝食をとり、出発時間を決めて、私は駐車場へ車を取りに行きました。
再び、車に乗り込んで今日は一路、バルセロナを目指します。
距離にして63キロ程度ですが、まずは山を下りねばなりません(^^;
くねくね山道をのんびり、景色を楽しみながら下りて県道に入り、そのあと国道に入れば
あとは高速道路、、、、ですが、今日は平日、、、そして目指すはスペイン第2の町、バルセロナ。
町が近づいてくると、どんどん交通量が増し、これまでのような快適なドライブ、、、とは行きません(^^;
バルセロナの入り口まで来ると、のろのろ運転の始まりです。
町に着くと、まずはレンタカーのオフィスへ直行して、車の返却です。
レンタカーは町から町への移動や気ままな村めぐりには便利ですが、都会では邪魔なだけ。
さっさと返してしまうのが得策です。
車を返し、ドライバー業を無事終えたところで、タクシーを利用してホテルへ向かいました。
サグラダ・ファミリアのすぐ傍にあるホテルにチェックインを済ませたら、早速、町散策に出発です。
荷物をホテルに置いて身軽になったところで、地下鉄を利用して散策開始。
まずは、海の聖母教会へと向かいました。
ここはイグナチオがバルセロナ滞在中にその入り口のところで托鉢を行なっていた教会です。
そして、昔から港町として栄えたバルセロナから旅立つ船の航海の安全を見守ってくれた教会、
航海士達の守護聖母、海の聖母マリアに捧げられた教会です。
ゴティコ(ゴシック)様式による建築ですが、その細く繊細な柱群が美しさを感じさせてくれる
教会ですね。
海の聖母マリア教会の巡礼のあと、再び地下鉄を利用してサグラダ・ファミリア教会へと向かいました。
サグラダ・ファミリア教会は今回の旅のテーマ、「イエズス会」との関わりはありませんが、巡礼の中で
無理の無い範囲で観光も、、、、と言うご夫妻からのご希望があったので立ち寄ることにしました。
サグラダ・ファミリア教会は、混雑が予想されるので、予め時間を決めた入場券を予約済み。
よって、この時間に合わせて行く必要があります。
少し、入場時間よりも早めに到着するようにして、時間になるまでの間を利用して周囲を散策がてら、
いろいろな角度からこの教会を眺めてみる、、、、これが安心ですね。
時間に遅れると入場券を持っていても入れなくなってしまいます(^^;
と言う事で、少し早めに到着し、まずは前にある公園を挟んで受難の門を眺めます。
ここは5月か6月ごろに来ると、ジャカランダの紫色の花が満開となり、そのバックにサグラダ・ファミリアが
見えて、緑の葉っぱだけの時とは全く違った感じの景色を楽しめるのですが、今回は真夏、、、ジャカランダの花は
ありません(^^;
受難の門に施された彫刻は、教会の敷地内に入ってしまうと、急な角度で下から見上げるような写真しか
撮れませんが、入場前にこうやって離れた場所から撮ると、まるで正面から目と同じ高さから見たような写真も
撮れます。
勿論、多少、ズーム機能が必要ですが。
受難の門からの景観を楽しんだら、今度は裏へ回り込みます。
同じく、公園を挟んで今度は誕生の門を遠方から眺めてみます。
こちらは、昼間の景色としても、夜景としても、よく写真で紹介される角度ですね。
今夜また夜景を見に来る予定ですが、昼間の景色もカメラと目に収めておくとしましょう(^^)
それにしても、真夏のバルセロナの暑い事、、、、
汗が滝のように流れます(^^;
入場時間が迫って来ましたが、入る前に、売店で冷たい水を買って水分補給、、、、
気をつけないと脱水状態となってしまいます。
干物にならないよう、身体を潤したあと、そのまま誕生の門側にある入場口から教会内へ。
イグナチオの里からこれまで見て来た石造りの古い歴史を持つ教会建築の凄さとは比べものになりませんが、
まぁ、これはこれで今の流行モニュメントですね(^^;
型にはめて作った鉄筋コンクリートの塊ではありますが、近代技術を生かして綺麗な作品に仕上がりつつあります。
ただ、この鉄筋コンクリート、、、今から何年、もつのでしょうか、、、
サグラダ・ファミリアの見学を終えたあと、もう予約時間にしばられることも無いので、
のんびりと海辺へ出ることにしました。
再び地下鉄を利用してビーチへ。
本当に最初から最後までお天気に恵まれましたね(^^)
青空の下、ビーチでのお散歩を楽しみ、お腹が空いたところで、昼食です。
海辺のガラス張りのレストランで地中海を眺めながら海産物をつまむことにしました。
今日は私も車の運転が無いので、お二人と一緒にビールで乾杯(^^)
そしてそのあと、確か、カタルーニャのスパークリングワイン、カバを1本、頂きましたね。
メニューは、、、、
メインが海産物パエージャ
そして、デザート各種、、、、
どれも美味しかったです(^^)
ご馳走さまでした!
食べて飲んだあとは、例え短くてもちょっとシエスタを挟むとまたそのあと、元気に活動出来ます。
よって一度ホテルに戻って小休止としました。
休憩のあと、改めて散策に出発。
大聖堂へと向かいました。
夕刻、入場無料の時間に合わせて大聖堂に入り、回廊、そして聖堂内をゆっくりと見学です。
この大聖堂はイグナチオがまだ戦士であった時代にも想い出のある場所ですが、まぁここでは
そこまでの詳しい話はやめておきましょう(^^;
以下、大聖堂内の写真を何枚か。
大聖堂の見学を終えたあと、旧市街をお散歩しつつ、ランブラス通りに出て、
そのまま、これもまたご夫妻からリクエストのあったラ・ボケリア市場へと向かいました。
市場と言うよりは、ほとんど観光スポットと化してしまっている市場で、
相変わらず地元民ではなく、大勢の観光客でにぎわっていました(^^;
市場内でスリに遭わないよう、バッグ、ポケットなどに細心の注意を払いながら
市場内を通り抜け、そのあと、少し旧市街を歩きながら日本へのお土産を探しましたが
お土産と言うのは、なかなか難しいものですよね〜
歩き疲れたのと、汗だくになったのとで、一旦、エアコンのきいたバルに避難。
冷たいもので喉を潤し、水分補給をしてから夕食に向かいました。
ホテルのすぐ近所の海産物レストランに入り、今回の旅の最後の夕食はビールと白ワインで乾杯。
海産物スープ、小イカのフリッター、マテ貝、ベルベレーチョスの鉄板焼きなどをつまんで
最後の晩餐が終了です。
食事のあと、腹ごなしも兼ねて少し夜のお散歩へ。
すぐ傍のサグラダ・ファミリア教会へライトアップされた夜景を見に行きました。
そしてそのあと、サグラダ・ファミリア教会が見えるバルのテラス席に座って
いよいよ今回、最後の乾杯。
最後までお天気に恵まれた良い巡礼でしたね。
今回、スペインでご覧になったこと、感じられたこと、日本の方々に伝えて下さい。
そして次回、10年後などと言わず、5年ごとぐらいに結婚記念巡礼を行ないましょう(^^)
次回は奥様からリクエストのあったポルトガルにも足を延ばしますか、、、、
きっとまたご一緒出来るのを楽しみにしています(^^)
バルセロナ泊 |
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☆8月17日
晴天の中、ホテルで持ち出し用の朝食を用意してもらって早目に出発。
タクシーにて空港へ向かいました。
機内泊
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