スペイン 手作り旅行
主な訪問地
長崎大司教の見三明団長、被爆者手帳友の会の井原東洋一副団長、地球市民集会の朝長万左男顧問を中心とし、
ゲルニカでの訪問を終えたあと、そのままバスクからナバーラ、カタルーニャへと平和への祈りの旅を続け、マドリッドから日本への帰路に着かれました。
今回、このゲルニカ平和巡礼の旅を行なうにあたって、当文化協会ではゲルニカでのセレモニー以外の全ての企画、手配、コーディネートを担当させて頂きましたので、
またきっと近い将来、スペイン、或は長崎で? お会い出来るのを 楽しみにしています。
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☆4月24日
ビルバオの空港へ22時55分にご到着予定の皆さんをお出迎えするため、 私はマドリッドを19時45分に出発し、20時45分にビルバオ空港到着、そのまま空港で 待機していましたが、、、、 フランクフルト発 ビルバオ行きの便が大幅に遅れ、皆さんが到着されたのは、はて何時だったでしょうか、、、 すでに記憶が定かではありませんが、午前1時半ごろだったかもしれませんね〜 (^^; それから専用バスにてゲルニカのすぐ傍にある宿へ向かい、チェックインを済ませて お休みいただけたのは午前3時半か4時頃だったでしょうか、、、 皆さん、日本を出られてから長い一日でしたね、、、お疲れさまでした。 ゲルニカ泊 |
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☆4月25日
たまに細かい雨が落ちる、バスクらしいお天気で今回の初日がスタートです。 宿での朝食を終えたあと、専用バスに乗り込んで7キロ先にあるゲルニカへ。 ゲルニカ滞在中、我々を運んでくれた専用バスはゲルニカ市が用意してくれました。 この日、そして翌日と、二日間にわたってのゲルニカでのスケジュール調整、 コーディネートは全て畠山えり子さんとゲルニカ市、そしてゲルニカ爆撃を体験された ルイス・イリオンドさん等の協力によって進めて頂きました。
よって、この二日間、添乗員の及川氏と私は、バックに回って、影から必要に応じての御手伝いです。
ホテルを出発し、10分ほどでゲルニカの街に到着。
バスを降りると、日本からやってきたNHKの取材チームによるお迎えがありました。
曇天の中、念のための傘を持って、まず向かったのは激しいゲルニカ爆撃の中、崩れずに残った
サンタ・マリア教会。
かつてビルバオ司教が長崎を訪れた際にゲルニカの被爆マリア像のレプリカを長崎に寄贈。
これに応える形で今回の旅では長崎が原爆の被害にあった際、全焼する事無く頭部だけが残った被爆マリア像の
レプリカ(西村勇夫さん作)がゲルニカに寄贈されました。
その正式な寄贈式は翌日、長崎の見大司教とビルバオのマリオ・イセタ司教等の共同司式によるミサの中で
行なわれる事となっていましたが、今回のゲルニカ訪問の初日であるこの日も、ゲルニカ爆撃による全壊を逃れた
当地のサンタ・マリア教会にて世界平和を祈りつつ、見大司教と浦上教会主任司祭である久志神父による
共同司式により平和巡礼最初のミサに与ることとなりました。
ミサのあと、2チームに分かれて行動です。
長崎で被爆した方々、そして長崎市より長崎平和特派員の任を受けるミュージシャン、ドゥ・マルシェのお二人、
ゲルニカでの現地通訳・コーディネート担当の畑山摩也さんと畠山えり子さんはこのあとすぐに始まる世界平和を訴えるイベントの
準備のために劇場へ。
それ以外の皆さんはイベントが始まるまでの間を利用して「ゲルニカの木」があるカサ・デ・フンタス(議事堂)を見学に。
ゲルニカ爆撃を体験されたルイス・イリオンドさんにご一緒頂き、案内していただきました。
カサ・デ・フンタスの見学を終えたあと、市役所前広場へ。
ここで劇場での打ち合わせを終えた被爆者の方々も合流です。
我々が広場に到着すると、すでにそこはNHKチームも含め、報道陣が沢山詰めかけていました。
ゲルニカ市長、そしてアウシュビッツ市長の姿も見られましたね。
ここで長崎の被爆体験をお持ちの方々が地元メディアの記者達からのインタビューに応じて下さいました。
ゲルニカ市長や地元メディアとの交流の時間を少し持ったあと、平和を願うイベントの時間に合わせて
劇場へ向かいました。
劇場に入ると、ステージに設置された大スクリーンに長崎から贈られた「長崎とゲルニカを結ぶ絵」が
大きく映し出されていました。
長崎の聖マリア学院小学校の生徒が描いた作品だったでしょうか。
ドゥ・マルシェのヴァイオリニスト、牧さんの司会により世界平和を祈るイベントが始まりました。
ゲルニカ爆撃の惨事を生き延びたルイス・イリオンドさんが、その体験談を畑山摩也さんの通訳付で
スペイン語と日本語で聴かせてくれました。
長崎の原爆の惨事について、被爆者の一人、末永さんが紙芝居を通じてお話してくださいました。
末永さんは、長崎の惨事を体験した人々が年々、歳を取り、自分達がいなくなったあと、どうやって
原爆の恐ろしさを人々に伝えて行けば良いのか、、、、
そう考えて、被爆者が居なくなったあとも、後世の人々に伝えるための手段として紙芝居を思いつかれたとのことです。
末永さんが作られた紙芝居は幾つかあるようですが、その内の一つをご帰国後、当文化協会へ送って頂きましたので、
この場を借りて、紹介させて頂きます。 ご興味のある方はこちらをクリックされて下さい。
紙芝居のあと、被爆者の方々が舞台に上がり、それぞれの平和への思いをスペイン語の通訳付きで訴えかけました。
この長崎からの平和を祈る皆さんの声は、ヴァイオリニストの牧さん、アコーディオニストのミヤックさんから構成される
ドゥ・マルシェと、その協力に馳せ参じてくれた二人の地元アーティスト等によって奏でられる音楽を伴って
ゲルニカから世界へ向けて発信されました。
そして、最後の締めくくりとして皆さんの魂を込めた一言が響き渡りました。
スペイン北部の小さな街、ゲルニカから世界へ向けて「平和と核兵器廃止」を訴えたあと、
今回のスペイン平和巡礼での最初のランチとなりました。
街中心部の小さなレストランと予め、電話とメールのやり取りを何度も繰り返し、
「旅の最初の食事はスペインの食文化の第一印象となる大切な食事だから、美味しいものを食べさせてあげたい」 と、
プレッシャーをかけてありました(笑) メニューは、、、、
メインは歯の悪い方でも食べられるように、生後間もない仔牛の最も柔らかい部位を使った分厚い
ステーキ、、、スペイン語でメダジョン・デ・ソロミージョと言いますが、日本だとフランス語を使って
シャトーブリアンと呼ぶ事が多いかもしれませんね。 お肉のお供には、スペイン・ワインの大産地、リオハの有名なワイナリー、ラモン・ビルバオの自信作、 2013年物 特別限定ボトルリングの熟成ワインを頂きました。 こんなステーキやワインがランチに出て来る団体ツアーはありませんよ(笑) スペイン食文化の第一印象をかけたランチ、、、レストランの皆さん、ご協力有難う御座いました(^^) そしてデザートはレストラン自慢の自家製オーブン焼きチーズケーキでした。
ランチのあと、ピカソの作品「ゲルニカ」をタイルで再現したものがこの町に置かれているので、
その前に並んで、皆さんでの集合写真を撮りましたね。
NHKのカメラをはじめ、地元メディアのカメラマンも沢山いましたから、
いったい、どの方向を見て写真に写れば良いのやら、皆さん、お困りになったのではないでしょうか(笑)
ちなみに、この時の写真をこのページのトップにも大きく掲載してありますが、今回の旅では、本当に全員が
写っている写真が1枚も無く、必ず誰かが欠けています(^^;
記念撮影のあと、ゲルニカ空爆体験者のルイス・イリオンドさんの案内でゲルニカの街を案内して頂きました。
爆撃が続く間、彼が逃げ込み、生き延びた防空壕跡なども見せて頂きました。
そして最後に平和博物館内部を見学して、そのあとはホテルでの夕食時間まで自由行動となる予定でしたが
雨が降り始めたので、皆さん揃って一緒にバスでホテルへ戻る事となりました。 この日の夜、ホテルでの夕食で、ドゥ・マルシェの牧さん、ミヤックさんが生演奏をプレゼントしてくれましたね〜
残念ながら夕食中も翌日の打ち合わせなどで頻繁に携帯電話が鳴り、この時の様子をカメラに収める事が
出来ませんでしたが、牧さん、ミヤックさん、楽しい音楽を有難う御座いました!
ゲルニカ泊 |
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☆4月26日
この日もこの地方らしい?!、ちょっと怪しいお天気での始まりでした。
ホテルでの朝食を済ませ、出発しようとすると、宿のオーナーが是非、皆さんと一緒に写真を撮らせて欲しいとの
ことだったので、ホテルの前に並んでの集合写真となりました。
写真撮影のあと、市役所が用意してくれた専用バスに乗ってゲルニカへ向かいました。
ゲルニカに着いて、今日のスケジュールはまず、前日と同じ劇場で行われる平和大賞授与式典に出席する事ですが、
それが始まるまでの間、少し、自由にゲルニカの街を散策していただく事となりました。
式典開始時間の少し前になって全員、劇場に集合。
会場入り口には、西村勇夫さん作、「長崎の被爆マリア像」のレプリカが置かれました。
式典開始前には、会場は満席となり、空席を探してうろうろと探し回る人が目につきました。
バスク語とスペイン語とによる司会で式典が始まり、ゲルニカ市長の挨拶が終わったあと、
地元アーティスト等によるゲルニカ空爆を表すダンスが披露されました。
今回の旅では、数えきれないほどの写真を撮っており、その全てをここで紹介する事は
不可能ですが、いずれ、参加者の皆さんにはDVDビデオにまとめてお届けしますので、気長にお待ちください(^^;
不思議な雰囲気を醸し出すダンスのあと、世界の平和に寄与したとされる人を対象に授与される平和大賞授賞式へと移りました。
今年の受賞者は、コロンビアで長年続いた政府と反政府軍との戦いに終止符を打ったとして、
コロンビアのサントス大統領、そして、革命軍のリーダーであるティモチェンコ氏の両名となったようです。
が、両名共に授賞式には出席しておらず、どちらも代理人を送ったようですが、
当人が出席出来なかった事についてのそれぞれの弁明に興味を引くものがありましたね。
サントス大統領の欠席理由は「多忙であるため」 との事でしたが、勿論、これは表面上の言い訳であって、
スペイン中央政府の参加が無くバスク政府が独自に行っているこの平和式典に、コロンビア政府が正式に参加
する事を避けたものと推測出来ます。
一方、革命軍リーダー、ティモチェンコ氏の欠席理由は、非常にはっきりとしたものでした。
式典が終わったあと、街の少し外れにあるレストランへ昼食に向かいました。
この日、小さなゲルニカの街のレストランはどこもいっぱいで30名を超える我々が入ってゆっくり食事出来るお店を
確保するのはなかなか困難でした。
ゲルニカでの準備を担当してくれた畠山えり子さんが、市の職員と何度もやり取りを繰り返した結果、
市から直接、街外れにある少し大きめのレストランに予約を入れてくれてようやく昼食場所を確保!
こうして何とか場所が確保されたものの、この日のメニューが決まったのは、驚くなかれ、、、前日の夜、、そう、
皆さんがホテルの食堂でドゥ・マルシェの素敵な生演奏を楽しまれているあの時でした(笑) この時のメニューは、、、
カモ肉の網焼き そして自家製プリン、、、、だったでしょうか、、、、
大人数であったにも関わらず、このレストラン、非常にテキパキとやってくれました。
お食事の最中、80年前にゲルニカ空爆があった時間となり、レストランでの黙祷となりました。
昼食のあと、市が用意してくれたバスでレストランとは街の反対側にある墓地へ向かいました。
空爆で無くなった方々への献花式に出席するためです。 ゲルニカ市の代表、同じく空爆を受けた近隣の街、ドゥランゴの代表、バスク州知事などに混じり、 我々長崎の代表、そしてアウシュビッツの代表などなど、打ち鳴らされる鐘の音に導かれながら 順々に花を捧げました。
そして長崎からは花と共に、日本からお持ち頂いた千羽鶴も贈られましたね。
献花式が終わったあと、再びバスに乗り込んでゲルニカの中心部へ。
屋外での式典だったので身体が冷えてしまい、この時、確か、随分とおトイレ、、、我慢していただきましたね(^^;;
お手洗いを済ませ、落ち着いたところで、このあと、前日と同じサンタ・マリア教会でのミサへと向かいました。
前日は、我々だけでのミサでしたが、この日は地元の人々も沢山参加しての大きなミサとなりました。
ミサは見大司教、ビルバオのマリオ・イセタ司教、浦上教会主任司祭久志神父、ゲルニカの教区司祭他、数人の司祭による共同司式によって
執り行われ、このミサの中で長崎からお持ちいただいた被爆マリア像のレプリカの寄贈式が行われました。
御像は作者である西村勇夫さん自らの手で、そして勇夫さんにしっかり付き添う西村夫人からは
千羽鶴が当地のマリオ・イセタ司教へ渡されました。
ミサの中で、ビルバオのマリオ・イセタ司教が、一つ、約束をして下さいました。
「この教会(ゲルニカのサンタ・マリア教会)の脇祭壇の一つに、今回寄贈された長崎の被爆マリアのレプリカ像と
ゲルニカの被爆マリア像とを並べて置くための新しい祭壇を作り、これをCapilla de la Paz(平和の祭壇)と名付ける事にしましょう」
いつか、また、この「平和祭壇」を訪れたいと思っています。
マリオ・イセタ司教、そして見大司教から、それぞれに世界平和へ向けてのメッセージが送られ
ゲルニカ爆撃から80年を迎えた記念追悼ミサが終了しました。
ミサのあと、地元の方々と長崎チームとの直接の交流も、少し見られましたね。
教会を後にして、この日はゲルニカの街のバルで軽くつまんでの夕食です。
見大司教、マリオ・イセタ司教、久志神父は、今後、世界平和のために何をすべきか、、、と言った
難しくも大切な問題を協議するため(或は、美味しい生ハムと美味しいワインを楽しむため?!)に
別行動となりました。
我々は中心部のバルの一角を陣取り、それぞれに飲みたいもの、食べたいものを注文して夕食を済ませ、
このバルで、今回お世話になったゲルニカ空爆生存者のルイス・イリオンドさんとそのご家族ともお別れを告げて
ホテルへ向かいました。
バルからバスまで歩く道中、ゲルニカの空がこんなに青かったのを、皆さん、覚えていますでしょうか?
朝方はどんよりとした曇り空でしたが、午後には晴れ間が広がり始め、空爆80年を迎えた夜空は、スカッと晴れ渡りました。
戦争が無くなり、こんな晴れ渡った世の中になるといいですね、、、、
これにて、今回の平和巡礼の旅における一番大切なお仕事が無事、終了です。 皆さん、お疲れさまでした!
そしてゲルニカで頑張って動いてくれた畠山えり子さん、通訳の畑山摩也さん、ドゥ・マルシェの牧さん、ミヤックさん、
お疲れさまでした!
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☆4月27日
二日間続いた曇天が終わり、良いお天気です!
このあと、ほとんど旅の終わりまで青空に恵まれる事となりましたね(^^)
ホテルでの朝食を終え、ビルバオから迎えに来てくれた専用バスに乗り込んで
今日の最初の目的地、聖イグナツィオ・デ・ロヨラの里へと向かいました。
バスクはギプスコアの山奥に、イエズス会創立者であるイグナツィオ・デ・ロヨラの生家があり、
その横に大きなバシリカが鎮座しています。
かつて日本へキリスト教の福音を伝えた聖フランシスコ・ザビエルも彼と一緒になって活動した
イエズス会創立メンバーの一人で、ザビエルは日本をイエズス会士として、ローマー教皇大使として、
そしてポルトガル王国の全権大使として訪れています。
イグナツィオ・デ・ロヨラとの出会いが無ければ、ザビエルが日本までやって来る事は
無かったでしょうから、我々日本人にとってこのロヨラの里を訪れる事はやはり大きな意義のある事では
無いでしょうか。
この日、このロヨラの生家にある「回心の間」でミサに与り、旅を続ける予定でしたが
ゲルニカを出たあと、交通渋滞にあうこともなく、順調に到着出来たので、少し駆け足気味では
ありましたが、急遽、ロヨラの生家全体の見学を行なう事にしました。
生家の各お部屋を一つ一つ、日本語の解説を聞きながら見学したあと、戦いで重傷を負った
イグナツィオが療養をし、回心するに至った 「回心の間」を使わせていただき、ミサに与ることが出来ました。
ミサの間、私は少し失礼して抜け出し、このあと軽く食事出来るところを探しに行きました。
なかなか30人で突然入って飲み食い出来るところは、こんな田舎ではありませんからね(^^;
良いお店を見つけ、今から30分後に30名でやって来るから、全員が軽く食べられるように
準備を進めておいてくれるようお願いしてミサに戻りました。
ミサが終わり、皆さんと一緒にイグナツィオの生家を出てお店に来てみると、なんと、先ほどまで
客など誰もおらず、我々だけで静かに食事出来そうな雰囲気だったのが、今度は若者達でいっぱいとなっており、
彼等の元気な声で店内はにぎやか、、、と言いますか、うるさい?! (^^;;
そして、我々が頼んでおいた30人分の料理を、ほんの一足先に入った彼らが全部、平らげてしまった直後でした(^^;
偶然、そのタイミングでやって来た彼等が、我々が頼んでおいた料理のおかげで空腹が満たされた、、、
そんな感じでしょうか(笑)
急いでお店にもっといろいろと作って出してくれるようお願いして、ちょっともたもたしましたが、
何とか、若者達の胃袋も、我々の胃袋も満たされましたね(^^;
この日は、このあとワイナリーに立ち寄る予定となっており、そこでも少しおつまみが出て来ることに
なっていたため、ちゃんとしたランチは摂らず、軽くつまむ程度の食事を2度、組み込む必要があったのです。
かくして、無事、1度目の「軽い食事」を終え、再び専用バスに乗り込み、今度は山奥から一気に海を目指しました。
海沿いの道から、少し内陸へ入り、どんどん坂道を登り、ワイナリーが近づいてくると、
「本当にこの道にこんな大型バスで入ってしまって、あとでちゃんと出られるのかな?」 と心配になって来ましたね(笑)
でも、我らが運転手さん、その腕前は抜群で、見事にあの道なき道を通って、ワイナリーにたどり着き、
そして、無事、脱出することが出来ました。
ワイナリーに着くと、周囲に広がるブドウ畑の緑、眼下に広がる青い海、そして前日までと違って
晴れ渡った青い空、、、、心地よい風も吹いて、最高でしたね〜
皆さんで記念撮影をしたあと、ワイナリー見学の開始です。
とは言え、、、ワインの薀蓄や設備を見るより、やっぱり嬉しいのはテイスティングですよね(笑)
チャコリと呼ばれるスペイン北部独特のワインは、伝統的に白ワインですが、この日は白とロゼの2種類を
試飲、、、(と言うより、何本もボトルがあったので、しっかり飲ませてもらったような気がしますが)、、、させていただきました。
そしておつまみに出て来た自家製のアンチョビとツナ、、、、これが結構、絶品だったのでは無いでしょうか?
地元の海の幸をつまみ、地元の酒を楽しみ、これにて2度目の「軽い食事」が終了です。
ワイナリーをあとにし、また運転手さんが道なき道を潜り抜け、ギプスコア県の中心、サン・セバスティアンへと
やって来ました。
まずはモンテ・イゲルド展望台までバスで登ります。
ここから見下ろすサン・セバスティアンは本当に美しいですね〜
いっぱい写真を撮りましたが、ここでは掲載するスペースが足りませんので、いずれまた
DVDビデオに収録して皆さんへお届けします(^^;
ところで、この日、、、長崎の被爆マリア像のレプリカ作者である勇夫さんと奥様である美和子さんの結婚○○周年記念日でした(^^)
昼食か夕食の時にお祝いが出来れば、、、、とのことだったのですが、お昼は先述のように2度に分けて少しずつつまむと言う
変則的な食事となっており、この日の夕食は全員一緒での行動では無かったため、はてどうしたものか、、、と
実は朝から悩みつつ一日を送っていました(^^;
そしてサン・セバスティアンのこの展望台に来て、突然思いついたのが、歌!
この心地よい気候、この美しい景色に囲まれる中、皆さんでお祝いの歌を贈りましょう!
すみません、、、これしか思いつきませんでした(^^;
でも、サン・セバスティアンに響いた皆さんの心のこもった大合唱、、、、素敵でした。
勇夫さん、美和子さん、おめでとうございます!
次回の記念日もスペインでお待ちしてますよ〜!
あ、他の皆さんも、是非、記念日はスペインへ(^^)
展望台からの景色を満喫し、ささやかなお祝いを終えたあと、山を下り、先ほどまで眼下に見えていた
コンチャ湾のすぐ傍にあるホテルへと向かいました。
夜になってこの日は2チームに分かれての夕食となりました。
Aチームは、専用バスを使って今、スペインで最も人気上昇中のミシェラン三ツ星を持つレストラン、マルティン・ベラサテギへ。
Bチームは、ホテルから歩いて海辺の展望レストランへ。
私はBチームの皆さんとご一緒させて頂きましたのでここではその時の様子を。
蛸と車エビと赤ピーマンのサラダ
アンコウのポテト添え
シャトーブリアンのひと口ステーキ、グリンピースピューレとトリュフ風味ソースがけ
そしてデザートが
お食事の友は
そして最後に食後のコーヒーを頂いて夕食が終了。
食後、すっかり暗くなったコンチャ湾を見ながらお散歩しつつホテルへ戻りました。
我々Bチームは、健全な時間に終わりましたが、Aチームは、夜更かしだったようですね〜(笑)
サン・セバスティアン泊 |
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☆4月28日
今日も快晴です(^^)
ホテルでの朝食後、引き続き専用バスを使って出発です。
サン・セバスティアンを後にして向かったのはナバーラ。
お天気も良いのでナバーラの小村でバスを降りて、サンティアゴ巡礼路の「アラゴンの路」の最終部分を少し皆さんで歩いてみる事にしました。
この時、歩いたところのすぐその先で、ナバーラの路と合流してアラゴンの路が終わります。
その後は、ナバーラの路、アラゴンの路と言った区別は無くなり、1本に統一された路が続きます。
快適な気候の中、1200年の歴史を持つサンティアゴ巡礼をほんの一部ですが経験していただきました。
如何でしたか?
実際の巡礼では今回のような良いお天気の時もあれば、雨や強風、猛暑や寒い時もあります。
そんな中をひたすら毎日、もくもくと歩き続けると、いろいろな事が頭をよぎります。
最初は周囲の自然に目が行き、気を取られ、巡礼で出会う人々との交流に楽しみを覚えます。
そして更に歩き続けるうちに、信仰を持つ人も、持たない人も、自分の日常のいろいろなことを考え、思い悩む時がやって来ます。
そして更に歩き続けると、日常のくよくよが吹っ飛んでいくような不思議な解放感のようなものが強烈な勢いで湧き出て来るのを感じることがあります。
そして歩き終える時、、、、、
機会があれば是非、体験してみてください。
早めにご連絡頂ければ、我々で良ければいつでも喜んでご一緒させていただきますよ。
小一時間ほど歩いて、サンタ・マリア・デ・エウナテ教会に到着しました。
ロマニコならではの簡素さと謙虚さを持ちながら、それでいて周囲を囲む回廊は非常に繊細なものを感じさせてくれます。
芸術や建築技術の発展と言う意味で、これらの変化を受け入れるのは良いのですが、さて、、、、
ここ20年近く、私はロマニコ以前の教会巡りばかりを続けています。
話しがそれましたが、巡礼路を少し歩いたあと、近くのレストランでの昼食となりました。
この日のメニューは、、、、
どこでも食べられる生ハムではありませんよ。
そして野菜のパエージャ
ここまでが前菜です。
そしてメインが
鱈のソテー、赤カボチャとピーマンのクリームソースがけ
そして最後にレストラン自家製のカスタードクリームをデザートとして頂きました。
食事を終えたところで、再びバスに乗り込み、もうすぐ傍まで来ていたハビエルへ向かいました。
ハビエルは日本語では一般にザビエルと発音することが多いと思います。
地名となっていますが、日本へキリスト教を伝えたとされる聖フランシスコ・ザビエルの生まれ故郷です。
イエズス会創立の中心となったイグナツィオの里も山奥でしたが、その創立メンバーの一人だった
ザビエルの里もまた山奥ですね、、、、
実際に彼等の里へ足を運んでみると、よくもまぁ、あの時代に、こんな山奥から日本までやって来たものだ、、、と
心底、「不思議」 を感じます。
ハビエルに着いてホテルのチェックインを済ませ、少しお休み頂いたあと、ザビエルの生家、ザビエル城の見学をしました。
15年か20年ぐらい前までぐらいでしょうか、、以前はザビエルの生家として、恐らくかなりオリジナルに近い形で
残されていたのだと思いますが、その後、大掛かりな改装を行ない、内部はちょっとした資料館のようなものに
変わっています。
ザビエル城内をゆっくりと見学し、お城の屋上へ上がって、周囲に広がる山や森を見渡しました。
これらの森を子供の頃のザビエルが駆け回っていたのしょうね〜
ザビエル城内の見学を終えて、皆さんがお城の外に揃ったところで、お城をバックに記念撮影です。
記念撮影のあと、ザビエル城の目の前にある教区教会を少し見学しました。
教会入り口の上には、ザビエルがアジアへ向けて出発する前にポルトガル王ジョアンIII世と謁見している
シーンを表すタイルが張られていましたね。
そして教会内部には、ザビエルの洗礼に使われた洗礼台が置かれていました。
ちなみに、この教区教会は少し前まで女子修道院としても機能していましたが
数年前に最後のシスターがご高齢のため施設へ移られてから、修道院としては使われなくなってしまいました。
教区教会の見学を終えたあと、ザビエル城に付属する形で後から増築されたバシリカを使わせてもらっての
ミサとなりました。
このバシリカがあった場所に、もともとはザビエルのご両親の寝室があり、そしてそこでザビエルが生まれたと
されています。
ミサの準備をして待っていてくれたのは何十年も前からここでザビエル城の管理をしてくれていた
イエズス会のブラザー、ベニートさんです。
日本と深い深い御縁のあるザビエルの生まれた場所でのミサに与り、これにて今日のスケジュールは終了です。
夕食の時間まで、この自然に囲まれたハビエルで静かにお過ごし頂きました。
ホテルの周囲に食事のできるところはありませんので、夕食はホテルのレストランで。 メニューは、、、、
法蓮草とエビのミルフィーユ
豚肉の後ろ足モモ肉、野菜の付け合わせでした。
ゲルニカから旅が始まりましたが、ゲルニカ滞在中はいろいろと忙しく、
また、その後のサン・セバスティアンでは夕食が全員一緒の行動では無く、
この日になってようやく、皆さん揃っての落ち着いた夕食となりました。
よって、ここで皆さんそれぞれに自己紹介をしていただく事にしました。
今回の旅で初対面と言う方も多かったと思いますが、これでお互いに素性?!が判りましたね(^^)
こんな山奥からはるばる日本までやって来たハビエル(ザビエル)の波乱万丈な人生を想いながら
ゆっくりお休み、、、頂けたでしょうか。。。
ハビエル泊 |
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☆4月29日
今日も青空です。
ホテルでの朝食のあと、引き続き専用車で出発。
日本の歴史に大きく関与したハビエル(ザビエル)の生家に別れを告げ、ナバーラの地を後にしました。
そして今日の目的地はタラゴナ県にあるポブレ修道院です。
道中、ジェイダと言う街を通過する時に、ここから別行動に入られる
Tご夫妻と鉄道駅でお別れとなりました。
後日、私はマドリッドで再会し、フラメンコディナーショーへご一緒させて頂きました。
Tご夫妻とジェイダの駅でお別れしたあと、我々本隊はそのままポブレ修道院へ向けてドライブです。
修道院に到着前、近くの村のレストランに立ち寄って昼食となりました。
この日メニューは、、、、
ツナの入ったミックスサラダ
メインが海産物パエージャ
そしてデザートが、三種類のアイスケーキ盛り合わせでした。
そしてこの日の昼食では二つのお祝いがありましたね〜
ひとつは見大司教の司教叙階から15年を迎える記念日!
そしてもうひとつが、添乗員、及川さんのお誕生日でした!
皆さんでお二人のそれぞれの記念日をお祝いし、乾杯!
そして楽しい昼食となりました。
昼食が終わって、レストランを出発しようとすると、レストランの方々から
是非、皆さんと一緒に写真を撮らせて欲しい、、、とのこと。
レストランの入り口のところで全員集まって記念撮影となりました。
私も確認はしていませんが、きっと彼等のFacebookやブログなどに掲載されているのでしょう(笑)
楽しい食事を終えてレストランを出発。
すぐ傍にあるポブレ修道院へと向かいました。
修道院に着いて、同修道院運営の宿にチェックイン。
少し休憩したあと、修道院のスタッフによる案内付で見学開始です。
大きな修道院なので、ここの見学には結構、体力が必要でしたね(笑)
以下、修道院内の写真を何枚か。
中で撮影した写真は他にも沢山ありますが、それらはいずれ可能な限りDVDビデオに収録して
参加者の皆さんへお届けするようにします。
修道院の見学を終えたあと、ロマニコ時代の小さなお御堂、サンタ・カタリーナのチャペルでの
ミサとなりました。
こじんまりとしたお御堂ですが、ロマニコらしい簡素で良いお御堂でしたね。
ミサを終えて少しお部屋で休憩いただいたあと、宿のレストランで夕食となりました。
メニューは、、、、
仔牛と野菜の煮込み
そしてデザートがレモンケーキでした。
夕食後、すでに外は真っ暗となっていましたが、修道院の一部がライトアップされていたので
何枚か写しておきました。
ポブレ修道院泊 |
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☆4月30日
今日は青空、、、では無く、明るい雲り空、、そんな感じでのスタートとなりました。
宿での朝食を終えて、引き続き専用バスで出発です。
少し離れると、昨夜泊まった修道院の外観がバスの窓からよく見えましたね。
田舎道で、ほとんど交通も無いので、バスのドライバーさんにゆっくり運転してもらいつつ
車窓から修道院の写真を撮りました。
ポブレ修道院を出発して最初に向かったのがマンレサでした。
マンレサには後にイエズス会の創立者となったイグナツィオ・デ・ロヨラがしばらくの間、住んだ洞穴跡をそのまま利用して
作られたお御堂があります。
洞穴から遠方に連なるモンセラの山々が良く見えるのですが、この日は残念ながら見通しがあまり良く無く、
ほとんど見えませんでした。
イグナツィオはカタルーニャの人々の信仰が厚い黒い聖母像、モレネタが発見されたモンセラの山々を
見ながら一時期ここで生活をし、その中でイエズス会の教えの骨子となる霊想の元となるものを作り上げたと言われています。
よって、今回の旅ではイグナツィオの生家も訪れましたが、ここ、マンレサもイエズス会が出来上がるまでの
一つの大事な「通り道」となったところと言えますね。
マンレサの聖なる洞窟を巡礼したあと、再びバスに乗り込んで、カタルーニャの聖地、モンセラへと向かいました。
モンセラに到着する頃には、黒い雲も広がり始め、なんとも怪しいお天気となって来ましたが、幸い、雨にはなりませんでした。
モンセラに着き、修道院運営のホテルにチェックイン。
まずは修道院に直行し、モレネタ(黒い聖母)のチャペルにてミサに与りました。
モンセラにある修道院の教会部分に入ると、正面の祭壇、上方にモレネタが見えますが、
ちょうどモレネタの裏にあるのがこの「モレネタのチャペル」で、モレネタの像を背後から見る形で
祭壇が作られています。
ミサのあと、モレネタにお参りする人々の列に混じって我々も、このカタルーニャの守護聖母像にお祈りをしてから
修道院を出ました。
ミサのあと、ちょっと遅くなりましたが、今夜泊まる宿のレストランへ直行してお昼ご飯です。
メニューは、、、、
イベリコ豚のセクレトの網焼き と ポテトに野菜を詰めたもの
そしてデザートがフルーツの串刺しにホットチョコレートをかけたものでした。
メインディッシュに出て来たイベリコ豚のセクレト、、、、日本では通販あたりで
目が飛び出るようなお値段で販売されているようですが、如何でしたか?
非常に脂が多い部位なので、フライパンで焼くと脂でべちゃべちゃになってしまいますが、
網焼きにすると、なかなか美味ですよね〜
デザートは、ホットチョコレートをパスして、そのまま純粋にフルーツとして召し上がる方も
ありましたね(笑)
昼食のあと、午後にモレネタ(黒い聖母像)が発見された洞窟の見学を予定していましたが、
お疲れの方も多かったのと、そのあと修道院での子供達の合唱隊も参加する「夕の祈り」が始まるまで
あまり時間が無かったこともあって、食後は休息の時間となりました。
夕刻、自由参加と言うことで、「夕の祈り」へ。
モンセラの少年合唱団は、その歴史が非常に古いことからも世界的に知られています。
お疲れの方々で修道院へお越しにならなかった方々も、お部屋のテレビを通じて、夕の祈りに参加する事が
出来ましたね。
修道士達の歌声と共に少年達のボーイソプラノによる合唱が奏でる「歌による祈り」を聴かせて頂いたあと、
夕食となりました。
周囲には他に食べるところはありませんので、夜も修道院運営のホテルのレストランで頂きました。
見大司教は翌日の午前中、バルセロナの空港から一足先に帰国される事となっていましたので、
これが皆さんとご一緒される最後のお食事、、、と言う事で、お食事が始まる前に少し、お話をいただきました。
続いて、被爆者手帳友の会の井原副団長からも一言。
まだ旅は続きますが、とりあえず、ここまで無事に来ました。
お二人をはじめ、ゲルニカ平和巡礼の旅の実現に向けて御尽力下さった皆さん、お疲れ様でした!
そしてあと何日か、、、最後まで安全に、有意義な巡礼の旅が続けられることを願いつつ、
夕食を頂くとしましょう。
今日のメニューは、、、、
子羊のニンニクとパセリ風味、フライドポテト添え そしてデザートにチョコレート・クーラン でした。
お食事が終わる頃、、、すぐお隣で食事をされていたグループが話しかけて来ました。
韓国から来られた巡礼団で、ポルトガルのファティマ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ、
そして南フランスのルルドなど、数か国に渡っての長い巡礼の最中だったようです。
我々の巡礼団に長崎大司教がご一緒されていることを聞き、ここで出会えたことを感謝して
挨拶に来て下さいました。
言葉のギャップもあり、皆がまじりあっての直接交流は難しいですから、お互いに歌を贈りましょうと
言う事になり、我が長崎チームは、全員で「長崎の鐘」を熱唱!
韓国チームの皆さんから拍手を頂いたあと、続いて、彼等からの返歌がありましたが、
何の歌だったでしょう、、、、ちょっと記憶が、、、(^^;
ただよく覚えているのは、こちらは全員同じ旋律をユニゾンで歌いましたが
彼等は3部か4部合唱ぐらいで練習し、ちゃんとハーモニーがありました。
ちょっと負けた感じです(笑)
次回は、せめて、二部合唱ぐらいは出来るようにご準備、お願いします(^^)
美味しいお食事、そして韓国からの巡礼団との交流にも恵まれ、今日も一日が終了です。
明日はいよいよカタルーニャの州都、バルセロナへ向かいます。
モンセラ泊 |
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☆5月1日
昨日は曇天となりましたが、今日はまた快晴に戻りました(^^)
ホテルでゆっくり朝食を摂っていると、ちょっとあとで時間が無くなってしまいそうだったので
この日の朝食はホテルにお願いしてピクニック形式としました。
モンセラを出発して向かうはバルセロナ。
バルセロナに着いたら、そのままサグラダ・ファミリア教会へ直行です。
サグラダ・ファミリアの「誕生の門」の向かいにある公園で、長年、同教会の建築に
携わっておられる彫刻家、外尾さんと待ち合わせとなりました。
外尾氏と見大司教は同じ九州出身と言う事でお友達のようですね。
まずは外尾さんも一緒にサグラダ・ファミリアの地下にある教区教会へ降りてミサとなりました。
今回の旅で見大司教司式によるミサはこれが最後となります。
このあと、まだマドリッドでの2泊が残っていますが、大司教はこのあとすぐ、一足先に
バルセロナの空港から帰国されます。
そのあとは、浦上教会の久志主任神父、宜しくお願いします。
ミサのあと、見大司教は外尾氏と少しお話の時間を持たれたあと、タクシーで空港へ。
そして我々は、長年、この地下聖堂を任されている教区司祭、ボネ神父の案内でサグラダ・ファミリア内部の見学を
させて頂きました。
ボネ神父は、25年以上もの間、サグラダ・ファミリアの主任建築家を務めたジョルディ・ボネの
お兄さんだか、弟さんだったか忘れましたが、兄弟でもあります。
その親父さんは、ガウディの直接の弟子でした。
と言う事で家族全体がサグラダ・ファミリアに関与して来た、、、そんな家系ですね、、、
そんな方から直接、ご案内いただけたと言うのも、見大司教と外尾さんのおかげです。
貴重な体験をさせて頂き、有難う御座いました。
サグラダ・ファミリアの見学を終えたあと、専用バスに乗り込み、海沿いのレストランへ。
青い空、青い海を眺めながらのお昼ご飯です。
大司教が一足先に帰国されたあとのこの時の食事は、、、別に、そのように目論んだ訳では無いのですが、
最高でしたね〜(笑)
メニューは、、、、
香りと言い、味と言い、実に美味でした(^^)
ムール貝のワイン蒸し
マテ貝の鉄板焼き
獅子唐焼き
ここまでが前菜で、このあとのメインが、、、
ロブスター パエージャと
紋甲イカのイカ墨パエージャ ビールで乾杯した人 カタルーニャの発泡性ワイン、カバで乾杯した人 海産物に合わせて選んだガリシアの白ワインで乾杯した人、、、
いろいろありましたね(^^)
そしてデザートは、、、
これもいろいろと種類があるので、酒類と同様に、食事代には含めず、
食べたい人が食べたいものを注文するように設定しておきました。
と言うことで、お酒は飲み放題、払い放題!
そしてデザートも食べ放題、払い放題(笑)
お酒は飲む人もあれば飲まない人もありますし、スウィーツも欲しい方もあれば
食べない方もありますから、本当ならいつもこのシステムで行くべきですよね、、、、
とは言え、少人数での旅なら、何でも融通が利くのですが、大所帯となると、なかなか
いつもそうは行きません。
よって、出来る時にはそうさせていただく、、、、そんな感じでしょうか(^^;
地中海を眺めながらの素敵なお食事が終わり、レストランの外へ出て、海をバックに記念撮影です。
昼食を終えて、再び専用バスへ。
ワインをいただいて、すっかりいい気分になっている方も多かったですが、せっかくですから
バスを利用して少しだけバルセロナのパノラミック観光を。
街中を車窓から見学し、そしてモンジュイックの丘へ登って高台からバルセロナの街を見下ろしました。
パノラミック観光を終えたあと、夕刻ホテルへ。
チェックインしたあと、夕食までお部屋で休憩です。
翌日、マドリッドへ移動しますが、数名、バルセロナの空港から先に帰国される方がおられましたので、
その方々は、お部屋に入って、荷造りですね。
夜になって、夕食の時間となりました。
今夜のお食事はホテルのレストランを利用します。
前菜に、一見、関西の箱寿司のようなものが出てきましたね(笑) まぁ、それは別として、夕食のメニューは、、、、
なんとなく、食べ物の報告ばかり書いているような気がしますが、、、、(^^;;
イベリコ豚のフィレステーキ、マスタードソースがけ
そしてデザートが、レモンシャーベット、キウイ添えでした。
翌日、バルセロナから帰国される方々は、これで皆さんと一緒に摂る最後のお食事が終わってしまいましたね、、、
夕食終了後、何人かはロビー階のバルに残って食後のコーヒーや食後酒を頂いてから、
就寝となりました。
バルセロナ泊 |
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☆5月2日
引き続き青空です。
今日は帰国組、そして更に旅を続ける組と、2チームに分かれての行動です。
ホテルでの朝食のあと、旅続行組は一足先にホテルを出発し、鉄道駅へと向かいました。
バルセロナから帰国される方々はその2時間後にホテルを出発し、添乗員の及川さんと一緒に空港へ。
残った続行チームは、私を含めて19名。
この日、マドリッドではドス・デ・マジョと呼ばれ、独立記念日として祝日扱いとなっていました。
また、その記念式典が街の中心部で行われており、市内中心のホテルまで車が入れない状態であったため、
新幹線でマドリッドのアトーチャ駅に到着したあと、近郊線列車を利用してソル駅まで移動しました。
何とかホテルまで辿り着く事が出来、ホテルのすぐ傍にある教区教会でミサに与りました。
教会に伝えてあった到着時間、ぎりぎりとなり、ちょっとひやひやしましたが、何とかほぼ時間通りに到着!
おまけに、ミサの所要時間まで制限され、これに間に合わせようと、久志神父には舌を噛みそうなぐらいの早口で
頑張っていただくこととなりました。 本当にお疲れさまでした(^^;
大慌てで終えたミサのあとのお昼ご飯は、そろそろ旅も長くなって来たので、このあたりで
一度、和食を挟みましょう、、、と言う事で、日本食レストランへ。
かと言って、日本国内でも、最高の食文化を持つ九州からお越しの皆さんです。
今回の旅の間、何度か米料理は食べましたが、やはり白米、そしてお醤油の味があると
お腹が落ち着きますよね。。。
久しぶりの和食を食べたあと、ホテルに戻って夕方まで休息としました。
お部屋でお休みになられた方もあれば、きっと限られた時間をフルに使って
周囲の商店街でのお買い物に利用された方もおられたことでしょう。
私もこの時間を利用して、一旦、旅の荷物を置きに帰宅しました。
夕刻となって、再びロビーに集合。
今夜はバル巡り、そしてフラメンコ鑑賞に出発です。
ホテルを徒歩にて出発。
ソル広場を横切り、中央通りに入り、そのまま中央広場(マジョール広場)へ。
17世紀の美しい広場、マジョール広場を横断して、広場周辺に集まっているメソン街へ向かいます。
広場の地下が空洞になっており、そこに沢山のトンネル状のお店が今も営業しています。
これらがマジョール広場のメソン街です。
中には、一般的なおつまみを全部揃えているお店もあれば、ほとんど得意料理だけで勝負している
お店もあります。
その中で昔から人気があるのは、このマッシュルームをウリにしているお店ですね〜
日本民族は、平均してキノコ料理が好きなように思いますが、他国のツーリストにもこれが
好きな人が多いようです。
マッシュルームの鉄板焼きと言うシンプルなお料理ですが、そもそも、その「シンプル」と言うのが
スペイン料理と日本料理に共通している一面かもしれません。
焼きたてのマッシュルーム、野菜補給に獅子唐、そして烏賊のリング揚げをつまみに乾杯と
なりました。
電子ピアノによる生演奏? 生カラオケ? もありましたね(^^)
ここで、もっとゆっくり楽しんでも良かったのですが、この夜の予定は、バル巡り&フラメンコ!
バル巡りと言うからには、1軒ではなく、巡らないといけないわけですから、1軒目、マッシュルームのお店は
適当なところで切り上げて次へ移動する事にしました。
お店を出る時に、お店からのプレゼントで、恐らく女性を中心に小さな素焼きの壺を頂かれたのではないでしょうか。
マッシュルームのお店を出て次に向かったのが、そのすぐ傍にあるトルティージャのお店でした。
トルティージャとは、スペイン風卵焼きのことです。
最も一般的なのは、ジャガイモを入れて固めた卵焼きですね。
こちらのお店に入り、トンネルのように掘られたお店のずっと奥まったところまで進んでテーブルにつきました。
テーブルについて、注文を済ませたあと、お料理に興味のある方は、私と一緒に厨房まで行き、
トルティージャの焼き方を見学です。
よくレシピなどで紹介されている方法では、このお店のような分厚くてジューシーなトルティージャは焼けません。
どうやれば、あんな仕上がりに出来るのか、、、見学された方はお解り頂けたのではないでしょうか。
同じことが出来るかどうかは別として(笑)
熱々のトルティージャをつまみに更にお酒が進んだところで出ましたね〜 久志神父のコント付き熱唱?!!
いや〜録画しておけば良かった、、、、と思いつつも、ああいうのは、その時、その場で楽しむものですよね(^^)
トンネル状の店内に皆さんの大爆笑が響き渡っていました(笑)
楽しい時間を有難う御座いました(^^)
何やら、久志神父の熱唱で、今夜のメインイベントが終わり、ホテルへ帰っても良いような感じでしたが、
このあと、まだフラメンコ鑑賞が残っていました(笑)
と言う事で、トルティージャのお店を出て、フラメンコのタブラオへ。
舞台の正面、、、一番良い席を用意しておいてくれましたね(^^)
2軒のバルをまわって、すでに程よく酔っぱらっている方もあったと思いますが、ドリンクショーなので
またそれぞれお好きな飲み物を注文。
目の前で繰り広げられるフラメンコ、迫力ありましたよね〜
え? それでも良く眠れた人、いましたか?(^^;;;
でも、私が見たところ、9割の方は、居眠りせず、真剣にご覧になっていたと思います。
この日、演奏したギターリスト、、、その日によって、彼だったり、彼のお父さんだったり、
或は別の人だったりするのですが、私は彼のギターが好きです。
ダンサー達も皆、やるき満々、、、いつも精一杯踊っているのがこのタブラオの良いところです。
観光用に1時間程度に圧縮されたようなショーですが、ツーリスト用の「適当なショー」で無いのは
誰もが感じ取れますよね。
実に濃厚な1時間ちょっとを過ごし、タブラオを後にする前にお店の前で先のギターリストと一緒に
記念撮影をしました。
タブラオを含めて3軒のお店で飲んだあと、ちょっとふらつく足取りでホテルまで夜の散歩です。
夜の青空をバックにマジョール広場で集合写真を撮りましたが、私も結構、酔っぱらっていたようで
どうもピタッと撮れた写真は無いようです(^^;
ホテルに着いて、解散したあと、更に数名で近所のバルへ(^^;
そのあと、ソル広場が賑やかなので見に行ってみると、何やら夜中になっても何かのイベントだか
デモだかをやっていましたね、、、、酔っぱらっていたので、あまりよく覚えていませんが。。。 何はともあれ、これにて今日も無事、1日が終了です。 マドリッド泊 |
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☆5月3日
今日も快晴です。
朝、早めに朝食をおとりいただき、希望者のみ9時前にホテルを出発。
徒歩にて近所のデスカルサス修道院へ向かいました。
お疲れの方は、次の集合時間までホテルでお寛ぎ頂きました。
ここの聖堂はかつて、支倉常長が洗礼を受けたところです。
前日のミサでは、早く帰りたい警備員のために、最小限必要なお話だけを超早口で済ませると言う
大変なミサとなり、久志神父に無用なご苦労をおかけしましたが、この日は急がされることもなく、
司式いただくことが出来ました(^^;
この修道院は王立となっているため、普段は、内部での写真撮影はご法度です。
が、プライベートミサの中で、、、、と言う事で、自由に撮影させていただく事が出来ました。
これにて、今回のゲルニカ平和巡礼の旅における、皆さん一緒の最後のミサが終了です。
一旦、ホテルに戻り、必要の無い荷物をお部屋に置いて、あらためて全員ロビーに集合です。
ホテルのすぐ横にあるスペインの中心とも言える広場、プエルタ・デル・ソルにあるマドリッドのシンボル、
クマの銅像と一緒に記念撮影。
そのあと、少しこのあたりを歩いて首都マドリッドの立派な街並みを見学したあと、タクシーに分乗して
日本大使館へと向かいました。
大使表敬訪問です。
今回、長崎から原爆体験者を中心とした平和を願う巡礼団がスペインを訪れ、
同じく無差別爆撃の被害に遭ったゲルニカの人々と交流を持ったことを伝えました。
そして日本政府においては世界大戦の歴史を決して忘れ去る事なく、史実として
常に認識し、今後、あのような事が二度と繰り返される事の無いよう、
世界平和に向けて、核兵器廃絶に向けて、全国民と共に努力を続けて行く必要がある旨、在マドリッド・
日本国大使と共に再確認を行ないました。
大使訪問を終え、大使館を出て、市内中心へ戻るのに皆で市バスに乗ってみることにしました。
バス停の周囲の街路樹はセンダンの木、、、、小さな薄紫色の花を沢山つけていましたね。
大使訪問が何時ごろ終わるか、正確な予想を立てる事が出来なかったので、この日の昼食は
どこにも予約を入れてはありませんでした。
よって、適当に飛び込みでレストランに入ろう、、、と言うわけですが、19人で突然入って
食べさせてくれるレストランはそうはありません(^^;
が、スペイン人の昼食時間としてはまだ早かったので、今ならまだ準備中であるところが普通で、
19人のランチが売れる、、、突然舞い込んだ幸運! と、考えてくれるレストランもあるかもしれませんよね(笑)
このあと、ソフィア王妃近代芸術センターでピカソのゲルニカを見学する予定となっていましたが、
大使館を出て、市バスに乗り込んだ後、今回の旅のオーガナイザー、畠山えり子さんと相談し、
このままゲルニカを観に行くよりは、まだ昼食には早すぎるこの時間に昼食を済ませた方が
お店は空いているだろうし、また、そのあと、普通の昼食時間に合わせて美術館に入る方が
美術館内も空いているだろう、、、との判断で意見が一致しました。
だいたい、要領を利かす事、そして食べる事では、我々二人、、すぐに意見が一致するのです(笑)
それでは、早目の昼食を適当に美術館周辺のレストランに飛び込みで、、、と思い
バスの降車ボタンを押したところ、バスのドライバーがこれを無視、、、次の停留所まで行ってしまいました。(^^;
仕方なく次の停留所で降りて、美術館の方向へは戻らず、敢えて美術館から遠ざかる方向へ歩きつつ
飛び込みで入るレストランを探す事にしました。
その方が観光地から遠ざかる事となり、店は空いているでしょうし、また観光用の店ではなく
地元民用の店が多くなるからです。
1軒目: 19人だけど、食べられる? と尋ねると、まだ早すぎてオープン時間となっていないので駄目と断られました。
2軒目: 19人だけど、食べられる? 即OKでした(^^)
これにて、無事、予約なしで昼食にありつく事が出来ました。
この日のメニューは、予約無しだったのでそれぞれに好きなものをランチメニューの選択肢から
選んでいただきました。
無事、昼食を終えたあと、レストランから少し歩いてソフィア王妃芸術センターへ。
すでにピカソのゲルニカをご覧になったことのある方々もあれば、
今回が初めて、、と言う方もありましたね。
実際に爆撃を受けたゲルニカの街を訪問し、現地の被爆者達との交流を行ない、そして
この悲しい出来事を広く世界に知らしめたピカソの作品を目の前にして、今回のゲルニカ平和巡礼の旅が完結です。
とは言え、これで終ったのは今回の旅だけであって、世界平和への活動に終わりはありませんね、、、、
美術館見学のあとホテルへ戻り、夕刻まで自由行動となりました。
お部屋で休憩された方、そしてまたまたお買い物に走った方、、、いろいろだったと思います(笑)
夜になって夕食へ出発です。
いよいよ今回最後の晩餐となりました。
地下鉄を利用してマドリッドの中心部、ツーリストエリアを離れ、当協会がある地元民エリアへとやって来ました。
ここ、地元民エリアの方が、中心部よりもずっと静かに、安全に、そして経済的に食事を楽しむことが出来ます。
やって来たのは、いつもの行きつけの店の一軒。
日本人がやって来るはずもないお店ですが、当協会の関係者がこうやってたまに出入りしています(笑)
そうそう、、、この辺りは私が住んでかれこれ、、、うーん、、、何年でしょう、、、25年ぐらいでしょうか、、、
この時、何を食べたのかあまり覚えていませんが、写真を見ると記憶が蘇って来ますね〜
サラダ
何かのコロッケ
ガリシア風蛸料理
イカの鉄板焼き
Tボーンステーキ、、、骨は外してもらいましたが、、、
食事のお供に、リオハの熟成ワインを頂いたようです。
そして、大きな事故も無く、皆さん元気に最後の晩餐を迎えることが出来たところで
皆さんから、いろいろなお話やご挨拶をいただきました。
中でも西村さんの、被爆マリア様像転落事件にまつわる告解、、、、笑ってはいけないのですが、
楽しかったです(^^;;
今回、浦上教会で事務局をお努め頂いた山田さんも、本当にお疲れさまでした。
楽しい夕食が終わってホテルへ。
明日はいよいよ日本へ向けて出発です。
マドリッド泊 |
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☆5月4日
ホテルでの朝食のあと、朝9時、専用バスにてホテルを出発して空港へと向かいました。
長いようで短い間でしたが、今回、皆さんとご一緒させていただき、多くの事を学ばせて頂きました。
有難う御座いました。
特に、世界大戦のこと、長崎や広島で起きた人類史上最悪とも言える人災としての悲劇については、
戦争を知らずに育った私のような世代、その中でも特に身内に被爆者がいなかった人達の多くにとって
すでに「記憶から忘れ去られた遠い昔の出来事」となってしまっていることを痛感した、、、そんな気がします。
更に言えば、忘れ去る以前の問題として、どのような事が起きたのかそれ自体を正確に把握もしていなければ、
被害にあった方々がその後、どのようにして生きておられるのかに至っては「完全に日常の思考の枠外」にあるのでは
無いのか、、、恥ずかしながらそう感じました。
同じ日本人であっても、多くの人々が過去の出来事として忘れ去る事を善しとして受け入れている、、、
そんな感じも受けました。
それに対し、実際にこれらの惨事を生きた人々が、「決して忘れてはいけない」、それはつまり
「繰り替えしてはいけない過ち」 であるとして、真実を伝え続けなければならないとお考えになっていることと、
ゲルニカの人々が 「決して忘れてはいけないし、繰り返されてはいけない」、
けれど、「過ちを犯した彼等を赦せるよう頑張ってみよう、何故なら赦し無くしては平和は永遠に訪れないから」、
と叫び続けている、その両方の姿に一見、微妙な違いがあるのかな、、、と正直、最初は思いました。
ですが、今回の旅を続ける中で、先の表現上の違いの中に、一つ、表現されていないだけで
同じ内容の叫びが存在しているような気がして来ました。
それは 「過ちを犯した者がそれを認め、悔い改めることの必要性」。
これを実現するために真実を伝え続ける事の重要さと、赦しを実践しようと努力することの必要性を
叫び続けておられるのでは、、、、と、あまりにも単純すぎる勝手な解釈で、多くのお叱りを受けそうですが、
旅を終えたあと、そんなことをぼんやり考えています。 ピント外れな事を書いてしまったかもしれませんが、それゆえ、近い将来、また皆さんからいろいろなお話を 伺って学ばせて頂く機会が持てれば、、、そう思っています。 その日までどうぞ元気でお過ごしください! 機内泊
主催: カトリック長崎大司教区、NGO地球市民集会 同行司祭: 見三明長崎大司教 / 久志利津男浦上教会主任神父 事務局: 山田一俊 取扱旅行会社: みその旅行企画 及川事務所 添乗&旅程管理: 及川久仁朗 オーガナイズ、&コーディネート@ゲルニカ: 畠山えり子 長崎平和特派員: ドゥ・マルシェ 現地旅程企画・手配: SNJ日西文化協会 同行案内、現地コーディネート(ゲルニカ滞在中を除く)、撮影、報告: マドリッドのくま、こと、古村周三 |
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当協会・文化部の活動についてのお問い合わせ、旅のご相談は下記、文化部のアドレスまでご連絡ください。
通常、ご連絡を頂いたあと、2営業日以内には必ず何らかのお返事を差し上げます。返事が無い場合は、ネット上の
トラブルのため、メールが届かなかった可能性がありますので、再度、ご連絡を頂きますようお願い致します。
また、それでもお返事が届かない場合は、皆様が受信された際、セキュリティーシステムが迷惑メールと誤認して、
迷惑メール用フォルダーに格納した可能性がありますのでそちらをご確認下さい。
それでも、連絡がとれないような場合は、その旨、掲示板を通じてご連絡頂きますようお願い致します。
なお、携帯電話のメール設定が最初から「携帯電話からのメールしか受信しない」という設定になっていることが多いようです。こちらはパソコンから送信しておりますので、携帯電話のメールをご利用になる場合は、パソコンからのメールを受信できるようになっているか再度ご確認ください。
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