文 化 活 動

 歩くヤコブ(サンティアゴ)巡礼の旅 体験レポート

参加者から寄せられた声

*2006年9月末〜10月にかけてご参加頂きました 渡邉さんご夫妻からのレポートです。

サンティアゴ巡礼

・・・きっかけ・・・

たまたま一時期外国で一緒した三夫婦の内の一人がヤコブというクリスチャンネームを持っており、日本のカトリック新聞にサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の案内が載っているので一緒に行かないかという誘いがあったことです。
ちょうど私共も長年行きたいと思っていた所なので渡りに船とその話に乗ることにしました。 お世話いただいたのは日西文化協会SNJです。案内をしてくれたのはそこのボス、K氏です。

ご存知の方も多いと思いますが、サンチャゴはエルサレム、ローマと並ぶキリスト教、世界三大聖地の一つです。
サンチャゴとはキリストの十二使徒の一人、聖ヤコブのことで、キリストの死後スペインで布教活動をし、エルサレムに戻って殉教死、弟子によって海を渡りスペイン・ガリシア地方に漂着、その墓が九世紀に発見されたといわれ、その後一時期行方不明になったものが十九世紀になって再発見され世界中の人々が訪れ、今は世界遺産となっているところ、いうなれば聖ヤコブの墓参りでありヤコブ名をもつ友人にとっては生涯の夢を果たす旅でもあります。

・・・巡礼の道・歴史街道・Camino de Santiago・・・

巡礼路は目的地までフランスの出発点から約千キロ、ピレーネ山を越えたスペインの起点からでも八百キロぐらいあります。
多くは徒歩で、人によっては自転車などで巡礼します。一度にやり遂げないで何年もかけてやり遂げる人もたくさんいます。我々はスペインの起点であるロンセスバジェスから徒歩巡礼を開始、ほんの入り口70〜80キロ程度を入門編として歩き、残りはバス・汽車を利用して最終目的地サンチャゴ・デ・コンポステーラまで行きました。

山道を含む巡礼道では、西洋式お遍路さんよろしくリュックを担ぎ、トレッキング姿で杖をつき、トレードマークの帆立貝をぶら下げていれば、世界中から来る巡礼仲間から”オーラ“、 ”ブエン・カミーノ“、 ”今日は、どこから来たの“ と、まるで兄弟のように親しげに声をかけられ、ああ地球の裏側から来た我々も今聖なる道を歩いているのだなとしみじみ感じました。
途中、巡礼半ばで命を落とした日本人のモニュメントがあり、我々は彼の人を偲んで記念碑の前で昼食を取りました。野に咲く可憐な美しい花々に心を慰められ、帆立貝をかたどった道標に沿って歩いていくと、道すがらどこにでも、それがたとえ人口九人という小さな村にも、巡礼者のための施設が備わっており安心・安全な旅を続けることが出来ます。途中廃墟となったような古い教会もありますが、どこもかしこもいたるところで懐かしい姿の聖堂にめぐり会えることが出来、そこでミサにあずかり祈ることが出来ました。
汽車の中で眺めた朝の遅いスペインの日の出、バスク地方のアケレッタというところで見たダイナミックな夕日とそれを取り巻く黄金色に輝く雲層、、まるでどこかよその世界に繋がっているのではないかと思うほどに素晴らしい眺めでした。

どこに行ってもスペインの守護聖人サンチャゴの姿影があり、幼子を抱いた旧い聖母子像を眺めながら祈り、心の癒しを得ることが出来ました。
ちょっとした町にもカテドラル、大きな町のカテドラルはそれ自体が世界遺産そのものもあり、素晴らしい建物とそこに付随する美術館、博物館を訪れ新しい知識を得、聖堂内部に広がるステンドグラスに心を奪われ、その美しさを満喫することが出来ました。

SNJのK氏はスペイン滞在長く、スペインの歴史・文化・特に宗教について深く研究しておられ、教会建築様式についても長い歴史と文化の葛藤の中での移り変わりについて素晴らしい説明がありました。時には脳の体操よろしくテストもされました。夫々が持つシルシによる十二使徒の名前あてクイズ、長い期間かけて完成され時代がモザイク状に入り組んだ建築様式の年代順の説明を求められたり、K氏の持つ学問で得た知識と、体の中にしみ込んだ我々の生まれついての知識との宗教上の激しい議論など、巡礼の道にふさわしい知的バトルも展開され、老人グループのさび付いた脳ミソの活性化、若返りに役たち楽しい旅となりました。

聖堂といえば、私どもは十年ほど前スペイン・ポルトガルの主だったところを訪ねたことがあり、その時は随分とイスラム文化の影を強く感じたことでした。壊すにはあまりにもでかすぎるモスクの中をリホームしてカトリックの聖堂、果てはカテドラルまでつくってあるのですから。
これはトルコの場合、歴史のサンドウィッチがまったく逆で、トルコでは滅ぼされた東ローマ帝国の聳え立つカテドラルに残るキリスト教の痕跡を消してイスラムのモスクにリホームされています。トルコがキリスト教社会を滅ぼしイスラム国家になったのとは逆に、スペインではイスラムに侵されていた国土をカトリック教国が取り戻したという歴史、しかも我々の辿った地方は最後までキリスト教が頑張って国土回復(レコンキスタ)の拠点になったところ。イスラムの影響はところどころあるものの、それらをも飲み込んだ、前ロマネスクから、ロマネスク、そしてゴシックへと移り行く教会建築の歴史を目のあたりにしたとき私は感激のあまり目を閉じたのでした。

最終目的地、サンチャゴ・デ・コンポステーラのカテドラルに到着し、巡礼者のためのミサに預かり、日本から来た我々の名も読み上げてもらい、聖ヤコブと出会えた時、この旅の目的を改めて考えました。
私はこの旅で幼い頃の純な気持ちを取り戻したかった。
平均年齢七十に近いメンバー夫々の思いはどうだったのだろう、、、
でも心の中に何がしかの安らぎと癒しを得たことは間違いないと確信します。

・・・美食とワインの道・Camino de Vino・・・

巡礼路はスペイン北部、海の幸・山の幸の宝庫、道中ナバーラ、リオハ、リベラ・デル・ドゥエロ、ガリシアはいずれもスペイン・ワインのメッカ。たとえ巡礼宿で頂いた質素な食事でも、お弁当のボカディージョと称するサンドウィッチでも、道すがら食べたちょっとした酒のツマミでも、この世にこれほど旨いものがあるのかと思うほど素晴らしく、その名も通るスペイン・イベリコの生ハム、新鮮な海産物、美味しい貝類、イカ、タコ、、、今思い出しても口の中が唾液で溢れるような旨いものの数々、まったく臭みの無い子羊の焼肉、そのグルメぶりはここでは書きつくせません。
それに加え件のK氏は無類のワイン通、毎日がワイン片手にワインの講釈に加え、その日一日の反省会となり、翌日は更なるワインの奥深さの追及と歴史・宗教の議論に時の経つのも忘れ、所謂、高級料理では無い、地元民が日常に楽しむ本当の美食・美酒を知ってこの旅の真髄を見たりとの日々でした。

さて、私どもの旅はCamino de Santiago だったのでしょうかCamino de Vino だったのでしょうか。

振り返ってみますとそこには長年の望み、巡礼を成し遂げたという達成感とそこから得られた心の癒し安らぎがフツフツと感じ取れ、又機会を見て残りの一部でも歩いてみたいとの思いが残ります。

渡邉浩平・篤子

これはErmita de Santa Maria de Eunateを版画で作った来年の年賀状です