*雑記*


毎シーズン世界から注目される外国人選手たちがさらなる栄誉と富を求めて、また無名の選手がチャンスをつかみにスペインリーグへやってくる。目立たない地方都市のクラブが注目を浴びるようになるのも外国人選手に負うところが大きい。
デポルティーボがラ・コルーニャのさえないいなかチームから大変身を遂げたのもレンドイロ会長のなりふりかまわない外国人選手獲得の成果であった。一時はスペイン人選手はいったいどこに?といわれるほど外国人であふれかえっていた。人々の耳目を集め、ビッグクラブの仲間入りをする早道はこうするしかないのだ、とレンドイロ会長はぼやいていた。90年代初め、ベベトやマウロ・シルバが先陣を切り、怒涛のごとくブラジル人が流れ込んできた。そのおかげでデポルは常にリーグ上位を狙える位置につけ、バルサ、レアル・マドリーなどと肩を並べるほどのクラブへと成長した。しかし、一旦その地位手に入れてからデポルは変わった。少しずつ少しずつスペイン人に重きを置くようになってきたのである。相変わらず、ラ・コルーニャ出身の選手はキャプテンのフランだけだし、他クラブ同様もちろん外国人も多い。ただ、今デポルの中心となる選手は間違い無く国内産選手なのである。トリスタン、ビクトル、バレロン、セルヒオ、マヌエル・パブロ(負傷中だが)。。。

そして今シーズンのびっくり玉はアマビスカであった。レアル・マドリード時代にはサモラーノとの絶妙なコンビでスペインリーグ最高の左サイドと言われた彼も30歳となり、地元サンタンデールでそのまま選手生活を終わらせるのだろうと見られていた。そんな彼を、2部落ちしたサンタンデールはまだ落ちぶれるのは早すぎると快くデポルへと売り渡してくれたのだった。このバブル全盛期に5億ペセタという安値で。
とっくに旬を過ぎているはずのアマビスカはチャンスを与えてくれたデポルに感謝し、フランの控えにはもったいないほどの働きをしている。得点を重ね、アシストを積み、デフェンス面もおろそかにすることなく、第2の旬を謳歌しているのである。彼の全盛期、ゴールを決めた後にお決まりのように肩膝をつき天に向けた人差し指を振っていたあの懐かしいジェスチャーも戻ってきた。さらに、アマビスカの活躍はくすんでいたフランを刺激し、蘇らせるという相乗効果も生みだした。
レアル・マドリードでは最後の半年、選手登録されることもなく飼い殺しにされた。サンタンデールでは彼を輝かせるだけの相手に出会うことができなかった。デポルには“彼が”光らせることのできる選手がいる。フィゴやジダン、リバウド、サビオラといった名前だけで人々が注目し、大金が流れていくような選手ではないが、間違いなくアマビスカは今年の“クラック”だといっていいだろう。(12/Nov)

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レアル・マドリードのホームスタジアムであるサンティアゴ・ベルナベウが、27億ペセタもの大金を投じて大がかりな改装工事を終えたのは1ケ月ほど前であった。UEFAの5つ星スタジアムの認定を求めて、クラブ100周年にふさわしい幕開けとなった。ロッカールームには選手それぞれの等身大の写真がはめこまれ、ジャグジールーム、マッサージ室など豪華そのものの施設へと変身したことが強調されていた。
改装された部分はそれだけではない。南ゴール裏、フォンド・スールと呼ばれる客席も特別なものになっていた。客席の一画が透明の強化プラスティック板で他の観客席と隔離され、イス自体が跳ね上げ式で、立って応援することが想定された造りになっているのだ。ここに、長年クラブの首脳陣が頭を悩ませてきたラディカルなサポーター、“ウルトラ・スール”を押し込み、問題行動を未然に防ごうとする苦肉の策だ。もちろん、“お立ち席”時代に占領していた場所をとり戻すことができた“ウルトラ・スール”には願ったりかなったりの待遇である。

その“ウルトラ・スール”、ウルトラの名の通り、右寄り、スキンヘッドに近いものがある。腕や背中や肩にタトゥーを入れた、がたいのいい兄ちゃん、おっちゃんが自前の旗、スペイン国旗、国旗の中央にトロのマークの入った旗などをふりかざし、過激な文句を合唱し、応援を繰り返す。 先週行われたビルバオ戦では、久しぶりにその思想、スペインという国が唯一国家であるという主張を込めた光景に出くわした。そのウルトラのメンバーが赤と黄色のレインコートを羽織り、スペイン国旗の人文字をつくり出したのだ。
ビルバオはバスク地方の一都市であり、バスク地方といえば、独自の文化・言語をもちスペインからの独立を主張する自治州である。そのバスク人の持つ独自の旗“イクリーニャ”を侮辱し、蔑み、バスクという地方があたかもないものであるかのように挑発したのだ。ビルバオのサポーターたちは最上階の一画にこれまた集められ、警官隊で囲まれている。

スペイン各地方ではその地方独自の国旗(州旗といえばよいのか)がある。バルセロナにしてもバレンシアにしても常にその旗がはためき、敵地へのりこんでいったからといってそれをカバンにしまいこむわけではない。それをかかげる者あり、マントのように体にはおる者あり、で別に問題が起こるわけではない。それが、だ。昨年から、ベルナベウスタジアムで“イクリーニャ”を旗めかすことが禁じられてしまったのだ。同じバスク州ギプスコアを本拠とするレアル・ソシエダ戦の時にいきなり、スタジアム入り口でそのお達しを伝えられたレアル・ソシエダのサポーターたちは怒りをあらわにした。なぜ、自国の旗を持って入ってはいけないのか、と。どうして、“イクリーニャ”だけを禁じるのか、と。
バスクには独立を武力によって勝ち取ろうとするETAというテロリスト集団がいることは確かだ。現バイエルン・ミュンヘンに所属するフランス代表のリザラズ選手がこの集団から「バスク人でありながら敵国(フランス、スペインは敵国)の代表としてプレーしている」として脅迫文を送りつけられたことは誰もが知っている。ETAイコールバスク、バスクイコール“イクリーニャ”、ゆえにETAイコール“イクリーニャ”という図式ができてしまったのか、あまりにも短絡的な考えに走ってはいないだろうか。

ウルトラ・スールの蛮行というものは今に始まったことではない。今回の行動についてはレアル・マドリードの職員たちが即座にやめさせるよう客席に走ったが、あまり効果はなかった。そう、説得力がないのだ。自ら“イクリーニャ”を禁じておきながら、どうして、ウルトラのメンバーを納得させることができるのか。
スペイン内だけでなく、世界中から集まったビッグ・ネームを要するクラブなら、もっと鷹揚に全てを受け入れるだけの懐の深さをもてないものなのだろうか、と思うのである。。。(09/Oct)

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今期のチャンピオンズリーグが始まるという火曜日に米国でとんでもないテロ事件が勃発した。 各テレビ局はこぞってこのニュースを取り上げている。次から次へと未確認情報、新しい映像が 流され、危機感をあおられた。
本来ならCLのTV放送が始まる時間になってもニュースは続く。試合は中止になったのだろうか、 と思っていたら放送チャンネルが変更になる旨のテロップが流れ、結局時間どおりに始まった。
それが、翌日になっていきなり、UEFAから「今週のCLとUEFAカップは延期とする」とのお達しが下った。この決定によってバルサ、デポルティーボ、サラゴサ、セルタ、バレンシアが直接の影響を受けることになった。当然のことながら、この決定に異論を唱えるチームはなく、選手、監督からは好意的なコメントが出された。前日にデポルティーボのイルレタ監督が、「シエスタ(お昼寝)の時間なのにみんなTVにはりついていて十分休息ができていない。」とぼやいていたが、誰しも我関せずを貫くにはあまりにも衝撃が強かった。

なぜ、火曜日の時点で即座に延期の決定を下さなかったのか、との問いにUEFAは、すでにスタジアムへ赴いている人達が多く、混乱を招くことになりかねなかった、と答えた。そのため、選手の腕には喪章がまかれ、試合前には1分間の黙祷をささげたのだった。
このテロ事件がどのように選手に影響を与えたかはわからない。少なくともレアル・マドリードの選手はリーガ2試合で見せたようなぶざまな姿を7万の観衆の前でさらすことはなかったし、マジョルカもCLリーグ初出場という緊張もなくアースナルから大金星を奪った。
その反対にオランダのPSVが火曜日に行った試合を全て無効にするように、という要望をUEFAに提出しているという。選手達はテロ事件にショックを受けており試合ができるような状態にはなかった、という理由からである。PSVはフランスのナントに4−1で負けている。
まぁ、こんな筋違いな要求はない、と関係者からは失笑を買っているようだが。。。
確かに事件そのものはあまりにも衝撃的であった。犠牲者も多く、海の向こうのこととはいえ、いつ火の粉がふりかかってくるかわからないような事件性を帯びていた。ただ、それを負けた理由とするのはあまりにも情けないような気がするのはわたしだけであろうか。取り上げてくれればもうけもん、くらいに考えているのであれば、不謹慎きわまりなく被害にあった国、人、この事件に心を痛めている全世界の人達への冒涜となりはしないであろうか。。。(14/Sep)

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プレシーズンの動向は9ヶ月の長きにわたるシーズンを占う指針となる。調子が悪ければ、まだシーズン前で選手が本調子ではない、と言い訳したりもする。が、シーズンが始まったらすぐ選手の調子がトップの状態となるのか。そうではない。プレシーズンから調子が良いチームは、そのまま発進して波に乗っていくのだ。波に乗り遅れたチームはいつまでもさえない位置でうろうろする。確かにクーペル監督就任1年目、バレンシアはシーズン当初、べったを争うようなところでサポーターたちの不興をかったが、その後シーズン終了の頃には快進撃を見せたという例もある。その反対に2部落ちし、1部レベルの選手で戦いながらも勝ち星に恵まれず、結局2年連続2部に甘んじることになったアトレティコの例もある。このアトレティコもドブレテ(リーグと国王杯の優勝)を成し遂げたときはシーズン当初から突っ走っていたのだ。レアル・マドリードが94−95年のリーグ優勝翌年にプレシーズンからの不調を引きずり、シーズン途中、バルダーノ解任となったことも記憶に新しい。 バルサも然り。作シーズン、会長、監督新布陣での意気込みも空回りし、やっとの思いで最終節にチャンピオンズリーグへの参加資格を手にした。

2001-2002シーズンが開始した途端、国際試合のためにリーガが1週空いてしまったが、そのリーガ1週目はプレシーズンが続いているような試合結果となった。 ここ2年、リーグ優勝、準優勝と順調なデポルはバジャドリ相手に4−0で快勝した。すでにリズムができている。そして、バルサ。昨年の欲求不満を晴らすかのようにプレシーズンでは大量得点での勝利をものにしてきた。セビージャを相手に、試合内容は合格点をつけられるほどのものではなかったが、勝ち点を逃すほどひどいものではなかった。今年のバルサの目玉、サビオラは控えにまわり、契約更新が難航していたクライファートが救世主となった。
それに反して、レアル・マドリードはいつまでも水面下にいるようである。プレシーズンから続くプレー全体の重さはスーパーカップのサラゴサ戦で回復したように見えていたが、それは仮の姿だったようだ。敵地バレンシアに乗りこんでいった選手たちに覇気は感じられなかった。結果は見えていた。1−0で無残にも敗れた。バレンシアはキャプテンであったメンディエタが抜け、キリーが負傷して左右両サイドに穴があいた。しかし、新しいスターが誕生していた。バレンシア生え抜きのビセンテ。弱冠20歳。スピード、テクニックそして、気の強さがにじみ出る面構え、どれも新鮮である。レアル・マドリードの中でプレシーズン中一人元気者だったミッチェル・サルガドがふりきられっぱなしであった。 ラウル、フィゴ、ジダンの3人をまとめて“メガ・エストレージャ(メガ・スター)”と呼ぶ者もいるが、この3人、決してメガ級のプレーを披露してはいない。

第1週で活躍したチームの選手は代表試合の対オーストリア戦でも同じように際立った動きをみせた。デポルの選手4人、右サイドを走るマヌエル・パブロ、ビクトル、1点目を入れたトリスタン、1、2点目の絶妙なアシストを決めたバレロン。そしてリーガ同様キレのいいプレーに終始したバレンシアのビセンテ。調子の悪いレアル・マドリードの選手で2得点の活躍を見せたのは途中交代のモリエンテスのみ。皮肉なことに、彼はプレシーズンからリーガに至るまで先発メンバー11人には入っていないのだが。。。

さて、今週末から本格的にシーズンが始まる。代表チームに召集されていたスター選手達も各国から戻ってくる。調整する時間はわずかしかない。残るリーグは37試合、まだまだ先は長い、とはいえ優勝を至上命令とされているビッグクラブが最後に帳尻をあわせてもサポーターは納得しない。特に最近の一般的サポーターは我慢が足りないのだから。。。(05/Sep)

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