闘牛学校



   スペイン最初の闘牛学校は、aficionado(愛好家)であったフェルナンド7世の1830年5月28日の法令によって、 1831年1月5日セビ−ジャに開校しました。初代校長は、18世紀徒歩闘牛を開発したロンダのロメロ 家、ペドロ・ロメロ(Pedro Romero) がなりました。当初7名の生徒からはじまりましたが、学校は フェルナンド7世の死後(1834年3月15日)閉校されました。その後は現代にな るまでCapea(子牛を使う初等闘牛)が、唯一の練習場で多大な犠牲がありました。 マドリッドでは、カサ・デ・カンポ(Casa de Campo) 公園の中に1975年、Escuela Nacional de Tauromaquia(国立闘牛学校)が開校、この生徒の中から、ルシオ・サンディン(Lucio Sandin)、 フリアン・マエストロ(Julian Maestro)、ホセ・クベロ(Jose Cubero)がでてきます。開校当時有志の共同経営であったのが、198 1年からマドリッド市が経営を始め、名前もEscuela Tauromaquia de Madrid (マドリッ ド闘牛学校)となりました。

 公的な学校になって、校則、教育内容等が以下のように規定されることになりまし た。
1)新人発掘をし闘牛祭のプロモ―ションをする。
2)闘牛に関する理論、技術、実習を教える。
3)社会人一般として、役立つべき文化、専門知識を教える。
4)闘牛祭に関する、コンク―ル、展示会、会議、Novillada(数え4歳牛を使う見習闘牛士の試合)などの場を提供する。
5)伝統的、歴史的な特殊文化をもった闘牛を保護、発展させるための社会的役割をす る。

 学校はl0月から6月までで、学習内容と単位は、闘牛の歴史、闘牛を使わな いカポ−テ(Capote),ムレ−タ(Muleta)の演技、闘牛に関する理論、実習を教えます。学習は、異なった三 段階のレベルで行われます。第一レベルは基礎教育(弱年グル―プ)、第二レベル はBecerro(数え2歳牛)の前に立つことができき、技の実習ができる者、第三レベ ルは人前(客)で闘牛ができるグル―プとなっています。

 1981年当初とは、生徒の内容、質の変化が見受けられます。開校の頃 は、低階級の生徒が多かったようですが、最近は、経済的にも恵まれた家庭の子が、 生徒になっています。女子は5−8名位が生徒になっているようですが、この中から クリスティ−ナ・サンチェス(Cristina Sanchez=ヨーロッパ最初の女性闘牛士)がでてきました。生徒の8割は Torero(闘牛士)にならず終わってしまいますが、選ばれた一割の生徒が、闘牛界と関りを持ち ます。ただトップクラスの闘牛士にはl00人に一人の確率と言うことで、いかに闘 牛士が職業として成り得ないかが分かると思います。特殊な才能と強運に恵まれない 限り、正闘牛士(Alternativa)にはなれないわけです。

   現在、闘牛学校は全国に11ヶ所ほどあります。 マドリッド、セビ−ジャ、サラマンカ、サモラ、アルバセテ、ビルバオなどに闘牛学校があり、明日 のスターを夢みて、今日も練習をしています。


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