マドリッド闘牛場 



 14世紀以前の闘牛記録は不完全なものが多い様ですが、15世紀エンリケ4世/Enrique IV(イサベル1世/Isabel I の兄)の時代には、マドリッドのAlcazar(アルカサル)、Campo de Moro(カンポ・デ・モロ)、Reyes Catolicos(両カトリック王)の時代には、Plaza de San Andres(サン・アンドレス広場)、El Prado de San Jeronimo(エル・プラド・デ・サン・ヘロニモ)辺りで騎馬闘牛(Toreo a caballo)が行われた正確な記録が残っています。

 La Plaza de Arrabal(アラバル広場)が、フェリペ3世(Felipe III) の頃1619年に改装され、現Plaza Mayor(大広場)になると、騎馬闘牛は全盛を極めることになります。このPlaza Mayorでは、イサベル2世(Isabel II) とルイサ・フェルナンダ(Luisa Fernanda)姉妹の結婚式典を最後に闘牛が行われなくなりました。その間17世紀には新しい広場が建設され、Puerta del Sol(プエルタ・デル・ソル)、La Plaza de Descalzas(デスカルサス広場)、Plaza de Lavapies(ラバピエス広場)、Plaza de la Priora(プリオラ広場)、El Real Sitio del Buen Retiro(ブエン・レティ−ロ)、Plaza de la Cebada(セバダ広場)等の広場で、闘牛が行われていました。

 18世紀、ブルボン王朝フェリペ5世(Felipe V)は、1734年にはアルカラ門近くの木石闘牛場の建設を援助し、フェルナンド6世(Fernando VI) はその闘牛場を取り壊し、同じ場所に新しい闘牛場を自費で建設、1754年3月、オ−プンさせることになり、このアルカラ門闘牛場は、アラゴン通りに新しく闘牛場が建設される1874年まで続くことになります。アラゴン通りに建設された闘牛場(現市営体育館)は、Carretera de Aragon(カレテラ・デ・アラゴン)、Plaza de la Fuente de Berro(プラサ・デ・ラ・フエンテ・デ・ベロ)と呼ばれ、1874年9月4日に開場となり、Las Ventas(ラス・ベンタス)の闘牛場が建設された後の1934年まで闘牛が行われていました。13000人程収容の闘牛場でしたが、時代の波は、マドリッドにもっと大きな闘牛場の建設を要求してきました。20世紀に入ると、闘牛士が、イニシアティブを取った闘牛場が多く出現してきます。

 マドリッドの闘牛場は、La Plaza Monumental de las Ventas del Espiritu Santo (ラ・プラサ・モヌメンタル・デ・ラス・ベンタス・デル・エスピリト・サント)と呼ばれ、当時の有名闘牛士、ホセ・ゴメス・ガジ−ト/Jose Gomez Gallito(ホセリ−ト/Joselito、ホセリ−ト・エル・ガジョ/Joselito el Gallo)が、Fiesta Nacional(闘牛)はすべての社会階級の人々と、総てのお金の入っているポケットに近づかなければ行けないと言う信念の元に、1919年彼自身がイニシアティブを取りEsplandiu(建築家) と協議を重ね、設計、しかしJoselitoはLas Ventasに礎石が置かれる1922年3月19日より前に、Talavera de la Reina(タラベラ・デ・ラ・レイナ)と言う町の闘牛場で不運な死を遂げてしまいます。1920年5月20日のことでした。Las Ventas の新しい闘牛場は、総面積80万平方メ−トル、ネオ・ムデハル様式、収容人数23800人、当時の総工費120万ペセタをもって1929年に完成、スペイン一大きな闘牛場となりました。1931年6月17日、マドリッド市主催の失業対策慈善興行が、こけら落としになり、1933年5月25日、7月13日に2回の闘牛興行があり、1934年10月21日に公式に開催宣言をしました。市民戦争中(1936−1939年)は閉鎖され1939年5月24日に再開、今日に至っています。現在マドリッド市内ではLas Ventasの闘牛場でしか、闘牛を見ることはできませんが、時代によっては3ヵ所オ−プンしていた時もあったようです。今は跡形もなくなった闘牛場、施設は残っているが、開催していない闘牛場もあります。ラス・ビクトリアス/Las Victorias(テトゥアン/Tetuan)1870-1936年5月31日、プエンテデバジェ−カス/Puente Vallecas(ヌエバ・ヌマンシア/Nueva Numancia)1884-1926年、カンポス・エリセオス/Campos Eliseos1864-1868、1874-1881年、ビスタ・アレグレ/Vista Alegre(カラバンチェル/Carabanchel)1908-1980年6月14日などが、Las Ventasの前に閉鎖した闘牛場です。Vista Alegre闘牛場は再整備され1999年の秋には再オ−プンの予定です。

マドリッド・ベンタス闘牛場外観
  
マドリッド・ベンタス闘牛場内部

 Las Ventas 闘牛場はスペイン最大の収容人数を誇り、闘牛界では最高峰として君臨、毎年のサン・イシドロ闘牛祭が国内闘牛の最高カテゴリ−となっています。サン・イシドロ闘牛祭に出場できると言うこと、そして勝利することは、その年の闘牛士の試合数を決める決定的要素になってしまいます。昔から、Las Ventas闘牛場は----LA QUE DA Y LA QUE QUITA.(与えもするし、奪うこともする)------と闘牛士の間でいわれてきました。ここで失敗すれば契約書(試合)は来なくなり、成功すれば嫌と言うほど契約書が舞込んでくる、という諺がでる位に重要な闘牛場です。                      


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