■ALGUACILILLOS(騎馬警官、露払い騎士)
時計が開始時刻、丁度になると、Presidente(主催者長〕が白いハンカチを出し、
試合開始の合図をする。クラリネット、太鼓が鳴り渡って、17世紀の騎馬警官の服を
着たAlguacilillosが馬に乗って登場、主催者席に向けてゆっくり行進し、主催者席
真下で帽子を脱いで、挨拶をし一人は右手、一人は左手から闘牛士の門に向けて早足
で向う。闘牛士の門の前で立ち止まると同時に、闘牛士の門が開いて、闘牛士達が砂
場に入場。その闘牛士達を主催者席に向って誘導、この間音楽隊は、Pasodoble(パッ
ソドブレ、闘牛行進曲)を奏でる。闘牛士達の挨拶が終ると、Alguacilillosの一人
は、主催者側代表より牛舎の鍵を受取り、牛舎前に進み、牛舎開け係に鍵を渡す。そ
の間別のAlguacililloは反対側で待機し、鍵受け渡しのセルモニーが終ると、二人
のAlguacilillosは再度、主催者席に挨拶をし、入場してきた門に姿を消す。
下馬した二人のAguacilillosが、Callejon(通路)に出たのを確認してから、主催
者長は再び白いハンカチを出し、第一頭目の闘牛開始合図をする。通路にいる
Aguacil,Aguacilillo達は主催者長に命令を闘牛士達に、闘牛士達の要求を主催者長
に伝える使者の役目を課され、闘牛士達に規約を守る様指示する。
古くは、Alguacilillos達は、砂場にいた群集を追い払うために、早足で群集を追
い払いながら、闘牛士の門に向い、今では、その必要もなくなり、儀式だけが残され
ている。Novilladaは人払いの義務が無くAlguacil達は砂場の真中をゆっくりと2頭で
闘牛士の門まで移動、闘牛士を迎えたので、今でもその習慣が残って、
Novillada,CorridaでAlguacil達の移動の仕方が違います。
試合が始まると、彼等は通路の中を、闘牛士達と共に移動、闘牛士達に闘牛規約に
のっとっての指示を、タブラ(闘牛場内壁)に鞭をあててすることになります。あく
までも、主催者長の代理人ということで、闘牛士に規約を守らせる役目です。プレミ
アムである、闘牛の耳の受け渡し儀式に登場し、闘牛士に耳、尻尾などを渡す役目も
彼等のものです。
■EL SORTEO DE LOS TOROS(闘牛の抽選)
牧場にいたときは幸福そうだった闘牛は、選択されて闘牛場に運ばれ、闘牛場の特
別な囲いの中で試合前夜を迎える。囲いの中では、動物的な感(カン)で、死を感
じ、イライラした落ち着きの無い行動を、あたかもそれが本能であるかのように、角
で壁を突き刺したり、場合によっては闘牛同士での殺傷の戦いまでしてしまう。この
間、獣医は義務的な二つの検査をする。この検査をパスすれば、闘牛開催日の午前中
に抽選(Sorteo)が行われ、試合に出場する闘牛と予備闘牛を分離する。
抽選(Sorteo)は、出場闘牛牧場の牧童と闘牛士グループの代表の一人一人、普
通助手(Banderilleros)が、不公平のないように6頭の闘牛を、闘牛のボリューム、重
量、角の形態、などでチェックし、二頭ずつの組み合わせを三通り作り、主催者側に発
表、伝える。刻みタバコの巻紙みに、振り分けられた各ブロックの闘牛番号を書き、
紙を丸めて牧童の帽子(Gorro)にいれ、別の帽子で蓋をして、帽子を動かし紙を混
ぜ、古参の助手から丸まった紙を一枚ずつ取り出す。割り当て闘牛が決まると、各々
の助手は、何頭目に出す闘牛かを決め、その後、闘牛は出場を待つ囲いの中に入れら
れる。助手は、割り当てされた闘牛の形態をチェクし、ホテルで待機しているマエス
トロ(闘牛士)に、どのような闘牛かを伝え、検討する。
19世紀までは、抽選の件は存在せず、牧場主が、その日の闘牛の順番を決定し、有
力闘牛士は、自分に当った闘牛が、獰猛であったり、角が大きかったり、年老いてい
たりすると、その闘牛を別な闘牛士に回したりする権利を持っていました。当時、牧
場主は、牧場で闘牛を生育し供給するだけでなく、どの闘牛が、どの闘牛場に出るべ
きか、どの闘牛士が殺すべきか、どう言う順番でだすべきかという責任、愛情、誠意
を闘牛界に示していました。
19世紀も中頃を過ぎると、闘牛士間での競争が目立ってきて、今まで牧場主が順番
を決めるというしきたりに不平不満を闘牛士達が表してきました。有名、有力闘牛士
は、牧場主と組んで自分の好きな、やり安い、闘牛を選択するという馴れ合いの風習
に反対する闘牛士は改革を求めましたが、受け入れられない時代が続きました。
19世紀末Luis Mazzantiniが″出てくると、当時の大スターLagartijo、Frascueloと
の間に問題が発生,Mazzantiniは闘牛の順番に改善を求めますが、大スターには勝て
ず、この大スター二人が引退後、闘牛の順番を抽選というテーマを持ち出しますが、
この案に真っ向から反対したのが、Rafael Guerra(Guerrita)で、牧場主の肩を持ち
Mazzantiniとの出場を拒否しました。1899年当時、Gurreta、Emilio Torres(Bombita)
のみが抽選を拒否し続けましたが、このコルドバの闘牛士が引退後、抽選は習慣とな
り、今日では、闘牛規約36条に記載されています。
■欧州闘牛シーズンオフの後
サラゴサ(Zaragoza)のEl Pilar(10月12日)闘牛祭が終るとJaen(ハエン)の
フェリアを残して、スペインの闘牛シーズンは終りを迎えます。闘牛士達にとって
は、休息の時期に突入なのですが、一部の有名闘牛士達は、これからシーズン開幕に
なる中、南米へと出稼ぎの時期になってきます。スペインの本格的開幕になる翌年の
三月まで、本国と中、南米を行ったり来たりの渡り鳥になります。
中、南米で盛んに闘牛が行われている国が、コロンビア、ベネズエラ、メキシコと
言う事で、闘牛士の移動はこの3ヶ国が一番多いようです。コロンビアでは、Corrida
de Toros(正式闘牛)が年間70-80試合、Novillada(見習い闘牛)が150−200試
合、ベネズエラでは、Corrida de Toros50−60試合、Novillada200試合、メキシコで
は、Corrida de Toros50-70試合,Novillada100-120試合ぐらい開催されていますの
で、中南米の有名闘牛士もたくさんいますが、ローカルで終ってしまい、欧州を含め
た有名闘牛士はなかなかでて来ません。現役ではコロンビアの闘牛士、Cesar Rincon
が闘牛界の歴史に残る唯一の人となっています。
その他、余り知らない所では、ボリビア、エクアドル、パナマ、コスタ リカ、ペ
ルー、ガテマラなどで闘牛が開催されますが、試合数は少ない様です。アルゼンチ
ン、ブラジル、エル サルバドール、ホンジュラス、プエルト リコ、キューバ、ニ
カラグア、パラグアイ、ウルグアイ、等もかっては、闘牛試合がありましたが、闘牛
牧場不足、闘牛士不足、観客不足、国の禁止令などで、廃れてしまいました。
歴史的には、征服者の時代(十六世紀)に闘牛が植え付けられ、現代に到っている
国、その後19世紀までの植民地時代に根付いた国が在ります。闘牛士、闘牛牧場、観
客の三位一体の一つが欠けていた国は、闘牛が深く根付かなかった様です。
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