スペインでは、空から街を観察すると必ず、2つ以上の大きな空間を見出すことができます。一つが大聖堂、鐘楼広場であり、もう一つが闘牛場(Plaza de Toros)であったり、大広場(Plaza Mayor)であったりします。街によっては、闘牛場の円の空間のない所も見受けられますが、例外なしに大広場は発見できます。街の大広場(マヨ−ル広場)は、集まり、会合の場、市の場、祭りと催し物の場、闘牛の場(空間)でありました。中には、過去から現在へと、そのままの形を引き継いでいる大広場が、存在します。
ロ−マ時代のフォラムから受け継がれた空間は、両カトリック王の時代から大広場の中に役場、市庁舎(Casa Consistorial)を作ることを命令され、一般化されてきました。街の3つの権力、教会,宮殿、役所の建物が嫌がおうでも目に止まる形になっています。スペインには、8000以上の市町村があり、その町々の大広場で、数百年も前から、ケルト・イベロ族が、今日の闘牛と言われる形式的のものでなく、もっとミステリアスで不明瞭な遊びの性格を持った<牛追い、牛遊び>が祝われていました。その後、練兵場で行われていた騎士道の部分的な<スポ−ツ>だった闘牛が、一般の娯楽に変わると街路で、公共の広場で催され、窓やバルコニ−から観戦し始めることになりました。しかし、試合や遊びが、連日催されるわけでもないのに、柱を立てたり、板を張ったりの作業が高価に付き、その上観客には危険で、火事などの災害もあったため、少しずつその形を変えてくることになりました。
大広場で催された闘牛は、長方形、四角の広場を利用したため,闘牛が防御上四隅を好み(ケレンシア)、逃げ込むため、その場所から闘牛を引き出すのは、Toreroにとって危険だけでなく、労力と技を必要としました。18世紀になって、闘牛が体系化してくると、以前の大広場(長方形、四角、多角形、変形)が有した危険な場所を、経験から消失させることに成功したのです。それが、収容力、最大限の視界、安全性を備えた<円形>闘牛場の出現になるわけです。
やがて、街の外に大広場とは異なった性格をもつ、円形の闘牛場が出現し、少しずつ改良され現代の闘牛場の形になるわけです。観客にとって、動物と人間の戦いは<理想的な空間>で見られる様になりました。考えてみると、2000年前、数多くの類似したショ−を見せた、ロ−マのAnfiteatro(円形競技場)に形が戻されたことになります。大部分のロ−マ・サ−クルは<卵型>であり、今日そのAnfiteatroを利用した闘牛場が、フランスのアルル(Arles)とニ−ム(Nimes)にあります。
18世紀に、数多く作られた闘牛場の一部は現存する有名な闘牛場として残っていますが、完璧な円形闘牛場が出現するのは、1859年バレンシア闘牛場まで待たなければなりませんでした。全国に現 在(1995年)409ヶ所の恒久闘牛場があります。祭り時の仮設闘牛場を入れると500は越えるでしょう、街によってはまだ、Plaza Mayorで闘牛を行っている所も数多く存在しています。円形闘牛場が18世紀以降主流になりましたが、まだ昔の特異性を備えた闘牛場があるのも事実です。八角形の闘牛場―19ヶ所。城、要塞の内部の闘牛場―15ヶ所。Santuario(庵, 礼拝堂)に接した、あるいは近い闘牛場―18ヶ所。四角、長方形の闘牛場―27ヶ所。外部が四角で内部が円か八角形−5ヵ所。 半分埋もれた闘牛場−20ヶ所。18世紀末までの古い闘牛場は22ヶ所, セビ−ジャ、ロンダの闘牛場はご存知だとおもいます。スペインで一番古い闘牛場は、サンタ・クルス・デ・ラ・ムデラ/Santa Cruz de la Mudela(ラ・ビルトゥ/La Virtud)にあるSantuario(庵, 礼拝堂)を横に持った、1641年の年号のある四角い闘牛場です。
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