闘牛(Toro Bravo)の起源は、カルタゴ人が、北アフリカからイベリア半島に連れてきた原牛ボス・タウルス・アフリカヌス種、あるいはBC2000年頃、北アフリカからジブラルタル海峡を渡って来たイベロ族の家畜類の中に原牛ボス・タウルス・アフリカヌス種がいて半島にいた原牛バイソン(ビソンテ)と人為的に交配させられ、半島中部から南部で半野性的に飼育させられたと言う説があります。動物学上の分類からするとToro Bravoは原牛ボス・タウルス・アフリカヌス種と原牛ボス・タウルスイベリスク種の交配による家畜化が未完成であった原牛であり、退化した原牛バイソン(ビソンテ)であるとも言えます。
Toro Bravoと言うと、どうしても曖昧な概念にとらわれがちですが、Toro Bravoとは野性の牛の意味であって、決して勇敢な牛を意味するもの出ないことを頭に入れておかねばなりません。野性という表現は、辞 書を引くと<動植物が、山野で自然に成長すること>となり、ToroとBravoは切り離しては、成立し得ないことになります。Toro Bravoは、野性動物を捕獲して、人間が育てたのではなく、人間が生ませ育てたものであり、このToro Bravoを作り出すにあたって、そこに人間の意思が介在しています。人間がある目的を持って<自然に>と言うより<人為的に>野性を作り出したわけです。
人為的にToro Bravoを作り出す過程をみてみましょう。闘牛の誕生は、普通冬に生まれるように、春に交配させます。生後、母牛の乳を飲み、丁度離乳する頃に牧場の草が生えてくると言うのが基本です.草のない時期に離乳した場合は、人工の飼料を与えなければならず、経費もかさみます。8-10ヶ月位Becerro(子牛)は母牛から、Buey(去勢牛)の力を借りて離され、自力でエサを探すようにさせられます.Añojo(満1-2歳)に成ると牧場の焼印、マ−クをつけられます。数え2歳までは、Becerro,数え3−4歳まではNovillo,数え5歳以上はToroと呼ばれ、闘牛場で殺されない限りは、15−18年は生きています.牛の年齢は、決定的ではありませんが、<角、歯>でわかります。
意外なのですが、闘牛場に出てくるのは、Toro(牡)なのに、交配時に優秀な血統が残るように試されるのは、Vaquilla(雌牛)でそのセレクションを<LA TIENTA>とよびます。
牧場内にあるTentadero(Tientaをする闘牛場)で、一頭Vaquilla(雌牛)がプロテクタ−をつけた馬に向かって突進し、騎乗の槍方は槍で、そのVaquillaの突進をくい止めたりしながら、各VaquillaのBravura(野性の強さ、獰猛さ)を見ることになり、駄目な雌牛は消却法で切り捨てることになります。この試験に通った雌牛がSemental(種牛、3−6歳)と交配させられ、血統を守ることになります。種牛となる雄牛は、牧場内で別な形で試験をされ、合格であれば種牛として残されます。Bravuraな種を残すため、Indulto(闘牛場で殺しを、免除された闘牛)された闘牛が種牛になることもあります。上質のToroを作り出す牧場の作業の中心は、どの雌牛を種牛と掛け合わせるかと言うことに集中します.
Tientaの作業が終わるとToroはCampo(牧場)に放たれ、半野性的に育てられ、闘牛場にかり出されるまで、悠悠自適の生活が保証されます。Bravuraが、良い牛には不可欠の要素とされながら、闘牛場に出てくるまでは表面化しないため、闘牛の性格が予見、予測できないところにも、Toro Bravoの自然、野性である面白さ、不思議さがふくまれています。
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