闘牛の簡単な小史



  闘牛の起源は、はっきりとしたことが不明ですが、その起源をスペイン国外に求める歴史家とスペイン国内に求める歴史家の対立があります。

  前者は、ギリシャのクレタ島の牛の宗教的祭典や、ローマのコロセウムでローマ人の娯楽として行われた人間と動物との格闘をその原型としています。ローマのプリニウスという学者は、シーザーはスペインの闘牛をローマに導入したと言う記録を残しています。

  闘牛を「スペイン的」なものと考える後者は、騎馬で野生の牛を槍で突く貴族の狩猟の風習が闘牛の前身であり、レコンキスタ期にキリスト教信者貴族が始めたとしており、昔から言われたムーア人の影響は否定しています。

  歴史的に正しく考察する為には、民衆の祝祭行事で牛が使われたものと、貴族の華麗な見世物とは区別する必要があります。

  民衆の行事は一般的に記録が少なく不明な点ばかりです。特に闘牛の形態に付いてはあまり良く分かっていませんが、その行事に土地の人間だけが参加していたわけではないことは間違いなく、昔から牛を殺すことを生業にしていた者がいたことが知られています。

  1277年、アルフォンソ10世は、法律で、野獣を殺すことで金を得ることを禁止。この法律は地方の民衆の催し物に打撃を与え、プロによる個人競技という型の闘牛は発展の可能性を失ったようです。

  貴族の闘牛については、詳しいことが分かっています。闘牛は、王家や貴族の家の吉事があったとき、宗教儀式、国際儀式などの際に行われました。記録上最も古いのは、1080年サンチョ・デ・エストラダとアビラのドーニャ・ウラカ・フロレスの結婚を祝って行われたものです。

1107年、アビラでの、ドン・ベラスコ・ムニョスとドーニャ・サンチャ・ディアスの結婚には、キリスト教徒とイスラム教徒とが交代で牛に槍を刺したという記録が残っています。その他、1124年、サルダニヤで、カスティジャ王アルフォンソ7世とバルセロナ伯の娘ドーニャ・ベレンゲラの婚礼の祝いがありました。ゴヤの「闘牛」のエッチングの中には、レコンキスタの英雄エル・シドが闘牛と戦っているのもありますが、正式な記録はないようです。

  中世には、こうした例は多くあったようで、現在残っている資料からこの行事の基本的な形を知ることができます。貴族が馬に乗り、徒歩の助手を従えて、フェンスで囲まれた砂場で牛を殺すというものでした。演ずるのはプロではなく、馬術に優れた社会の指導者層で、自分の力を、そして社会的地位を人々に誇示しようとして、華やかに正装し演出したようです。

  16世紀には、貴族の祝祭典は、精緻さ、華麗さでその頂点に達しました。祝祭典は多くは町で一番立派な広場で行われ、貴族の権威を誇示する為の行事であることが強調されました。

  16世紀末〜17世紀初頭にかけて、貴族の闘牛祭典に重要な変化が起き、行事の性格が一変しました。騎馬で競技する者の助手が助手の仕事を忘れ、観客にそそのかされ、目立つ行為をし始めました。この頃から、プラサからプラサへ命がけで金を稼ごうとした男たち(ベンテュレロ)が出現し、危険な演技をする彼らに観客の目が移ってしまいました。闘牛の性格が変わったのは砂場に別タイプの徒歩闘牛士が出現したということだけでなく、騎馬闘牛士のレベルの低下もあったようです。危険な徒歩闘牛士の出現で、17世紀には牛の祭りに出場する貴族の数が急減し、さらに宮廷内の変化が後押しした形となりました。

  1700年、ハプスブルク王朝の崩壊、ブルボン王朝のフェリペ5世に変わると、王は全く闘牛に興味を示さず、当然貴族たちも自然に闘牛から離れていき、宮廷文化のフランス風への転換に共存、一時衰退の道をたどるかにみえた闘牛は、この時期、近代へ胎動する為の沈黙の時間であったわけです。

  18世紀前半は闘牛の大きな転換期であり、混迷期でありましたが、中頃までには馬を使わない闘牛士が主役にかわっていたようです。

  カルロス4世の治世、1798年9月23日にフェルナンド王子、忠誠式にマドリード・マジョール広場で闘牛が2回行われ、その中心となったのは、オスナ公等でありましたが、助手の名にペドロ・ロメロ、コスティジャレス、ペペ・イーリョといった当代一の徒歩闘牛士がついていたということは、完全に徒歩闘牛が地位を確立していた証拠になるようです。

  闘牛が都市の民衆の見世物として発展してくるにつれ、18世紀には闘牛場が次々に作られ始めました。

  1796年、イーリョが「闘牛あるいは闘牛術」という本を出版、闘牛の演技の規格化に大きな影響を与え、1830年モンテス(パキーロ)は闘牛術をまとめ「闘牛大全」を表しました。

  闘牛の組織や進行に関する規約は、マラガの役人、メルチョール・オルドニェスによって1847年まとめられ、1923年スペイン全土規約も出来あがりました。この規約は、1930、1962、1991年と改案され現在に至っています。

  結論として、闘牛の起源は不明なものの、重要ポイントは、イベリア半島に闘牛に使われた獰猛な雄牛が古代からいたということ、同時にこれと戦った闘争心の強い勇敢な民族がいたということで、この二つの出会いを見逃すことはできないでしょう。


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