スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第11章 壁


『諦めることないわよ! 飛行機代は何とかなったの?』


 何もかもがそう上手く行くはずもなく、私の計画にとって、大きな障害が生じた。

当てにしていた奨学金がおりなかったのである。

これにより、スペインへ戻り、長期に渡ってヴァイオリンの勉強を続けると言う夢は、

ほぼ絶望的なものとなった。

アルバイトを何年も続ければ、それなりに資金は貯まるであろうが、それでは、どんどん

歳を取っていく。そうでなくとも、すでに万人に笑われるほどの遅いスタートである。

今から更に何年も遅らす訳には行かない。一刻も早くスペインに戻って、アナと再会し、

音楽院に入学して、卒業しなければ、、、

気だけは焦ったが、所詮、どんなに頑張っても限られた時間に貯められる金額には、

やはり限りがある。ほとんと寝ずに働いているのだ。

すでに限界で、これ以上の労働は不可能である。

スペインへ渡ってから現地でアルバイトと言う可能性はあるだろうか?

仮に可能だとしても、不法労働をする事になる。ここまで来て諦めるのか、、、


「ディガメ?(もしもし?)」


電話の向こうから聞こえてきたのは、紛れも無いアナ・レテックの声であった。


『アナ! 僕だよ、、、』


久しぶりに声を聞けて、嬉しかったが、良い知らせでは無いだけに、気分は重たかった。


「どうしたの? 今、どこにいるの?」

『日本だよアナ。奨学金がね、、おりなかった』

「って言う事は?」

『行けそうに無い。流石に全費用を用意するのは無理だよ』

「諦めることないわよ! 飛行機代は何とかなったの?」

『ある。それぐらいは貯まった。でもそれ以上のものは無いんだよ、、、』


なんとも悲しかった。やっぱり夢は夢でしか無く、それにうつつを抜かしたのは、

単なる現実逃避に過ぎなかったのだろうか、、、


「こちらへいらっしゃい! 飛行機に乗れるのならこっちへいらっしゃい! 

 生活の事は心配しなくっていいから! あなた一人ぐらい私が面倒みてあげる!」


涙が出たのを覚えている。しばらくの間、ちゃんと話せなかった。


ポーランドと言う決して裕福では無い国から飛び出して、スペインの地方オーケストラの僅かな給料で

自分と一人の息子の生活を支えている彼女が、物が満ち溢れる日本からやってくる私の

生活の面倒を見てくれると言うのだ。


まるで本当に貧乏な生活をしていたかのように一時のアルバイト人生について書いたが、

これはあくまでも、一日をフルにヴァイオリンの練習に費やしたかったために、

夜の睡眠を削って働いただけであって、何も貧乏な生活などしていない。

私の両親は金持ちでは無かったが、貧乏でも無かった。

私が四つの頃からピアノを習わせてくれた立派な中流階級である。

そんな環境でぬくぬくと育った私が、一生懸命生きている彼女の世話になって

良いのだろうか? いや、そんな事が許されるはずもあるまい。


『有難う、もう少し頑張って、必ず行くから、、、』


そう言って電話を置いた。


一年だ。どこまで行き着けるか判らないけれど、ここで投げ出す訳には行くまい。

一年分の生活費が貯まれば飛び込んでみよう。その間にまた何らかの展開があるはずだ。


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