スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第14章 人という文字


『あなた、これで文句ないでしょ!』


 「こんなにたくさんの手荷物は持って入れませんよ!」


 事務的な女性の声が、成田空港のチェックイン・カウンターに冷たく響き渡った。


 そもそも、空港のシステムと言うのは、実に不可解なものだと思う。

手荷物は一つだけと言っておきながら、チェックインが終わった後の免税店でどれだけ

買い物をしても、その機内持込に関しては一切文句をつけられないのに、免税店での

買い物以外の荷物を少しでも多く持っていると、無条件に拒まれる。

商売をするのも良いが、買い物しない乗客にとっては、迷惑な話である。

が、しかし、このような矛盾は社会には充満しているのだから、今更、これ以上の

愚痴は言うまい。

しかし、あの時は、文字通り途方にくれた。私の手荷物のほとんどが、スーツケースに

入りきらなかった楽譜だったのである。

これを今更宅急便で実家へ送ることなど出来ない。

持って行かないと困るものだし、だいいち、宅配便に使う金など持ち合わせていない。

ほとんど絶望していた私の後ろから、元気の良い女性の声が聞こえてきた。


 「どうしたの? これっぽっちの手荷物で文句を言われてるの? 信じられないわ!

  ちょっとあなた、他の客を見て御覧なさい! この子よりもはるかに大きな手荷物を

  持っている人なんて山ほどいるじゃない! 

  それに、中に入ってからお酒やタバコを買う人だっていっぱいいるでしょう!

  そんな人に比べたら、この子の荷物なんて、全然問題にならないんじゃないの?」


 地獄で仏とはこの事である。


 それにしても、彼女の剣幕には正直、当人である私でさえ驚いた。

よくぞ、これだけ強い人がいるものだ。まだ若かった私には、目を見張る光景であった。


 しかし、カウンターの係員はそれでも、頑として態度を変えなかった。

先方も意地になっていたのだ。


 私が不安な目で見守る中、彼女は次の手段に訴えた。

周囲に集まっていた同じフライトに乗る他の客達に向かってこう言ったのである。


 「ちょっと皆さん、聞きました? こんな馬鹿な話がありますか? 

  ちょっと君、そのバッグの中には何が入っているの?」


 『あ、ヴァイオリンの楽譜です』


 「そう、楽譜なの、、、判ったわ。ねぇ皆さん、この方の楽譜、皆で手分けして

  持ってあげません? 機内に入るまでで良いのよ。乗り込んだらすぐ、彼に返せば

  良いのだから。ねぇ、皆さん、そうして差し上げません?」


 あっという間に何人もの人が集まって来て、皆、喜んで協力してくれた。

人はどこへ行っても、一人で生きて行くものでは無いのだなぁ、、、

そう思うと、小学生の時に、人と言う文字は二つの線が支えあって成り立っているのだと

習ったのをふと思い出した。

この時に助けて頂いた方々に今更ながらお礼を述べたい。


 率先して助けてくれたあの人は、確かイギリスだったか、ドイツだったかに

在住されていた方だったと記憶している。

当時小学生か中学生ぐらいの娘さんと小さな愛犬を連れておられた。

この娘さんもヴァイオリンをなさっていたこともあり、その後もいろいろとお話を

させて頂いたのだが、はて、今ごろはどこで、どうされているのだろうか。


最後に、救世主スーパーウーマンは、一人悪者となったカウンターの女性に言った。


「あなた、これで文句ないでしょ!」


 こうして、私の40冊ばかりの楽譜達は、10人以上の人々の手荷物に分割されて、

無事機上の人となったのである。

そして乗り込んだ直後、全てが私の元へ戻ってきたのは言うまでも無い。


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