スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第16章 ステキな人達


『何かあったらすぐに言わなきゃ駄目じゃないの!』


 バジャドリの冬は厳しい。また、その年の冬は特に厳しかった。

ヨーロッパ全土を当世紀最大の寒波が襲ったのだ。


 6人でシェアーしていたマンションの住人の中には、電気ストーブを

付けるだけの経済的ゆとりがあるものと無いものに分かれた。

勿論、私は後者に属した。

外の気温がマイナス18度まで下がると、火の気の無い部屋の中の気温も

当然零下である。


強く息を吐いてみた。

白く凍った私の息は、まるで怪獣映画のゴジラが吐く炎のように、

遠くまで消えることなく伸びるのである。

とにかく凍りつくように寒い。


私は持てるだけの服を出して、まん丸になるまで重ね着してベッドに

潜り込んだ。

普通なら、最初は冷たいベッドでも、いくらかたてば、自分の体温で

温まってそれなりに暖かくなってくるものだが、零下の中で、

私の体温が勝つ事は無かった。

待てども待てどもベッドは温まらず、氷のように冷たいマットレスが、

容赦なく私の体温を奪っていった。

それでも、我慢を続けてみたが、貧弱な食生活を続けていたせいも

あったのだろう、身体は耐え切れなかったようだ。

ついに、風邪をこじらせ、どうやら軽い肺炎を引き起こしたようだ。

とにかく健康を取り戻さない事には何も始まらない。

おろかな事だが、そうなってしまってから、私は電気代を払う覚悟で

暖房のスイッチを入れたのである。


熱はいっこうに下がらず、外出出来ない日々が続いた。

汚れた下着はたまり、冷蔵庫にあった卵や野菜も底をついた。

マンションをシェアーしている仲間が、たまに差し入れをしてくれたが、

皆、社会人ばかりで一日中仕事で留守である。

何から何まで頼む訳にも行かなかった。


1週間が過ぎたある日の事である。

いつも通っていたバルから電話がかかった。

しばらく私が現れないもので、心配していたのだ。


「最近、来ないけど、何かあったのじゃないだろうね?」


私は、素直に病気である旨を伝えた。


「何で連絡しなかったの! あなたはうちの息子みたいなものなのだから、

何かあったらすぐに言わなきゃ駄目じゃないの!」


私は、正直、そこまで親しみを抱いてもらっているとは思っていなかった。

と言うより、おそらく、日本人の感覚では、赤の他人、それも全く肌色の違う

外国人に対してこれ程短期間に、まるで実の家族の如く愛情をもって

接する事が可能であると想像する事すら難しいのでは無かろうか? 

私は自分が特に情に薄い人間だとは思わない。

しかし私の常識では、彼女達の感情とその対応を予期する事は出来なかった。

私は単に行きつけのお店の親切な人々、程度の感覚で彼女達と

付き合っていたのだ。

なんと恥ずかしい事か、、、


スペイン人の全てがそうでは無いだろうが、それでもこの時、その情の厚さには

素直な感動と驚きがあった。

なんてステキな人達なのだろう!


人生を通じて、いつもこんな人間付き合いが出来たら、きっと世の中は

素晴らしいものになるだろうに、、、


電話を切ったあと、5分もすると、姉妹の一人が駆けつけてくれた。

私の病状を見ると、彼女は呆れた顔をした。

すぐにタクシーを呼んで医者へ連れて行かれた。


 当時は海外旅行保険など、地方都市で利用しようと思っても一苦労である。

どこの医者も、それが一体どう言うものなのかすら判ってくれない。

よって、彼女達が個人的に知っている医者へ連れて行ってくれて、事情を

説明してくれると、医者は何も請求しなかった。

無料で診てくれたのである。

ここでもスペイン人に借りが出来てしまった。


 この国では、診断後、医者がくれる処方箋を持って、薬局へ行かなければ

ならない。

そして、必要な薬と、場合によっては注射器を購入する。

後に、今度は注射師とでも言おうか、注射ばかり専門にやっている人のもとへ

足を運ばねばならなかった。

これでは、40度も熱が出ると、注射を打ってもらうまでに死んでしまいそうだ。


注射専門医にしても、保険が利かないため、誰にでも頼めると言うものではない。

結局、姉妹の知人である某修道院のシスターを呼んでくれた。

この国ではシスターは注射を施す資格を有していることが多いようだ。

高熱で動くのも容易で無かったため、このシスターは、6日間ばかり

毎日通ってくれた。

実に大きな注射で、ベロンと下着を剥がれお尻を丸出しにされての注射だった。

私のスペインの母親達は、傍でその光景を笑って見守っていた。


回復するまでの間、彼女達は毎朝、熱いコーヒー、そしてハムとチーズを挟んだ

パンを届けてくれた。

そして、そのついでに、汚れた衣類を全て持ち帰り、翌日には洗濯して乾かし、

アイロンまでかけてたたんだものを返してくれた。

これだけの世話は、身内の間でもそう出来るものでは無い。

本当に私は彼女達のイホ(息子)として受け入れてもらったようだ。


手厚い看護とシスターの迫力ある注射のおかげで、やがて病気は完治し、

それからまた、いつも通りの生活が始まったのである。


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