スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第2章 異文化との出会い

『いつ頃からヴァイオリンをやってるの?』


たった、これだけ?

目の前に出された朝食は直径7センチ程のパンを厚さ2センチに輪切りにしたものが二切れ。

それとカフェ・コン・レチェ(ミルクコーヒー)一杯である。そして、昼食にありつけるのが、午後3時。


 日本にいた頃、朝刊配達で学費を稼いでいた私は、とにかく朝からもりもり食べる習慣を

持っていた。昼食も日本の一般的習慣に習って12時ごろ摂るようにしていた。

スペインに渡り、突然の環境の変化に身体はなかなか慣れてくれず、毎日、授業の合間に

大学の傍にあったケーキ屋へ通うようになった。

もともと甘いものはあまり食べなかったはずなのに、空腹には勝てなかった。

思えばスペインへ渡らず、日本での生活を続けていたならば、或いは今の私の立派なお腹は

無かったのかもしれない。


 今のスペインは昼休みも取らず終日オープンしている商店も沢山あるが、当時は、

午後二時になると、全ての商店、全てのオフィスが閉まったものだ。

銀行も郵便局も全滅である。

開いているのは、レストラン、カフェテリアなどの飲食店関係だけであった。

昼休みが終わり、夕方五時にならないと営業を再開しない。

その間、何も買い物が出来ない訳で、あらゆる行動が制限される。

結果、自然と自分もその間、昼休みを取るしかなくなる。所謂、有名なシエスタの習慣である。

「なんともまぁ、不便な国だ」

これがその時に持った正直な感想だった。


 スペイン人家庭にホームステイした私に与えられた部屋はその家の息子との相部屋だった。

ラジオの深夜放送の仕事をしていた彼が毎晩遅く帰宅して安眠を邪魔された以外にもさまざまな

トラブルがあった事については、特に詳しく触れるまい。

些細な事だがショックだったのは、家族の皆が集まっているサロン以外は、どこもほとんど

明かりと言う明かりが灯されていなかった事。つまり誰かが別の部屋へ移って読書をする場合でも、

小さなスタンドなど、最低限の照明が使われるだけであって、天井から吊り下げられた

メインの照明が灯される事は決して無かった。

当時、それを人に話すと、スペインでは電気代が高いために、誰もが節約するものだと

言われたものだが、日本ではすでに典型的な浪費社会、水も電気もガスも満ち溢れている時代で

あったため、日本のレベルで自称苦学生をやってきた私にとっても、これは実に不便に感じたもの

であった。

今ではスペイン人の経済面での生活レベルが高上したからだろうか、私が経験したような

極端に暗い生活をしている所は少ないようだ。

昼は明るく夜は暗いものと言う、ある意味で自然に沿った生活を2ヶ月も続けるうちに、

どうしても環境に馴染めない私は、だんだんとホームシックになったものである。


「なんでまた、このような試練に耐えるために、こんな遠くまで来てしまったのだろう、、、」


「日本に帰ろうとは思いませんか?」


今までに、何度この質問を受けたことか。

私の答えはいつもこうであった。


「いつか日本の社会全体が、シエスタと言う素晴らしい習慣を取り入れてくれる事があれば、

 その時には日本に帰って暮らしても良いと思っています。」


 かくして、私のスペイン在住歴は未だに更新を続けている。


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