スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第21章 新しい仕事 (前編)


『そんなパターンで音楽や絵の勉強を途中でやめてしまった人って沢山いるからね』


 路線図の中で、青く塗られた地下鉄1番線を走る列車は、非常に旧式な

タイプのものだった。

照明は全て裸電球である。

真夏であっても車内冷房は無く、満員列車の中、手すりにつかまって身体を

支えていると、私の頭のすぐ上には100W電球が容赦なく照りつけてくる。

暑いなんてものでは無い。熱いのだ。


私が間借りをしていたプラサ・デ・カスティージャのマンションから、

この「熱い」地下鉄で30分我慢すると、マドリッドの中心、プエルタ・デル・ソルに

到着する。

そこで2番線に乗り換えて一駅でオペラ駅に到着だ。

地上に上ると目の前にあるのがマドリッド王立音楽院である。


1週間、課せられた曲目を一生懸命練習して、いざレッスンへ向かうわけである。

どうも上手く弾けないフレーズがある。

練習しても練習してもそこがクリア出来ないのだ。

そんな時、レッスンに赴くのは実に気が進まない。

それでも行かない訳にもいかず、重たい気持ちのまま音楽院の門をくぐる。


「オラ コムラ!」


同じくヴァイオリンを勉強している学生が私に声をかける。


通常、こちらの社会では、人を呼ぶ時、苗字ではなく名前を使うものだが、

私の名前は、スペイン人にとってほとんど発音不可能なものだった。

そのため、名前で覚えてもらうのは諦めた方が良い。

覚えてもらえないと言う経験を何度かするうちに、私は自己紹介をする時に、

名前ではなく、苗字を使う事を覚えた。

「コムラ」と言うのがそれで、これは彼らにとっても非常に発音しやすい「音」である。

ただし、例外なく真中の「ム」にアクセントが置かれ、何と無く自分の名前では

無いような違和感は免れない。


私と同じようにヴァイオリンケースを肩に背負った友人が言った。


「今日はレッスン無いみたいだよ」


所謂、休講と言うやつだ。


ペドロ・レオン氏は、音楽院で教えるだけではなく、演奏活動もやっているため、

頻繁に予告無しの休講がある。


「せっかく、裸電球の「熱い列車」に30分も耐えてやってきたのに、、、、ばかやろう!」


と言うのは、本音の約半分であって、あとの半分は

「いやぁ、良かった。助かった」と、何故かホッとしているのだ。

それにしても、私など、45分程度で通えるからまだ良いが、中には、

サン・セバスティアン辺りから夜行列車で一晩かけて、このレッスンに通っている子もいた。

彼と話していると流石に気の毒で、私など怒る必要すら感じられなくなったものだ。

こんな具合に、昼間は音楽院の学生としての生活を送り、夜になると、

居酒屋のバーテンに変身した。


ある夜の事である。カウンターにはいつも良く来る女性客が座っていた。

九州出身の小柄な女性である。

今までの話によると、どうやら彼女は日本からこの国を訪れる観光客の案内を

やっているらしい。

所謂、現地在住の日本人通訳ガイドだ。

ツアーなどに参加した事もなかった私には、スペインでの通訳ガイドというものが、

具体的にどのような職業なのか、あまりピンと来なかった。

その彼女が、突然、私に言ったのだ。


「ねぇ、あんた、ガイドやらん?」


あまりにも突然な誘いで、答えようが無かった。


「人足らんで困っとうよ。もしやりたかったら電話して!」


目次へ

トップページへ戻る

無断転載、お断り致します