スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第21章 新しい仕事 (後編)


『こんなの京都じゃない!』


 何がどうして、と言う訳ではないのだが、何かしら惹かれるものがあった。

きっと、何でも一度は、やってみたいと言う、私の生来の好奇心が目覚めたのだろう。


 それから毎日、何となく私の頭の中には、彼女の誘いがひっかかっていた。

マドリッドに引っ越してから、ずっと日本人夫婦の家に部屋を借りて世話に

なっていたのだが、ここの御主人が某旅行社に勤めていた。

私は彼に、相談してみる事にした。


「ガイドと言っても、最初からプラド美術館の案内なんて出来ないから、

初めはトランスファーと言って、空港―ホテル間とか、ホテルーレストラン間などの

移動時のアテンドをするんだよ。

これだったら早朝のサービスとか夜のサービスとかが多いから、昼間は

ヴァイオリンの練習も続けられるんじゃない?」


彼はこう教えてくれた。


なるほど、良く考えてみれば、私はかつて日本にいた頃、中南米など、スペイン語を

話す国々の観光客が日本を訪れた場合の観光案内をやっていた事がある。

実家が京都であっただけに、京都観光、奈良観光の仕事が結構頻繁に入ったのだ。

その時にも、観光だけではなく、ホテルー京都駅間、或いはホテルー伊丹空港間などの

送迎アテンドをした事が何度もあった。


今でも、記憶に残っているのは、伊丹空港に到着したアルゼンチン人観光客を京都まで

連れてくると、決まって同じ現象が起きた事だ。

どうやら、彼らの京都に対する期待とあこがれは巨大なものだったに違いない。

京都に到着して、バスを降りると、決まって怒り出すのだ。

物凄い剣幕でまくし立てる人もいた。


「なんだ、この町は? こんなの京都じゃない!」


お怒りはごもっともである。

彼らが故国の旅行社で見せられたパンフレットには、おそらく京都御所の内部や、

金閣寺の庭などが紹介されていたのだろう。

そのような写真だけを見せられて、京都とはこんなに素晴らしい町だと信じ込まされて

やって来たのである。

そして今、彼らの目の前に広がる風景はと言うと、大通りに沢山の車がひしめき合い、

周りの建物には彼らが想像するようなものは何もなく、ただひたすら何の変哲も無い極一般的な

ビルディングが立ち並んでいるのである。

石庭や無双国師の庭園、京都御所の砂利道がそのまま町並みであると思い込んできた彼らにとって、

京都の本当の姿を見せられた時の驚きと怒りは抑えようの無いものだったのだろうと想像する。


考えてみれば、あの頃はスペイン語でアテンドした訳だが、今度はそれを日本語でやれば良いわけで、

この仕事、全く知らない世界でも無さそうだった。


「一つだけ忠告しておいてあげるけど、最初は早朝だけとか、夜だけとか、仕事の出来る時間を

決めていても、そのうち必ず旅行社から、今日だけお願いします、だとか、今月だけなんとか、

なんて言われて、あなたのやりたくない時間帯の仕事まで頼まれるよ。

それで仕方なく引き受けると、それが当たり前になって、そのうち、最初に決めた時間制限は

無くなってしまい、結局、あなたのヴァイオリンを勉強するための時間が無くなってしまう可能性は

充分あるから、その辺り、本当に気をつけた方が良いよ。

そんなパターンで音楽や絵の勉強を途中でやめてしまった人って沢山いるからね。」


彼の忠告をしっかり肝に銘じた上で、私は、カウンターの彼女に連絡する事に決めた。


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