スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第23章 次なる人生設計(前編)

『初めての一人暮らし』


 ヴァイオリンで職につく事が不可能になった今、私に残された道は、故障した右肩の
負担にならない程度に趣味でこれを続けていく事だった。
幸いにも中国針のおかげで、その程度なら弾く事が出来るようになった。
かくなるうえは、日本では高価過ぎてそう簡単には入手出来ない良い楽器を
購入してから帰国して、どこか定時に終われる会社に勤めよう。
そして夕刻からはアマチュアオーケストラで好きなヴァイオリンを続けよう、、、
そう考えながら気に入った楽器を購入すべく、日本人ツアーのトランスファー業務に
精を出した。
中華レストランでのウェイター、日本語の家庭教師、そして日本食レストランでの
バーテンダーに続く、スペインにおける四つ目の仕事である。
もはや早朝や夜の時間帯にこだわる必要は無かった。
今までのように日中ずっとヴァイオリンを練習する必要もなければ、そのような長時間
弾く事も出来ない肩である。
毎日、少しだけ触れれば良い。

明けても暮れてもマドリッド市内と空港との間を往復した。
時には1日に5往復するような日もあった。
これによって経済的に少しゆとりが出来た私は、それまで世話になっていた日本人夫婦の
家を出て、とうとう一人での生活を始める事になった。
マンションのシェアーでは無く、自分が自分の名前と責任で交わす初めての賃貸契約である。

外国人に対して非常におおらかなスペイン民族ではあるが、それでもやはりマンションを
貸す時に、一瞬ためらう人もあれば、スペイン人に貸す時以上に厳しい条件を出す人も
少なくない。
現在ではこの現象はより顕著となり、例えば、毎月1か月分を前払いするのとは別に、
保証金として通常、1ヶ月から2か月分の家賃を預けるのだが、外国人で、保証人も
いないとなると、半年分ぐらいの前払いを求められる事もざらである。
私が初めての契約を交わしたこの時代、そう1988年頃だろうか、、、この頃は、
まだこのような外国人ハンディは少なかったように思う。
それなりに大変だったが、まだまだ外国人に貸して苦い思いをした人が、移民で溢れる
今と比べれば、少なかったのであろう。

居間とキッチンが一緒になった部屋と寝室一つ、そして小さなバスルームからなる、
一人暮らしには充分なアパートを月額2万5千ペセタ(当時の3万7千円程度)で
借りることとなった。
建物は古かったが、中は完全に改装されていてまずまず快適だった。
唯一の欠点は、非常に治安の悪い場所にあると言う事だった。
今の私であれば、勿論、このような地区に住むような事は避けるだろうが、この当時、
気にはしながらも、結局、そこに決めたのである。
今から思えば、結果論として良い経験になったが、若さゆえとは言え、無謀な事を
したものである。
自分でこのような前科がありながら、今、若い人達で同じような事をする人を見ると、
とやかく説教を打ちたくなるのだから可笑しなものだ。

 初めての一人暮らしを始めたこのアパートでは、こそ泥騒ぎ程度は日常茶飯事であった。
洗濯物を共同の廊下に面したパティオ(中庭)に干すようになっていたのだが、
ちょっと新しい服やズボンを干しておくと、すぐに行方不明となった。
おそらく蚤の市あたりへ赴けば買い戻せたのかもしれない。

ある日、こんな事件があった。
日本で、コンピューターゲームのソフトとして、初めてコンパクトディスク、
所謂CD−ROMと言うものが登場した頃、日本から1枚郵送してもらったのだが、
それが紛失したのである。
その時、私はそう言うものが郵送されたと言う事すら知らなかったのだが、その日、
同じ建物に住む仲の良いスペイン人から1枚の手紙を手渡された。

封筒にも入っておらず、ただ1枚の便箋を折りたたんだものだった。
これをどうしたのかと尋ねると、地上階の廊下の壁に同じマンションの住人の
郵便受けがずらっと並んでいるのだが、ちょうどその辺りに落ちていたのを見つけた
と言う。
訳のわからない文字が書いてあるので、おそらく私のものだろうと思ったのだそうだ。

それはまさしく私宛に日本語で書かれた手紙で、どうやらスペインへ新婚旅行に
来られた際、私が案内させて頂いた方からのものだった。
スペイン旅行が有意義なものになったと言う礼状であった。
私は慌てて地上階へ降り、郵便受けが並んでいるすぐ傍に置かれた共同の大きな
ゴミ箱の蓋を開けてみた。
案の定、そこには、私宛の比較的大きな封筒がびりびりに破り捨てられていた。
探すとその周りから私の実家からの手紙も見つかった。
どうやら、新婚旅行でスペインを訪れたカップルが私の実家充てに手紙をくれたらしく、
それをそのまま封を切らずに、私の両親がより大きな封筒に入れて、それを説明した
手紙も添え、更にその中にコンピューターソフトのCDを一枚入れて発送したものだった。
CDが壊れないようにと、充分にゆとりのある封筒を使い、中にはクッションになるものを
入れたために、結構大きなものとなり、配達された時に、私の郵便受けには完全に
収まらず、先っぽだけを突っ込んだ形で大半は外に出ていたのであろう。
それを誰かが引き抜いて、中に金目のものが無いか物色し、CDだけを盗んで、
他のものは破り捨てたのである。

丁寧に礼状をくれたカップルには、返事を出す事すら出来なかった。
なぜなら彼らの手紙が入っていた封筒はものの見事に破り去られ、差出人住所を
読み取ることは不可能だったからである。
名前だけを頼りになんとか連絡を取ろうと、日本から電話局に問い合わせてもらったが、
どうやらその名前で登録された電話番号は無かったようだ。
後に何万人と言う日本人を案内するに至り、数え切れないぐらいの礼状をもらった中で、
私が返事を出せずに終わったのは、この方々が最初で最後であるだけに、今でも
申し訳ない事をしたと思う。

さて、実家からの手紙を発見し、中にCDが同封されていた事を知った私は、
これを取り戻すべく策を練った。
どうせこの同じ建物内に住む誰かに違いない。
さては私の新品のジーパンを盗んだ同じ奴だろうか、、、


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