真っ白な壁の下部は、ピンク色を基調とした色合いの壁紙だろうか、布地だろうかで
覆われていた。
淡い間接照明で照らされたサロンは、過度な装飾もなく、また寂しいわけでもなく、
極平凡な雰囲気に仕上げられていた。
壁の傍には、石膏か何かで作られた、ローマ時代の彫刻作品に見せかけたような代物が、
わざとらしく陳列されていた。 ホテル内にあるレストランである。
私が一足先に到着し、予め我々の席を確認して待っていると、熟年カップルのお二人が、
顔の引きつった添乗員に連れられ入ってきた。
添乗員の目は明らかに私に救いを求めている。
なるほど、御主人の顔は、先ほどとは別人のようだ。
添乗員に頼み込まれて、嫌々レストランまでやって来たのだろう。
私は彼らに席を勧めると、まずは、テーブルに用意されたロゼワインを彼らのグラスに注いだ。
相変わらず男性は神経質で難しい顔をしており、女性はと言えば、これから一体
どうなるのだろうかと心配を隠せない様子だ。
とりあえず、二言三言、当り障りの無い言葉をかけて、「お疲れ様でした」と
軽くグラスを交わしてから、本筋に入る事にした。
『先程、添乗員から私の方へ電話がありましたが、このホテルがお気に召さない
と言う事ですね?』
「当たり前だろう! なんだこのホテルは! なんだねこのレストランは!
あの壁の装飾を見たまえ! あの石膏の塊はなんだ?
こんな所に泊められてはせっかくの今日の感動が全て消えてしまうじゃないか!」
御尤も、そして私も同感である。
『おっしゃる事は私にも判ります。
トレド市内には古いホテルしかなく、このツアーのカテゴリーからすると、
この町で使えるホテルは二つしかありません。
一つは川向こうにあるパラドール、そして、もう一つはここである事は確かなのですが、
確かにこれはトレドと言う町で泊まる場所としては良い選択とは言い難いかもしれませんね。
その理由は率直に言えば、トレドの雰囲気を全く無視したこの悪趣味であると、
そうお考えなのでしょう?』
「そのとおりだよ。 なんだこの悪趣味は?」
『本当にそうですね。私も同感です。
ところで、私の方から一つ質問させて頂いて宜しいでしょうか?』
神経質にタバコを吸う彼に投げかけた質問とはこうであった。
『あなたは、トレド、そしてスペインがとてもお好きとの事でしたね?』
「あぁ、昔から大好きだ。この国の絵画も建築も町並みも本当に素晴らしい。
それなのにこのホテルは、、、」
『判りました。それでは、お伺いしますが、どうしてこの国で、あれだけ素晴らしい画家や
音楽家、建築家が輩出したのか、お考えになられた事はありますでしょうか?』
「うーん、、、いや、特には、、、」
『これは私がこの国に長年住んで感じた単なる自論ですが、少しお話させて頂きますね。
私は小さい頃よりピアノを習っていました。そして、晩学ではありましたが、ヴァイオリンも
勉強しました。
この国では、音楽の方面でも、優れたピアニスト、ヴァイオリニスト、オペラ歌手、チェリストなど、
沢山の天才アーティストが輩出しているのですが、その原動力は何だか判りますか?
それは、この国ではまだ、まともな音楽教育制度が整っていないと言う事です。
日本であれば、小学校に入れば音楽の授業があり、誰もがカスタネットや縦笛など、
何らかの楽器を学びますし、五線譜やト音記号の事も勉強します。
その結果として、国民全体としては音楽教育のレベルを高める事に成功していますが、
反面、全ての子供達が同じ、画一的な教育を受けると言う弊害が出ているのです。
ピアノは指を丸めて弾きなさいとか、ヴァイオリンの弓はこのように持たなければいけない、、、etc
人それぞれ手の大きさも違えば、指の長さも違うのに、皆が皆、同じスタイルで弾けるはずも
ありません。
でもその共通のスタイルを崩すと叱られる、それが日本の一般的な音楽教育なのです。
ところが、スペインは違います。
そのような画一的な教育が確立されていないため、国民全体の音楽教育レベルは
遥かに低いものであり、一般の人々の中で楽譜を読める人などほとんどいませんが、
その代わり、何かのきっかけで何かの楽器を手にした人は、誰からもシステム化した教育を
与えてもらえない代わりに、何ら制限も受けないのです。
つまり、自己流でもって演奏を始めます。
そして彼らの中に、極稀ではありますが、とんでもない才能をもった人がいると、
自由に自己流の演奏を続けた結果、他人には真似の出来ないような素晴らしい演奏を
するに至る者が現れるのですよ。
これが天才なのです。
ほとんどの人は、システム化された教育が無いために、自己流の限界にぶち当たって、
それ以上伸びなくなるのですが、時折、ぽつりと天才が現れるのです。
そう、自由であれば自由であるほど。教育が無ければ無いほど。
そう言う人々がトレドの素晴らしい町並みを残し、スペイン美術の確固たる地位を
築いた訳ですが、もしも、彼らにそう言った自由が無かったと仮定したら、
今我々に感銘を与えてくれるモニュメントも絵画も音楽も無かったのかもしれません。
これら天才誕生の基盤となった自由さや「システム化された教育が無かった事」を
我々はある意味で評価する必要があるのでしょうし、それはつまりその同じ土壌が生み出した
駄作をも同時に認める必要があると言う事でしょう。
ほとんどは駄作に終わったのです。
その中のほんの一部として傑作や秀作が残っているのは確かなのですよ。
如何でしょうか、このホテル、、、私も駄作だと思いますが、それでもこのホテルを認める事は
出来ませんか?
それはつまり、同時にトレドの町並みも、アルハンブラ宮殿も、ガウディーの作品も
全てその存在自体を否定する事になると思いますが?」
私がこの時、彼にしたこの話は、必要に迫られたこじつけでもなければ、問題を抑えるために
でっちあげた作り話でもなければ、真剣にスペインが好きだと言う彼を煙に巻くために打った
演説でもない。
私は今でも本当にそう思っている。
これが、日本という国と、スペインと言う国の間に存在する大きな違いの一つなのである。
果たして皆さんはどのようにお受け取りになったであろうか?
この後、彼は非常に素直に私の意見に賛同してくれた。
彼の奥方も同時に安心した表情に変わり、べそをかいていた添乗員もホッとしたのだろう、
その顔には笑顔が戻っていた。
和やかに夕食を済ませたあと、同じ階にあるそれぞれの部屋へ戻る時、廊下に飾ってあった
絵画を見て彼が言った。
「それにしても、この絵、、、全くもってピカソの下手な物真似にしか見えないなぁ」
私は答えた。
『物真似に関して、世界で最も名を知られるのは我々日本人だと思いますが?』
明日はラ・マンチャの大地を縦断して、アンダルシアまで南下するのである。
ゆっくりと身体を休めようではないか。
無数に存在する駄作に乾杯!