スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第4章 人生の友との出会い

『いいから弾いて御覧なさいってば』


 渡る世間に鬼はなし、とは良く言ったものである。

一生懸命生きていれば、必ず周りに力になってくれる人が現れると言うのは、

私の短い人生で幾度となく経験した事である。


 スペインの中央北部に広がる広大な大地、カスティージャ・イ・レオン地方の中に

バジャドリと言う町がある。特に観光地では無いため、この町の名を知る日本人は

極稀であったが、2000年頃だったろうか、サッカーの城選手がこの町のチームに

やって来たのを機に、日本でも随分とその名が知られるようになった。


 夢が叶って、スペインへの留学を果たした私は、この町にあったバジャドリ大学の

外国人コースにて、そのスタートを切った。

同じクラスには、我々日本人が5、6人。その他は、アメリカ人、ドイツ人、ブラジル人、

イタリア人などなど、まさに私が生まれて初めて体験した、文字通り国際的な環境が

そこにはあり、いろいろな事を学べそうな予感がした。

そう、私の留学目的は語学習得では無かったはずだ。


「あなた、ヴァイオリンの弓を買いたいんだって?」


そう声をかけて来たのはドイツ人のクラスメートだった。

誰かから、その事を聞き知ったのだろう。


かつて、友人のヴァイオリン発表会なるものを見に行った時、幼稚園児ぐらいの

小さな子達が、これまた小さなヴァイオリンを一生懸命弾いている姿に感動して、

得意の「好奇心」が頭をもたげた。

これは面白そうだ。 やってみたい!


朝刊配達で稼いだお金の大部分が私立大学の学費へと消えていったが、

それでも少しは小遣いも残った。これを投じて手に入れたのが、機械による大量生産の

安いヴァイオリンだった。

二十歳を過ぎてからの手習いである。それがどうした?

やってみたいと思うのだから、やってみれば良いじゃないか。


日本にいた頃、とにかくアルバイトと学業で手一杯で、それ以外の事をやる時間が

なかった私は、もしやスペインに行けばそう言う時間が出来るのでは無かろうかと、

この安物ヴァイオリンを持って留学に赴いたのである。

音の鳴らし方など基本的な事は、同じく大学に入ってからクラブ活動でヴァイオリンを

始めた友人に教わった。それだけである。

それにしても、この楽器の音色の素晴らしい事よ!

ぎこぎこと、のこぎりのような不快な音がほとんどだったが、たまに間違って出る音の

素晴らしい事と言ったらなかった。

あぁ、せめてあと十年前にこの素晴らしい楽器との出会いがあったら、、、

心底、残念に思ったものである。

まぁいい。これで食べていけないのは当然だが、せめて趣味として始めてみよう。

こうして、どう言う訳か、ヴァイオリンが私のスペイン留学生活の中で重要なウェイトを

占めるものとなっていた。そんな時である。ドイツ人のクラスメートから声がかかったのは。


「私の知り合いで、この町のオーケストラの団員がいて、その人が

弓を売りたがっているのだけど、興味ある?」


全く素人の私が、プロのオーケストラの団員からその大切な弓を買うなんて、随分と

失礼な事ではなかろうかと、ためらいもあったが、とにかく会ってみることにした。


スペインの住宅と言えば、日本に多く見られるような一軒家ではなく、そのほとんどが

マンション、所謂、集合住宅である。町にはそう言ったマンションが林立している。

さほど背の高いマンションでは無いので、町全体として、それほど圧迫感がある訳ではない。

そう言った何の変哲もない極一般的なマンションに彼女、アナ・レテックは住んでいた。

彼女はポーランド人で、バジャドリ市が運営するオーケストラでビオラ奏者として働いていた。

広くも無いマンションには、彼女の五つになる男の子ミゲルと、同じオーケストラで働く

オランダ人のフルート奏者が一緒に生活していた。

家賃を少しでも安くあげるために、一つのマンションをシェアーしていたのである。

これは、昔も今も、スペインでは良く見かける生活形態である。


アナはその小さなサロンに通してくれた後、自分の大切な弓を差し出して見せてくれた。


「これが売りたい弓なのだけど、、、」


弓の選び方も判らない私が困っていると、彼女はこう言った。


「持って帰って1週間ぐらい使ってみれば?」


今日初めて出会った私である。どこの馬の骨だか判らぬ東洋人に自分の大切な弓を貸して

良いのだろうか。そのまま返しに来なかったらどうするのだろう、、、

これは私の驚きを伴った素朴な疑問だった。

それでも、彼女のあまりにも自然なオファーに、その好意に甘んじる事にした。

これが、私にとって人生の友と呼べるアナ・レテックとの出会いである。

ポーランドと言う決して裕福とは言えない国からスペインに出稼ぎに来ていた彼女には、

5歳の男の子と、別れたダンナがいた。

元ダンナは同じオーケストラでヴァイオリンを弾くアンドレスと言う人物だった。


弓を預かった私は、それを大切に脇に抱え込み、そう、わくわくするものを

感じながら帰路を急いだ。

そして、見ず知らずの私を信用して、大切な弓を貸してくれた彼女に、一日たりとも

余計な不安を感じさせてはいけないと思い、約束の1週間がたったその日に、再び

彼女のマンションを訪れた。

その当時、弓の良し悪しなど全く判らなかった上に、極端な貧困財政にあった私は、

結局、その弓の購入を断念した。


「せっかく貸してもらったのにごめん」と謝る私に、彼女は明るく言った。


「何も気にする必要なんてないのよ」


同居していたオランダ人のフルート奏者、、、名前は忘れてしまったのだが、彼女が

コーヒーを入れてくれた。

そして、5歳のミゲルが遊んでいる中、我々3人で会話をしていると、アナが私に言った。


「いつからヴァイオリンをやっているの?」


偉そうに弓を借りて帰った事もあり、正直、答えるのが恥ずかしかったが、

嘘をつくことも出来ず、まだ始めたばかりである事を伝えた。

アナは特に驚きを示す事もなく、こう言った。


「何でもいいから弾いて御覧なさい」


私は一度は拒絶したが、再度、彼女から促され、顔を真っ赤にしながら、

弾いて見せた。

一体、あの時、何を弾いたのか、今では全く記憶にない。

そして、自嘲気味に「ひどいものです」と吐いた。

彼女の反応は意外だった。


「本当にそんなに短い期間しかヴァイオリンを触っていないの?」


この日から、アナ・レテックのヴァイオリン教室が始まった。

週に一回のレッスン。

レッスン料は、、、「タダ」だった。


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