スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第5章 何でもやってみる

『ウン・ドス・トレス、 クアトロ・シンコ・セイス、 シエテ・オチョ、 ヌエベ・ディエス、

ウン・ドス、un dos tres, cuatro cinco seis, siete ocho, nueve diez, un dos,』


 昔、アントニオ・ガデスが主演する「カルメン」と言う映画があった。

この映画を見るまで、私が抱いていたフラメンコ像は、水玉模様の衣装を着た女性が

足を踏み鳴らしながら踊るダンスにつきるものだった。歌もギターもほとんど知らなかった。

ましてや、男性があれほど格好良く踊るなどとは思ってもいなかった。

あの映画と出会って以来、いつかスペインへ行く事があれば、きっと習ってみよう、、、

ずっとそう思っていたのである。


 念願かなってスペインの地を踏んだ後、新しい環境に少し慣れるのを待ってから、待望の

フラメンコ・レッスン場を探し当てた。

スペインの南部にでも行けば、もっとたくさんの学校もあったのだろうが、中央北部の

カスティージャ・イ・レオン地方となると、少なくとも当時は、そのような学校は

ほとんど無かった。


 偵察に行ってみると、生徒は女性ばかりで、男性はどうやら私一人。

勿論、たった一人の男性のために用意してくれる更衣室など無く、それどころか、

レッスン場へ入るためには、いやが応でも女性の更衣室を通過しなければならなかった。


 まずは、ノックをする。ドアの裏からアデランテ!(どうぞ!)と声が返ってくる。

それから、おずおずと女子更衣室内を通過して練習場へ入ったものである。

そんな中、時にはレッスン開始時間ぎりぎりに到着する事もあり、もうすでに皆、着替え

終わって練習を始めているだろうと高をくくり、バタン!と扉を開けると、中には私同様、

遅れて来る者もいるらしい、、、 

素っ裸の女性と目が合ってしまい、非常にばつの悪い思いをしたことも幾度かあった。

これが日本ならば、おそらく「きゃぁ!」と叫ばれて大騒ぎになるのかもしれないが、

相手がスペイン人だからか、一瞬、恥じらいを見せつつも「にやっ」と笑ってこちらを

見るだけだった。

或いは、あれだけ大勢の女性ばかりの中にあっては、たった一人の日本人男性など、

すでに男として意識すらしてもらっていなかったのかもしれない。

ペルドン!(ごめん!)と頭をかいてそれで終わりだった。


 セビージャ出身の3姉妹が経営する学校だったが、その中でも特に私に良く教えて

くれたのが、最年長のエリサだった。

すでに60代の女性だったと思うが、その踊りは素晴らしいものだと思ったし、何よりも、

あの体力には驚かされた。

私など、1時間も踊りつづけると、もうふらふらになってしまって、階段の上り下りも

ままならなかったが、彼女に至っては、平気で2時間でも3時間でも踊りつづけていた。

いくら小さい頃から踊っている人だとは言え、60代の女性に体力で負けるのは余りに

恥ずかしい事、と最初は頑張ってみたが、やはり到底勝てるものでは無かった。

人間の身体と言うものは、鍛えるとこれだけ強くなるのかと、改めて思った。


 こうして、週に4回ぐらいの頻度で、フラメンコの集中レッスンを受けることになったのである。

また、それ以外の日も、グループレッスンへの自由参加を認めてくれたので、ほとんど毎日、

レッスンを受ける事になった。

 そうして半年も続けると、3姉妹の先生方から、日本でフラメンコ学校を開くように言われた。

あのまま続けていれば、今ごろ日本では結構なフラメンコの大家、なんて事も

あり得るのだろうか、、、。

とにかく、何でもやってみないと気がすまない性質であったようだ。

興味を持ったら、やってみる。そう、試してみなければ必ず悔いが残る。

これは今でも確信している自論である。

試した後、いろいろな答えが出るだろう。そうすれば納得行くのである。

フラメンコはどうであったか?


 女の子達に混じって、練習場で踊りながら、壁一面に張られた大きな鏡の中を覗くと、

そこに映っている自分の姿は、昔、映画で見たアントニオ・ガデスのそれとは

似ても似つかないものだった。

まるでサルの人形!?

これが鏡の中の自分に対する素直な感想であった。


 以降、とりあえずある程度深くやってみないと気がすまない性格だったので、それから

しばらくは、レッスンを続ける事にした。

そして、いつの日か、きっぱりと辞めた。

その後、私のフラメンコ経歴が表に出るのは、10年も経ってからであろうか、、、

自宅の物置部屋から、当時の女房が、怪訝そうな顔をして飛び出してきた。


「ねぇ、まさか、あなたがシークレットシューズを履いていたとは!」


一体、何の事を言っているのか、さっぱり判らなかったが、彼女が手にしているものを

見た瞬間、噴き出してしまった。そうか、まだこんなもの、捨てずに置いてあったのか。


フラメンコ学校に通い始めた当時、裏に金具が打ち付けてある踵の高いダンス用シューズを

買ったのだった。それも、フラメンコ文化とは疎遠な中央北部の地方都市での事、色や形を

選ぶ事など許されず、ただただ店にあったものを買わざるを得なかった。

結果、私が短い間ではあったが愛用し、その後、埃まみれの状態で彼女に再発見された

その靴は、黒とグレーのツートンカラー、エナメルのまぁ、なんとも趣味の悪い靴だったのだ。

これを自分のダンナが日常生活で履いていたのだと勘違いした彼女は、さぞかしショック

だったろう。


ウン・ドス・トレス、 クアトロ・シンコ・セイス、 シエテ・オチョ、 ヌエベ・ディエス、

ウン・ドス、 un dos tres, cuatro cinco seis, siete ocho, nueve diez, un dos,


毎日毎日、12拍子でひと回りするこの独特のリズムを、繰り返し練習したものだった。

後にこれらの全てが、自分の人生の肥やしになるのだが、そんな先の事など考える訳もなく、

ただひたすら、「何でもやってみたかった」のだ。


 何か気になるものがあるならば、それが許される環境にある限り、迷わず飛び込んでみる事。

これは幾つになっても実践し続けたいものである。

「試してみて失うものは何も無い」などと言う野暮な事は言わない。

何かを試したら、少なくとも時間と、場合によってはそれなりの金銭も失うはずだ。

しかし、考えてみれば、時間も金銭も使うためにあるものであり、今、何か気になる事に

費やした場合、それ以上に良い費やし方がその時点で他にあったのかどうかなどと言う事は、

同時期に一人の人間が二つ以上の違った事を試す事が出来ない限り、永遠に比較対照する

事も出来なければ、どちらがより良い結果を招いたかと言う事など、判ろうはずも無い

のである。

更に言えば、その時、満足の行かない結果だと思えても、それが原因または出発点となり、

そこから始まり開ける未来の中に、どれだけ良い事が起こるのかという事に至っては、

その時点では誰も知る由も無い。

ならば、何を悩んだり嘆く必要があるのか?

全ては、試す価値があり、全ての試行錯誤が、「失敗」とは言えない所以である。


 自らの意思で選択をし、予想外に望ましくない結果を招いた場合、失敗したと悩んだり、

悔やんだりする事は、誰もが日常で行なう、人間にとって一種の本能のようなものだが、

一定の時間をかけて振り返り、反省をする事は良いとしても、それ以上に悩むのは、

実のところ、無意味なのではなかろうか。


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